昼過ぎから、「市川市公立保育園父母の会」の役員会に出席。そこで、昨年度のものを参考にして僕が草案を書いた「活動方針」に、他の役員からクレーム。いわく、「『子供』ではなく、『子ども』に書き換えて下さい」だって。
当然のことながら、僕は聞き返した、どうしてですか、って。そしたら、「朝日新聞の用例便覧(?)にのっとってますから」というお返事。その瞬間、かなりへこんでしまった。
「子供」だろうが「子ども」だろうがどっちでもいいじゃん、大体、漢字でOKなのにわざわざ開く感覚って、「筑波」を「つくば」にするみたいな、「どうですかあ~わかりやすいでしょ~! みたいな勘違いしたお役所(あるいは政党)の感覚みたいで、メチャダサいと思うんだよな、僕的には。それに、朝日新聞の文章が一番正しいっていう考え方も、完全に間違ってるだろよ、違うか?
とはいえ、こんなところでもめたって、なんのメリットもない。僕は「はあ、そうですか」とだけ言って、引っ込みましたよ。貴重な休日を、解決しそうにもない論争でつぶしたくなかったし。
他にも、いくつか直しを入れられた。「これは公的な文章だから、どこからも変な突っ込みが入らないようにしたい。そのためには、厳密な文章を期したい」って意図は良くわかる。でも、それゆえ悪い文章や読みづらい文章にしても仕方ないと思うんだけど……。ま、これってライターにだけ通用する感覚で、一般の人には受け入れてもらえないんだろうかなあ?
ちなみに、家に帰って彼女に話をしてみると、「供」の字には添え物とか従者とかいうニュアンスがあるからダメなんだそうだ。なんだい、そりゃ。今、子供の「供」は、お供の「供」だなんて認識しているヤツ、誰もいないっつうの。
しかし、もし政治の世界にもっと首を突っ込んでいくと、そんな細かい部分に茶々を入れる人たちとも付き合っていかなきゃならないのか……。くぅ~、シンドそうだなあ。