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産経新聞と歴史教科書

 確かに産経新聞は「ものを言う新聞」なんだなあ。朝日や読売より、ある意味刺激的ではある。

 先日、地方欄の「千葉県の中学生はこんな教科書で学んでいる」という連載を読んでいたら、「沖縄の日本人が日本軍によって殺された、あるいは死に追いやられたという記述をする教科書があるが、これはけしからん! 沖縄戦は祖国防衛戦争であったのだ」なんて記述があった。

 僕が一番嫌いなのが、こういう文章だ。具象が全く含まれていない、抽象だけでこねくり回してるだけ。きっとこの文章の書き手は、戦争の時、最前線ではなく司令部でふんぞり返っているタイプに違いない。

 確かに、沖縄戦は祖国防衛戦争と言えるのかもしれない。ただ、それは結果的にそうなっただけで、自ら「これは祖国防衛戦争だ」と意識して戦った人は、絶対に少数派のはずだ。

 例えば、僕が50数年前に沖縄にいて、戦争に巻き込まれたとする。目の前の海にはアメリカ軍の戦闘艦艇がひしめいていて上陸は時間の問題、自分たちの家族を逃がす場所はどこにもない。そんな状況になったら、普段はどれだけ平和を希求していたとしても、銃をとって戦わざるを得ないだろう。だって、そうしないと現実に自分の妻や子供や両親を守れねえんだもんねえ。
 そのとき僕は、ただ「家族を守るために」戦うのだ。断じて「国を守るために」戦ったりはしないだろう。だって、国なんて存在は、自分の想像力の範囲を超えてるもん。
 人間の想像力なんて、チンケなものだと僕は思っている。少なくとも、僕の想像力はチンケなものだ。国なんてものを等身大の存在として捉えることなんてできない。ただ、自分の家族や友人なら、なんとか認識する事ができる。
 家族や友人は、僕にとって大切なものだ。彼らの命や安全が脅かされているとしたら、そして戦うより他に彼らを救う選択肢が残されていないとしたら、僕は銃を取る事ができるだろう。でも、国なんていう曖昧模糊とした存在のために、自分の命を賭けることはできない。

 戦前の日本で、天皇や「国体」という存在がどれだけの重みを持っていたのかは、今の僕には想像がつかない。でも、多くの人の考え方は、今の僕とそれほど変わらないのではないかと想像している。人を殺すことは嫌だが、愛する家族や友人を守りたい。そのためには戦うより他に手段がない。しかし、個人で戦うことは不可能だし、集団で戦う方が家族や友人を守るという目的は達成できる可能性が高い。だから、軍に参加したり、軍をサポートする組織に協力するしかない……。恐らくはそんな考え方の人が多かったのではないかと思うのだ。

 なのに、それを「祖国防衛戦争」って術語でひとくくりにするのは、個人の視点ってものに対する想像力が欠けているとしか思えない。「あの沖縄戦では、沖縄の住民は皆、祖国を防衛するために戦っただけだ。」って物言いは、無理があると思うんだよな。また、記事中には「本土上陸を食い止めたのは沖縄の戦いのおかげだ」なんて記述もあるのだけれど、これも沖縄の人間の視点を欠いた言い方だよな。沖縄の人たちは、別に本土上陸を防ごうと思って戦ったんじゃねえだろう。ただ、沖縄が席巻されるのを防ごうと思っただけだろうよ。

 個人的には、マリアナ沖海戦で負けたときに、すでに日本が勝つ可能性はなかったと思っている(開戦前の時点で、日本が勝つ可能性などほとんどなかったとも思うが)。であれば、せめて1944年の時点で有効な休戦交渉を行っていれば、少なくとも百万人単位の人命が助かったのになあ。産経新聞って、そのあたりの事実については積極的に述べてそうな感じしないけどねえ。どうなんでしょうか。

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2000年10月27日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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