14時過ぎに保育園に出向き、アトピーである長女の除去食について、栄養士さんと面接。
その後、友人のIさんとAさんが共同で、今月立ち上げたライター事務所に遊びに行くために渋谷へ。
電車内では、Dragon Ashの「Viva la revolition」を聞きながら、芥川龍之介の「河童」を読む。
これでも高校時代から20代頭にかけては、多少は(いや、少々、かな?)文学青年だった。当時、芥川はかなり好きで、文庫で出版されている小説・随筆のたぐいはすべて読み通したものだ。図書館で関連図書を借りて読んだことも多かったような。
で、今日、家を出るときに、書棚の下に岩波文庫版の「河童」が落ちているのを偶然見つけたのだ。僕は、基本的に新潮文庫で芥川を読んでいたので、おそらく僕の彼女が買った本なのだろう。それを、いたずら盛りの次女が本棚で遊んでいるうちに、落としたものだと思われた。電車で読む本を探していた僕は、「あの頃面白かった芥川って、今読んだらどうなんだろうなあ?」って思い、その文庫本をポケットに突っ込んで出かけたというわけだ。
本八幡駅から読み始め、代々木駅で山手線に乗り換えるころに読了。感想は……、つまらなかった。ま、「河童」みたいな小説だからなあ、1回読んだことで面白さはぐっと減じるのかもしれない。でもなあ……。こんなもんだったか、芥川って? なんか上滑りで、食い足りないんだよなあ。この分では、「羅生門」や「鼻」、「地獄変」あたりを読んでも、同じような感想しか持てないかもしれない。「蜜柑」とか「トロッコ」でも、ひょっとしてそうなのかなあ……? 特に、芥川得意のアフォリズムってやつが、どうにも鼻について仕方がないのだ。高校時代に好んで文章をマネしていた(内容はもちろん全然お粗末だったと思うが)「しゅ(人偏に朱)儒の言葉」なんか、今読んだら「ケッ」って感じかもなあ。まあ、「歯車」だけは違うと思うのだが……。僕には「歯車」が見えた経験があるし、多少は芥川の追い詰められた心境が身に染みてくるのでは、なんて思っているのだが……。
でも、なんで芥川がつまんなくなっちゃったのかなあ? 僕が変わったからなんだろうけど、でもそれなら、僕はどんな風に変わったんだろう? あるいは、漱石の「こころ」や武者小路実篤の「友情」は、今でも僕を感動させるのかなあ?
あ、今読んだら、萩原朔太郎の「月に吠える」は断然いいね。「さびしい人格」には泣けちゃうし(こんなに泣ける詩は、あとはボードレールの散文詩「夜半の一時に」くらいしか知らない)、「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」の戦慄は他に類を見ないっすもん。
だからあれだな、別に小説・詩が古くなったからダメっていうんじゃあないんだよな。やはり、僕が変わったから芥川が面白くなくなったんだろう。
ところで、今、書棚を探していたら、今日読んだ岩波文庫版の「河童 他二編」のほかに、新潮文庫版の「河童 或る阿呆の一生」、さらに角川文庫版の「河童 玄鶴山房」も見つかった。一体俺、どんな本の買い方してるんだ?
渋谷に着いたのは15時半過ぎ。宮益坂を2~3分登ったところに、ライター事務所はあった。そこで、Aさんと1時間半ほど雑談。今日は自宅で原稿を書いているというIさんを17時過ぎまで待ったのだが、結局Iさんは出社せず。
帰りに、デジカメでも買おうかと思ってビックカメラに寄ったが、金がないことに気づいて断念。結局、「トルネコの大冒険2」を購入。これでまた、しばらく社会復帰できないかも。
山手線を新宿で乗り換え、総武線で秋葉原まで。
ラッシュアワーの電車に、サンダル履きで乗りこむのはかなり危険だということを痛感。混み合った車内では、ハイヒールのおネエちゃんに足を踏まれるし(ま、これが違うシチュエーションだったら、意外とうれしかったりするのかもしれないけどさ、顔とかを踏んでもらったりしてなあ、でも、電車内では痛いだけ)、なによりも電車に乗りこむ際にサンダルを落っことしそうで怖い。このところ、僕はどこにでもサンダル履きでダラダラ行っちゃってるのだが(もちろん仕事のときは別だが)、さすがにラッシュは避けなくちゃな。
でも、できればサンダル履きでダラダラとやっていける人生、これは結構いいかも知れない。って、それって寅さんか。
秋葉原駅のホームで10分ほど待ち、日比谷線から乗り換えてきた帰宅途中の彼女と合流。彼女は、僕のサンダル姿を見て、「大人はサンダルで電車に乗っちゃいけないんだよ~」と笑っていた。そりゃそうだ。
2人で電車に乗り、本八幡まで。その後、保育園に子供たちを迎えに行き、帰宅。