金曜日の深夜だというのに、土曜日朝イチ締め切りの原稿を書いている。
デフレだ。
マクドナルドのハンバーガーが65円に、吉野家の牛丼は280円になった。僕たちは、以前よりずっと安い値段で、さまざまな商品やサービスを手に入れられるようになった。
でも、それは本当に良いことなんだろうか?
吉野家が牛丼の値下げを発表するとき、「単価は3割減だが、来店客を5割増やして利益を出す」というようなことを言っていた。これは店員からすれば、従来より50%増えた客をさばかなければならないということだ。また、周囲の飲食店にとっては、客を吉野家に取られることを意味する。
ある店は、吉野家並みに店員を働かせて、あるいは食材を買いたたいて対抗しようとするだろうし、ある店は店員をクビにして人件費を減らすだろう。ある店は、どちらもできずにつぶれていく。そして、以前と同じ給料なのに仕事量の増えた店員と、仕事量は同じだが給料を減らされた店員、そして店員でなくなった人が生まれるというわけだ。
あるいは、ロードサイドのディスカウントストアが、商店街を駆逐しているという現状はどうだ?
郊外に大規模な店舗を構えることは、コスト削減には効果が高い。地価が安いために店舗維持費が抑えられるし、店のサイズを大きくすることで、商品の仕入れ価格をダウンさせたり、流通コストをカットすることも可能だ(いわゆる「規模の経済」ってヤツでしょうか)。そうした店にはたくさんの客が集まるため、薄利多売による店舗運営が可能。すると、ますますコストダウンを図ることができる。共稼ぎの多い若い世代には、週末に車で食料品などをまとめ買いするスタイルをとる人が増えており、その点でも郊外店は強みを発揮している。
商店街が不利であることは歴然。コストでも便利さでも、なかなか対抗できないのが現状だ。そのため、各地の商店街(特に地方都市では厳しいようだ)はさびれていく一方にある。
さびれていくのが店だけであれば、マイナスは小さい。問題は、商店街が維持してきた人間関係や地域社会も同時に失われていることなのだ。商店街で日々交わされていた会話や情報交換は、ロードサイドでは決して同様に行われてはいない。無口で孤立した人々が、表面的なコンビニエンスを享受しているだけだ。
デフレが進むことに反対しているということではない。例えば、悪どい中間搾取者(官公庁の周りにはびこる「特殊法人」あたりが、その典型だ)を排除することで、商品やサービスが安価に出回るのであれば、それは心から歓迎すべきことだろうと思う。
ただ、物が安く買えた分、僕たちはデメリットを背負い込んでいることを忘れてはならないのだ。値下がりしている商品の背後には、労働強化や失業者の増加、地域社会の崩壊といった影が潜んでいる。
吉野家の牛丼は、400円から280円になった。であれば、浮いた120円のうち、100円くらいは税金として支払ってもいいと思う。そして、その100円が地域の人間関係が豊かになるためのサポートや、失業者が教育を受けられる場所づくり、警官や看護婦を雇うための費用などに使われるのであれば、喜んで払わせてもらうつもりなのだ。