昨日の日曜日、僕は「公立保育園父母の会」に出席した。そこで、会合に出席していた他の会員の方から、市川市内の女子小学生が自宅でレイプされた話を聞いた。電話を貸してくれと騙した犯人を自宅に入れ、その結果事件に巻き込まれたのだそうだ。また、小学生や幼稚園児、保育園児に声を掛ける不審者も増えているらしい。僕たちは、「嫌な世の中だよね」と言ったきり、他にあまり言葉も見つからなかった。
警察庁のホームページに、「平成13年上半期の犯罪情勢」という統計があったので、ざっと読んでみた。重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取誘拐、強制わいせつ)の件数は、前年同期に比べて23.3%増の9410件。強姦は7.6%、強制わいせつは39.9%、それぞれ増えているのだという。
一方、重要犯罪の検挙率は、前年の65.1%からグッと下がって54.5%。強姦の検挙率は64.3%、強制わいせつの検挙率に至っては、41.8%でしかない。無論、これらの数字は、犯罪の性質上かなり高めに出ているはずだ。つまり、強姦や強制わいせつの犯人のうち、刑務所にぶち込まれているヤツより見つからずにのうのうと暮らしているヤツの方が多いってことだ。
検挙率の低さは、確かに問題だ。警察官の増員や、警察組織の改組などが、もっと議論されてしかるべきだと思う。ただ、いくら警官を増やしたところで、検挙率が格段に上がるとは、僕には思えないのだ。
過去、日本の警察は優秀だと言われていた。検挙率も他国に比べて、ずっと高いという評判だった。だが、それは日本警察が優秀だったことより、日本の社会が犯罪を生み出しにくい環境だったからという理由の方が大きかったのだと思う。「よそ者」に対するチェック機能、濃い血縁、地縁によって結ばれた人間関係。それらが犯罪の発生を防ぎ、犯罪者の発見を容易にしていたのだと思うのだ。
しかし、社会の流動性はますます高くなっていく一方。隣人の顔もよく分からないような社会で、犯罪捜査はますます難しいものになっていくはずだ。世田谷の一家惨殺事件はどうなった? 今年に入って起こった現金輸送車強盗のうち、何件の犯人がつかまった?
犯罪は増える。検挙率は上がらない。であれば、罪に対する刑罰は、以前より重くせざるを得ないと思うのだ。なぜなら、刑罰を犯罪の抑止力としてとらえる場合、「刑罰の重さ(刑期の長さ)×検挙率=抑止力(犯罪者にとってのリスク)」という式が成り立つ。今、検挙率という変数が下降している以上、それに反比例する形で刑の重罰化は避けられない。
また、一般市民の側からしても、例えばプライバシーや生活の自由度をある程度犠牲にして、犯罪の発生を防ぐという選択肢もありうるのではないかと思う。先日、韓国で性犯罪者のリストがウェブ上で公開され、議論になったが、そうした手段を日本でも検討する必要があるのではないか? もちろん、誰だってプライバシーを侵害されたり、自由の一部分でも失うのは嫌だ。僕だってそうだ。だが、危険度を増す社会情勢と一緒にバランスシートに載せ、安心できる社会を得る方がメリットが多いと判断すれば、自由が制限されるのも仕方のないことだと思う。
ちなみに、犯罪者の人権を過度に守る立場には、僕は大反対だ。犯罪者の人権は、少なくともある程度の制限を受けてしかるべきである。
なぜなら、権利は義務とワンセットで存在するものだから。犯罪を犯した人間は、その瞬間に社会に対する義務を放棄したと見なされるべきだと思うのだ。特に、自分の欲望を満たすために重大犯罪を犯した者は、大きくその人権を制限されるべきだ。
例えば、過去に何らかの性犯罪を犯した者は、一定のリストに登録されるべきだ。そして、そのリストは、一定の資格を持つ人間に対して開示されるべきだ。罪を犯してから一定期間が過ぎ、ボランティア活動などで十分な社会貢献をしたらリストから削除されるとか、リストの情報を無資格者に対して横流しした者への罰則を定めるなどのルールはもちろん厳格に運営されなくてはならないが、それでもこの種の仕組み作りは絶対に不可欠になると思う。
なにしろこちとら、2人の娘のオヤジだからな。彼女たちがコンクリート詰めにされたり、誘拐されて何年も監禁されちゃ、悔やんでも悔やみきれない。これからずっと側ばにいて守ってやるわけにはいかないんだから、せめて彼女たちが少しでも安心できる仕組みを作りたいと思うのだ。