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映画・テレビ アーカイブ

1999年08月13日

帰省、「恋人たちの予感」と「北の国から'87 初恋」を見る

 彼女と子供を連れて、市原の実家に帰省。と言っても、片道1時間20分ほどの、かなりお手軽な里帰りだ。
 父母を含めて6人で夕食をとり、風呂に入ると、あまりやることもない。そうだ、実家ってのは、実に「間が持たない」場所なのだ。本もないし、ゲーム機もない。夜、寝つかれないと、ホントに何もすることがなかったりする。
 で、仕方なく、今は結婚して九州に住んでいる妹が、昔テレビ番組を録画していたビデオテープを引っ張り出してきて、暇つぶしに見てしまった。1本目は、映画「恋人たちの予感」。これ、10年ほど前に劇場で見たヤツで、僕の中ではベスト5に入る作品なのだ。こういう、良くできたラブコメディって、好きなんだよねえ。しかし、久しぶりに見たらメグ・ライアンがなんだか田舎くさくって驚いちゃったなあ。10年前は全然気にならなかったんだけど。
 さて、「恋人たちの予感」を見終わったのが、深夜の2時過ぎ。子供たちはもちろん、彼女や父母もすでに眠ってしまっているのだが、僕は全然眠れない。こう見えても、僕は神経質なのだ。人の枕(つうても、10年ちょっと前までは僕の枕だったりしたはずなんだけどね)では、なかなか眠れなかったりするんですわ、これが。
 仕方なく、今度はテレビドラマ「北の国から'87 初恋」を見てしまった。ま、こういうのが嫌いな人もたくさんいるだろうとは思うけれども、僕、これ見ると、結局泣いちゃうんだよなあ。美保純とか、中島朋子とか、どの役者もいい感じでさあ、中でも純にれいちゃんを取られて失恋しちゃう同級生の男の子、彼の聞き取れない台詞回しが最高!
 んでもって、最後に純が、五郎(田中邦衛)がトラックの運転手に手渡した一万円札を見せられて泣くシーン、これがなあ。何度見ても泣いちゃうんだよなあ。何年分もの回想シーンが流れてさ、さだまさしの「あ~あ~、あああああ~あ~」ってな歌が流れちゃあな、そりゃ卑怯ってなもんですぜ。
非常にダサいですけど、僕、そんなもんです。恥ずかしながら、「北の国から」で泣いちゃうヤツです。ちょっとカミングアウトです。

1999年08月14日

「3年B組 金八先生」で号泣

 前日、「北の国から」で泣いたかと思ったら、今日は「3年B組 金八先生」で号泣だっ!
 見たのは「卒業式前の暴力 (1)(2)」。もし、今僕が悪魔とか鬼とか閻魔様とかに「今日中にできるだけ大量の涙を流せ。さもないと食べちゃうぞ」なんて言われたら、躊躇なく「卒業式前の暴力」と「北の国から」を見る方法を選ぶね。
 それはともかく、このドラマ、特に加藤優たちが警察に逮捕・連行されるシーン、実に良く練りこまれてると思うのだ。吼える武田鉄也と、それを制止する警官たちの無表情の対照とか、冷静に捕まる加藤優と、散々抵抗するが刑事によって惨めに組み伏せられる荒谷二中(だったっけ?)の不良たちのキャラクターの立ち方とか、上手いよねえ。そして何より、護送車を追いかける加藤優の母親の姿(今、ちゃんと見てみると、その後ろを走っているのは沖田浩之‐‐‐‐役名何だっけ?----の父親だったりするんだよなあ。これも上手い)。そこにかぶさる中島みゆきの「世情」。ダ~ッ、号泣。
 ところで、個人的に一番好きなシーンは、不良の1人が階段を登って逃げようとするが、刑事に捕まって引きずり降ろされるところ。自由への絶望的な脱出というか、イカルスの悲劇的なものを連想させるよね、あの場面って。

1999年09月14日

映画「バッファロー’66」を見る

 今日は仕事のない一日。11時頃家を出て、駅前の書店へ。「SPA!」を買ってから、なんとなく電車に乗って渋谷へ向かった。車内で読んだスポーツ新聞で、公開中の映画をチェック。
 13時過ぎに渋谷駅を降りる。サンダル履きのまま公園通りを歩き、パルコのパート3へ。ここの中に入っているミニシアターで、14時から「バッファロー’66」を見る。映画が始まる20分以上前から、客席はぎっしり。直前に入ってきた人は、席が見つからなくて右往左往していた。
 16時過ぎに上映終了。まずまず面白い映画だったが、期待していたほどではなかった。これなら「マトリックス」か「アイズ・ワイド・シャット」に行っても良かったかなあとも思う。
 映画そのものに関する感想は、一応遠慮しておくが、余談感想を3点ほど。(1)主人公は1966年12月生まれ。僕と全く同じだ。僕自身も、今の彼女と出会っていなかったらかなりダメな生活を送っていたかもしれないと思っているので、彼のグダグダ加減には否応なく親近感を持った (2)映画の中で登場した「バッファロー・ビルズ」のキッカーの名前は「スコット・ウッド」。これ、明らかに、「スコット・ノーウッド」選手のことだよな(ジャイアンツとのスーパーボウルでフィールドゴールを外したって念押ししてるもん)。で、彼、映画の中ではストリップパブの経営者っつうことになってる。しかも、ブクブク太った上半身をさらし、3人のストリップ譲をはべらせながら下卑た笑い顔をしているという描かれ方。実在の人物に対して(しかもまだ存命中、って言うか、スコット・ノーウッドってまだ30~40代じゃないの?)、かなり厳しい描写してたよなあ。この映画の監督、多分彼もビルズのファンなんだろうな。で、ノーウッドのこと、やっぱり嫌いなんだろうな。 (3)映画館を出た瞬間、携帯の電源を入れて留守電を聞いちまった。われながら、イヤな癖がついちまったなあ……。反省して、再び電源を切って歩いた。

 帰り道は、スペイン坂を降りてセンター街へ。この道は、以前某雑誌の編集部にいた頃、仕事で1ヶ月に1度は通っていた。ちょっと懐かしい気持ちになる。
 途中、「さくらや」で「実況パワフルプロ野球’99」「実況ウイニングイレブン4」「みんなのゴルフ2」「どこでもいっしょ」のゲーム4本と、「ポケットステーション」を購入。これでしばらくは暇つぶしができるだろう。

 渋谷駅前のスクランブル交差点を渡ると、強い風。思わず空を見上げると、地上とは逆の方向に、雲がものすごい勢いで流れている。
 台風がくると、なぜか気分が高揚するのは、ガキの頃も今も変わらない。そう言えば、昔「台風クラブ」って映画があったなあ。相米慎二監督だったっけか、確か? 
 でも、なんで台風がくると興奮するんだろう、僕は? 気圧とか湿度の変化が、神経系に異常をもたらすからかな、それとも、心のどこかでカタストロフィを待望しているところがあったりするのかしら……? あるいは、非日常的な天候に「自然神」古代人みたいに神を感じているからなのかもしれない。なんでなんだろうなあ……。

1999年09月24日

長女の登園拒否/面白かった「料理の鉄人」の最終回

 3歳の長女が、登園拒否。朝、保育園に行くのはイヤだとダダをこね、大泣きしてしまった。叱っても、なだめすかしても効果がないので、仕方なく次女だけを連れて園に向かう。
 最近、登園するたびに園長室に顔を出し、最近の保育園の状況(詳細はここでは言えないが、今、ある事件が保育園で起きている。僕は父母会の絡みがあるので、できるだけ状況を知らなきゃと思ってるわけです)についてヒアリングをするのが日課だった。しかし、今朝は3歳の子供を1人きりで家に残している。家から保育園までは徒歩2~3分。長女は歳のわりにはもののわかった子なので、1人でもおそらく大丈夫だろうとは思ったのだが、やはり心配は心配だ。そのため、長女の担任の保母さんに事情を話し、もしかしたら後で登園するかもと言い残してから、早々に園を出た。

 家に帰り、長女と話をしてみる。どうして保育園に行きたくないの? と聞くと、「だって、みんながいじめるんだもん」との返事。普段の様子からみてそれは絶対に嘘なので、続いて「じゃあ、みさちゃんがいじめるの? 違う? じゃあ、はづきちゃん? 違うの? それじゃあ、かっちんとかたかちゃんとかゆうゆがいじめたの?」と実名を挙げて聞いてみた。すると案の定、答えはすべてノー。
 「そんなら、誰もお前のこと、いじめてないんでしょ。だったら、どうして保育園行きたくないの?」
 「だって、保育園、やなんだもん!(半泣き)」
 「だからさあ、どうして保育園がイヤなのか言ってくれないと、パパわかんないでしょ? ん? 怒んないから言ってごらん?」
 「だってさ、お友達と一緒に遊んでも面白くないんだもん!」
 「それなら、今日一日お家にいて、一人で遊んでる方が楽しいの?」
 「うん!(涙目)」
 「……」

 実は、長女は火曜日と水曜日に、熱を出して保育園を休んだのだ。そして、木曜日は祭日。3日間保育園を離れたことで、園に行くのに少し気後れがしてしまったのだろうか。それに、このところ母親が仕事で忙しく、あまりかまってもらえなかったために情緒不安定になっていたのかもしれない。
 おまけに、今朝、長女は怖い夢を見たそうな。昨日テレビで台風18号の映像を見て、それが頭の中に残っていたらしく、台風で自宅が吹き飛ばされる夢を見た。で、「怖いよ~っ!」と泣き叫びながら飛び起きてしまったらしいからな。そんなこんなで、気持ちが揺れていたのだろう。

 今日の昼が締め切りだった仕事を、僕にしては珍しく昨夜遅くまでかかって終わらせていたので、幸い(と言うかなんと言うか……)今日はヒマだった。そこで、子供を休ませることに。
 いや、保育園に引っ張っていくのもアリだとは思ったんだよな。でも、無理やり連れて行って、保育園嫌いになられても困るし、それに僕自身が社交性の低いタイプの子供で(今でも多少そうだが)、集団生活は苦手だった。長女にもそういう部分があるので、ちょっと気持ちはわかるんだよな。なので、子供には厳しくというポリシーの僕としては珍しく、甘えさせてしまった。
 ま、たまにはいいかな、と。


 ところで、面白かったなあ、「料理の鉄人」の最終回。裏番組の「レイダース 失われたアーク」にザッピングするヒマがないほど、彼女と一緒に熱中して見てしまった。
 日本テレビに「どっちの料理ショー」という番組があるけれど、あちらは「おいしさ疑似体験系」なんだよな。最高の美味さを追求するために、素材にこだわったり料理法に一工夫加えてみたりする。で、そうした料理を、試食するゲストたちの気持ちになって、「こりゃうまそうだなあ」って想像して楽しむ。
 一方の「鉄人」では、料理に関する「推理と発見」という部分に、よりスポットが当てられてた気がするんだよな。メニューがあらかじめ決まっている「どっちの……」に対して、「鉄人」では完成するまでその料理が何かわからない。そこで視聴者は、「あれ、エビチリができあがったはずなのに、皿じゃなくてバットにあけたぞ、ってことはこの後また加工するってことなのか?」とか「何で石を焼いてるんだろうなあ……、あ、そうか! あの鍋に入れて、中からも熱を加えるのか! そんなやり方があるんだなあ」なんて楽しみ方ができる。
 だから、「和の鉄人」中村孝明が、何かの回で「この素材は、手をかけずにそのままの味を出す方がおいしいんだ」って、素材にほとんど手を加えずに出したら、審査員からは酷評の嵐だった。加納典明が審査員で、「この番組でこんな平凡な料理が出るなんて失望した」みたいなことを言ってたなあ。
 中村氏はおそらく、お前みたいなヤツに言われたかないよって気分だったろう。でも、ここではテンメイが正しい。この番組の視聴者は、味なんてものは求めてないのだ(少なくとも、味に対する欲求は副次的なものだ)。「こんなスゴイ素材を、こんなに珍しい方法で料理するのかっ!」っていう驚きを求めてたんだよね。
 そういう意味では、道場六三郎氏は別格。今日の番組でも、他とは違う存在感を漂わせてた。

 今日の「鉄人」では、他にもいろいろ気になったポイントがあった。
 道場六三郎、すごかった。陳建一と坂井宏行のどちらが勝つかという質問に対し、「陳さんはねえ、秘伝の豆板醤があるからね、辛くすりゃ大概美味いんだよ」なんて身もふたもないことを言い放ってた。わはは。すっかり誰も止められない、長島茂雄状態。見てて楽しかったなあ。「道場を抜け、道場を!」って連呼しまくっちゃったもん、テレビの前で。
 それから、橋本龍太郎。横にいた梅宮辰夫と全く同じランクといった感じで、テレビに映っていた。前総理大臣という雰囲気を微塵も感じさせない、ありがたみのなさ加減。驚きましたな。何がいけないんでしょうか? あの姿かたちに蝶ネクタイ、腹話術の人形を連想させちゃうからかだろうか?
 でも、一番驚いたのは、周富徳や小林カツ代、田崎真也といったメンツをはじめとする総勢200人の挑戦者たちを、スタジアムに呼んでしまったこと。
 何年か前に周富徳氏の取材をしたことがあったけど、スケジュールを押さえるのは大変だった覚えがある(当時は「浅ヤン」とかで絶好調の時期だったということもあるのだが)。周富徳1人を出演させるだけでも大変だろうに、それが200人だからなあ。スケジューリング、大変だったろうなあ……。それとも、「『鉄人』だったら何を置いても出たい」ってくらい、料理人にとっては高く評価されてたからなのかなあ?
 とにかく、200人の料理人をそろえたことだけで、「鉄人」の最終回、ものすごい贅沢感を出してました(前総理を出しても、贅沢感は全く上がらなかったけど)。会場の応援風景とかは、テレビ東京の「TVチャンピオン」とそう変わらないセコさだったかもかかわらず。

 しかし、あれだけ盛り上げておいて、わずか3ヶ月後にまた放送があるって告知が出たときは、彼女と2人で噴き出しちまった。ふふふ、フジテレビらしい、あくどい演出だよなあ。

 ところで、「料理の鉄人」って、ビデオでは出てるんだろうか? もしあれば、僕もビデオ屋で借りたいなあ。「道場六三郎傑作集」とかいうタイトルなら、買ってもいいかも。

1999年10月04日

映画で時間をつぶすことの難しさ、適正料金

 今日は2件取材が入っていた。1件目の取材は、飯田橋、14時スタート。2件目は、麹町、19時スタート。
 1件目の取材は、1時間弱で終了。時計を見ると、次の取材までには4時間ほどある。こういうときの時間のつぶし方には、結構悩むものだ。
 まずは、近所の書店に入って「ぴあ」を立ち読み。映画でも見ようと思ったのだが、これがなかなかうまく行かない。飯田橋周辺では見たい映画がかかってなかったので、新宿まで出ないとダメ。ところが、飯田橋から新宿の映画館までの移動を30分、新宿から麹町の取材先への移動を30分と見積もると、17時40分~18時にスタートする映画でないと取材に間に合わないのだ。しかし、あいにくその時間帯には見たい映画はゼロ(本当は「バーシティ・ブルース」を見たかったんだけどな。「バッファロー'66」に続いてのフットボール映画。次は、「天国からきたチャンピオン」のビデオでも見るか? 「レッズ」のウォーレン・ビーティは大好きだし)。ったく、使えない……。

 今日読んだ「日経エンタテインメント」の中で、「映画の適正料金はいくら?」というアンケートの結果が掲載されていた。読者からの回答の平均値は、1149円だそうだ。
 ふ~ん、僕にとっては、この金額だって高いくらいだ。見たい時間に見たい映画が見られない、映画館では携帯や時計のアラームを鳴らすバカ野郎がうじゃうじゃいる、隣の人に気を使いながら狭い椅子に2時間以上も座ってなきゃいけない、そんなデメリットばかりの映画鑑賞に、どうしてレンタルビデオの6倍ものお金を払わなきゃならないのかなあ。納得できん。僕なら、映画の適正料金は600円くらいだと思うけどな。せいぜい、レンタルビデオの2倍。「ドトール」のコーヒー3~4杯分。
 そう言えば、飯田橋駅前に「マンガ喫茶」があったなあ。こちらの方は、時間帯もコンテンツも完全にオンデマンド。看板を見ると、食べ物飲み物の持ちこみも自由なのだそうだ。こんなにユーザーフレンドリーな業態なのに、1時間の料金は300円。やはり2時間で600円だ。映画もそのくらいの料金設定にならないと、なかなか映画館に出かける気にならないと思うんだけどなあ。


 余談だが、プレステ2には別売のハードディスクが用意されているらしい。こちらの容量は、最低50GBという目もくらむようなものになるようだ。これって、明らかに映画やテレビの配信を想定しているよな。CATVを通じて映像を配信し、ハードディスクに保存して鑑賞する。必要ならDVD-RAM(いや、ソニーだからDVD+RWとかになるんだっけ?)に録画しておくこともできる、っていう。スゴイ話だ。
 こういう競合も出てくるのに、いまだに1800円の料金で工夫のない商売している映画館って、なんだかなあ。


 というわけで、映画はボツ。マンガ喫茶に入ろうとも思ったが、独特の雰囲気にちょっと気後れがして、結局書店と散歩と喫茶店で時間をつぶすことに。

 四谷の喫茶店で、読みさしだった「面白すぎる日記たち~逆説的日本語読本」(鴨下信一/文春新書)を読了。今僕は、自分専用の日記と、ここにアップしている「ノート」をつけているので、非常に参考になったし、面白い本だった。また、この本を読んで、記録と伝達という両面性を持っている「ウェブ日記」という存在に、さらに興味を深くした。

 その後、最近エネルギーダウンしている自分を少し元気付けようと思って、麹町の書店で本を無理やり買いこむ。「戦争論」(多木浩二/岩波新書)、「政・官・財(おえらがた)の日本語塾」(イアン・アーシー/中公文庫)、「存在の耐えがたきサルサ」(村上龍対談集/文芸春秋)、「俺、南進して。」(荒木経惟・写真、町田康・小説/新潮社)、「7日間でマスターする レイアウト基礎講座」(視覚デザイン研究所)の5冊。
 帰りの電車の中で、早速「戦争論」を読み始める。

1999年11月09日

「Xファイル」シーズン・シックス/「YOU」は単複同形

 仕事がなくてヒマなので、「Xファイル」シーズン・シックスのビデオを借りてきて、ダラダラと見ていた。
 このドラマシリーズはすべてみているのだが、一番面白かったのはやっぱりファースト・シーズンからセカンドシーズンにかけてだったなあ。サード・シーズンからは、話のスケールは大きくなるし、予算もかけてるってのがわかるんだけど、主人公モルダーとスカリーの大活躍ってエピソードが少なくなってきて……。変人モルダーが、天才的ひらめきで犯人をつきとめ、一件落着っていう、爽快感をくれるような話が、僕としては一番欲しいのだ。陰謀の前で無力なモルダーってのも、毎回続くとさすがに辛い。
 ただ、こういう連続ドラマって、主人公に感情移入しちゃうと、もう惰性で見ちゃうんだよなあ。僕にとっては、モルダーとスカリーは、どちらも理想の男性、女性像であるのだ。一言で言うと、「知性とユーモアを持つ、アウトローな変人」と、「ちょっと生真面目な、田舎の学級委員」。
 今回のシーズン・シックスでは、本筋の「エイリアンによる入植」とか「政府の陰謀」にまつわる話より、2人のキャラクターに寄りかかったエピソードが目立つ。ファンの間では、そのことに対して不満を持つ人も多いみたいだけど、「モルダー・スカリー大好き」というミーハーな僕からすれば、それもまたいいかなあという感じ。「Triangle」とか、「How the Ghost Stole Christmas」、面白かったですもん。

 しかし、モルダーも38歳かあ。スカリーも35歳だし。年月の流れを感じるのお。


 ところで、「Xファイル」の字幕版を見ていて、(多分)「You,go ahead.」と言っているシーンがあった。意味合いとしては、「一杯やりますか?」「いや、君たちだけで行ってくれ」というようなことなのだが、ふと考え込んでしまった。
 今更気づくのもなんだなあって感じだけど、英語において「You」は単複同形なんだよなあ。「あなた」と「あなたたち」を明確に区別する日本語は、「わたし」と「あなた」という関係を、一歩引いた客観的な立場から眺めていると言える。
 一方の英語では、「わたし」と「あなた」という関係は非常に主観的だ。「あなた」が1人であろうと複数であろうと、「あなた」は「あなた」に変わりない。つまり、この場合の「あなた」とは、「他者」とか「わたし以外の者」という意味だ。
 日本語の方は、「話せばわかる」という哲学を感じさせる。一方の英語は、「万人の万人に対する闘争」という思想をうかがわせる言葉だ。
 高校時代、英語で「I was born.」という文章について考えさせるという授業があった。日本語では「生まれる」だが、英語では「生まれさせられる」という表現になる。これも、絶対神という存在の有無など、日本語文化と英語文化の違いを感じさせられる話だよなあ。

1999年11月20日

家具の見え方がイメージできる3Dソフトがあれば/「Xファイル」と「踊る大捜査線」

 昼過ぎに家族で外出、津田沼の大塚家具でローボードを購入する。しかし、家具を買うっていうのはなかなか難しいことだよなあ。部屋に合う色合い、圧迫感を感じさせない形と大きさ、利便性……いろんなことを考えなくっちゃいけない。そうだなあ、大塚家具の方で、部屋に家具を置くとどんな見え方になるのかが3D&ヴァーチャルにわかるソフトウエアを開発してくれるとありがたいなあ。CADソフトを改良するとかして、何とかできないのかしら?


 津田沼から、船橋市行田公園近くにある義父の部屋に寄り、昼食。その後、公園で子供たちを遊ばせ、夕方になって帰路に就く。途中、ビデオ屋で「Xファイル シーズン・シックス 10」「ソナチネ」「踊る大捜査線 ザ・ムービー」を借りて帰宅。

 夜、家族が寝静まってから、「Xファイル」と「踊る……」を見る。
 オックスフォードを首席で卒業し、FBIナンバーワンの心理分析官と目されていたが、今ではオカルトチックな事件ばかりを追い掛け回してすっかり「スプーキー(変人)」というあだ名が定着してしまったモルダー。優秀な営業マンとして働いていたが、刑事に憧れて転職、いつも事件を呼びこんでしまうために上司からは煙たがられている青島。どちらも、僕の理想のタイプである「知識と柔軟性と遊び心を持ち合わせている変人」に合致する。同様に、スカリーもすみれも、僕の好みのタイプ「田舎の生真面目な学級委員」って感じ。どちらの作品も、主人公の男女が、僕にとっては魅力的なのだ。

 「Xファイル」はすっかりコメディ路線が増えて、もう完全にキャラクターで遊んでいる感じ。ま、僕は別に超常現象とかUFOなんかに思い入れはないから、モルダーとスカリーに寄っかかったエピソードでも構わない。でも、たまにはモルダーの推理が難事件を解決、そんなお話が見てみたいなあ。今回も、なんだかその辺で欲求不満を感じた。

 「踊る……」の方は、それほど期待もしてなかったので、逆にそこそこ楽しませてもらった。織田裕二と深津絵里って、貴重な役者だよなあ。「アクター」「アクトレス」って表現で呼べるからな、日本の役者には珍しく。
 今って、俳優としての訓練を受けてない人たちが、どんどんスクリーンやブラウン官に登場してるわな。また、役者という名前はついていても、演技に関する技術が身についてない人が目立つ。で、彼らは役を演じる(=アクター)のではなく、自分を演じる(=キャラクター)ことがほとんどだ。そうだなあ、典型的なところでは、高嶋政伸とか浅野温子あたりかな。彼らは、どんな映画・ドラマに出ても、毎回同じスタイルで演じるのみ。自分をなぞって、再生しているだけなのだ。
 ところが、織田裕二にしても深津絵里にしても、役に応じて演じわけるという基本的なことができてるもんね。「卒業旅行~ニッポンから来ました」みたいなバカ映画から、「振り向けば奴がいる」みたいなところまで、織田裕二の芸域ってけっこう幅広い(質については議論があるかもしれないけどさ)。深津絵里についても、同じことが感じられる。

 ところで、「踊る……」に出ていた小泉今日子、あれ、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士そのまんまだよなあ。制作側はパロディのつもりかもしれないけど、でもなあ……。パロディっつうのは、元のイメージとの落差ってところに命があるので、元ネタそのまんまってのは単なるマネ(パクリとまでは言わないけどさ)だと思うんだけど……。あと、エヴァンゲリオンを強く感じる演出といい、スタッフは多分、若いんだろうなあと想像した。
 比較のため、近々に「エヴァ」と「パトレイバー」のビデオを借りてきてみようと思うが、とりあえずは書棚にあった「レッド・ドラゴン」(トマス・ハリス/早川書房)を斜め読みしてからベッドに入る。

1999年11月21日

ビートたけしと北野武

 中学生のときに「オールナイトニッポン」を聞いて以来、ビートたけしのファンだ。ま、僕と同世代の男性の中では、ごくありふれた病歴だろう。ただ、いまだに「ビートニクラジオ」を聞いているっていうのは、かなりの重症と言えるのかもしれない。僕のこれまでの人生の中で、一番影響を受けた人物を挙げろといわれたら、彼女(妻)に次いで二番手くらいにつけちゃうのかもな。
 一方、映画監督としての北野武は、僕は全然いいとは思わない。「ソナチネ」を見ても、評価は変わらなかった。「レザボア・ドッグス」の方が、100倍面白かったし、100倍ショックだった。
 今はすっかり、「監督北野武」として世界中で評価されてるけど、僕にとっては永遠に「お笑い芸人ビートたけし」なのだ。映画監督なんかより、芸人の方が全然カッコイイもんね!
 たけし自身、「俺の中のお笑いの感覚は、30代で終わっている」と言ってるからもう無理なんだろうけど、けれどもう一度、バカバカしいお笑い番組を、全盛期の力でやっているのを見たいなあ。「アイドルパンチ」とか「お笑いウルトラクイズ」の映像、DVDとかで復刻しないかしら? 「ひょうきん族」も見たいんだけど、うちのマンションはスカイパーフェクTVの電波が受けられない方向に建ってるんだよなあ……。返す返すも残念でならない。
 そうそう、今日は久しぶりに「タケシムケン」を見た。いつもはこの時間「鉄腕DASH!」を見てるんだけど、CM中にザッピングしたら浅草キッドが出てたから。「まずいラーメン屋対決」ってコーナーだったけど、面白かった。
 芸人ビートたけしの魂を、一番濃く受け継いでいる浅草キッド。もっと露出して欲しいなあ。願わくば、木曜日のオールナイトニッポンを担当してもらいたい……、でも、確かオールナイトって大改編しちゃったんだっけか? もう、無理なのか……。
 すっかり回顧趣味で、自分でもイヤな感じだけどな。

1999年12月09日

霞ヶ関で取材/事件と教訓/刑事ドラマが好き?

 13時から霞ヶ関ビルの喫茶店で、初対面の編集者と打ち合わせ。多少早く着いたので、特許庁に勤めている友人と会おうと思い、携帯を呼び出したが、この番号は現在利用できない旨のメッセージ。そう言えば、ちょっと前にcdma-Oneに乗り換えたなんて話をメールでしてたなあ。ったく、番号変更の通知くらいしろよな、と携帯に一人ごちる。
 14時から同じビル内で取材を行い、終了後新橋に移動して打ち合わせ。
 書店で「何がどうして」(ナンシー関/世界文化社)、「JMM VOL.1 日本の選択した道」(村上龍編集長/NHK出版)、「スポーツ20世紀~サッカー 英雄たちの世紀」(ベースボールマガジン社)、他に雑誌を数冊購入。
 帰りの電車内で「英文法の謎を解く」(副島隆彦/ちくま新書)を読了。

 18時過ぎに保育園に到着。彼女が仕事で終電帰りなので、子供たちに食事を与え、風呂に入れ、本を読んで寝かしつける。4歳の長女は、もうかなり手が掛からなくなってきたのだが、1歳9ヶ月の次女は自我が強くなりつつある年頃。僕が食べさせるスプーンをはねのけ、自分の手で食事を食べようとする。あるいは、まだ浴槽にお湯がたまってないのに、勝手に服やオムツを脱いでしまう。寝る前に読む絵本をあれこれ持って来ては、あたりに散らかす。
 22時半頃になって、ようやく子供たちは就寝、ホッと息をつく。次女が言葉で十分にコミュニケーションを取れるようになるまで、あと半年か一年、そこまでが一番大変な時期だろうなあ。それを越えてしまえば、我が家の子育てはぐっと楽になると思うのだが。

 しかし、つくづく1人で子供を育てるってのは大変だ。ほんの数時間子供の面倒を見るのだって大変なのに、これが1年365日ずっと続くなんざ、とても考えられないよなあ。
 僕がたまに、幼児虐待する母親の気持ちは多少はわかる気がするって思うのは、やはりこういうことを経験してるからだろうなあ。子供たちとずっと顔を突き合わせて生きるのって、やっぱどこかで息苦しいと思うもん。もちろん、自分の子供ってのはかわいい。でも、それでも四六時中一緒にいれば、そりゃ多少はイヤにもなるって。

 虐待する親の気持ちは少しはわかるけど、だからと言って虐待を許すつもりはない。もちろん、「お受験殺人事件」(これ、動機はどうやらお受験以外のところにあるみたいだけど、便宜上こう呼んでおく)の犯人になんて同情する気はさらさらない。
 ただ、誰もがそうした立場に追い込まれる可能性があることだけは、みんなが覚えておかなくちゃなんないだろう。でないと、今回の事件が、社会的背景とはなんのつながりのない、突出し特異なケースに終わってしまうもんな。
 いや、覚えておくだけじゃダメか。1~2ヶ月前に大騒ぎになったけれど、今じゃ全然話題にならない「ストーカー(?)殺人」とか、あるいは「毒入りカレー事件」、「神戸の事件」、「女子高生コンクリート詰め事件」……、どれも、事件の教訓って十分に生きてるんだろうか? あるいは、オウム特別法が作られた「地下鉄サリン事件」にしても、法律制定というやり方が本当に正しかったのか、それだけで十分だったのか、そんなことも考えなくちゃいけないんだよなあ。

 どこかに、そうした犯罪と社会的な背景なんかを手際良くまとめた資料がないかしら?


 夜、子供たちが寝静まったあと、録画しておいたドラマ「ケイゾク」(TBS系)を見る。
 ……そっか、オレ、「ちょっといびつなスーパーマンが活躍するディテクティブストーリー」が好きなんだなあ。

1999年12月16日

ダウンタウンとビートたけし/2000年問題、政府と僕らの体温差/SOTECのCM

 僕はダウンタウンが大好きで、「ガキの使いやあらへんで」や「ごっつええ感じ」のビデオを、合わせて10本以上持っていたりする。今日も、メシの時間などにに「ガキの使い」のビデオを流しっぱなしにしていた。でも、「Hey! Hey! Hey」のダウンタウンはそんなに好きじゃないんだよな。
 今週の「Hey! Hey! Hey」には、エレファントカシマシが出演していた。で、エレカシのヴォーカル宮本氏は、ダウンタウンにいいようにいじられていた。そのいじり方が、ホント愛情のないやり方なんだよなあ。見ていてちょっとかわいそうだった。

 ナンシー関は、「ビートたけしは、力や条件が揃わなくて、それ(宗教トラブルなどのダメージからの社会復帰)ができない人を救ってあげることがよくある。本人にその気はないかもしれないが、結果的にたけしに救われた形になることは多い」「ビートたけしの浄化装置として機能は強力だ」と書いている(「小耳にはさもう」朝日新聞社刊)。僕も全く同感だ。
 これは、ビートたけしと松本人志・浜田雅功のキャラクターの違いはもちろんだが、彼らを育てた風土(足立区と尼崎市)や彼らの年齢(52歳と36歳)、ピン芸人とコンビという差も影響しているんだろうなあ。


 聞いたところによると、小淵首相がテレビのCMで、2000年問題に関して注意を訴えてるんだってなあ。内容は良く知らないけれど、きっと「安全だけど、注意して」みたいな内容なんだろう。いったいどっちなんだって突っ込みが入りそうな。コントに出てくる中国人が「ないアルよ」って答えてるときみたいに。
 とりあえず、政府が「安全だが、念のために3日~1週間分の備えを」って言ってるらしいから、僕としては2週間分の水と食料を確保しようと思っている。ちなみに、僕が茨城県に住んでいたとしたら、東海村の事故報道が起こったらすぐに、半径20km以遠の地域に逃げるだろう。別に政府には嘘を言ってるつもりがなくても、彼らに当事者意識は薄い。当事者である僕らとは体温の差があることは常に覚えておかなくちゃ。
 なにしろ、外務省が海外の駐在員に「1月1日は飛行機を使うな」って通達したとか、ロシアの軍のコンピュータが「1999年9月9日」にもトラブルを起こしたなんて話しも伝わってきてることだし、今年の正月はおとなしくしとこうかな。


 ところで、SOTECのCMを見た。どうせだったら、もっとiMacのCMをパクった作りにして開き直っちゃえば、それはそれで笑えるのになあ、なんて思っていたら、CMソングのクレジットにglobe。わははは、なんともまあ、うまいところにタイアップを持ちかけますなあ、SOTECってば。

2000年01月04日

床屋に行く/高倉健ってカッコイイ~!/この時期の年賀状

 久しぶりに、朝の9時過ぎという(今の僕にとっては、比較的)まともな時間に起床。仕事にちょっと取り掛かってみるが、見事なくらいの正月ボケ。キーボードに乗せた手が、全く動かない。諦めて、ビデオを見たり、友人のIさんに電話をしたり。
 Iさんは、G4Macを買ったそうだ。それまで使っていたクアドラ+PowerPC601カードに比べて、やっぱりバカッ速らしい。いいなあ。僕もちゃんと仕事して、早いとこMac買わなきゃ。


 15時過ぎに家を出て、床屋で髪を切る。
 僕は、髪を切りに行くのがとにかく面倒くさい。別に床屋が嫌いっちゅうわけでもないし、髪が伸びるのはうっとうしくもあるのだが、でもなんだか髪を切るためにわざわざ外出するのが億劫になってしまうのだ。もちろん、僕が出不精であることや、外が寒いことなども関係しているのだろうが、その他にも理由がある気がする。
 例えば、ヘアスタイルのオーダー。あれがなんとも苦痛だ。
 自分の容姿はたいしたもんじゃあないってことは良くわかってる。その上、別に髪型に対するこだわりもない。だから、床屋さんが「どうします?」って聞いてくると、返事は決まっているのだ、「3~4センチくらい短くしてください」。で、「もみ上げはどうします?」には「普通でいいです」。心の中で(普通ってなんだよ?)なんて突っ込んだりすることもあるが、決して口には出さない。
 小心者だよなあ、我ながら。

 これでも、子供のころに比べると、ずいぶん良くなったもんだ。昔は、文房具屋でシャーペンを買うにも緊張してさ、お金を払ってお釣りをもらったらすっかり動転してしまい、商品をカウンターに置きっぱなしにして店を出てしまったりするようなガキだった。多少自分に自信の持てる分野なら、まだ僕らしく振舞うことも可能なんだけど、コンプレックスを強く感じざるを得ないような環境になると、もうすっかりアガッてしまったんだよなあ。
 多分、今でも床屋に入ったり服を買いに行ったりするとちょっとだけ緊張してしまうのは、その名残なんだろうなあ。


 髪を切ってから、銀行と書店に寄り、夕方になって帰宅。昼前に、妻が子供を連れて実家に遊びに行ったので、カップラーメンをすすりながらテレビを見る。と、千葉テレビで「八甲田山」を放映しているのを発見。ヒマに任せて、そのまま見入ってしまう。

 夜になってようやく原稿に着手。しかし、ダラダラとしか進まず。
 深夜になって、今度はフジテレビの「幸せの黄色いハンカチ」にチャンネルを合わせてしまう。
しっかし、高倉健、カッコイイ~! 泣かせる! セリフを喋らない時間帯のオーラが、やっぱり他の役者とは違う感じだもんなあ。高倉健が出てる他の映画を、何か見てみようと思っちまったぜ。


 今日届いた年賀状のなかに、こちらからは出してない人の名前を5人も発見! 急いで返事を、と焦ったが、白紙の年賀状が手元に一枚もないことに気づく。こりゃあ、返事を出せるのは明日だなあ、まだ年賀状って売ってんのかしら……。
 しかし、僕のところに届く年賀状のうち、1月1日に着いたのって全体の3分の1くらいじゃあないのかなあ。ま、この時期に年賀状が届くってのは、良くわかる。
 雑誌の仕事をしていると、12月25日前後って一番忙しい時期だ。いわゆる「年末進行」ってヤツ。編集者もデザイナーもライターも、なんとか12月27、28日あたりまでに仕事を終わらせようと思って、必死こいて働いてる時期。当然、年賀状なんて書いてる余裕はない。仮に、物理的に時間があっても精神的な余裕がないし、大体、余裕があるくらいなら忘年会にいくっての。
 というわけで、年賀状を書くのは12月29日スタートってことになるのだ。超特急で宛名書きをして、投函するころには、もう一年はすっかりどん詰まりになっている。そりゃ、元日に年賀状が届くわけがないって。
 かく言う僕も、今年の賀状は29日に投函。僕の年賀状も、今ごろ誰かのところにたどり着いて、「あ、白谷のところなんて年賀状出してねえよ! しょうがねえ、返事書くかあ、ったくめんどくせえ……」なんて事態を起こしているのかもな。
 一応謝っときます、ごめん。

2000年01月12日

憲法第九条/Java/SPA!と鉄腕DASH!

 『通販生活』を読んでいたら、「憲法第九条」特集を見つけた。綴じ込み付録では、日本国憲法の全文が紹介されている。
 せっかくなので、第九条をここに引用しておこう。

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 なるほど。
 これはこれだなあ。確かに、この条文は立派なものだと思う。ものすごく毅然とした、立派な態度だと思う。
 「非武装中立」という理念は素晴らしい。暴力や戦争は忌むべきものに間違いないのだから。

 でも、今の僕は、この条文にはやはり賛成できない。

 小さいころから僕は、自分のことを馬鹿にされるより、自分の親や妹を馬鹿にされる方が何倍も辛かった。今も、例えば自分が飢えることよりも、自分の子供が飢えることの方が何倍も辛いだろうと思う。
 だから、もし僕が守るべき人を持たない立場なら、「日本は今日から完全非武装です。北朝鮮やロシアや中国やアメリカや、あるいはオウムや過激派連中が武器を引っさげて攻めてきても、暴力反対っていう理想のもと、喜んで死にます」ってメンタリティもあり得るかもしれない。でも、誰かが理不尽な暴力をふるい、それによって自分の妻や子供たちが殺されたりするのを見るのは、やはり耐えられない。

 ということで、僕は、国防のための最小限の軍隊を持つことは、現時点では仕方がないと思っている。そして、その軍隊を、国防という目的のために機能的に動かすためには、ある程度の法整備をしなければならないとも思っている。だから、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という一項は、修正しなければならないだろう(そして、いわゆる「有事法制」も、なるべく早く整備しておくべきだ)。

 ただ、「国際情勢は、常に武力を背景として動いているのだ」なんて、したり顔で解説を加えちゃう、自称「マキャベリスト」あるいは「現実主義者」の輪に加わる気もない。彼らは、常に砲弾の届かないところで安穏と暮らしている傍観者に過ぎない。最前線で実際に血を流している人間にしてみれば、絶対安全地帯から高みの見物を決め込む彼らは、最も卑怯な存在なのだろう。
 現実は、確かに理想通りには進まない。でも、理想に近づこうとする意思がなければ、現実はますます理想から遠く離れてしまう。

 例えば、戦争が起こる前にそれを防ぐ方法はたくさんあるだろう。軍縮、集団的自衛権を中心とした同盟関係の構築、各国が国連軍に一定の軍事力を預託して「中立」な軍隊を作る(完全な意味での中立はあり得ないが、でも運用方法に工夫をすれば一定の抑止力になる)……。
 あるいは、例えば、いろんな国に友達を作ることだって戦争を防ぐいい方法だ。北朝鮮がアブナイ国だと言っても、仮に金日成から一般の兵士まで、全員が何人かの日本人の友人を持っていたとすれば、戦争を仕掛けられる確率はかなり低くなるはずだ。

 要は、現時点で必要な最小限の兵力は持とう、と。その上で、外交や国連システムの整備、民間レベルの交流をきっちりこなすことを忘れないこと。この両輪を同じに動かすことが大切だと思うのだ。

 現実を離れた政治はあり得ない。しかし、理想を忘れた政治は救いがたい。現実を正確に把握し、理想をきちんと提示し、そしてその間に横たわる道をデザインするのが政治家だと思うんだよなあ。


 トップページに、JavaScriptを使ってみた。と言っても、ほんのちょっとしたところだが。
 さらに勢いに乗って、プロフィールのページの顔写真に、Javaアプレットを使って仕掛けをしてみたのだが、こちらはブラウザがいちいちJavaを起動するのがかったるくなったので、却下。


 「SPA!」の最新号の広告を見た。特集は「僕らの『景気回復なんてウソでしょ』宣言」だそうだ。ひひひ、「SPA!」って相変わらず楽しいなあ(ま、最盛期に比べて多少パワーは落ちてるけど)。
 あと、「鉄腕DASH!」の予告編で、「東京タワーを日時計にする」というような企画が紹介されてた。こちらの目の付け所も、僕は好きなのだ。
 実は、こういう類の日時計に関しては、昔ちょっとした文章を書いたことがある。イメージしていたのは、千葉市のポートタワー。「ポートタワーの影が美術館にかかると、もう日暮れが近いことが知れた」みたいな文章だった。ちょっと懐かしいなあ。

2000年03月30日

ひねくれ者/こんな商売が/教育テレビのキャスティング/バスターヒッティング

 もう10日も前、ジャストネットの「マイドメインパック」を申し込んだとき、僕も多少、ドメイン名に関して考えた。そのときは「shiratani.com」も「shiratani.net」も空いていたので、別にどちらを選んでも良かったのだ。で、普通はドットコムの方を選ぶのかな。
 ところが、僕はドットネットを選んじゃった。「『ドットコム』なんて、なんか手垢にまみれてきたからなあ」とか「『ドットネット』の方が『@WEB』みたいなニュアンスがあって良さげじゃん」なんて思ったのだ。でも、後から考えてみると、やっぱり僕、ひねくれ者だよなあ。
 以前も自分のことを「二番手商品を買う男」と分析したことがあるが、ここでもそんなクセが出てしまった。


 ところで、「shiratani.net」を取ってからしばらくして、ブラウザで何気なく「www.shiratani.com」というURLをタイプしてみた。すると、なんと接続をはじめるではないか! 僕は、「こっちがドットネットを取ったばかりなのに、もうドットコムを申請した人がいるんだなあ、偶然だ」なんて思っていたのだが、どうも様子がおかしい。
 読み込まれたページを見てみると、「nameplanet」というサイトらしい。どうやら、人の名前のドメインを取得し、それで商売をしている会社のようだ。このタイミングで「shiratani.com」ドメインを取ったということは、恐らく、名前+ドットネット(あるいはドットコム)というドメインが申請されると、自動的に他のドメインを取得するシステムを作っているに違いない。なあるほど、そんな商売もあるのねえ。ま、限りあるドメインをそんな風に金儲けの道具にするってのは、僕としては気に入らないけどさ。


 朝、子供たちを保育園に連れて行くための準備をしながらテレビを見ていたら、「ズッコケ3人組」とかいう子供向けのドラマを放送していた。内容はごくごくありがちなものだったのだが、その中のキャスティングがちょっと面白かった。
 登場人物の中に、2人組の刑事(多分それほど大きい役ではない)がいたのだが、その配役が松尾貴史(キッチュ)とモロ師岡というコンビ。これって、例えばフジテレビが爆笑問題を「ポンキッキーズ」に起用しているのと、センス的にはそんなに変わんないよな。
 他にも、マツモトキヨシのCMに出ていた山口もえが、ジローラモ・パンツェッタ(だったっけ?)と一緒に語学番組に出てたり、夕方の子供向け番組に清水ミチコが出演してたりする。最近の教育テレビも、多分、民放を見て育った、若い世代の作り手が増えてきたからだろうな。


 センバツが始まってからこっち、仕事が忙しくて全然高校野球を見てなかった。自由業者、しかも主に自宅で仕事をしている僕は、ヒマに任せて1日4試合テレビ観戦というケースも多いのだが、今回は今日が初めての試合だった。
 そしたら、あるチームが、全員が全員バスターやってるんだよなあ。ガックリきちゃった。だってさ、どう考えたって理不尽な戦法じゃん、「全員バスター」って。
バスターのデメリットはたくさんある。まず、長打はほとんど期待できない(投手からすれば、失投しても単打どまりだと安心できる)。速球に対して構え遅れる可能性が高い(甘いボールでもスピードがあれば、振り送れてファウルや空振りになる確率が大きい)。打撃の軸がブレやすい(ミートしにくいし、ボールを叩く力をロスする)。
 それでもバスターっていう戦術が使われるのは、その奇襲性に価値があるからだよな。バントをすると見せかけ、野手を前進守備させておいたところに、一転強打して野手の間を抜く。それこそが、唯一のメリットだよ。そのメリットが、たくさんあるデメリットを上回る価値を示す局面でのみ、バスターってのは使われるわけだ。
 ところが、全員バスター。これ、奇襲性なんて最初っからありゃしない。とすると、何、この作戦をわざわざ取る意味って? ボールが見やすい? んなわけないじゃん、バントの時の姿勢と通常のバッティングでは目の高さが違うわけだからさ、視点が上下してボールは捉えにくくなるはずだもん。コンパクトにスウィングできる? 馬鹿言うな、だったら最初からバットを短く持ってコンパクトに振れば済む話じゃん。バッカじゃないの?
 バント至上主義(あるいは犠牲を最上とする価値観)とか、高校生は高校生らしく長打は狙わずコツコツ打線をつなげろとか、「野球道」とは守り勝つこととか、「敵は己の中に在り」とか、内角球を無理やりライトヒッティングするのが巧いバッティングとか、あ~、書いてるうちにだんだん腹が立ってきた、とにかくそんな馬鹿げたことばっかり考えてる連中なんだぜ、この高校生たちにこんな作戦を強いてる連中って。けっ、50何年か前に、ノモンハンとかガダルカナルとかインパールでたくさんの日本人を死なせた陸軍指揮官たちとおんなじメンタリティじゃねえか、あ~あ、こんな監督に教わってる高校生って可愛そうだよな、ま、こんな合理的じゃないチームが勝つわけねえよ……
 ……そしたら、勝っちゃったんだよ!

 ううむ、スポーツは奥が深い……。非合理的な戦術を採っても、勝つチームは勝つのだなあ……。納得できないものがあるが、これも現実。

2000年10月30日

チャーリーズ・エンジェル/フリースジャケット、ユニクロとジャスコ

 キャメロン・ディアズの「チャーリーズ・エンジェル」かあ。こりゃ見たいよなあ。だって、すんげえハマリ役だって思うもん。少なくとも、藤原紀香が峰不二子をやるより見たい気を起こさせるもん。
 監督は、あの「GAP」のテレビCF作ったヤツらしいしな。久しぶりに映画館に行って見ようかな。


 ユニクロは、今年の冬はフリースで勝負するらしい。なんでも、フリースジャケットの出荷目標が1200万着なんだそうだ。
 そのことは全然構わないのだが、すぐに後追いが出ちゃう風潮ってのはなんとかならんのか? 何日か前の「Right-On」のチラシでも、フリースジャケットが前面に押し出されていた。そこまではまだ我慢できる。今日は、ジャスコのテレビCMでも、「今年はフリース!」って主張してた。あ~あ、きっとあと2週間くらいしたら、ヨーカドーもダイエーもフリースなんだろうなあ……。

 僕はユニクロって悪くないと思う。でも、こんな状況になったら、もう今年はフリースは着られないなあ。
 きっと、ユニクロの商品企画者、追随他社のこと恨んでると思うよ。絶対に売上ショートだもん。

2001年01月31日

マッデンNFL2001/目を引く広告=優れた広告ではない

 今月は、自分としては珍しく、よく働いた。普段の2倍近い原稿を書いたんじゃないのかな。その上、プレステ2が出てはじめて「これは!」と思えるゲームソフトを買ってしまった。「マッデンNFL 2001」だ。
 購入から2週間、すっかり大ハマリ状態になっている。仕事の徹夜はツライのに、ゲームでの徹夜は全く苦にならない。不思議なものだ。


 少し前に、KDDIのポスターだったと思うが、永瀬正敏と豊川悦司の顔に星の形のマークを貼りつけているものがあった。これが、妙に目を引くんだよな。小学校あたりで貼られている交通安全のポスターなんかは、目のところに画鋲が刺されてたりするものだが、あの手法を確信犯的にやってるわけだ。
 人間の顔にこうした細工を施すのは、不特定多数の注意を惹きつけようという目的のもとでは、正しいやり方だと思う。異形というものは、つい見てしまうものだ。特に、それが普段見慣れている「顔」であれば。
 ただ、単に人目を引けばOKかというと、そうではないってのが広告の難しいところだよな。

 もし僕が、とにかく人目を引くテレビCMを作れといわれたら、多分「ピー」という音しか流れないCMを作ると思う。で、15秒のサイズであれば、13秒くらいは「しばらくそのままでお待ちください」って画面にするな。で、最後の2秒ほどで商品名を出す。騒々しいテレビの中では、こういう仕掛けの方が目立つと思うのだ。しかし、これが優れたCMかというと、全然そんなことはないんだよな。

 例えば、以前のビックカメラのテレビCMでは、SEとしてポケベルの呼び出し音が使われていた。僕は、編集者をしていた一時期、仕事でポケベルを持たされていたたのだが、当時ポケベルが鳴るということは、緊急に対応しなくてはならないトラブルが発生したことを意味していたんだよな。取材先のアポがドタキャンになったとか、色校を戻した印刷所からの疑問だとかさ。
 終電間際に家路に就き、そろそろ自宅が近づいてきた頃、電波の届かない地下鉄の通路を出た瞬間にポケベルが鳴り出すと、僕はすっかりブルーな気分になって公衆電話を探したものだ。
 そういうことで、テレビからビックカメラのCMが流れ、ポケベルのSEが聞こえると、僕はビクっと反応してしまっていたのだ。そして、それが本当のポケベルではなくCMだと気がついた後、「ったく、紛らわしい音ならすんじゃねえよ!」とテレビに向かって(心の中で)毒づいていた。ポケベルを持たなくなってしばらくしても、ビックカメラのCMが流れるたびにイヤな心持ちがしたな。少なくとも僕にとっては、あのCMはネガティブキャンペーンでしかなかった。

 不特定多数に対して、何か意見を訴えるってのは難しい事だ。意見をはっきり言えば言うほど、誰かの気分を強烈に逆なでする可能性は高くなるしさ。

2001年04月06日

世間は狭い/『ハンニバル』

 夕方、横浜での取材を終えての帰り道、カメラマンのHさんと、車の中で話をした。と、彼が現在気になっているという女性が、なんと偶然、僕の自宅のごくごく近所に住んでいることが判明。しかも、名前を聞いてみると、僕も僕の彼女も知っている人だった!
 東京近辺に住んでいる人間って、きっとトータルで2000万人くらいのはず。だけどこういう風に、知人同士がかぶっているケースって、実は何度かあるんだよな。
 世間は意外と狭いもんだ。


 『ハンニバル』がヒットしてるらしい。この映画、本当に面白いんだろうか?
 確かに映画『羊たちの沈黙』は面白かった。アンソニー・ホプキンスは確かに凄かったし、「田舎の優等生」好みの僕としては、ジョディ・フォスター演じるクラリスはストライクゾーンど真ん中って感じだったしな。
でも、『ハンニバル』の原作は、僕には全然面白くなかったぞ。『ブラック・サンデー』『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』と、トマス・ハリスの著作は読んできたけど(特に『レッド・ドラゴン』はゾクゾクしたなあ)、『ハンニバル』は全然楽しくなかった。レクター博士のトラウマなんて聞きたくなかったし、クラリスとレクター博士がああいう結末になるなんて、「ご冗談でしょ?」って感想しか浮かんでこなかった。僕にとって『羊たちの沈黙』はこんなイメージだったのだ、レクターというブラックホールに飲みこまれそうになったクラリスは、すんでのところでエンジンをふかし、レクターの重力圏を脱出することに成功した、と。クラリスが、自らの手で「沈黙の羊」という鎖を断ち切ったってのが、あの映画の最大のカタルシスだったわけじゃない? ところがどうよ、今回は。クラリス、いとも簡単にレクターに吸い込まれちゃってさあ。
 まあ、映画のラストは原作とは違うって話だからなあ、ちょっとはそこに期待しちゃうんだけどさ。でもなあ、映画館にはきっと行かないだろうな。

2001年10月23日

ファミコン、ウォークマン、ポラロイド/倉敷アナウンサー

 ポジフィルムを使った本撮影の前に、インスタント写真を使ってテスト撮影をすることがある。こうした場合、僕らは必ず「ポラ(ポラロイド)を切る」と言う。ところが、ほとんどのカメラマンは「ポラロイド」以外のフィルムを使っているのだと、知り合いから教えてもらった。で、そのポラロイド社が、どうやらつぶれてしまうらしい。

 単なる商品名に過ぎなかったものが、その商品が属するジャンルの代名詞にまでなるってのは、単純に凄いものだなあと思う。例えば、ファミコンなんてとうの昔の商品なのに、いまだにいるもんな、プレステ2もゲームキューブも「ファミコン」って呼ぶオヤジって。「ファミコンショップ」と銘打っているゲーム屋もある。それから、ソニー製品じゃなくたって、僕なんか「ウォークマン」って言ってるし。

 ただ、商品名がブランドの枠を超えて認知されることは、弊害もあるのだそうだ。まず、ブランドとしての訴求力が薄れること。そして、後発商品にトラブルが発生したとき、同時にダメージを受けてしまうこと。例えば、富士フイルムのインスタント写真用フィルムに異常があったとき、「だからインスタント写真はダメなんだ」とはならない。「だから『ポラロイド』はダメなんだ」ってことになってしまうわけだ。何事も先を行く者はツライっつうわけだね。

 デジカメの普及もあり、もはや大きなマーケットが得られなくなったポラロイド。ひとまず、お疲れさま、といった感じだ。

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 今、ウチのマンションでは「大規模修繕工事」ってのをやっている。そのため、建物全体が、工事用の半透明のシートで覆われている。おかげで、2ヵ月ほどスカパーが見られなくなった。ヨーロッパのサッカーもアメリカンフットボールも、しばらく見ていない。仕方がないので、以前録画しておいた、スペインリーグの試合をもう一度見た。
 やっぱりスペインリーグは最高だな。バルセロナ、レアル・マドリー、バレンシア(僕が見たビデオには、クラウディオ・ロペスが大活躍した試合も入っていた)……。セリエAなんか全然目じゃない、まさにスペクタクルな試合が展開されている。

 また、アナウンサーもいい。スカパーのサッカー中継には、倉敷保雄さんというフリーのアナウンサーがいて、この人は地上波のアナウンサーなど比較にならないほどの質の高い実況をしてくれる。おそらく、来年のワールドカップ(まだ開催されるかどうかわからないが)では何試合かに登場すると思うが、この人の実況は本当にリズムがいいのだ。そして、スペインリーグのリズムに、実によく合っている。
 「オーフェルマルス、リバウド、戻してペップ、ペップ、ルイス・エンリケ、リバウドー、クライフェルトー、リバウドー……」と、選手名だけを的確に伝えるスタイルは、流れるようなパスワークのスペインサッカーにピッタリ。試合が膠着したときに伝えてくれる雑談や選手コメントも抜群。

 倉敷さん、日本代表の試合も実況するのかな? 彼の実況にハマるくらい、代表がテンポよくボールを回せる試合になるといいな。

2001年10月26日

白線流し/ネット碁

 「白線流し」というテレビドラマがあることは知っていた。で、酒井美紀が演じるヒロインが、どうやら僕のストライクゾーンど真ん中らしいことも聞いていた。
 僕は、「田舎の学級委員」的な女性に弱い。卵形の輪郭に丸い目というのもツボだ。その上、純粋でひたむきだったりするキャラだったりした日にゃ、こりゃいけませんぜダンナ。しかも、酒井美紀に取材したことのある友人が、「いい子だったよ~」って言ってたし……。つうわけで、今日、その「白線流し」の特別編を、思わずビデオに録画してしまった。

 でもなあ、こっちはもう30代も半ば。今更、「酒井美紀っていいなあ」なんて言い出すのは、かなり気恥ずかしいと思うのだ。そうだなあ、「昔、さだまさしのファンでした」ってカミングアウトするくらいのツラさかも。なお、僕は生涯のうちに一度も、さだまさしのファンだったことはありません。念のため。
 例えば、「長谷川京子っていいよね」って言えば、きっと「ふ~ん」くらいの返事しか帰ってこないと思う。深田恭子や広末涼子でも、そんな感じじゃないのかなあ? でも、酒井美紀はねえ……。リアルというか、「オマエ、マジじゃんっ!」って突っ込まれそうな感じがするというか……(考え過ぎか?)。

 とりあえず、そのビデオを見るかどうかは、現在検討中。でも、もし、万が一、あり得ないとは思うけど、感動とかしちゃったりしたら、……、きっとここには書かないな。恥ずかしすぎだもん。

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 最近、Yahoo!のゲームコーナーで、碁を打つことがある。

 僕は、見知らぬ人とチャットをしたり、いわゆる「メル友」になったりする趣味はない。だって、顔の見えないコミュニケーションって、不毛だと思うんだもん。いずれはオフで会うことを前提にするんだったらアリなんだろうけど、そうまでして人に会うモチベーションは、僕にはなかったりする。

 だが、ネット上で碁を打つのは面白い。まず第一に、コンピュータの囲碁ソフトより、人間の方がずっと賢いからだ。チェスの世界ではコンピュータが世界チャンピオンを負かしてしまうし、将棋でも、アマチュアの有段者レベルのプログラムが存在している。でも、囲碁に関しては、せいぜいアマチュアの級レベルでしかないのだ。周りに囲碁仲間がほとんどいなかったため、僕の腕前なんてたかが知れてはいるけれど、それでもさすがにこのレベルでは物足りない。で、ネットに行けば、そこには僕と同じ程度の腕前を持つ人がたくさんいるというわけ。
 そしてもう一つは、ネット碁には「人間臭さ」があること。相手の打ち手を通じて、「あ、こいつ気が変わったな」「この人はマジメな人なんだなあ」って空気が伝わってくる。僕の方も、ついつい「む~、参ったなあ」とか「どうなんだ? 投げるのか?」とか独りごちてしまうのだ。

 今度は、東風荘にも行ってみようかしら?

2001年10月30日

祈りを捧げた日々/ハマらず、「白線流し」

 僕が「狂牛病」という言葉を知ったのは、ごくごく最近のことだ。だが、「クロイツフェルト・ヤコブ病」については、25年前から知っていた。そして、それが僕にとって唯一の「信仰」を持つきっかけだった。
 僕は小学生だった。そして、友達から借りた本を読んでいた。UFO、ナスカの地上絵、ポンペイ遺跡、人間の消失現象などのエピソードが満載の、疑似科学で汚染され尽くしたような本だった。で、その中に「脳が小さくなって死に至る病気」が紹介されていたのだ。今思えば、あの病気はクロイツフェルト・ヤコブ病のことを指していたのではないかなあ?

 当時の僕は、これでも心優しい子供だったのだ(って言うと、大概の友人は大笑いする。で、残りの友人は、僕の熱を計る)。そして、それなりに家族思いでもあった。そして、「脳が小さくなる病気」の存在を知って、心を痛めたというわけ。
 だが、いかんせん僕は小学生。どうやったら、両親や妹を病魔から守れるか、皆目見当が付かない。そこで、僕は毎晩、眠る前に祈るようになった。神様、お父さんとお母さんと妹をお守りください、と。

 僕の両親は、日本人としてはごく平均的な宗教観の持ち主だ。つまり、仏式の葬儀には違和感なく参加し、元旦には神社に初詣に行くが、神の存在は信じていなかった。父親の方は、以前創価学会員からしつこい勧誘を受けて嫌な思いをしたことがあったそうで、どちらかというと宗教嫌いだと言えた。
 そういうことが影響してか、僕はいつも、布団の中で祈っていた。当時は両親と一緒に眠るのが常だったが、祈っている姿を親に見られるのは嫌だったのだ。案の定、僕が毎晩祈っていることを知ったとき、父は「お前、変な宗教に『かぶれてる』んじゃないだろうな?」と、詰問口調で言った。母はニュートラルな姿勢で接してくれて、それは救いだった。

 当時、僕が祈っていたのは、キリスト教でもイスラム教でも仏教でもない、ただの「神様」だった。教義もしきたりも偶像もなかった。ただ、子供らしい不安と恐怖、そして熱のこもった祈りの言葉があっただけだ。それゆえ、非常に純粋な信仰だったと思う。
 祈ることで、僕は安心して眠ることができた。そして、平穏に終えられた一日を、心から感謝することができた。

 祈りの習慣は、10歳から12歳くらいまで続いていたと思う。中学生になる直前になると、病気に対する恐怖心も徐々に薄れて動機を失い、やがて僕は祈ることを「卒業」した。

 それ以来僕は、特定の宗教を信じてはいない。恐らく、すくなくとも今後しばらくは、無宗教者のままで過ごすだろう。だが、神に祈ることで得られる心の安らぎは、僕は知っているつもりだ。

 僕が再び祈る日は、果たしてくるんだろうかなあ?

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 録画しておいたドラマ「白線流し」を見た。見終わって、正直ホッとしたな。だって、すくなくともドラマにはハマらずに済んだもん。
 何しろ、脚本も演出も説明的すぎ。例えば、酒井美紀演じる主人公は、勤務先の出版社で「おいバイト」と呼ばれているのだが、これがいかにも「最後のシーンで名前で呼ばれますぜっ! それが一歩大人の階段を登るってことですぜっ!」って感じがバレバレなのだ。また、「見失いそうになりながらも、若者たちは必死で夢を求めている」っていうコンセプトは別にかまわないと思うけど、全部セリフにしちゃうってのは安易だろ? 高校生(このドラマのシリーズ第一作は、主人公たちは高校3年生だったそうだ)が青臭い夢を語っちゃうのはまだ許容範囲だと思うが、もう社会人だからねえ、みんな。「夢を忘れちゃったの?」とか問いかけられても、そりゃあサブいですよ。

 ただ、酒井美紀はやはりストライクゾーンど真ん中でした、はい。別に謝る必要もないはずだが、なんとなく謝りたいです。すみません、てへへへ。

2002年03月24日

選挙民の連座制/「ASAYAN」打ち切り

 僕は思う、選挙民に連座制が適用されないのはどういうわけだ、と。

 鈴木宗男氏が好き勝手できたのも、彼に投票した選挙民がいたからだ。鈴木氏に限らない。自民党系の地元代議士を国会に送り込み、それによって甘い汁を吸った人間は、全国各地に何千万人もいるはずだ。
 だいたいが、現在の選挙制度ってのは、無責任な選挙民を容認するものなんだよな。どんな馬鹿を選んだって、選挙民が罰せられることはない。でもさ、それってどうなのよ。

 選挙民にも連座制を適用する。地元の建設会社に利益を上げさせ、そこからの政治献金で食べているような政治家を選んだ選挙区は、数年間一切の補助金を停止するとか、そのエリアの税率を上げるとかするわけだ。それくらいしなきゃ、腹巻に札束を入れて選挙に勝つような「田舎っぺ代議士」は、いつまで経ってもなくならないさ。汚れた政治家を選ぶことが、自分たちにとって明白な不利益になるような制度を作らないとダメなのだ。

 人間は、自分の頭に火の粉が降りかからないと何も変化できないものだというのが僕の基本認識だ。特に自分自身を見ていると、そう実感せざるを得ないんだよな、これが。であれば、この世の中に降りかかってくる火の粉を、みんなが共有できる仕組みを作るべきだと思う。徴兵制に関する意見も、こうした思いの延長線上にある。

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 「ASAYAN」が打ち切りになったらしい。
 前身である「浅草橋ヤング洋品店」が「ASAYAN」に切り替わったときは、ショックだったなあ。次から次へと予想もつかない攻撃を繰り返す「浅ヤン」を、僕は本当に楽しみにしていたのだ。それが、「コムロギャルソン」だのなんだのって、わけの分からない企画に変わっちゃってさ、当時、本当に僕は落胆していたのだ。

 ただ、そんな「ASAYAN」も、一つだけいいことをしたな。それが、亜波根綾乃を発掘したこと。この人がオーディションに登場し、石嶺聡子(作詞作曲は、確か尾崎亜美)の「私がいる」を歌うのを聞いたときは、正直びっくりした。
 当時オーディションの審査員をしていた、どこかのレコード会社のPだかDだかが、ぶっちぎりでオーディションに受かった亜波根綾乃に対し、「私たちと一緒に、新しい時代を作りましょう」とか言ってたんだよな。僕も、思わず感じたもんだ、確かにこの人なら時代を作れるかもな、って。

 最近、あまり彼女うわさを聞かないけど(もっとも、僕が知りうる音楽情報なんてごく限られたもんだが)、どうしているんだろうなあ?
 というわけで、現在BGMは、「Lin Nai」。

2002年06月08日

コロッケの物まねビデオを購入/イタリア敗れる

 サッカー観戦の合間をぬって、通販で注文したコロッケのビデオを見た。
 コロッケの物まねは、最高の芸術だ。小林秀雄は『様々なる意匠』の中で、「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか」と言っていたが、コロッケは、物まねというスタイルで、己の夢を懐疑的に表現しているのじゃないだろうか? 彼の野口五郎は、本物の野口五郎以上に野口五郎だ。でも、それは野口五郎をぴったりトレースしているがゆえの結果ではない。そこにいるのは、野口五郎の物まねというフィルターを通して立ち現れている、コロッケの視線、コロッケの世界観なのだ!

 コロッケの五木ひろしの物まねを見ながら、思わず顔を動かしてしまう自分に照れを感じて、思わずそんな理屈をこねてみました。

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 イタリア対クロアチア戦は、ラパイッチの逆転ゴールで、イタリアまさかの敗退に終わった。うひひひ、大笑いだな! つまんない試合ばっかりやってる奴らには、それなりの天罰があるってことだ!

 一方ブラジルは、中国相手に危なげなく勝利。いや、危なげないってのは嘘だな、ブラジルの守備の弱さとか、組織の熟成度の低さとかは、まる分かりって感じ。でもいいのだ。ロナウドの突破は別格だし、ロベルト・カルロスの左足とか、デニウソンのこねるようなドリブルとか、リバウドの踊るようなキープとか、もう最高だ。

 いやあ、でも今回のワールドカップは、フランス、アルゼンチン、イタリアといった「優勝候補」がキツイ目にあってるよねえ。ドイツも微妙な状態だ。ヤツら全員、グループリーグの最終戦も必死に戦わなきゃいけないことになった。素晴らしいことだ、これで面白い試合がもっとたくさん見られる。

 グループリーグで楽ができたのは、結局スペインとブラジルか……。ううむ、いい感じだなあ。スペイン、ブラジル、カメルーン、ポルトガルあたりが勝ち上がって、準々決勝でアルゼンチン、イタリア、ドイツあたりを蹴散らす。なかなかいいシナリオじゃないですか!

 ホントは、そこに日本が食い込めればいいんだけどなあ……。
 明日のロシア戦は、心地よく絶叫できるといいなあ……。