『通販生活』を読んでいたら、「憲法第九条」特集を見つけた。綴じ込み付録では、日本国憲法の全文が紹介されている。
せっかくなので、第九条をここに引用しておこう。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
なるほど。
これはこれだなあ。確かに、この条文は立派なものだと思う。ものすごく毅然とした、立派な態度だと思う。
「非武装中立」という理念は素晴らしい。暴力や戦争は忌むべきものに間違いないのだから。
でも、今の僕は、この条文にはやはり賛成できない。
小さいころから僕は、自分のことを馬鹿にされるより、自分の親や妹を馬鹿にされる方が何倍も辛かった。今も、例えば自分が飢えることよりも、自分の子供が飢えることの方が何倍も辛いだろうと思う。
だから、もし僕が守るべき人を持たない立場なら、「日本は今日から完全非武装です。北朝鮮やロシアや中国やアメリカや、あるいはオウムや過激派連中が武器を引っさげて攻めてきても、暴力反対っていう理想のもと、喜んで死にます」ってメンタリティもあり得るかもしれない。でも、誰かが理不尽な暴力をふるい、それによって自分の妻や子供たちが殺されたりするのを見るのは、やはり耐えられない。
ということで、僕は、国防のための最小限の軍隊を持つことは、現時点では仕方がないと思っている。そして、その軍隊を、国防という目的のために機能的に動かすためには、ある程度の法整備をしなければならないとも思っている。だから、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という一項は、修正しなければならないだろう(そして、いわゆる「有事法制」も、なるべく早く整備しておくべきだ)。
ただ、「国際情勢は、常に武力を背景として動いているのだ」なんて、したり顔で解説を加えちゃう、自称「マキャベリスト」あるいは「現実主義者」の輪に加わる気もない。彼らは、常に砲弾の届かないところで安穏と暮らしている傍観者に過ぎない。最前線で実際に血を流している人間にしてみれば、絶対安全地帯から高みの見物を決め込む彼らは、最も卑怯な存在なのだろう。
現実は、確かに理想通りには進まない。でも、理想に近づこうとする意思がなければ、現実はますます理想から遠く離れてしまう。
例えば、戦争が起こる前にそれを防ぐ方法はたくさんあるだろう。軍縮、集団的自衛権を中心とした同盟関係の構築、各国が国連軍に一定の軍事力を預託して「中立」な軍隊を作る(完全な意味での中立はあり得ないが、でも運用方法に工夫をすれば一定の抑止力になる)……。
あるいは、例えば、いろんな国に友達を作ることだって戦争を防ぐいい方法だ。北朝鮮がアブナイ国だと言っても、仮に金日成から一般の兵士まで、全員が何人かの日本人の友人を持っていたとすれば、戦争を仕掛けられる確率はかなり低くなるはずだ。
要は、現時点で必要な最小限の兵力は持とう、と。その上で、外交や国連システムの整備、民間レベルの交流をきっちりこなすことを忘れないこと。この両輪を同じに動かすことが大切だと思うのだ。
現実を離れた政治はあり得ない。しかし、理想を忘れた政治は救いがたい。現実を正確に把握し、理想をきちんと提示し、そしてその間に横たわる道をデザインするのが政治家だと思うんだよなあ。
トップページに、JavaScriptを使ってみた。と言っても、ほんのちょっとしたところだが。
さらに勢いに乗って、プロフィールのページの顔写真に、Javaアプレットを使って仕掛けをしてみたのだが、こちらはブラウザがいちいちJavaを起動するのがかったるくなったので、却下。
「SPA!」の最新号の広告を見た。特集は「僕らの『景気回復なんてウソでしょ』宣言」だそうだ。ひひひ、「SPA!」って相変わらず楽しいなあ(ま、最盛期に比べて多少パワーは落ちてるけど)。
あと、「鉄腕DASH!」の予告編で、「東京タワーを日時計にする」というような企画が紹介されてた。こちらの目の付け所も、僕は好きなのだ。
実は、こういう類の日時計に関しては、昔ちょっとした文章を書いたことがある。イメージしていたのは、千葉市のポートタワー。「ポートタワーの影が美術館にかかると、もう日暮れが近いことが知れた」みたいな文章だった。ちょっと懐かしいなあ。