今日は、保育園の父母会の臨時総会。ところが、定刻に集まったのはわずかに3人だけだったらしい。そのうち1人は僕の妻で、1人は来年卒園してしまう園児のお母さん。委任状も定数に足りず、結局総会は不成立。
……。
こんなものなんだろうかな。
父母会っていうものは、なにも「絶対にないと困る」というものじゃない。父母会が存在することで享受できるメリットと、父母会というもののわずらわしさを天秤にかけて、わずらわしさが勝ると言うのならやめてしまえば良い。
もしうちの保育園の父母会がなくなるということになったら、市川市公立父母の会で僕が活動する意味もなくなるなあ。
予想通り、プレステ2は売れているらしい。発売2日で、100万台。
いまだに60万台しか出てないドリームキャストは、ツライだろうなあ。ゲームクリエイターにインタビューしてみると、マシンとしてのドリキャスは評判いいんだけど……。MacとWindowsとおんなじことで、この世の中には規模の経済というものが存在するんだよな。
最近、愛国心というものについて、たびたび考えている。
僕が日本に対して愛情を持てないのは、結局のところ、愛情を持てる日本人が少ないからなのかも知れない。特に、想像力に欠けた人が多いことに、ひどく苛立つ。
もちろん、人ってのはもともと想像力の乏しい生き物だ。例えば、5000人以上を殺し、百万人の生活を破壊した神戸の大震災。僕の友達や知人の何人かが震災を体験し、僕も話を聞いた。もちろん、テレビや新聞などの報道も見ている。でも、結局僕は、いまだに緊急持ち出し袋を用意してはいない。きっと、多くの人がそんなものだろう。自分が経験したこと以上のことを想像するのは、難しいこと。
しかしなあ。そうは言っても、それでも想像力に欠けた人が多すぎる。政治家や高級官僚は3年以上先のことを考えられず、医療ミスを犯したことをひた隠しにする病院は患者の気持ちを思いやることができない。プロ野球界のお偉いさんは目先のペナントとテレビの視聴率・新聞の売上げしか目に入らず、犯罪者たちは自分の欲望を満たすために他人を意のままにしようとする。
仕事で出会う人だけを見れば、好きになれる人の割合、多いんだけどな。特に、文章や写真やイラストや、ゲームソフトや陶器や農作物などを、自分の手で作ることを生業にしている人は、かなり高い割合で好きになる。
あれかな、想像と空想は違うものなのかな。自分でモノを作る人は、空想はしないのだ。空想だけでは、いつまで経ってもモノはできあがらないから。完成形をイメージし、そこに向かって段階的に考えを進めて行く。その作業を想像と、僕は呼びたいね。
僕がこうして政治がどうのなんてページを作り、保育園に関する活動をかじってみてるのも、想像力のない人たちへの苛立ちが原動力なんだよな。一方で、想像力のない人たちに囲まれていることに、徒労感を覚えることもあるんだけど。
政治ってモノには、絶対に想像力が必要なんだよ。5年、10年、20年先の社会はこうあるべきってビジョンがあり、そこと今の社会をつなげるためにはどういう方法を取ればいいのか、具体的に考える能力が。でもさあ、そんな政治家の姿、あんまり見たことないじゃない? たまにいたとしても(かなり昔の小沢一郎氏みたいにね)、その人が提示する社会は、僕にとって魅力的じゃなかったりするし。
話があっちこっち言ってるけど、結局のところ、僕はこの国の人が、今のところ、あまり好きじゃないのかも。で、それは、この国の人には想像力が欠けたところがあるから。
しかし、僕にとってこの国は、暮らしやすい条件を持っていることも事実。だから、この国の人が想像力を持ってくれるようになれば、いいんだけどなあ。
想像力を持つためには、いくつかの条件があると思う。想像するための材料を持ち、そして想像する機会を多く持つこと。
先日「政策」のページに「徴官制」ってテーマだけを書いたのだが、それも発想はそんなところにあったりする。
ん~、今日は煮詰まったなあ。