先日取材をし、その原稿の確認を依頼していた方から、「感服!プロの技だと感じたこともあり、敢えて私から訂正は入れません」と返信をいただいた。そういえば昨年の春、やはり取材を受けていただいた方から同じような言葉で褒められたんだよな。その時も、「プロの仕事」と評価していただいたのだ。
どちらも、何冊も立派な著書を出している、非常に能力の高い方だ。そういう人々から「プロ」と褒めていただけるということは、僕も一応、プロらしい仕事ができるようになったということなのだろう。
もちろん、能力の高い人から褒められたことは嬉しい。しかし、僕にはうれしさよりも、戸惑いや感慨深さの方が先に立つ。プロか、この僕が。
僕が駆け出しの編集者としてこの業界に入ったのは、24歳の時だ。ある編集部で、ダメな編集者として3年間丁稚奉公をした(だから僕は、ダメな新人編集者に迷惑を掛けられても、なかなか怒ることができない。「昔のオレに比べれば、コイツの方がマシだよなあ……」と思うからだ)。そしてフリーのライター・編集者になってから、もう10年が過ぎた。そうだ、僕ももう十分にベテランなんだ。
でも、どういうわけだか僕には、自分自身に十分なキャリアと能力があるとは、なかなか思えないのだよな。
理由のひとつは、現在もフリーになった10年前と同じような立場で働いているからだろう。
会社組織の中で働いている同年代の連中の多くは、「デスク」や「編集長」へと昇格している。仕事や責任の範囲が広がる様も比較的目に見えやすいし、昇給という形で評価も受けられる。ところがフリーには、そういった分かりやすい仕組みはない。昇格も昇給もなく(ただし、仕事の効率が高まったため、「時給」という面では10年前より格段に上がった。恐らく、10年前の4~5倍くらいにはなっているのではないか)、周囲から目に見える評価を受ける機会も少ない。版元の連中が、また次の仕事を発注してくるたびに、「ああ、今回の仕事も、さほどまずくはなかったんだな」と確認するのだ。ううむ、なんて頼りのない、心細い仕事なのだろう、ふふ。
もう一つの理由は、単純に自分の能力を信じられないのだ。そりゃ、自分がまるっきりの無能でないことは、さすがの僕も分かっている。なんつうたって、もう40歳近いんだからさ。一応、自らの強みがどこにあるのか、多少は知ってるさ。でも、それが果たして絶対的な強みと言えるのか、僕には分からない(もちろん「比較優位」という考え方も知ってはいるが、しかし、絶対的な強みがなければなかなか前に出られないのも僕の性格であるのだ)。
ともかく、僕はまだ自らの能力を信じ切れない。一方で、このところ、仕事ぶりを褒めていただくことが少なくない。そのギャップに、なんだか戸惑ってしまうのだ。