13時から霞ヶ関ビルの喫茶店で、初対面の編集者と打ち合わせ。多少早く着いたので、特許庁に勤めている友人と会おうと思い、携帯を呼び出したが、この番号は現在利用できない旨のメッセージ。そう言えば、ちょっと前にcdma-Oneに乗り換えたなんて話をメールでしてたなあ。ったく、番号変更の通知くらいしろよな、と携帯に一人ごちる。
14時から同じビル内で取材を行い、終了後新橋に移動して打ち合わせ。
書店で「何がどうして」(ナンシー関/世界文化社)、「JMM VOL.1 日本の選択した道」(村上龍編集長/NHK出版)、「スポーツ20世紀~サッカー 英雄たちの世紀」(ベースボールマガジン社)、他に雑誌を数冊購入。
帰りの電車内で「英文法の謎を解く」(副島隆彦/ちくま新書)を読了。
18時過ぎに保育園に到着。彼女が仕事で終電帰りなので、子供たちに食事を与え、風呂に入れ、本を読んで寝かしつける。4歳の長女は、もうかなり手が掛からなくなってきたのだが、1歳9ヶ月の次女は自我が強くなりつつある年頃。僕が食べさせるスプーンをはねのけ、自分の手で食事を食べようとする。あるいは、まだ浴槽にお湯がたまってないのに、勝手に服やオムツを脱いでしまう。寝る前に読む絵本をあれこれ持って来ては、あたりに散らかす。
22時半頃になって、ようやく子供たちは就寝、ホッと息をつく。次女が言葉で十分にコミュニケーションを取れるようになるまで、あと半年か一年、そこまでが一番大変な時期だろうなあ。それを越えてしまえば、我が家の子育てはぐっと楽になると思うのだが。
しかし、つくづく1人で子供を育てるってのは大変だ。ほんの数時間子供の面倒を見るのだって大変なのに、これが1年365日ずっと続くなんざ、とても考えられないよなあ。
僕がたまに、幼児虐待する母親の気持ちは多少はわかる気がするって思うのは、やはりこういうことを経験してるからだろうなあ。子供たちとずっと顔を突き合わせて生きるのって、やっぱどこかで息苦しいと思うもん。もちろん、自分の子供ってのはかわいい。でも、それでも四六時中一緒にいれば、そりゃ多少はイヤにもなるって。
虐待する親の気持ちは少しはわかるけど、だからと言って虐待を許すつもりはない。もちろん、「お受験殺人事件」(これ、動機はどうやらお受験以外のところにあるみたいだけど、便宜上こう呼んでおく)の犯人になんて同情する気はさらさらない。
ただ、誰もがそうした立場に追い込まれる可能性があることだけは、みんなが覚えておかなくちゃなんないだろう。でないと、今回の事件が、社会的背景とはなんのつながりのない、突出し特異なケースに終わってしまうもんな。
いや、覚えておくだけじゃダメか。1~2ヶ月前に大騒ぎになったけれど、今じゃ全然話題にならない「ストーカー(?)殺人」とか、あるいは「毒入りカレー事件」、「神戸の事件」、「女子高生コンクリート詰め事件」……、どれも、事件の教訓って十分に生きてるんだろうか? あるいは、オウム特別法が作られた「地下鉄サリン事件」にしても、法律制定というやり方が本当に正しかったのか、それだけで十分だったのか、そんなことも考えなくちゃいけないんだよなあ。
どこかに、そうした犯罪と社会的な背景なんかを手際良くまとめた資料がないかしら?
夜、子供たちが寝静まったあと、録画しておいたドラマ「ケイゾク」(TBS系)を見る。
……そっか、オレ、「ちょっといびつなスーパーマンが活躍するディテクティブストーリー」が好きなんだなあ。