家族4人と、彼女の妹のKちゃん、Kちゃんの友人のHちゃんと、HちゃんのダンナのTさんとともに、カラオケに。
このHちゃんという人、メチャメチャ歌が上手い。で、彼女に宇多田ヒカルを歌ってもらって、すっかりいい気持ちになってしまった(カラオケ屋の前に、レストランでイタリアワインをボトル1本空けてたってのもあったし)。やっぱり、カラオケは歌の上手い人と一緒に行くに限る。
ところで、何日か前の「ZAKZAK」に、アン・ルイスが「宇多田ヒカルって嫌い。特に、あのビブラートが」と言ってたっちゅうニュースが載ってた。わはは、なんだか、さもありなんという感じだなあ。
僕は、宇多田ヒカルって、ある意味「ブルセラソング」だと思うんだよな(ちょっと表現悪いか?)。なんと言うか、イメージとしての女子高生が持っている「切なさ」とか「危うさ」とかいう部分を、最大の魅力としているって意味で。だから、例えば十数年前の斉藤由貴(そういや、彼女も「初恋」って歌を唄っていたような……)あたりと、実はそんなにコアの部分は変わらないのではないかと思ったりもするのだ。もちろん、味付けの部分が全く違うので、立ち現れているスタイルは別物だが、ユーザーの立場からすれば、彼女たちに感じている魅力は、実はそれほど違わないのではないかな、なんて。
そういう意味では、大人なロケンローラー、アン・ルイスとしては、「宇多田みたいなしょんべん臭いガキの歌なんて!」って感想を持つのは当然かなあ、なんて想像してしまったのだ、僕としては。
ところで、同じ記事だったと思うけど、新たに登場してきたハイティーン、ローティーンの歌手を何人か紹介して、「宇多田もうかうかしていられない?」なんて締め方をしていたのも笑った。こういう、才能ある人間(あるいは、大金持ちとか地位の高い人間とかも)に対して嫉妬しまくる夕刊紙の姿勢って、なんか日本の中年オヤジの典型だよね。中でも、「夕刊ゲンダイ」とか「噂の真相」なんて、最たるもの。
いや、嫉妬するだけならまだいいのよ。もっと醜いのは、その嫉妬を「正義」「良心」「常識」ってオブラートで包み隠そうとしているところ(実際は、全然ミエミエなんだけどさ)。空疎なイデオロギーを振りかざして、やってることは出る杭を打ってるってことだけ。イヤだよねえ。