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祈りを捧げた日々/ハマらず、「白線流し」

 僕が「狂牛病」という言葉を知ったのは、ごくごく最近のことだ。だが、「クロイツフェルト・ヤコブ病」については、25年前から知っていた。そして、それが僕にとって唯一の「信仰」を持つきっかけだった。
 僕は小学生だった。そして、友達から借りた本を読んでいた。UFO、ナスカの地上絵、ポンペイ遺跡、人間の消失現象などのエピソードが満載の、疑似科学で汚染され尽くしたような本だった。で、その中に「脳が小さくなって死に至る病気」が紹介されていたのだ。今思えば、あの病気はクロイツフェルト・ヤコブ病のことを指していたのではないかなあ?

 当時の僕は、これでも心優しい子供だったのだ(って言うと、大概の友人は大笑いする。で、残りの友人は、僕の熱を計る)。そして、それなりに家族思いでもあった。そして、「脳が小さくなる病気」の存在を知って、心を痛めたというわけ。
 だが、いかんせん僕は小学生。どうやったら、両親や妹を病魔から守れるか、皆目見当が付かない。そこで、僕は毎晩、眠る前に祈るようになった。神様、お父さんとお母さんと妹をお守りください、と。

 僕の両親は、日本人としてはごく平均的な宗教観の持ち主だ。つまり、仏式の葬儀には違和感なく参加し、元旦には神社に初詣に行くが、神の存在は信じていなかった。父親の方は、以前創価学会員からしつこい勧誘を受けて嫌な思いをしたことがあったそうで、どちらかというと宗教嫌いだと言えた。
 そういうことが影響してか、僕はいつも、布団の中で祈っていた。当時は両親と一緒に眠るのが常だったが、祈っている姿を親に見られるのは嫌だったのだ。案の定、僕が毎晩祈っていることを知ったとき、父は「お前、変な宗教に『かぶれてる』んじゃないだろうな?」と、詰問口調で言った。母はニュートラルな姿勢で接してくれて、それは救いだった。

 当時、僕が祈っていたのは、キリスト教でもイスラム教でも仏教でもない、ただの「神様」だった。教義もしきたりも偶像もなかった。ただ、子供らしい不安と恐怖、そして熱のこもった祈りの言葉があっただけだ。それゆえ、非常に純粋な信仰だったと思う。
 祈ることで、僕は安心して眠ることができた。そして、平穏に終えられた一日を、心から感謝することができた。

 祈りの習慣は、10歳から12歳くらいまで続いていたと思う。中学生になる直前になると、病気に対する恐怖心も徐々に薄れて動機を失い、やがて僕は祈ることを「卒業」した。

 それ以来僕は、特定の宗教を信じてはいない。恐らく、すくなくとも今後しばらくは、無宗教者のままで過ごすだろう。だが、神に祈ることで得られる心の安らぎは、僕は知っているつもりだ。

 僕が再び祈る日は、果たしてくるんだろうかなあ?

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 録画しておいたドラマ「白線流し」を見た。見終わって、正直ホッとしたな。だって、すくなくともドラマにはハマらずに済んだもん。
 何しろ、脚本も演出も説明的すぎ。例えば、酒井美紀演じる主人公は、勤務先の出版社で「おいバイト」と呼ばれているのだが、これがいかにも「最後のシーンで名前で呼ばれますぜっ! それが一歩大人の階段を登るってことですぜっ!」って感じがバレバレなのだ。また、「見失いそうになりながらも、若者たちは必死で夢を求めている」っていうコンセプトは別にかまわないと思うけど、全部セリフにしちゃうってのは安易だろ? 高校生(このドラマのシリーズ第一作は、主人公たちは高校3年生だったそうだ)が青臭い夢を語っちゃうのはまだ許容範囲だと思うが、もう社会人だからねえ、みんな。「夢を忘れちゃったの?」とか問いかけられても、そりゃあサブいですよ。

 ただ、酒井美紀はやはりストライクゾーンど真ん中でした、はい。別に謝る必要もないはずだが、なんとなく謝りたいです。すみません、てへへへ。

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2001年10月30日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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