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マスコミ アーカイブ

1999年08月31日

税金貧乏と納税者意識/西武ライオンズ黄金時代と、1985年の阪神タイガース/アメリカンホーム・ダイレクトのCM/「新聞で取り上げられたら流行は終わり」

 朝8時から原稿を書く。途中、子供たちを保育園に連れていった後、さらに仕事。午前中に書き上げる予定だったのだが、全然終わらず。仕方なく、13時から予定していた打ち合わせを、14時スタートに伸ばしてもらっちまった。
 原稿を12時半頃ようやく書き上げ、メールで送信。着替えをしてから家を出る。駅に行く前に銀行に寄り、国民健康保険税と市・県民税、合わせて約53万円を支払う。おかげで、メチャ貧乏な気分に。「この金があれば、新しいMacが2、3台買えるし、ゲームソフトも100本くらい買えるし、旅行にだっていけるのにさ……」なんて考えちゃうんだよな、これが。こういうことを何度も繰り返していると、やっぱり税金を取られること、そして取られた税金が有効に使われることに敏感にならざるを得ないっすよ、やっぱし。逆に、給料は銀行振込、税金は自動的に天引きっていう働き方の人は、そういうことに鈍感になるんだろうな。僕も会社づとめしてた頃はそうだった。


 銀座の某誌編集部で作業をした後、書店によってNumber本誌と「Number PLUS 20世紀スポーツ最強伝説3」を購入。帰宅後、「Number PLUS」をペラペラとめくってみると、1988年ごろに撮影したと思われる、西武ライオンズの石毛宏典選手と辻発彦選手のツーショット写真を見つける。か、かっこいい……。
 僕の中では、大好きだった1986~1993年の西武ライオンズの象徴は、清原和博・秋山幸二・オレステス=デストラーデの強力クリーンアップでも、工藤公康・渡辺久信・郭泰源・東尾修の豪華投手陣でもない。石毛と、辻だったのだ(それに平野謙と伊東勤、ってそれじゃ象徴にしちゃあ多すぎるか)。
 「いてまえ」とか「ビッグバン」なんてのも楽しいし、今のジャイアンツの打線みたいに、ホームランバッターをズラリってのもいいだろう。「ID」なんてのも別に悪くないと思う。でも、僕はそんなチームのファンにはならない(ゲームを楽しむことはあるんだけど)。
 僕が好きになるのは、強くて、しかも大人のチームなのだ。単にスピードやパワーが突出しているだけじゃなくて、自分たちの力を最大限に発揮するために、頭もフルに使っているチーム。
 「ID」ってのは、そんな野球とはちょっと違うんだよな、僕の中では。あれは、まず野村監督っていう頭脳がありきで、それを上から非力な選手たちに浸透させていくっつう感じでしょ? しかも、頭脳先行。
 当時のライオンズでは、野手では石毛、投手では東尾っていうリーダーがいて、監督の言う事なんか聞かない選手も、石毛や東尾の言葉には耳を傾けてた。言わば「下からの頭脳」だったと思うんだよな。そして、あくまで基本はスピードとパワー。頭脳はそれを最大限に生かすためのもの。「森野球」っていうと、管理野球とか、バント多用の定石野球なんて思われてるんだろうけど、それは誤りじゃないかと思うんだよな僕は。

 ただ、そんな僕の考え方を、唯一超えるチームがある。それは、1985年の阪神タイガース。
 僕、ジャイアンツの槙原から、バース、掛布、岡田が打った「バックスクリーン3連発」、テレビの生中継で見てたんだよな。僕のオヤジは30年来の虎キチで、その影響を受けた僕も、当時はタイガースファンだったのだ(その前に田淵がライオンズにトレードされ、それがきっかけにライオンズも好きになった。で、工藤の登場によって、完全にライオンズにシフトしたんだよな)。
 バースがガツ~ンとバックスクリーンに打ちこんだときは、よっしゃ~って感じだった。掛布の一撃がバックスクリーンを目指して加速していたときは、腹の下の方から何かが沸きあがってくるのを感じた。真っ青になった槙原に向かって、岡田が素振りをくれているときは、もう半分くらい確信していた、そして、岡田がバットを振りぬいた瞬間、頭の奥の方が痺れて白くなった……。


 朝日新聞の夕刊を読んでいたら、「アメリカンホーム・ダイレクト」のCMについての記事が出ていた。ええっ、このCMって、もう1年半前の話題じゃん! 朝日のあまりにズレたタイミングに、ちょっとビックリ。出演している俳優の話とか、エキストラはロケ先のニュージーランドの日本人を使っているだとか、昔どこかで聞いたことのある内容ばかりの記事だった。
 子供の頃は、新聞っていうものをひどく立派なものだと思っていたのだが、多少は年を食い、自分なりの価値基準みたいなものができてみると、今の新聞ってなんだかヌルイ。欲しい情報が載ってなかったり、解説の突っ込みが浅過ぎたり、時流から全く遅れた記事を書いてたり。
 僕が勝手に作った法則に「新聞で取り上げられたら流行は終わり」というのがある。ストリートやネット上で流行が始まり、専門誌が火をつけ、週刊誌や月刊誌、テレビの深夜枠で取り上げられる頃がピーク。そして、テレビのワイドショーの中で紹介されるとブームは坂道を転げ落ちるようにしぼんでいき、新聞(一般紙)に載ることが終焉宣言というわけ。
 ここ数年、新聞を取るのをやめようかなって、何度も考えている。知りたいニュースは、インターネットを見れば十分だったりするんだよね。でも、踏み切れないのは、「チラシ」の存在。近所のスーパーとかクリーニング屋、ゲーム店の情報って、チラシがないとなかなか入ってこない。これが意外と不便なんだよな。今、新聞代って月4000円くらいだと思うけど、その4割くらいはチラシのために支払っているようなものだ。
 「日経流通」とか「日経産業」でも、チラシを折り込んでくれるのかなあ? だとしたら、そっちの選択肢もアリだ。

 でも、唯一耳新しかった話題があった。それは、「チャイム音にも耳を引きつける仕掛けがありました。シンセサイザーで作られた音ですが、音程を微妙にずらしてあるそうです」というくだり。へえ、それは知らなかったなあ。
 1年半前、テレビからこのCMが流れるたびに、僕はひどくイライラしていたものだった。僕はその原因を、あの「アメリカン・ジョーク」なセンスのせいだと思っていたのだが、もしかしたらこのギミックも原因の一つだったのかしら? 僕、絶対音感なんてないんだけどな、全然。


 今月は、比較的たくさんの本が読めた。「スカートの中の秘密の生活」(田口ランディ/洋泉社)、「ナニワ金融道 (9)(10)」(青木雄二/講談社漫画文庫)、「ギャンブルレーサー(24)」(田中誠/講談社)「(1)死なないこと(2)楽しむこと(3)世界を知ること すべての男は消耗品である。Vol.4」(村上龍/幻冬社文庫)、「耳部長」(ナンシー関/朝日新聞社)、「社会的ひきこもり 終わらない思春期」(斉藤環/PHP新書)、「経済の論点」(斉藤精一郎・竹中平蔵・植草宏・ジョージ=ソロス他/ダイヤモンド社)、「バブル・ファンタジー あの金で何が買えたか」(村上龍/小学館)、「小国主義」(田中彰/岩波新書)、「日本人の敵」(渡部昇一・テリー伊藤/PHP研究所)「地獄への道はアホな正義で埋まっとる」(宮崎学/太田出版)、「ゲームの理論入門」(モートン・D・デービス/講談社ブルーバックス)と、マンガを含めて以上13冊。
 仕事も結構したし、夏休みもあったし、比較的充実した1ヶ月だったのではないでしょうか。

1999年10月22日

久しぶりに見たカニンガム/GAORAの「タージン」はひどい/明日から日本シリーズ

 昨日ランドール・カニンガム(現バイキングQB)の話を書いたら、今日、ディレクTVで「バイキングス対ベアーズ戦」を放送してた。ヒマなもので、ついつい見ちまった。
 カニンガムって、もう40歳近いんだよな。そのせいもあってか、今日のゲームではほとんど走らなかった。スクランブルでかなりの距離を稼いだのって、2~3回くらいしかなかったな。10年前は、カニンガムつうたらとにかくスクランブルする、ランニングQBという印象だったのに。ま、ランディ・モスがいてクリス・カーターがいたら、別に自分が走る必要もないんだろうかな。
 ゲームはバイキングスが21対24で負けた。ベアーズ相手なら楽勝だろうと思ったんだけど、ルーキーのタイトエンドは2回もファンブルするし、カニンガムは5~6回もサックされてた。その上、3回もインターセプトを食らっちゃったら、これはどんなに攻撃力があるチームでも勝てないでしょ。


 しかし、「GAORA」の中継担当者の、タージンっていうタレントはひどい。一応この人がアナウンサー役lになり、隣の解説者と組んで進行してるんだけど、この人選手の名前すらまともに覚えてないんだもん。日テレの、巨人戦担当アナウンサー連中よりひどい(こちらは、少なくともジャイアンツの選手の名前だけは覚えてるもんね)。もう、番組が始まってから10分で、副音声の英語放送に切り替えちゃった。普段、僕はめったなことでは副音声にはしないのだが(だって、何言ってるんだかわかんねえんだもん)、さすがにこの放送はひどすぎる。
 「GAORA」はどういうつもりで、こんな人を起用しているだろう。まともなフットボール解説者が、この世には1人もいないってわけじゃないだろう? 現に、このチャンネルはもう1人のアナウンサーを抱えてて、こちらはまともなんだから。
 別に、すごく上手なアナウンサーを起用しろなんて言わないよ(日テレの増田アナウンサーが中継してくれれば、そりゃ最高だけどさ)。普通の、ごく普通のアナウンサーでいいの。いや、もう、選手の名前がちゃんと言えて、試合の状況をちゃんと把握できて、いらんことを言いすぎないっていうレベルで十分なの。
 NHKのBSが受信できない僕としては、「GAORA」はフットボールを見るための唯一のチャンネル。ホント「タージン」、何とかして欲しいよ。


 そうそう、明日はもう、プロ野球の日本シリーズが始まるそうだ。今年も、あまり関心はない。興味の的は、ただ、僕の好きな工藤投手が活躍できるかどうかという点だけ。
 工藤って、何戦に投げるのかなあ? 解説者などの予想では、皆第1戦ということになってるようだが、ホントだろうか? 第1戦は若田部で、第2戦の工藤が中5日で第6戦も投げるって可能性もあると思うんだけど。
 工藤は確かに計算できる投手だが、36歳という年齢だけあって連投はできない。中3日で第1戦、4戦、7戦に登板させるという使い方は無理だ。また、第1戦に先発して、中2日の第3戦以降はリリーフで使うというやり方もないだろう。ダイエーは一応リリーフ陣の駒は揃ってるし、工藤の肩の疲労度もあるからな。すると、工藤はどう転んでも、2試合に先発投手として登板させるより他にない。
 工藤以外の先発投手はみんな不安定で計算できないから、工藤が投げる2試合は絶対に落とせない。だから、中4日で工藤を登板させることは避けたいだろう。もし第1戦に工藤が投げるとすれば、第5戦は中4日になる。第6戦なら中6日だ。一方、第2戦に投げても、第6戦は中5日で登板できる。であれば、無理に第1戦で工藤を登板させる根拠は、彼の疲労度という観点から見れば、意外と薄弱だったりする。
 あとは、中日との駆け引きと、投手の精神力だ。若田部を緒戦に登板させて、勝てば儲けもの、負けても翌日工藤が止めてくれる、そんな考え方もある。中日が工藤の先発を読んでくれば、第1戦のスターティングオーダーは右打者が多く並ぶかもしれないし。若田部は5回持てばいい、あとは中継ぎで何とかするというまかない方で勝てば、かなり大きい。負けてもまだ工藤がいるから、意気消沈の度合いも小さい。逆に、緒戦工藤で負けちゃうと、4連敗もありえるからなあ。
 もちろん、緒戦はエースで勝って勢いに乗り、後はイケイケで押し切るって考えもありだよな。若田部や星野あたりでは、シリーズのプレッシャーに潰される恐れだってあるし。どっちかっていうと、王監督はこっちを考えてそうだ。

 ちなみに、巷の予想では中日ノリの意見が圧倒的だ。僕も、実力的には中日の方が一枚上手のような気がしている。でも、工藤が2試合完投(うち1試合は完封)でMVPという結末になって欲しいんだけどな、ファンとしては。

1999年10月30日

宇多田ヒカルはブルセラソング/夕刊紙と、日本の中年オヤジの醜さ

 家族4人と、彼女の妹のKちゃん、Kちゃんの友人のHちゃんと、HちゃんのダンナのTさんとともに、カラオケに。
 このHちゃんという人、メチャメチャ歌が上手い。で、彼女に宇多田ヒカルを歌ってもらって、すっかりいい気持ちになってしまった(カラオケ屋の前に、レストランでイタリアワインをボトル1本空けてたってのもあったし)。やっぱり、カラオケは歌の上手い人と一緒に行くに限る。

 ところで、何日か前の「ZAKZAK」に、アン・ルイスが「宇多田ヒカルって嫌い。特に、あのビブラートが」と言ってたっちゅうニュースが載ってた。わはは、なんだか、さもありなんという感じだなあ。
 僕は、宇多田ヒカルって、ある意味「ブルセラソング」だと思うんだよな(ちょっと表現悪いか?)。なんと言うか、イメージとしての女子高生が持っている「切なさ」とか「危うさ」とかいう部分を、最大の魅力としているって意味で。だから、例えば十数年前の斉藤由貴(そういや、彼女も「初恋」って歌を唄っていたような……)あたりと、実はそんなにコアの部分は変わらないのではないかと思ったりもするのだ。もちろん、味付けの部分が全く違うので、立ち現れているスタイルは別物だが、ユーザーの立場からすれば、彼女たちに感じている魅力は、実はそれほど違わないのではないかな、なんて。
 そういう意味では、大人なロケンローラー、アン・ルイスとしては、「宇多田みたいなしょんべん臭いガキの歌なんて!」って感想を持つのは当然かなあ、なんて想像してしまったのだ、僕としては。

 ところで、同じ記事だったと思うけど、新たに登場してきたハイティーン、ローティーンの歌手を何人か紹介して、「宇多田もうかうかしていられない?」なんて締め方をしていたのも笑った。こういう、才能ある人間(あるいは、大金持ちとか地位の高い人間とかも)に対して嫉妬しまくる夕刊紙の姿勢って、なんか日本の中年オヤジの典型だよね。中でも、「夕刊ゲンダイ」とか「噂の真相」なんて、最たるもの。
 いや、嫉妬するだけならまだいいのよ。もっと醜いのは、その嫉妬を「正義」「良心」「常識」ってオブラートで包み隠そうとしているところ(実際は、全然ミエミエなんだけどさ)。空疎なイデオロギーを振りかざして、やってることは出る杭を打ってるってことだけ。イヤだよねえ。

1999年11月13日

佐賀新聞の記事データベース/国会議員の平均年齢/オリンピック代表の司令塔は?

 「+・-・×・÷」の文章を書いているときに、国会議員の平均年齢を知りたいと思って「Yahoo!」などを使って検索してみた。しかし、これがなかなかわからないんだよなあ。
 まずは、衆議院のオフィシャルサイトに行ってみる。と、どこにも国会議員の平均年齢なんて書いてない。それどころか、各議員の年齢すら書かれてない。どうしてだ? 年がバレルとマズイのか、議員さんってのは?
 仕方ないので、いろいろなサイトを回ってみたのだが、議員の平均年齢を調べているサイトは見つからなかった。全議員のプロフィールをまとめているサイトは見つかったが、さすがに、500人の平均年齢を自分で計算して出すほど、ヒマも根性もない(いや、実はヒマならあるんだけど……)。
 あきらめかけて、「ニフティの新聞記事検索でも使おうかなあ、でもなんだかバカバカしいなあ(とは言え、先日はダイエー工藤が西武を離れたときのいきさつが知りたくて、サンスポの有料記事検索サービスを使ったりしてるのだが)……」なんて思ってたときに探し当てたのが、佐賀新聞の記事データベースサービス。これって、おそらく日本で唯一の、無料の新聞記事検索サービスじゃあないのかなあ? 偉いぞ、佐賀新聞!

 さっそく調べてみると、96年の衆議院議員選挙の結果分析が見つかった。それによると、衆議院議員の平均年齢は54.8歳。これは96年当時のデータなので、今は57~8歳というところなんだろう。ま、大体予想していた数字。あと20年くらいしか生きない人たちに、今の政治は動かされているということなんだよな。なんだかなあって感じ。


 今夜は19時から、オリンピックのサッカー最終予選「日本対タイ」をテレビ観戦。個人的には、市船時代から好きだった(だって地元だし)北島が活躍できなかったのが残念だった。やっぱり、まだチームにフィットしてないのかなあ、それとも意気込みが空回りしてたんだろうか? パスへの反応が、平瀬より2タイミングくらい遅れちゃうんだよなあ。これって、中田のパスを受けてないってハンディもあると思うんだけど……。とにかく、市船出身のFWとして頑張って欲しいよな、北島には(森崎は、あんなに期待されてたのに、あっさりジェフを解雇されちゃったし)。

 しかし、中村俊輔はやっぱり左サイドより真ん中の方があってるよなあ。でも、そうすると中田はどこで使うんだろう? そして、小野が戻ってきたら、どうするんだろう? 俊輔と中田と小野、このすばらしい3人の才能は共存できるんだろうかなあ。
 ペルージャでの中田は、一時「1.5列目」的なポジションをとっていた。それに、この前のカザフスタン戦でも、FWのポジションで動いた時間帯もあった。だから、ワントップ(平瀬かなあ、柳沢かなあ。もし23歳以上の枠を使うなら、城あたりもあり得るか?)気味の配置にして、トップ下に中田を置き、その下に俊輔と小野のダブル司令塔って感じにするのが、一番普通の考え方なんだろうか。右のウイングバックは市川大祐で、左は本山。ボランチには稲本と遠藤(ここには、「日本のダービッツ」伊東輝悦が入るか?)なんて感じだと、かなり楽しめそうではある。小倉・城・前園・中田・伊東というアトランタ代表以上に期待させるかも。
 でもなあ、僕は、中田は「1.5列目」には向いていないと思うんだよな。もちろん、中田は頭がいいし、能力も高いからなんとかこなしちゃうのかもしれないけど、でも中田ってのは、ゴール前で思いもよらないきらめきを放つ、いわゆる「ファンタジスタ」(デル・ピエーロとかロベルト・バッジオみたいな)としての側面は強くないと思うんだよなあ、僕としては。ただ、一番「ファンタジスタ」的要素の強い俊輔は、線の細さがFWにはどうかという危惧がある。そして、小野にはひらめきも強さもあるが、スピードがない。
 もし、俊輔・中田・小野の3人を、全員フィールドに立たせようと思ったら、やはり中田にボランチをやってもらうしかないと思うんだけどなあ。日刊スポーツによると、昨シーズン、中田はセリエAで、合計116回ボールを失ったそうだ。一方、相手からボールを奪った回数は、なんと220回。アメリカンフットボール流に言えば、ターンオーバーレシオは+104。非常に高い。攻撃的MFの数字じゃあないよね、これって。
 守備力もあり、展開力も視野の広さも兼ね備える。そして、強さと低い位置からの安定したドリブルを持っている中田には、日本のドゥンガになって欲しいんだよなあ。そして、中田の周りを、日本のダービッツが走り回る。それが一番いいと思うんだけど。

 ま、「日本のロナウド」みたいなFWが1人出てくれば、すべて解決なんだろうけど。

1999年12月14日

葬儀に出席する夢を見る/最悪、マイクロソフトワード/皇太子妃はトキじゃねえっつうの

 夢を見て、起きた。リビングに行き、時計を見てみると5時過ぎだった。
 夢の舞台は、父方の祖父の葬式だった。と言っても、僕は祖父の葬式に出席したことなどない。2人の祖父ともに、第二次大戦の前後に亡くなっているので、顔すら見たことがないのだ。でも、僕は祖父の葬式に出ていた。
 葬儀の行なわれていたのは、普通の民家のようだった。だが、そこは僕の家でも、実家でも、父の実家でもない。覚えのない、しかしどこか懐かしいような、そんな家だった。僕は廊下に立っていて、突き当たりの部屋(おそらく、そこに祭壇があるらしかった)の開いている引き戸の向こうに見える父の背中を見ていた。父は、背中を丸めて立っていた。僕はその背中を見て、「父に優しくしてやらなければ」と思っていた。

 そうだ、きっと、僕が見たのは父の葬儀なのだ。別に確証もないし、夢分析の技術も持ち合わせていないけれど、僕はおそらく、祖父の葬儀ではなく父の葬儀を見ていたのだ。すると、猫背の男は、あれは僕だったのか?

 それはともかく、僕は夢の中でいろいろな事を考えていた。「死者を忘れないことが、死者に対する最大の弔いだ、だから人間は位牌を作り墓を立てるのだ」とか「自分の葬儀はどのように取り仕切るべきなのか、無宗教な僕だが、死んだら生者の都合を優先してもらう方がいいよなあ、家族が満足する形であれば豪華な式でもただ燃やすだけでもどっちでもいいや」とか「坊主はあんな念仏で高い金をとるんだなあ、ぼったくりだぞ」とか「しかし、こういう風に伝統に沿って葬式を進めるのが一番楽なんだろうな、先例に逆らうのはなにかと大変だ」とか……。実にとりとめのないことばかりを考えていた。

 しかしあれだな、よく「夢というものは、どんなに長いものでもほんの数秒で見ているものだ」って説を聞くけれど、あれってホントかね? だって、僕の夢ってヤツは、どう考えてもダラダラと時間をかけて見ているような気がするんだよなあ。消し忘れたテレビの音とか、夕方を知らせるチャイムとか、家族の話し声とか、そういうものも小道具に取りこみながら夢が進行しているってこともあるし。場合によっては、ある程度の時間的な幅をもって夢を見ているとしか思えないケースもあるもん。それとも、間欠泉的に夢を見ているのだろうか僕らは? 眠りの切れ間に、脳髄からドーっと夢が噴き出してくるような。

 そう言えば、最初の子供が生まれる前に、印象的な夢を見た。僕が、4歳くらいの女の子と、2歳くらいの女の子と話をしている夢だ。その夢を見た朝に、彼女に「生まれてくるのは女の子だなあ」と話した。で、案の定、僕には2人の子供が生まれたわけだ。
 もちろん、単なる偶然かもしれない。偶然ではないのかもしれない。でも、いずれにせよ夢には不思議な力があるように思われる。

 「夢を見るのはほんの一瞬」という説が正しいとすれば、覚醒しているときよりも夢を見ているときの方が、ある意味では頭の回転速度は速いと言えるだろう。
 よく、「刑事(デカ)のカン」ってドラマであるよな。あれって、長年の経験が意識下で高度に組織化されて、それでほんの少しの情報がその回路に入っても、すぐに適切な結論が出るってことじゃないかと思うのだ。であれば、夢の回路も、それと似ているのかもなあ。グダグダばかりの僕であっても、一応30年以上は生きながらえているわけで、それらがどこかに蓄積され、互いに関連付けられていて、で、ふとしたはずみでその回路が目を覚ますと、パパッと夢が火花を散らして立ち現れる、なんて風に。

 ま、あんまり突き詰めちゃうと、トンデモ科学者になっちゃいそうなんで、このへんにしておこう。「と学会」の本を読むのは大好きだけど、あれに掲載される方はちょっとイヤだし。


 さて、早朝に目が覚め、つい今しがた見た夢を忘れないように、手近にあったメモ帳に殴り書きしてから、もう一度布団に入った。で、次に起きたのは昼過ぎ。このところは規則正しい生活ができていたのに、ちょっと気を抜くと(今日は彼女が直行で、家を出る時間が遅くなってもよいということだったので、子供たちの保育園への送りをお願いしてしまったのだ)すぐにこのありさまだ。
 とりあえずパソコンを立ち上げ、仕事にかかる。今日やらなきゃいけない仕事は、なんと「職務経歴書」作りだ。ある情報誌の仕事で、「職務経歴書の書き方」という趣旨の記事を担当していて、そこに掲載するためのサンプル経歴書を作って編集者に見せなくてはならない。
 なにしろ、これまでちゃんとした就職活動を一度もやったことのことのない僕としては、職務経歴書を作るだけでも大変な作業。その上、職務経歴書の見栄えを整えるためには、ワープロソフトを使わなきゃいけない。これが辛い、辛い。

 仕事で使うのは、たいがいMacだ。それも、エディタを使って原稿を書く。ワープロソフトなんてかったるくて使ってらんない。たまに、凝った企画書を作るときにはDTPソフトを使ってるし。
 ところが今回は、普通のビジネスマンが作るような職務経歴書を作らなくてはダメ。なので、仕方なくWindowsマシンにインストールされている「ワード」を使う羽目になった。これが、超使いづらい。よくこんなソフトを、世の中の人たちは使ってるもんだよなあ。5分ごとに腹を立てながら、仕事をした。
 ホントに今日は、辛い仕事をした日だったなあ。


 ところで、皇太子妃のご懐妊騒ぎ、あれ、別に関心もないんだけどさ、でも、あの皇居前で張りこんでるマスコミ連中、あれはどうなんだい? 皇太子妃ってトキじゃないんだからさあ、あんなに取り囲んでフラッシュ焚いたり照明当てたりして、ありゃあ失礼過ぎるよ。それで「雅子様にはお身体を大切にしていただきたい」とか言ってるからなあ。「自殺しようと思って手首にカミソリを当てたけれど、カミソリの刃が汚れていたのでバイ菌が入るといけないと考え、自殺を止めた」みたいな論理だ、ってわかりづらいか。
 マスコミって、ホントバカだよなあ、で、それを支持しているのが僕たちバカな国民なんだよなあ、と、再び議会生民主主義とか衆愚政治とかに思いを馳せたりしちゃいましたぜ、ダンナ。

2000年03月30日

ひねくれ者/こんな商売が/教育テレビのキャスティング/バスターヒッティング

 もう10日も前、ジャストネットの「マイドメインパック」を申し込んだとき、僕も多少、ドメイン名に関して考えた。そのときは「shiratani.com」も「shiratani.net」も空いていたので、別にどちらを選んでも良かったのだ。で、普通はドットコムの方を選ぶのかな。
 ところが、僕はドットネットを選んじゃった。「『ドットコム』なんて、なんか手垢にまみれてきたからなあ」とか「『ドットネット』の方が『@WEB』みたいなニュアンスがあって良さげじゃん」なんて思ったのだ。でも、後から考えてみると、やっぱり僕、ひねくれ者だよなあ。
 以前も自分のことを「二番手商品を買う男」と分析したことがあるが、ここでもそんなクセが出てしまった。


 ところで、「shiratani.net」を取ってからしばらくして、ブラウザで何気なく「www.shiratani.com」というURLをタイプしてみた。すると、なんと接続をはじめるではないか! 僕は、「こっちがドットネットを取ったばかりなのに、もうドットコムを申請した人がいるんだなあ、偶然だ」なんて思っていたのだが、どうも様子がおかしい。
 読み込まれたページを見てみると、「nameplanet」というサイトらしい。どうやら、人の名前のドメインを取得し、それで商売をしている会社のようだ。このタイミングで「shiratani.com」ドメインを取ったということは、恐らく、名前+ドットネット(あるいはドットコム)というドメインが申請されると、自動的に他のドメインを取得するシステムを作っているに違いない。なあるほど、そんな商売もあるのねえ。ま、限りあるドメインをそんな風に金儲けの道具にするってのは、僕としては気に入らないけどさ。


 朝、子供たちを保育園に連れて行くための準備をしながらテレビを見ていたら、「ズッコケ3人組」とかいう子供向けのドラマを放送していた。内容はごくごくありがちなものだったのだが、その中のキャスティングがちょっと面白かった。
 登場人物の中に、2人組の刑事(多分それほど大きい役ではない)がいたのだが、その配役が松尾貴史(キッチュ)とモロ師岡というコンビ。これって、例えばフジテレビが爆笑問題を「ポンキッキーズ」に起用しているのと、センス的にはそんなに変わんないよな。
 他にも、マツモトキヨシのCMに出ていた山口もえが、ジローラモ・パンツェッタ(だったっけ?)と一緒に語学番組に出てたり、夕方の子供向け番組に清水ミチコが出演してたりする。最近の教育テレビも、多分、民放を見て育った、若い世代の作り手が増えてきたからだろうな。


 センバツが始まってからこっち、仕事が忙しくて全然高校野球を見てなかった。自由業者、しかも主に自宅で仕事をしている僕は、ヒマに任せて1日4試合テレビ観戦というケースも多いのだが、今回は今日が初めての試合だった。
 そしたら、あるチームが、全員が全員バスターやってるんだよなあ。ガックリきちゃった。だってさ、どう考えたって理不尽な戦法じゃん、「全員バスター」って。
バスターのデメリットはたくさんある。まず、長打はほとんど期待できない(投手からすれば、失投しても単打どまりだと安心できる)。速球に対して構え遅れる可能性が高い(甘いボールでもスピードがあれば、振り送れてファウルや空振りになる確率が大きい)。打撃の軸がブレやすい(ミートしにくいし、ボールを叩く力をロスする)。
 それでもバスターっていう戦術が使われるのは、その奇襲性に価値があるからだよな。バントをすると見せかけ、野手を前進守備させておいたところに、一転強打して野手の間を抜く。それこそが、唯一のメリットだよ。そのメリットが、たくさんあるデメリットを上回る価値を示す局面でのみ、バスターってのは使われるわけだ。
 ところが、全員バスター。これ、奇襲性なんて最初っからありゃしない。とすると、何、この作戦をわざわざ取る意味って? ボールが見やすい? んなわけないじゃん、バントの時の姿勢と通常のバッティングでは目の高さが違うわけだからさ、視点が上下してボールは捉えにくくなるはずだもん。コンパクトにスウィングできる? 馬鹿言うな、だったら最初からバットを短く持ってコンパクトに振れば済む話じゃん。バッカじゃないの?
 バント至上主義(あるいは犠牲を最上とする価値観)とか、高校生は高校生らしく長打は狙わずコツコツ打線をつなげろとか、「野球道」とは守り勝つこととか、「敵は己の中に在り」とか、内角球を無理やりライトヒッティングするのが巧いバッティングとか、あ~、書いてるうちにだんだん腹が立ってきた、とにかくそんな馬鹿げたことばっかり考えてる連中なんだぜ、この高校生たちにこんな作戦を強いてる連中って。けっ、50何年か前に、ノモンハンとかガダルカナルとかインパールでたくさんの日本人を死なせた陸軍指揮官たちとおんなじメンタリティじゃねえか、あ~あ、こんな監督に教わってる高校生って可愛そうだよな、ま、こんな合理的じゃないチームが勝つわけねえよ……
 ……そしたら、勝っちゃったんだよ!

 ううむ、スポーツは奥が深い……。非合理的な戦術を採っても、勝つチームは勝つのだなあ……。納得できないものがあるが、これも現実。

2000年03月31日

有珠山噴火/プロ野球開幕

 有珠山が噴火した。
 避難を余儀なくされている人々の映像を見て、彼らは本当に大変だろうなと思う(もちろん、僕なんかに彼らの辛さが正確に理解できるわけもないのだが)。噴火の恐怖と、将来に対する不安とで疲れきっていることだろう。さらに、疲れた顔に無遠慮にカメラを向けるマスコミの存在。鬱陶しいだろうなあ……。
 恐らく今回も、いろいろなテレビ局、新聞社のクルーが、疲れた避難民の間をばたばたと駆け回っているのだろう。それを想像するだけで、嫌な気持ちになる。

 とりあえず、有珠山関係のニュースがテレビから流れ出してきたら、チャンネルを切り替えることにしよう。ごくごくささやかな抵抗だけど。


 セ・リーグが開幕。夕飯を食べながらジャイアンツの試合を見ていたら、上原が打たれていた。
 上原に対する評価って、過大だと思ってるんだよな、僕。そりゃあ、新人でいきなり20勝するくらいだから、並みのピッチャーじゃない。でも、だからといって今年も20勝できるなんて、とても思えない。「野球評論家」と呼ばれる人たちの何人かが「巨人の投手陣で『絶対』と言えるのは上原だけ」なんてコメントをしてたけど、上原ってそこまでの存在かしら?
 西武の松坂みたいに、150キロクラスの速球とスーパーなスライダーがあれば、絶対的な存在になることは可能だろう。でも、切れとコンビネーションで戦うタイプのピッチャーだからなあ、上原は。例えば、元日ハムで、ルーキーでタイトルを総なめにした木田勇(古いか)。あるいは中日で星野監督につぶされたピッチャーたち(上原とか森田とか。与田もそうだなあ)。元西武の森山。最近では、広島の山内とか巨人の河原みたいに、何かのきっかけで切れをなくすと、一気にダメになっちゃう可能性もあると思うのだが。


 3月に読んだ本は、「ゴリラーマン11、12巻」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)、「Macintosh サーバ化計画 MKLinux DR3」(アスキー出版局)、「古いパソコンで作ろう ホームLAN」(ローカス)。今月も低調だったなあ。

2000年06月08日

「ハ~イ、ジャック!」/東スポ知識人

 相変わらず忙しい。
 昼過ぎに行ったR社で、昔一緒に働いていた編集者のMさんにバッタリ。さらに、築地での取材の帰り道に、やはり以前一緒に仕事をさせていただいていた印刷会社のSさんに、偶然出会った。

 東スポを読んでいたら、「機内でハ~イジャック 友人呼んだつもりが警察出動」という記事にぶち当たった。
 場所はオークランドの国際空港。離陸寸前の飛行機の中で、あるビジネスマンが友人を見つけ、「ハ~イ、ジャック!!」と呼びかけたそうな。そしたら、この声が機内マイクを通じて管制塔に伝わってしまい、「ハ、ハイジャック?!」と慌てた管制官が、FBIや地元警察に連絡を取るなど大騒ぎになってしまったのだそうだ。
 いやあ、いいよね、こういうおバカな記事。ま、ことの真偽はよくわからんけど、とりあえず僕は、電車に乗ってこの記事を読んでいる数分間、メチャ幸せな気分になれた。
 他にも、倉木麻衣がモーニング娘のオーディションに落ちていたとか、藤波辰爾がアントニオ猪木に「カシンの引き抜きは背信行為だと激怒したとか、どうでもいい記事がたくさんあって、すっかり満足。

 しかしあれだよな、東スポをフラットに楽しめるようになった僕は、自分で言うのもなんだが、結構立派な大人になったよなあ。
 昔は「岩波知識人」ってな言葉があったらしいけど、今の時代、岩波読んでれば知識人・文化人になれるって簡単なもんじゃないからねえ。きょ~び、片手に岩波、片手に東スポってのがホントの知識人ではないかと思うのだ。
 東スポを楽しむのって、結構いろんな素養が必要だよ。政治に経済、スポーツに芸能。メインカルチャーだってサブカルだって押さえておかなきゃならないし、何より笑いのセンスが必要。
 その点、今の僕には東スポを楽しめるだけの要件がちゃんと備わってる。そんな自分に対し、ちょっぴり誇りをもってたりするわけだ。

2000年08月07日

職場の「雰囲気」と、育児休業/5人に1人しか支持してない内閣が安泰とは?

 新聞を読んでいたら(ちなみに、今取ってるのは読売。新聞ってのは大概つまらないものだが、読売はヒドイね。時代感覚がメチャ欠けている朝日もかなりヤバイと思うけど、それよりひどい。やっぱ新聞取るなら日経なのかな?)、興味深い記事が載っていた。見出しは、「育児休業取らなかった理由 『職場の雰囲気』43%」。労働省がまとめた、育児休業に関する調査に関するレポートだった。いやあ、これ、実に日本的な話だよなあ。
 育児休業ってのは、法律で定められた労働者の権利ってヤツだ。ところが、それを取らせなかった原因が「雰囲気」ってのが笑わせる。きっとさ、直属の上司や社長が「休みは取るな」って言ったわけじゃないんだよ。休みを取らなかった女性(今回の調査は女性限定のものらしいが、もしかすると男性で育児休業を申請した人もいるのかなあ。だとすれば、風当たりはこちらの方が強そうだ)の側も、誰かに直接「休みを取ってはいかん」って言われてない。誰も何もしてない。全く手を下していない。なのに、いつのまにか、休みを取るのは罪悪だって雰囲気が出来上がっている……。これって、ものすごいことだよなあ。
 この職場の人々っていうのは、言わば「未必の故意の共犯者」なんだよな。会社という組織を効率的に運営するんだという意識付けが、しかも無意識のうちに刷り込まれている。刷り込まれているだけじゃなくて、ちょっとした言葉やしぐさの中にそれをにじませて、周りに振りまいている。やがて組織はひとつの自動運動体のようになって、その中にはある種の「空気」が醸成されていく。ほえ~っ、気んもちワル!

 誰も直接手を汚してない。だれも悪いことはしていない。だからこそ、誰も罪の意識を持つこともない。そして、雰囲気や空気というのは全く入れ替えられることもなく、締め切った部屋の中でよどみつづける、と。
 で、知らないうちに一酸化炭素中毒になっちゃってるんだよね。ま、死んでることにも気がつかないって状態は、ある意味幸せかもしれないけどさあ。


 もうひとつ面白かったニュースが、NHKの内閣支持率調査。森内閣の支持率は22%、不支持率は60%だったんだと。これも非常に笑える数字だ。
 なんたって、国民の5人に1人しか支持してない内閣が、全く安泰に日々を過ごしているという事実。国民の過半数が指示していないのに、倒閣への動きがあるなんて、これっぽっちも感じられない。これは何だ? 僕の軽い頭では、イマイチ理解できんですたい。あるいは、支持率はせいぜい25%程度しかない自民党が、過半数近い議席を持っているという事実。なんだか不思議で不思議で、めまいがしてきそうです。

 それから、支持が22%、不支持は60%。さて、残りの18%は、何なんでしょう? 恐らくアメリカあたりでこうした世論調査をすると、支持と不支持の合計はほぼ100%になると思うのだが、日本ではそうではない。「どちらでもない」って答える人の割合の高さ、ここにも極めて日本的な問題が潜んでいると思うんですけどね。


 結局、「共同責任は無責任」ということわざを、日本人は大切にしなきゃいけないよね。「世間」っていう着ぐるみを着て意見を言う習慣を、改めないと。
 ところがなあ、このところ「自己責任」「自助努力」って言葉がやたら使われてるけどさ、そのうちのかなりの部分が、単なる役人や政治家の責任放棄に過ぎなかったりするからな。
 責任を取るためには、まずどこからどこまでが責任を持つべきエリアなのかをはっきりさせることが必要。また、責任を取るべき人に、敗者復活の機会を与えることも大切だ。どちらも用意せずに「自己責任」なんて言葉を乱用するのは、これも「無責任な日本人」の悪癖露呈って感じですかね。

2000年09月24日

女子マラソン高橋尚子、レスリンググレコローマンスタイル、読売ジャイアンツ、スポーツの気持ち悪さ3題/日刊ゲンダイの話、補足

 ねかなか寝付けず、「Xファイル」7シーズンのビデオを見ていたら、いつのまにか朝に。せっかくなので、7時から始まった女子マラソンの中継にチャンネルを合わせる。

 高橋尚子は強かったなあ。日本代表の選考レース(名古屋国際だったっけ?)もメチャ強な展開だったけど、今日の勝ち方も強かった。自分でペースを上げて集団を崩し、上り坂で細かくスパートかけてライバルを牽制。勝負どころで抜け出してそのままゴール。ゴール寸前ではかなりバテていたみたいだったけど、内容としては完勝、文句のない戦いぶりだった。エライ!

 ただ、レースが終わってからは、どうにも気持ち悪くて仕方なかった。

 僕が感じている気持ち悪さの原因ってのは、恐らく2つあるんだろうとおもう。ひとつは、彼女とコーチの関係性。まあそりゃ、長い間激しい練習を積んで難しい目標に向かっていた2人なんだから、そりゃ強い絆ってのがあるんだろう。何しろ世界レベルの目標だからな、僕にはうかがいしれないほどの精神的な結びつきがあるのかもしれない。でもなあ、ああいう無邪気な信頼関係(どうも巧い言葉が見つからないのだが……)を見せられると、なんだかすごく違和感を覚えてしまうのだ。あんなにコーチに依存しちゃってていいのかなあ、って。
 これまでも、こんな風景は何度か見たことがある。バレーボール、体操、陸上……。女子スポーツ選手の、コーチに対する過依存ってのは、日本だけの問題なんだろうか、それとも世界的にあまねく存在している現象なんだろうか? いずれにせよ、いい歳した大人があまりにもコーチべったりって絵ヅラは、僕としてはかなり気持ち悪いのだ。8歳くらいの「卓球の愛ちゃん」とお母さんじゃねえんだからさあ。

 もうひとつの気持ち悪さは、高橋選手が何の臆面もなくコーチへの信頼、っていうか愛情を表明していた点。
 高橋選手のコーチに対する感情って、師弟愛と恋愛感情がないまぜになったもののように思えるのだけれど、どうも日本の世間の文脈では、これを「師弟愛」って枠の中でのみ捉えるようになってるみたいなんだよな。
 仮に高橋選手が「一番最初に恋人にこの喜びを伝えたいので、インタビューはその後にしてください」って話していたとしたら、なんと言うかもう少し、照れくさそうに、言いづらそうにコメントしてたんじゃないかな。でも、「恋人」とか「夫」ではなく、「コーチ」にすり替わった瞬間、彼女は微塵も照れることなく話しちゃってるんだよな。
 多分これって、『「師弟愛」ってのは清らかなもの』って世論が確定してるからだと思うのだ。でもなあ、それって単に、恋愛感情が変形しただけだと思えるんだけどなあ、僕には。なのに、世間的には、それは師弟愛でOKってなことになってるわけでしょ? なんつうか、そこに欺瞞があるような気がするんだよなあ、うまく言えねえけど。


 昼過ぎに、レスリングのグレコローマンスタイルの試合を見る。上半身しか攻撃できないというこの競技、なんだか気持ち悪い。男同士が汗かきながら抱き合ってるだけじゃん(実際に一生懸命競技に打ちこんでいる皆さん、ごめんなさい)! 「グレコローマン」ってことは、恐らく2000年前後の歴史がある競技なんだとは思うけど、でもなあ、この競技って必要? フリースタイルだけでいいと思うんだけど。


 夜になって、読売ジャイアンツが優勝したニュースでテレビは大騒ぎ。特に、日テレのはしゃぎ加減は正視に絶えないほどだ。
 サッカーが世界で「普通に」戦っているのを見た後では、巨人の優勝って町内会の忘年会だよな。視聴者は何千万人もいるかもしれないけど、完全に閉じた世界。こんなところに安住してて、楽しいのかね?
野球の人気は、そりゃ落ち込むよな。空気があまりによどんでるもん。


 昨日書いた文章に関して補足。
 日刊ゲンダイってのは、成功者に対して嫉妬深く、インチキ平等主義を振りかざして人の足を引っ張るという、ある種の日本人を象徴するメディアだと思っている。その「ゲンダイ」が、サッカーの日本代表敗退のニュースに、どんな風に反応するかなと想像してみただけ。僕自身の感想とは、全く異なったものですから。
 逆にね、日本代表が負けても、ゲンダイのコメントを想像する余裕があるほどだったんですよ、僕としては。今の日本代表は、かなり気持ちいいね。ま、そのあとIさんに借りている「EURO2000」の決勝戦(フランス対イタリア)を見たら、こりゃまだまだ世界とは差があるかなって思ったけど。でも、今の日本代表のサッカーは楽しい。

2000年10月13日

ON対決、大フィーバー/放送禁止と思考停止/IT振興券

 ドラクエは始めるし、仕事もするし、体も壊すしで、2週間ぶりの更新。


 世間では、ON対決で大フィーバーなのだそうだ。少なくとも、新聞やテレビではそんなことになっている。
 ON対決、大フィーバー。結局、そんな言葉しか考え付かないようなご老体たちが、日本ではマスコミを牛耳っていらっしゃるわけだ。
 いったい、どこをどういう風に見たら、ON対決とやらで興奮できるんだろう? 工藤対城島が見たいってならよくわかる。ジャイアンツの強力打線が何本ホームランを打てるか楽しみってのでも許そう。しかし、なぜON対決なんだ?
 投げも打ちもしない監督に、そんなにスポットを当ててどうする? どうして野球をソープオペラみたいにする? ふん、そういうのが好きなんだったら、WWFでビンス・マクマホンを見てろってんだ。

 今の野球ってのはもう、逆も逆、真逆ってヤツだ。ものすごい速球や切れる変化球を、バッターが力と技で打ち返す。野手の間を抜けようとするボールを野手がキャッチし、走者が塁を掛け抜ける。それが野球の楽しさだろうよ。でも、今は全然違う方向に行ってる。
 よく、ドーム球場を日本プロ野球のメタファーとして使う人がいるけれど、確かにそれってそうだと思う。どんなに一所懸命ボールを投げ、打っていても、空へ突き抜けていかないのだ日本野球は。場外ホームランだって閉じ込めてしまう、大歓声だって押し殺してしまう。息苦しさしか感じられない。そして、それはそのまま、日本社会の縮図でもある。
 こんな状況で、「ON対決」なんて大喜びしている連中の気が知れない。死の床でラリッてるシャブ中毒患者じゃねえの、それって。
 野茂だって伊良部だって、そしてイチローだって、みんな息苦しさに絶えられずに日本を出ていった。現在、日本のスタジアムに残っているのは、突きぬける意思か能力に欠けた選手ばかり。だったら、コントローラー握って「パワプロ」やるよ。その方がまだ楽しいよ。

 その点、サッカーはいいね。中田はもちろん、中村俊輔も稲本も西澤も、みんなそれぞれのやり方で空へ飛び出そうとしているもん。城だって名波だって、「通用せずに日本に戻った」なんて思わない。単に、現時点で一番有利な場所が、たまたま日本だったということに過ぎないのだと思える。


 夜、桑田佳佑がテレビで「ヨイトマケの唄」ってのを歌っているのを見た。これ、長い間放送禁止だった唄だそうだ。歌詞の中に「土方」なんて単語が入ってるからダメだったんだろうか?
 歌自体は、桑田佳佑のヴォーカルの力も得て、とても説得力のあるものだった。内容的にも、別に問題なんて全然ないと思う(「金太の大冒険」とは違うっつうの)。でも、これが放送禁止ってかあ……。
 そう言えば、ちょっと前にaikoの新曲がNHKで放送禁止になったって話もあったな。確か、「テトラポッド」は商品名だからっつうことだったと思う。多分、特定の商品名を放送に乗せると何らかの宣伝の片棒を担いでしまう可能性があり、厳正中立のNHKとしてまかりならんってことなんだよな。でもさあ、テレビを見てる視聴者のうち、何人がテトラポッドの購買者になりうるのよ。だいたいが、今って野球中継やスポーツニュースで「西武ライオンズ」とか「ダイエーホークス」って連呼してんじゃん。その辺のバランス、無理があると思うけどなあ。

 思考停止ってのは、こういうことを言うんだろうな。
 老人や妊婦、身障者のためにシルバーシートを作った瞬間、彼らへの想像力を失う。マニュアル化すると、マニュアルを作った目的よりマニュアルをこなすことが優先される。そんなことばっかり。
 オリンピックでも、「感動をさせてください」なんて甘ったれたことを言って、恥じることもない。どいつもこいつも、あまりにも思考のスタミナがなさ過ぎるのだ。


 ひょえ~、なんか僕ってすっかり憂国状態じゃあないですか! でも、ホントに腹が立つんだもん。


 ところで、ここ1ヶ月半ほど新聞を取らない暮らしをしているのだが、IT振興券(だったっけ?)ってなくなっちゃったの? 僕、あれは悪くないアイディアだと思ってたんだけど……。
 「地域振興券」のときは、本当に馬鹿な話しだと思ったよ。単なる政治家の人気取りのバラマキだってことがミエミエだったもん。でも、今回は違うと思ったんだけどね。国民の知識や技術、生活環境の改善ってところに焦点を絞り、一応その先のビジョン(もっとも森首相個人のITへのビジョンに限れば、寒々しいことこの上ないのだろうが)もある。やる価値はあったと思うんだけどねえ。

 あのお馬鹿な地域振興券は実施され、IT振興券はボツになる。ホント、どうなってるんでしょうかね?

2000年10月16日

反省しないマスコミ/素晴らしすぎる「日刊ゲンダイ」/新聞を再購読することに/人間の体の「境界」/クルーソーパソコン、いいなあ

 英国人女性の失踪事件で、40代の会社社長ってのが疑われているらしい。

 それは別に構わないのだが、現時点でその会社社長ってのは別件での取調べを受けているだけなんでしょ? 女性の失踪については関与を否定しているのに、マスコミ(といっても、現在僕はいわゆる一般紙ってのを読んでないので、テレビとスポーツ紙、夕刊紙くらいしか知らないのだが)は完全に彼を犯罪者呼ばわり。実名はもちろん、写真(最近のものが手配できなかったのだろう、どのテレビ局も高校時代の写真だった。おいおい、30年前の写真出して、意味あるのか?)やら経歴やらをガンガン出してる。日刊ゲンダイなんて「レイプ魔社長」呼ばわりだもん。
 長野サリン事件で無実の男性を犯罪者扱いして、あれだけ叩かれたのに、相変わらずこのありさまだ、日本のマスコミってのは。

 僕の大好きな小話に、こんなのがある。

「客船が沈みました。海に投げ出された人々は救命ボートにつかまりましたが、ボートは定員を完全にオーバー。そこで人々は話し合い、女性と子供を助けるために、男性が犠牲になる事に決まりました。
まず最初に声を掛けられたのはアメリカ人の男性でした。
『正義のためです。あなたはボートから降りてください』『わかりました』
ジャボーン! アメリカ人は海の中に飛び込み、帰らぬ人となりました。
次に声を掛けられたのはイギリス人です。
『あなた自身の名誉を守るため、ボートから降りてください』『わかりました』
ジャボーン! イギリス人は海に飛び込み、二度と戻りませんでした。
次はドイツ人です。
『これは規則ですから、ボートから降りてください』『わかりました』
ジャボーン! ドイツ人も、波に消えていきました。
最後に残されたのは日本人。
『みんな飛び込みましたから、あなたもやってください』『わかりました』
ジャボーン!」

 日本のマスコミには、絶対的な価値基準ってものが完全に欠如している。「この事件はまだ『推定無罪』だから、ウチの社では実名報道は行わない」なんて思考はしない。「他の社が報道してるから、ウチもやってもいいだろう」と考えるだけ。いや、考えてもいないんだろうな、単に反応しているにすぎない。なんだか昆虫みたいだ、日本のマスコミは。
 いや、マスコミだけじゃないやな。僕も含めた日本人全般も、きっとあんまり考えちゃいねえんだろう。マスコミとマスは、いつでも絶妙の釣り合いを保っているものだもん。「マスコミって馬鹿だよな~」って行為は、天に唾しているだけ。


 そうそう、日刊ゲンダイといえば、この前期待通りの記事を書いてくれてた。いわく「中田『五輪あたりで働けず』世界の評価ガタ落ち」だってさ。 「シドニー五輪でさえあの程度の働きしかできない。テングになってダメになった。もともとイタリアでは戦力より、話題と副業でモテていただけ。今の状態が実力通り」なんだと。あんまり予想通りの記事だったので、思わずニコニコしちまったですよ。
 野茂も渡米前や、成績が悪くなった時期には「ポンコツ」とか「日本の恥をさらすだけ」って言われてたなあ。イチローも、スランプになったら叩き放題叩かれるのだろう。くわばらくわばら。ま、彼らはせいぜい蚊に刺されたくらいにしか感じないだろうけど。

 しかし、ここまで「ダメな日本人」の典型を日刊ゲンダイさんに見せていただけると、逆に気持ちいいよね。溜飲が下がる思いってやつかもしれない。

 彼らにとって、「日本人は、世界では絶対通用しないダメ民族」なのだ。ホントは違うのにね、「日刊ゲンダイの記者およびその読者は、世界では絶対通用しないダメ人間」ってだけなのに。でもな、自分がダメって認識するより、日本人がダメって認識する方が気が楽なんだろうなあ。ため息しか出ない話だけど、これが現実。そして、日本人のかなりの部分のメンタリティは、実は「日刊ゲンダイ的」なのではないかと思うのだ。

 話は飛ぶが、今日、僕が子供時代に住んでいた市原市で、いじめが原因で中学生の女の子が自殺したというニュースが報道されていた。いじめ。なんとも「日本らしい」出来事だよな。
 絶対的価値基準を持てず、相対的な価値に流される。突出した人間を嫌い、足を引っ張る。そうなのだ、心に一本筋が通ってない、クラゲのような人々なのだ、私たち日本人というものは。常に他人と比較する事でしか、自分自身の位置を確認できない。だから、他人の幸せは己の不幸、他人の不幸は蜜の味。そして、お寒い足の引っ張り合いは、今日も続く……。


 友人のIさんが、よく僕に言う。こんな日本捨てちゃって、アメリカにでも行く方がいいんじゃねえの、って。
 いつも僕は、こう答える、んな簡単にいくわけねえじゃん、俺って、生まれてこのかた日本語で暮らし、日本語で考えてきたんだからさあ、人間は言葉を使って考えるわけでしょ、だったら日本語が使えない場所、日本語が聞こえない場所に行ったら、俺の思考はどうなっちゃうわけ? 確かに日本はナニだけど、海外に行って自分の思考が鈍ってしまうのも嫌だよなあ……、って。

 だが、なんだか最近シュルシュルだ。Iさんの言う事ももっともだよなあって、よく思う。

 ただ、やっぱり僕は日本で生きていくんだろうと思う。だから、いろいろじたばたしてるんだよな。「父母会」とか「地域活動」とか「政治」なんて、辛気臭いことに手を出しながらさ。

 あ~あ。


 さて、この1ヶ月半ほど、僕は新聞を取る事をやめていたのだが、再び購読することを決意。知人のTさんの勧めで、初めて「産経新聞」を読む事になりそうだ。そして、3ヶ月後には日経にチェンジし、その時点でまた、購読を続けるかどうか再検討しようと思う。
 新聞を読まないことで、いくつかのデメリットがあった。テレビ番組がわからないとか、チラシが入らないってのもあったのだけれど、最大のものは、自分にとって関心の薄い分野の情報が全く入らなくなってしまうって事だったなあ。
 そりゃまあ、プル型の情報収集がちゃんとできる人間ならいいんだが、こちとらズボラっつうことに関しては強い自負を持っているわけだ(って威張ってどうする!)。やっぱり、プッシュ型のメディアを持っておかないと、一気に世間に疎くなっちゃうよな。


 先週の土曜日は、ウチの子供の保育園の運動会だった。昨年、園と近隣住民との間でトラブルが起こって以来、園庭での開催が難しくなってしまったため、会場は近くの小学校だった。
 保育園から小学校までは、大人の足で徒歩5分ほど。車で行けばほんの2分ほどの距離だ。しかし、運動会にはさまざまな機材が必要。玉入れ用の籠や平均台、イスに机などを保育園から運ばなければならないのだが、当然のことながら保育士さんは全員女性。そこで昨年に引き続き、父母の中の有志が会場の設営、撤収を手伝うことになった。
 僕は撤収の方を手伝う事になった。昼過ぎに運動会が終わり、機材をバンに積んで、僕は保育士さん2人とともに車に乗りこんだ。すると、園ではとってもやさしい保育士さんが、ハンドルを握った途端に豹変。近くを自転車で通った小学生くらいの女の子に、車内から「おら~っ、邪魔なんだよ~っ!」などと毒づいてた(もちろん、車外には声は聞こえてないと思うけど)。

 いやあ、しかしハンドルを握ると正確変わる人って、ホントに多いよな。
 これって多分、運転している人の意識の中で、ハンドルを通じて自分と車が一体化しちゃってるってイメージがあるからじゃないかと思うのだ。ある意味、車と自分の体が接続され、自分自身が「拡張」されたような。

 僕は、人間の体の境界は、意外とあやふやなものだと思っている。人間の輪郭というものは、流動的でやわらかなものだ、少なくとも人間の意識の中では。だからこそ、人はキスやセックスをする。トラックに乗ると急に気が大きくなる運転手や、電車のつり革につかまれない人がいるのもそのせいなのだろう。

 コンピュータ技術、特にインターネットというものも、人間の境界を拡張できるツールのひとつだろう。人間はネットを通じて何かに接続し、それまでとは違う輪郭の存在に変わるのだろうと思う。
 だからなあ、僕は、顔も知らない人とネットを通じたコミュニケーションをすることには、どうしても腰が引けてしまう。だって、ネットを通じて触れ合う人格ってのは、その人のナマの人格とは異なる輪郭で立ち現れるものだから。知人・友人と掲示板で話すのは楽しいけど、会ったことのない人と話すのはなあ……。
 別に未知の人と話すことが楽しくないわけじゃないよ、ただ、それはやはりバーチャルな関係でしかないと思う。だって、こっちも相手も、ナマの人格とは異なる輪郭同士で話をするわけだからさあ。お互いに、そうした状況で話をしていることを認識してりゃあいいんだけどね、変に期待するのは避けようってだけなんだけどさ。


 クルーソーパソコン、いいなあ。

 出先の編集部で原稿を書く機会がたまにあるのだが、慣れない(といっても、このサイトは常にWindowsマシンで作っているし、仕事でWindowsのアプリケーションを使う機会も多いんだけど)Windowsマシンで作業をするのはストレスがたまるものだ。それに、なにしろWindowsはダサい! 使っているうちに、パワーが抜かれてしまうような気がするほどだ。だから、本当は慣れたMacOSが使えるパワーブックなりiBookが欲しい。今持っているのは、4年前に買った旧型のパワーブック(CPUが68040なんだよな……)のみ。テキストを書くだけなら使えなくはないのだが、外付けモデムなしではネットへの接続もできないし、第一バッテリーが大して持ちゃしねえ。ACアダプターは無駄にでかくて重いしなあ。
 でも、新しいパワーブックを買おうという気は起こらない。だって、例外なく重いし、高い。iBookという選択肢は値段の面では魅力だけど、あれ、仕事に使うにはちょっとアレなデザインだよねえ。特に、キーボードの色があんまりにもオモチャっぽくて嫌い。。

 そこに、クルーソーCPU内蔵パソコンの登場だ。VAIOのC1だったら、Sバッテリーで4~5時間持つらしい。仕事に使うだけでなく、MP3を電車の中で聞いたりメールチェックもしたいと思っている僕にとっては、かなり魅力の商品だ。11月に出る富士通の「LOOX」ってヤツも、安いし軽いしで結構惹かれている。
 おそらく、年末から来春にかけて、松下や東芝も同様の商品を出してくるだろう。そしたら、一番よさそうなヤツを買っちゃおうかなあ?

 最悪、MacOSのエミュレーター「FUSION」でも入れるって手があるし。うん、ちょっと楽しみだ。

2000年10月19日

産経新聞と不寛容/ナショナリズムだけではない日本サッカー

 高校の先輩Tさんに勧められ、産経新聞を取ることになった。

 初日の朝刊、1面のコラム「産経抄」は、中国の朱ヨウ(「金」偏に「容」)基首相の発言を取り上げていた。それによると、朱首相は日本記者クラブの会見で「『歴史を隠し、改ざんしようとする一部の人びと』に対し『注意を喚起する』」と述べたらしい。
 僕は、この朱首相のコメントを全部読んだわけでもないし、中国と日本の現在の外交情勢にも明るいわけではない。ただ、この部分だけを読めば、ごくごく当然のことを言っているなあという感想しか浮かんでこない。「歴史を隠し、改ざんする」という行為は、例えば「ナチによるユダヤ人虐殺はなかった」とか主張するヤツだろう。そういう歴史修正主義者ってのは、どう考えてもいけ好かない。だって、それって選民主義とか他民族の排除の正当化ってのに直結だもんな。ケツの穴小さすぎじゃない。

 ところが、コラムの筆者は、この発言に対して僕とは違う反応を示していた。論旨としては、「35年前に始まった文化大革命は、当初圧倒的に賞賛されていたが、現在では完全に否定されている。このように、歴史に絶対はなく、常に検証され書き改められる運命を持っている。また、歴史認識も、民族によって異なることは不思議でもなんでもない。だから、『日本の歴史のゆがんだ見方』をただそうと努力している人たちに、文句を言うのはおかしい」という流れになっている。

 歴史に絶対はないってのは、確かにそうだと思う。民族によって歴史認識は異なるってのも、その通りだよな。その辺のスタンスには、別に異議はない。
 だから、中国が、日本に対して「過去の出来事」に対する償いを求めるのは、当然のことだと思う。だって、50年ちょっと前、日本は中国国土に攻め入り、そこで中国人を殺した。ということは、殺された中国人がいたということで、それはすなわち、殺された中国人の家族もいたということだ。彼らのうち、まだ存命の人も多いだろう。それらの人々のために、彼らの利益をも代表しなくてはならない中国政府が行動するのは当然のことだ(だから、いわゆる北朝鮮による日本人拉致事件に対する日本政府の態度、行動は、全然なってないと思う)。
 もちろん、日本が中国の意見を取り入れるかどうかは別問題だ。それが適当な主張なのか、仮に適当であれば、どこかで日本と中国の利益の妥協点が見つけられないのか(その際には、同様の要求が今後もなされるかどうかといった点についても検討がなされるべき)を、つぶさに検討してからじゃないとね。

 で、お互いに歴史認識の食い違いを見せる二つの国が、お互いに主張をぶつけあい、互いの利益の妥協点を探すことが外交だと僕は思っているのだが、どうも産経の主張からは、「中国はけしからん、黙ってろ!」という不寛容さの匂いが立ちこめていて、それが不快なのだ。
 そのことが一番現れているのが『日本の歴史のゆがんだ見方』(どうでもいいけど、これって言葉としてはちょっとわかりづらいよね)というあたりだ。「歪んだ見方」って言葉は、「歪んでない見方」ってのがあるっていう前提でものを言ってるんだよね? 言いかえれば、正しい歴史の見方ってのと、正しくない見方ってのがあるってことだ。それ、すんげえ傲慢じゃない? 自分で「歴史認識に絶対はない」って言っときながら、でも実は、自分の歴史認識は絶対正しいって思ってるみたいに読み取れる。それってどうなん?

 朝日を読んでいた頃は、その突っ込みの浅さと思考停止のひどさが嫌で仕方なかった。産経はまだ取り始めたばかりだけど、人の意見は聞かないぞという頑なな姿勢を感じて、それがちょっと気分悪い。

 ごめんね、Tさん。でも、これが初日の正直な感想でした。


 さて、最近ナショナリズムとの関連で語られる事が多い、サッカーの日本代表の件。
 今朝、メールチェックをしたあとに、ISIZE SPORTSをチェックしたら、小野伸二の練習後のコメントが掲載されていた。「以前は前の自分に戻りたいと思っていたけど、今は戻りたいとは思わない」という一節を読んで、思わずグッと感じるものがあった。そうか、小野は戻りつつあるんだなあ。

 僕は、他の多くの日本人と同じで、Jリーグより代表戦を好んで見る。そこには、何らかのナショナリズム的感情が作用しているのかもしれない。でも、それだけではないとも思っている。
 やはり、誰もが閉塞状態を感じているのだ。しかし、サッカーの代表選手たちは、そこから突きぬけていこうとしている。それが、僕には快感だ。しかも、小野、俊輔、稲本、名波、高原、柳沢、西澤あたりが苦悩し、努力している様を、僕たちはテレビや雑誌(中でもNumberとサッカーマガジン)、新聞などのメディアを通じ、リアルタイムで見ている。そこには、単なるナショナリズムだけではない感情が生まれるのだと思うんだけどなあ。「ああ、あんなに悩んでたお前が、こんなに良くなったんだなあ!」ってな。

2000年10月23日

ドラゴンクエスト7、クリア/日刊ゲンダイは素晴らしい教師

 ドラクエ7をクリアした。
 この先ドラクエシリーズがリリースされるかどうかはわからないが、おそらく次のドラクエはプレイしないだろう。クリアしても、感動も達成感もなかった。ドラクエがつまらなくなってるのだろうし、僕もゲームが好きではなくなってきたのだろう。

 ドラクエ2は楽しかった。思い返せばあんなに面倒だった「ふっかつのじゅもん」も、必死こいて何枚もの紙切れにびっしり書きこんだものだ。一緒にプレイしていた妹と、「カギがない」とか「あのモンスターが倒せない」とか悩んでたなあ。音楽も良かった。当時はファミコンだったから、同時に出せる音はせいぜい4つとか8つくらいだったんだろう。今の携帯電話よりチープ。でも、今でもドラクエ2の音楽は口づさむことができる。それだけ印象的な曲が多かったってことだ。
 ドラクエ5は打ちひしがれた。主人公が石にされてしまったときは、一緒にプレイしていた彼女とともに、自分も固まってしまったものだ。そして、主人公の子供たちが助けに来てくれたときは、本気で「良かったあ~!」って息をついたよなあ。
 ファイナル・ファンタジーは1~7まで買ったけど、クリアしたのは3本だけ。それに比べて、ドラクエは1~6まで全てクリアしていた。ドラクエ、好きだったんだ。ところが、ところが……。

 シナリオの説得力がない、ストーリーが冗長など、ドラクエ側の問題もたくさんあった。でも、自分の側にも原因はあったよな。物理的に、「超大型ゲーム」ってのをプレイする状況ではなくなっているのだ。なにしろ、100時間も時間を費やすってのがまずキツイ(サッカーの試合なら50試合見られるぞ)。それに、学生やプー太郎の頃みたいに、1日に15時間もゲームをするってわけにもいかない。すると、プレイしているうちにテンションは落ちていき、やがて「作業」になってしまうのだ。100時間の作業、これは苦行だ。
 おまけに、インターネットには攻略情報があふれている。僕の手元にはPAR(ゲームのデータを改ざんするためのツール)もある。昔なら、ひとつの謎が解けずに、同じ街を何度も回っていたが、今は簡単に進めることができるんだよな。

 知恵のついた大人には、もうRPGは楽しめないのだろう。


 日刊ゲンダイのサイトを見ていたら、『スポーツ紙の「日本選手大モテ」のサッカー報道にどれだけウソがあるか』という記事が載っていて、思わずニヤニヤしながら読んでしまった。
 スペインリーグへのレンタル移籍が決まった西澤、ペルージャ入りが噂される中村俊輔をはじめ、何人かの日本人選手に、海外のサッカークラブからアプローチがあるらしい。しかし、日刊ゲンダイがのたまうには、それらは戦力としてではなく、「アジア人選手をひとりくらいは入れてみるか、という程度のモノ」なんだそうだ。で、結論としては、「しょせん日本人選手なんてキワモノでしかないのである」ときたもんだ。毎度のことながら、本当に笑わせてくれる、ゲンダイは。

 反面教師ってのは、本当にいろいろなことを教えてくれるもんだ。「日刊ゲンダイを『本気で』読む(あるいは書く)ような人間にはなるまい」と思うだけで、僕はずいぶんとマシな人間になれるような気がする。

2000年10月27日

産経新聞と歴史教科書

 確かに産経新聞は「ものを言う新聞」なんだなあ。朝日や読売より、ある意味刺激的ではある。

 先日、地方欄の「千葉県の中学生はこんな教科書で学んでいる」という連載を読んでいたら、「沖縄の日本人が日本軍によって殺された、あるいは死に追いやられたという記述をする教科書があるが、これはけしからん! 沖縄戦は祖国防衛戦争であったのだ」なんて記述があった。

 僕が一番嫌いなのが、こういう文章だ。具象が全く含まれていない、抽象だけでこねくり回してるだけ。きっとこの文章の書き手は、戦争の時、最前線ではなく司令部でふんぞり返っているタイプに違いない。

 確かに、沖縄戦は祖国防衛戦争と言えるのかもしれない。ただ、それは結果的にそうなっただけで、自ら「これは祖国防衛戦争だ」と意識して戦った人は、絶対に少数派のはずだ。

 例えば、僕が50数年前に沖縄にいて、戦争に巻き込まれたとする。目の前の海にはアメリカ軍の戦闘艦艇がひしめいていて上陸は時間の問題、自分たちの家族を逃がす場所はどこにもない。そんな状況になったら、普段はどれだけ平和を希求していたとしても、銃をとって戦わざるを得ないだろう。だって、そうしないと現実に自分の妻や子供や両親を守れねえんだもんねえ。
 そのとき僕は、ただ「家族を守るために」戦うのだ。断じて「国を守るために」戦ったりはしないだろう。だって、国なんて存在は、自分の想像力の範囲を超えてるもん。
 人間の想像力なんて、チンケなものだと僕は思っている。少なくとも、僕の想像力はチンケなものだ。国なんてものを等身大の存在として捉えることなんてできない。ただ、自分の家族や友人なら、なんとか認識する事ができる。
 家族や友人は、僕にとって大切なものだ。彼らの命や安全が脅かされているとしたら、そして戦うより他に彼らを救う選択肢が残されていないとしたら、僕は銃を取る事ができるだろう。でも、国なんていう曖昧模糊とした存在のために、自分の命を賭けることはできない。

 戦前の日本で、天皇や「国体」という存在がどれだけの重みを持っていたのかは、今の僕には想像がつかない。でも、多くの人の考え方は、今の僕とそれほど変わらないのではないかと想像している。人を殺すことは嫌だが、愛する家族や友人を守りたい。そのためには戦うより他に手段がない。しかし、個人で戦うことは不可能だし、集団で戦う方が家族や友人を守るという目的は達成できる可能性が高い。だから、軍に参加したり、軍をサポートする組織に協力するしかない……。恐らくはそんな考え方の人が多かったのではないかと思うのだ。

 なのに、それを「祖国防衛戦争」って術語でひとくくりにするのは、個人の視点ってものに対する想像力が欠けているとしか思えない。「あの沖縄戦では、沖縄の住民は皆、祖国を防衛するために戦っただけだ。」って物言いは、無理があると思うんだよな。また、記事中には「本土上陸を食い止めたのは沖縄の戦いのおかげだ」なんて記述もあるのだけれど、これも沖縄の人間の視点を欠いた言い方だよな。沖縄の人たちは、別に本土上陸を防ごうと思って戦ったんじゃねえだろう。ただ、沖縄が席巻されるのを防ごうと思っただけだろうよ。

 個人的には、マリアナ沖海戦で負けたときに、すでに日本が勝つ可能性はなかったと思っている(開戦前の時点で、日本が勝つ可能性などほとんどなかったとも思うが)。であれば、せめて1944年の時点で有効な休戦交渉を行っていれば、少なくとも百万人単位の人命が助かったのになあ。産経新聞って、そのあたりの事実については積極的に述べてそうな感じしないけどねえ。どうなんでしょうか。

2001年04月14日

格好の反面教師!/保育園の保護者会

 ゴールデンウイークまで、あと2週間。山積みの仕事がなかなか減っていかない。さすがに今回は、ヤバイかもしれないなあ……。


 さて、いつも僕は、3つの反面教師を持つように心がけている。そいつらが描くトライアングルの中にいれば、とりあえずヒドイことにはならないだろう、というわけ。
 で、最近利用させてもらっている反面教師が、実に素晴らしいものなのだ。それは、週刊文春の連載記事、竹内久美子の「私が、答えます」。
 文春の連載の中で僕が目を通さずに捨ててしまうのは、椎名誠のエッセイくらい(あ、林真理子もたまに飛ばしちゃう)。ナンシー関、猪瀬直樹を筆頭に、本当に粒が揃った連載陣だと思う。なのに、この竹内久美子。これがもう、群を抜いてダメな文章なのだ。一応この人、「研究者」という肩書きになっているのだが、あんまりにも粗雑な論理で自説を展開していらっしゃるんだよなあ。

 例えば、最新号(4月19日号)の記事。
 結婚して3年経ったが子供ができないという女性から、子作りの方法を聞かれた竹内氏は、こんな要領で答えている(以下の記事は僕が適当に抜粋しています。そのまんまの抜粋は著作権を犯しちゃうってのもあるけど、なによりわかりにくいんだもん。なお、※以降は僕のツッコミ)。
 「こんな有名な研究があります(※ほんとに有名なの?)。ある大学の女子寮で、ボーイフレンドと週3回以上会う寮生31人と、週1~2回かあるいは全く会っていない寮生56人について、それぞれの月経周期を調べました(え、サンプル数少なくない? それに、週1~2回会うのグループって、ボーイフレンドと全く会わないグループよりも週3回以上会うグループの方が近いんじゃないかしら……?)。すると、男とよく会っているグループのそれは28.5日、会っていないグループは30日という結果が出ました。(中略)それはおそらく、男に会うという行為によって排卵が促され、早められているいるからなのでしょう(※えっ、どうしてそういう結論になるの? 「おそらく~」って言っているからには、竹内氏の単なる推測なのでは?)。男には女性の排卵を引き起こす力があるようで、その原因は、あの男性特有の臭い匂いとしか考えようがないのです。だから、子供を作りたいなら夫はしばし風呂を我慢する事が必要なのです!(※ってむちゃくちゃな! 匂いが女性の排卵に関係があるってデータは全く示されてないし、「男の匂い」って一口に言っても、個人差デカイと思うんだけど……)。」
 とまあ、こんな感じで、とにかくツッコミどころ満載の文章が延々と続くわけだ。

 最初は唖然。でも、読みなれていくうちに、これってある意味、一流のエンタテインメントだとも思えるようになってきたのも事実。隙だらけの文章を読ませて、ツッコミを待つ。矢吹丈の「両手ブラリ戦法」を彷彿とさせる、といったら過言だろうか?(答え:過言です。)少なくとも、いつも飛ばし読みする椎名誠の駄文より、読みではあるのかもしれない。

 このページに書く文章は、あくまで覚え書きに毛の生えたレベルではあるんだけど、こうまで論理の欠けたものにはしたくない。竹内氏の文章を読むにつけ、そんなことを思うわけです。


 今日は、保育園の保護者会に出席。僕は次女のクラスの方に出席し、長女の方は妻に行ってもらった。で、僕の方の話し合いが先に終わり、長女のクラスに寄ってみると、年度末に行われる「謝恩会」についての話し合いをやっていた。
 実は、僕の妻のところには、事前に何通か手紙がきていた。いわく「去年の謝恩会はトラブルが起こって大変だったみたいです。今年は白谷さんが中心になって、早めに準備をしたらいかがですか?」だそうだ。確かに、僕と僕の妻は父母会の会長だが、だからと言って別に僕達が謝恩会を仕切らなきゃいけないってことではないだろう。ご親切に提案をしてくれるあなたがたが仕切ってくれてもいいんですよ、そんな風に言っちゃおうかと思ったりもした。
 いや、別に仕切りを担当するのは構わないのだ。しかし、父母の中にはあからさまに「『こういうこと』が好きな人にお任せいたします」って態度のヤツがいて、こいつが本当に癇に障る。別にこっちは、父母会の会長だの、謝恩会の仕切りなど、好んでやってるわけじゃないってえの。ただ、やらなきゃいけない仕事があるんなら、一定の分量はシェアしなきゃいけない、それが仁義ってもんだろうって、そう思ってるだけなんだよな。

 ところが、どうやら多くの人にとっては、そんな仁義などは守るべきものではないらしい。

 僕の中には「都市生活者のルール」ってのが存在している。たくさんの人間が集まっている場所では、お互いを不快にさせないために、最低限の決まりごとを守るべきだと考えている。だから、互いにシェアすべき仕事があるのなら、必要なパワーは割こうというのが基本的な態度だ。
 しかし現実は、「都市生活者のルール」を守らない人間の方が主流派なんだよな。彼らはやるべき仕事の存在を無視し、あるいは知らず、そのためそれをシェアするなんてことは考えもしない。「誰かやりたい人がやってください」というスタンスだ。その結果は、ルールを守る一部の人だけに負担が集中する。ふぅ、またいつも見慣れた構図だ。

 父母会活動などをやっている