朝日新聞の朝刊を見ると、「TOEFL平均点 やっと最下位脱出」って見出しが出ていた。
別に、TOEFLの平均スコアが低くたって、それが即、日本人が英語ができないということにはならない。だって、例えば上位にランクされているフィリピンやスリランカ、ネパールといった国でTOEFLを受けているのは、ほぼ例外なく、大金持ちの子弟でしかも優秀な人々だろう。ところが日本では、飛びぬけて裕福でなくても、飛びぬけて優秀でなくてもTOEFLくらい受ける。きっと、そういう人たちが平均点を下げているのだろう。
それはともかく、僕は英語ができない。これは非常に困ったことだ。
日本は、かなりヤバイ。ほんの10年くらいの間だけなんとか取り繕えばいいと思ってる、「勝ち逃げ世代」の年寄り政治家の皆様方がひどいことをやってるからな。この先、僕が50歳くらいになったら、どんなことになっちゃうんだろうって思う。そんなとき、だったら壊れた日本に見切りをつけて、海外で居住権を取ろうかなんて考えるんだよなあ。
でも、やっぱ言葉ができないとキツイっしょ。周りの人の喋ってることもわからず、周りの人に自分の意思を伝えることもできない。そんな環境で暮らすのは大変だよなあ。仮に言葉の意味がわかってきたとしても、今使っている日本語と同じレベルで、英語なり他の言語を使いこなせるようになるとは思えない。
言葉というのは、これまでの経験を幾重にも身にまとって存在しているもの。それら経験のヴェールは、1枚1枚見るとほとんど無色透明なのだが、何枚も重ねるとえもいわれぬ色合いを言葉に与えてくれるのだ。言葉のまわりを覆っている、その経験のヴェールこそが、僕の言葉を、そして誰かの言葉を豊かにしている。
ところが、母国語以外の言語では、そうはいかない。その言葉を使って得た経験が、絶対的に不足しているんだもん。言葉の腹を切り開いてみても、なんにも出てきやしない。僕は、そんな言葉を使って生活しなきゃいけないなんて、ヤダなあ。
なので、僕は日本で(正確に言えば「日本語の中で」)暮らしつづけたいのだ。だから、僕の生活を取り巻く状況を、少しでも悪くならないようにしたい。仕方ないんだよ、だって僕は、ここで暮らしつづけるしかないんだから。ため息をつき、無力感に苛まれ、それでも日本の中でやって行かないと仕方ない。なので、「政治」なんて面倒な、ダサいテーマについてうだうだと考えているわけだ。
あ~あ。
隣に住んでるNさんの息子さんが、インフルエンザで幼稚園を休んでいるそうだ。でも、クラスの3分の2が休んでるのに、学級閉鎖にはならないらしい。へえ、そんなもんなんだなあ。
で、今日その話を保育園の園長先生にしてみたら、小学校では学級閉鎖になると、学童保育(放課後、小学生の面倒を見るための施設。保育園は夕方までオープンしてるが、小学校の場合、低学年では昼過ぎに授業が終わってしまうケースも多い。そのため、親が仕事から戻る夕方まで、子供たちを見る場が必要なのだ)も閉鎖になってしまうという話を聞いた。つまり、自分の子供は元気なのに、学級閉鎖になると親は仕事を休まなきゃならないっつうことになる。こりゃキツイなあ。
大体、正社員で働いている人だって、年間の有給休暇はせいぜい20日あればいい方でしょ? 月に2日のペースで子供が休んだら、すぐに使い果たしちゃう。それに、僕みたいなフリーランスや、パートタイムで働いている人には、有給なんて最初からなかったりもするわけだし。
じいちゃんばあちゃんが同居していて、しかも地域の大人が一定の連帯感を持ち、遊んでいる子供に目を配っていた頃なら、別に問題はなかったんだろう。子供の数も多かったから、年長の子供がリーダーになって作るコミュニティにいれば、それほど危険も高くなかったろうし。でも今は、育児に祖父母のヘルプを期待できる家庭は必ずしも多くない。それに、例えば子供が誘拐されかかっていても、それを無視して行ってしまう大人がたっくさんいる時代だもんなあ。
そういう状況に対して何らかの対策をとっていかないと、やっぱり育児は大変なのだ。
自動車事故にあったデリック・トーマスは、どうやら命に別状はなさそうだ(ただし、同乗者は亡くなったようだが……)。しかし、脊椎に損傷を受けたらしく、選手生命が立たれる可能性もあるらしい。う~む。彼の爆発的なスピード、QBに襲いかかるラッシュ、もう見られないのかなあ……?