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1999年09月06日

神奈川県警の不祥事と、盗聴法案/嘘をつき通す人

 神奈川県警で不祥事連発との報道。
 中でも一番気になっていたのが、女子大生を恐喝していた警官のニュースだった。だって、最初のうちは、証拠を勝手に持ち出しただけだって言ってたでしょ。なのにクビだなんて。そんなこと、「あぶない刑事」ではしょっちゅうだったじゃない。おかしいなあって思ってたんだよな。
 そしたら案の定、その証拠品で人を脅してたんだってな。実弾入りのピストルで後輩を脅した奴らもメチャメチャヤバイけど、僕としてはこの「恐喝警官」の方が怖いんだよな。
 先月の「ノート」で、オウムの警察官がいたら教団のために盗聴法案を悪用しそうでヤバイって書いたけど、別にオウム信者じゃない普通の警官だって、このぶんじゃなかなか信用し切れない。ますます不安になっちゃうよなあ、盗聴法案。
 そうそう、警察手帳を3人もなくしたって件、これもなんか裏がありそうな気がするね。へんだもん、そんなの。

 しかし、神奈川県警のエライさん(役職とか知らない)が、「結果的に嘘をついた形になった」って言ってたけど、どういうこと? これ、言葉通りに受け取ると、嘘をつく気はさらさらなかったって意味でしょ? んなわけないじゃん。新聞報道によると、、最初から嘘で押し通すつもりだったこと、バレバレだしさ。
 エイズ事件の時の厚生省とか、汚職で捕まった政治家とか、もうバレバレだって嘘でもつき通してるよね。あれって、ある意味すごいよな。良心の回路、完全に切れてるもん。
 僕にはああいう嘘のつき方、とてもマネできないなあ。

9月5日
Swatch交換/大塚家具/S君、M君と放送部OB会に

昨日買ったSwatchに、どうにも困ってしまった。デザインはいい。シンプルで、気に入っていた。でも、バンドが……。金属製で、バネ仕掛けになっており、腕に巻くとギュッときつく締め付ける感じなのだ(「フレキシブル・バンド」とか言うのだろうか?)。10分もすると、手首に跡が残るほど。
僕は、タイトな感じの服は嫌い。サイズの大きいものを、ルーズに着る方が好みだ。そんな僕にとって、バンドの跡が残るほどキツイ腕時計をはめるのは、かなりの苦行。しかも、ただでさえ腕時計なんかするの、嫌だってえのに。
そこで、昨日腕時計を買った「The Clock House」に電話。バンドのサイズを一回り大きくできないかと相談したが、そこはSwatchの正規代理店ではないので、バンドをカスタマイズすることができないのだそうだ。困っていると、店員さんが「違う時計に交換しますか」と提案してくれた。早速店に行き、別のSwatchと交換してもらう。今度は、ごく普通の革のバンドのタイプを選択。
店の方にしてみれば、僕は余計な手数をかけた客なのだが、非常に親切に対応してもらった。家に戻って彼女にその話をしたら、実は彼女(映像制作会社に勤務。流通関係のビデオやテレビ番組を作る機会も多い)、以前「The Clock House」の本社で取材をしたことがあるのだそうだ。そのときの印象は、社員教育に力を入れている、良さげな会社だというものだったらしい。なるほど、と僕も実感。


午後、家族で外出し、津田沼の大塚家具へ。ここのショールームは会員制ということで、受付で名前を登録してから中に入る。ローボードとパーソナルチェアが欲しい僕らは、1時間ほど、店員さんにいろいろ案内をしてもらった。
今、家具の業界は、大塚家具の1人勝ちらしい。家具ってのは、自分の趣味や部屋の雰囲気に合わせて慎重に選びたいもの。だから、たくさんの種類を揃えている大型店が、どうしても有利なのだそうだ。で、大型店には人が集まり、人が集まると「規模の経済」の原則が働いてコストを抑えることができ、さらに有利になる……。そんな背景があるんだってさ。確かに大塚家具、下手な通販より値段も安いし、品揃えもいい。こりゃ、中途半端なデパートの家具売り場なんかは、対抗するの大変なんだろうなあ。


夕方になって、高校時代の同級生S君と、1つ後輩のM君と合流。津田沼駅前の喫茶店で、軽くビール。
このS君、僕が友人の中で最も尊敬しているうちの1人だ。高校時代はワガママで偏狭なところもあったのだが、大学を出て電鉄会社に就職し、ホテル部門に勤務するようになってから大成長。今では、人に対して実にこまやかに気を使うんだな、彼。すると、以前は短所だった部分も、なんだか愛嬌に変わってきてなあ。つまらんギャグで周りをしらけさせても、それもまた人徳、そんな感じがするほどだ。
M君も、実にいい人だ。産婦人科医の彼は、なんだかモンゴルあたりの広大な草原(って、実際に行ったことなんてないんだけど)のような匂いの人物。普通のものさしでは計りきれないスケールを感じさせるんだよな(医学部に入る前に4浪もしちゃったりして、経歴的にもちょっと突き抜けてる)。顔もさわやか系でレベル高いし、僕みたいな友人から見ると、こんなにいい男もめったにいないと思う。けど彼、特に女性に対して、妙に自信がないんだよなあ。
あれかな、M君の場合は、スケールが大きすぎることが災いしているのかしら? スケールが大きいゆえに、女性や、そして本人も、M君の良さを認識しづらい部分があるのかもしれない。森が大きすぎるから、木しか目に入らないじゃねえのかな。

以前、まだ結婚していない知人(男性)の前で口を滑らせて、ひどく怒られたことがあったけど、でも僕の持論として、「男はイイ男の順に結婚する。女は順不同で結婚する」なんだよなあ。ただ例外があって、理系の研究職とかで女性と知り合うチャンスがなかったり、付き合う時間が取れないほど忙しい人は、その限りではない、と。少なくとも僕の周りに限っては、そんな傾向があるんだけど。
M君は、浪人時代は女性と結婚を前提に付き合うという気分ではなかっただろうし、医学部に入ってからは授業とバイトで超多忙。まさに、この例外に当てはまるわけだ。イイ男なんだよ、M君。

余談だが、結婚っていうのは自分が相手を選ぶってだけじゃなく、相手から選ばれるって側面もあるよな。だから、「イイ男から結婚する」ってのは、女性の方が結婚相手を選ぶ目がシビアだからだと思ってたりする。男の方が女より、「なんとなく」「勢いで」なんて理由で結婚するケースが多いように思いません?
そういう文脈で言うと、僕の同世代の未婚のイイ女たちが、年下の男性と付き合うのは、ちょっとわかる気がするんだよな。同世代の男って、あんまり大したヤツが残ってないんだもん(もちろん、例外はありますよ。未婚の男性の方、怒らないでね)。


18時少し前になって、S君、M君とともに津田沼駅改札へ移動。そこで、彼女と子供たちと別れ、高校時代所属していた放送部のOB会に参加することに。この会に出席するのは、おそらく7~8年ぶり。待ちあわせ場所には知った顔が見当たらず、しばらくうろうろ。
ようやく他のメンバーと合流し、飲み会の場所に移動。15~6名の参加者は学生さんが多いらしく、久しぶりの「学生飲み」の雰囲気を懐かしく感じる(つうても、僕には大学時代がほとんど欠落しているわけだが)。幹事はまだ20歳そこそこの方だったが、ちゃんと仕切れていた。しっかりしてるんだなあ、若いのに。俺が20そこらの頃って、全然ダメだったぞ。
僕はとりあえず、白ワインをデカンタで4本ほど飲んだだろうか。すこし酔いが回ってはいたが、途中、自己紹介やらなにやらで多少の笑いを取ることに成功。あとは、近くにいた先輩などを相手に、おとなしく話をする。
2時間あまり飲んだ後、2次会(先行してビールを飲んでいた僕らにとっては3次会なのだが)のカラオケ屋に移動。ひとしきり歌った後、解散。徹夜で飲むというノリではなく、すぐに駅に向かって帰路に就く。
別に不満があったわけじゃないが、やっぱりこういう飲み会って同級生や1歳くらい年上、年下の連中がもっといたほうが楽しいんだろうなあ。今回も事前に多少声をかけてはみたのだが、皆忙しくて参加できなかった。合いたい人もいるし、次回はもう少しなんとかしようかなあ、などと思いながら総武線で帰る。

9月4日
腕時計購入

腕時計を買った。
1年ほど前にGショックが壊れてから、ずっと時計を持たない暮らしをしていた。これが結構、どうにかなってしまうのだ。外出先で時間を知りたいときは、携帯電話や駅などの時計を見ればいい。取材中に時間を知りたい場合も、取材先の置時計や同行している編集者の腕時計を覗きこめば、大概の場合は事足りる。
家の中で仕事をしているときは、当然のことながら新しい時計を買う必要などない。と言うより、僕は時計に囲まれて生活しているようなものだ。2台のパソコン、2台の電話、2台のテレビ、携帯電話、MDコンポ、目覚し時計、壁掛け時計、炊飯器、電子レンジ、エアコン……。狭い自宅のどこに行っても、時間が表示されている。ったく、誰も聞いちゃいないってのにさ。

腕時計を着けて歩くことって、時間に、そして時間にパンクチュアルであることを要求する社会に縛られているような気がするのだ。もちろん、僕も社会の中で生きている以上、社会のルールは守る。アポの時間も、ほとんど違えたことがない(締め切りの時間は、多少は守れなかったことはあるんだけど……。すいません、編集者やデザイナーや校正さんや、その他の皆様)。でも、だからこそ、時間を守るっていうルールから、少しでも自由でありたいと思ったりもするわけだ。時間というパブリックプレッシャーから、少しでも離れたところで暮らしたいなんて考えるわけだ。

でも、最近、腕時計を持たずに取材をして、隣の編集者に「今何時ですか?」と聞くことが続いた。1人は、ずっと昔から仕事をしている人で、僕のことも良くわかってくれているので、特に反応もなかった。でも、もう1人は今年になってから一緒に仕事をするようになった人。彼女、気持ちのいい人で、僕が時計を持たない話をしたら、「ああ、じゃあ私の時計をテーブルの上に置いておきましょうか」なんて気を使ってくれたりした。
でも、付き合いの浅い人に、そんなに気をまわしてもらうのって、なんだかプロとしてはなってないよなあ。僕が「時計は持たない」という主義を持つことはは結構だけれど、それによって人に余計な気を使わせるのって、どうなんだ? そんな風に反省。しかも、彼女との次の仕事は、かなり取材時間が制限されていて、タイトなスケジュールでインタビューをしなくちゃダメらしい。
そんなこんなで、買いました、シルバーのSwatch。近所の「The Clock House」という時計屋で。買ってすぐ、腕にはめてみると、なんだか妙な違和感。何しろ、腕時計なんて1年ぶりだからなあ。腕が締め付けられるし、重い。

しかしなあ、原始人ってのは1日4~5時間しか働かなかったって話、聞いたことあるぞ。ホントかどうかは知らないけどさ。でもさ、ホントは人間って、もっと労働時間短くても生きていけるんじゃないかしら? 1日に8時間も10時間も働く動物、人間以外にいるのかね?
そういう意味では、腕時計を持つ必要のない生活ってのは、やはりまだ、僕の理想なのだ。ついでに、ネクタイもせず、携帯も持たず、名刺も持たずに生きていけるといいなあ。今のところ、実現できているのはノーネクタイだけだが。

9月2日
理想の女性像、男性像

高校時代の友人を中心にしたメンバーで、小さなメーリングリストを作っているのだが、そこでのメールをきっかけに、自分はどんな人間になりたいのかちょっと考え込んでしまった。

僕が、村上龍が編集長を務めているメールマガジン「JMM」を、他のメンバーに紹介したのが、きっかけだった。そのメルマガの中に、SM譲と村上龍が交換メールをするというコーナーがあるのだが、たまたまその回のテーマが「御上」だったのだ。で、そのSM譲の書いていることが僕の考えていることと似通っていたため、そのメーリングリストのメンバーに、読んでみてよって紹介したというわけ。
すると、その中の1人が件のSM譲を、「『インテリ』で『娼婦』で『お嬢様』という古典的には相容れない要素を、単に兼ね備えているだけでなくそれぞれ最大級に持っている」と評していた。なるほど、確かにこのSM譲、そうかも知れない。
これって、一種の理想像だよな、男にとっても女にとっても。そう言えば、昔の銀座のホステスさんって、そういう感じだったってよく聞く。水商売でありながら、作家や一流企業の経営者など並み居るインテリ達を相手にして会話を弾ませ、もちろん容姿も抜群って女性が多かったそうな。今ならそういう女性は、アナウンサーになってもスチュワーデスになっても一般企業で出世を目指してもいいのだろうけど、女性の社会進出が制限されていた時代は銀座に出るくらいしか選択肢がなかったらしいから。
それはともかく、この「インテリ」で「娼婦」で「お嬢様」ってのが、オールマイティな女性の理想像だとしたら、僕の理想の男ってのは「オールマイティな男性」だったりするわけだ。例えば、「レイダース」のインディ・ジョーンズとか、「Master キートン」の平賀キートンみたいな、深い知性、幅広い知識、ずば抜けた体力、堅固な正義感があって、しかも遊び心や冒険心、ナイーブさも持ち合わせている男。
で、僕はそういう風になりたくはあるのだが、とりあえず体力部門はツライよな。喧嘩、弱いから(酒が入ると強くなったりするらしいのだが)。知性っつうのもあんまり自信ないし。なので、幅広い知識なんていう方向で勝負しようかな、なんて思ってたりするわけです。
ライターという商売をやっていく上では、「1つの分野に強くなれ、専門を持て」ってのが鉄則。ゼネラリストではなく、スペシャリストになれつうことだわな。でも、僕は、あらゆる分野のものごとについて知っておきたい。そして、そんな僕が生きる道が、きっとどこかにあるはずだ、そんな風に思っている。
松尾芭蕉「幻住庵記」の、僕の大好きな文句、「終に無能無才にして此一筋につながる」のように、寄り道しながら歩いている道が、いずれはどこかにつながってくれれば。まるでナスカの地上絵みたいに、歩き終わった後に俯瞰で見てみたら、何らかの僕らしい絵を描いていたということになってくれれば。

9月1日
正式オープンから2ヶ月

仮オープンから約4ヶ月、正式オープンからはちょうど2ヶ月。ホントは「僕が政治に目覚めた理由」とか「政策」なんてコーナーの文章を、どんどん書いていかなきゃいけないなあと思ってはいるのだが、僕はもともと筆不精なライター。しかも、このサイトには締め切りがないときてる。そんなわけで、なかなかコンテンツが充実しないのだな、これが。
ま、「長期無計画」でいこう。別に焦る必要はないし。思いついたこと、書きたいことを自由に書けばいいわけだしさ。そうだなあ、来年の春くらいには、このサイトのURLを名刺に書きこめるくらい充実してたらいいなあ、って、充実させるのは俺なのだが。

1999年10月01日

東海村の放射能漏れ事故/Iさんと新宿で飲み

 テレビで見た限り、少なくとも2人の専門家が「この種類の事故は起こってはならないこと」だと言っていた。東海村の放射能漏れ事故。

 でも、科学者や技術者たちがどんなに細心の注意を払って施設を作り、作業をしても、事故は起きる。だって、そうした施設を実際に動かしているのは、最終的には人間。そして、人はミスをする動物だもん。どんなに努力をしても、「起こってはならない」事故や「考えられない」事故を防ぐことはできっこない。

 しかし、東海村の人々、冷静だったよなあ。少なくともテレビの報道を見る限りでは、原子力施設の管理主体(「JCO」だったっけ?)の担当者などにつかみかかったりする人は見当たらなかったから。僕なんかは、絶対に、ひと暴れくらいしたい気分になると思う。だって、自分や家族の健康、命が脅かされてるかもしれないわけだから。
 放射能って目に見えないから、自分がどの程度危険なのかは、JCOやら科学技術庁やらの担当者の言葉以外に知るすべもない。ところが、この人たち、なかなか信頼できそうにないじゃない。だってさあ、よくわかんないけどさ、「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が起こったときも、彼ら(って全く同じ人たちではないだろうけど。でも、彼らが「もんじゅ」の人たちと違うメンタリティを持ってるって保証は、どこにもない)はとにかく自分たちのメンツや立場を優先したからな。作業員や地域の住民の安全とか、彼らを安心させるために情報を開示することなんて全然考えてなかった。
 今回も、そんな感じ、あるでしょ。事故が起こった場合は、すぐに茨城県などの自治体に連絡を入れるって約束になっていたのに、実際に連絡があったのは事故から1時間も過ぎてから。最初は、被曝した人は3人ってことになってたのに、深夜3時の今は21人に増えてる。本来は2.4キロまでのウランしか入れてはいけないことになっていた容器に、16キロものウランを注入したのが事故の原因だって言われてるらしいけど、じゃあなんでそんなことをしたのか、その辺の事情もオープンになってない。そんな状況で、彼らを信じろって方が無理だと僕なんかは思うんだよな。
 でも、報道を見る限りでは、現場周辺は比較的冷静なようだ。なぜなんだろう? 自分たちに害を与えた奴らが、どうして事故が起こったのか、自分たちは安全なのか、これからどうなるのかという情報を十分に与えてくれているとは思えないのに、どうして……? そう言えば、大蔵省がバカな政策をかまして膨大な公的資金を国民から巻き上げたときも、厚生省がエイズに関する情報を隠して自分たちの保身を優先したときも、似たような状況だったんじゃないのか?

 いや、みんな、絶対に暴れたい気分なんだと思うんだよな。不安で不安で、叫びたいような人も多いに違いない。ところが、そこで暴れないのが、日本人、少なくとも現代の日本人なのだ。
 それは、ある意味では日本人の長所なんだと思う。例えば、阪神大震災のときは大きな混乱も略奪も暴力も発生せず、外国のメディアからは驚かれた。日本人は、廃墟の中でも秩序を忘れない、と。どんなにひどい状況に追いこまれても冷静でいられるのはすばらしいことだと思う。ただ、どんな状況でも権力や、情報に従順でいるということは、それは美徳ではないだろう……。

 今危険にさらされているのは、原子力施設を設計した人や、茨城県に設置することを決めた人たちの健康ではない。あくまで、近隣の人々の健康と財産と命なのだ。もっと彼らが、大きな声を出してもいいと思うんだけどなあ……、ってちょっと広瀬隆みたいだが。


 17時に取材を終えた後、新宿でライターのIさんと飲み。サザンテラスのオープンテラスの店で「ギネス」を飲んだ後、東口の焼き鳥屋で日本酒、ひと歩きしてからもう一度サザンテラスでワイン。
 このIさん、ホントにユニークな視点を持っている人なのだ。友人・知人だけでなく、僕が知っている作家やエッセイストまで話を広げてみても、Iさんくらい刺激的な視点を投げかけてくれる人はあまりいない。少なくとも僕にとっては。特に、彼にサッカーと文化、特に日本文化のグダグダ加減を語らせたら、天下一品。
 ところが、今はIさんがサッカーに関する文章を書く場所が、あんまりないんだよなあ。もったいないことだ。
 とりあえず、ウェブ上に掲示板を作って、そこでサッカーの話をしようよと約束して別れる。

1999年10月03日

JCOの「裏マニュアル」の存在が明らかに/東海村住民が冷静な理由は?

 JCOが「裏マニュアル」を作り、国の承認を受けていない手順で作業を行っていたことが発覚。
 この報道を見たときは、さほどの驚きはなかった。むしろ、「やっぱりな」という感じ。全国に、原子力発電所や核燃料の処理工場、その他関連施設がいくつあるのかは知らないが、賭けてもいい、こうしたふざけた作業を行っているところは、東海村のJCOだけではないはずだ。他にもたくさんの、臨界状態寸前の事例があるのは間違いない。
 人間ってのは、楽することばかり考えている動物だ。自分を見てれば、そんなことは否応なくわかる。
 最初は、核燃料を扱うということに対して、強い緊張があるのは当然だ。ところが、同じ作業を何年も続ければ、いつしか当初の緊張感は薄れ、怠惰と安逸に流れることになる。危険性よりも、作業効率を優先するようになる。「一昨日も昨日も事故なんて起きなかった。今日もきっと大丈夫だろう。えいっ、いいや適当にやっちゃえ」ってことになる。

こ ういう施設の責任者の常套句って、「ここは絶対に安全です」なんだよな。でも、そんなことは「絶対」にありえない。だって、作業するのは人間なんだから。どんなに完璧なマニュアルを作っても、いくら高性能なコンピュータを導入しても、それらを作り、それらを使うのは人間なんだから。そして、人間は、「絶対」なんて言葉とは、遠くかけ離れた存在なんだから。

 いつかは、事故が起きるのだ。
 それがすべての前提だ。

 一昨日の「ノート」では書かなかったが、どうして東海村の住民が比較的冷静なのか、その理由として想像できるものが1つある。それは、彼らがリスクに対する見返りを、あらかじめ得ていたということだ。つまり、金をばら撒かれていたってこと。

 人間の行動は、「得失」というものさしによって決められている部分が多い。ちょっと前に、「幸福の条件」っつう映画があったよなあ。ダンディな大金持ちから「100万ドルあげるから、1晩だけ俺の女になれ」と誘われた夫婦の話。あれと基本は同じだ。
 もし、大金持ちから提示された額が1万ドルだったら、あの夫婦はそんなバカな提案に耳を貸さなかっただろう。でも、10万ドルだったらどうだったろうか? おそらく、少しは悩んだうえで、拒否したと思う。ところが、それが20万ドルだったら、あるいは30万ドルなら? 50万ドルだったら拒否してただろうか? どこかに、拒否と受諾の臨界点が存在するのだ(そして、それはまさしく100万ドルだったのかもしれない)。
 僕が東海村に住んでいたら、きっとそんな風だっただろう。核燃料の関連施設が作られるということに対して、イヤだなあと思う。ところが、住民に対して支払われる補償金だとか、住民に対する就職先の提供とか、そんなものも提示される。で、核というもののもたらすリスクと、施設がもたらす利益を天秤にかけて、反対か賛成か態度を決めるのだ。
 だから、東海村の住民は、10年以上前に施設の受け入れを決意したときから、こうした事故が起こるリスクに関して考え抜いていたのかもしれない。考え抜き、受け入れたということは、リスクに関してある程度の覚悟はできていたのだろう。だからこそ、今回比較的冷静でいられたのかもしれないのかな、と。

 ところで、「幸福の条件」の大金持ち役って、確かロバート・レッドフォードだったよな。これが佐藤蛾次郎だったら、200万ドルでもどうだったか。それもまた、「得失」のうち。
 東海村の住民にとって、JCOはレッドフォードだと思っていたら、実は蛾次郎がお面をかぶっていただけだったと、そういうことなのかも。うん、そりゃ文句の一つも言いたくなるわな。

1999年10月06日

服をたためること/2000円札発行

 今朝は、長女には長袖の服を着せて保育園に行った。ところが、午前中は園庭で運動会の練習があるということで、保育園で半袖に着替えることに。
 僕が「登園簿」に時間を書きこんだりしているうちに、長女は自分で着替えをしていた。ふと見ると、長女は何も言われないのに、長袖の服をキレイにたたんでロッカーに入れている。ちょっと感動した。
 小学校に入学したとき、保育園出身の子供と、幼稚園出身の子供は、すぐに見分けがつくのだそうだ。字を上手に読めるのが幼稚園の子供、服を上手にたためるのが保育園の子供。ホント、その通りだなあ。
 僕は服をたためる子供のほうがエライと思っているので、長女の姿を見て、嬉しかった。


 ところで、来年から2000円札を発行するって、政府が言い出したらしいな。おいおい、2000円札って必要か? 絶対そんなことないと思うぞ。むしろ、2000円札のせいで不便になることの方が多いだろう。使うほうも混乱するし、レジや自動販売機やキャッシュディスペンサーや、いろんな機械を作りなおさなきゃいけない。
 一体誰がそんなことを考え、誰が言い出したんだろうか? 西暦2000年だから2000円札だなんて、そんな愚にもつかない洒落はやめて欲しいよ。新札発行にかかるコストを、別のところに回してくれっての。

1999年10月25日

父母会に対する徒労感/「幼児虐待当事者」のホームページと、虐待する親の孤独

 朝、子供たちを保育園に連れていった際に、園長先生としばらく話しこむ。例の、保育園が抱えているトラブルに関する件だ。
 事件が起こってから約3ヶ月、父母がそのことを知ってから1ヶ月半が経過。状況は、あまり芳しくない。
このところ痛感しているのが、この事件に関するいろいろな人々の体温の差だ。一番体温が高い(つまり、当事者意識が強い)のは、保育園の園長先生と、直接トラブルに巻き込まれた保育士さん、そして一部の父母。それに対し、大部分の父母や、トラブルを直接体験していない保育士さん、市役所の保育課の職員、それぞれの体温は微妙に違っているのだ。
 僕としては、自分の子供の安全は自分で守らなきゃ仕方がないと思っている。で、保育課の職員や警察の人々が、こうした問題に対して体温が低いのは、ある程度仕方がないかなとも思う(だって、安全を脅かされているのは自分の子供じゃないもん)。でも、父母の大部分が、こんな反応しかしないとは思ってなかった……。
 ここ数週間、僕としてはいろいろとやったつもり。ウェブサイトを立ち上げたり、1週間に3度は園長先生と会って情報を交換したり、緊急の父母会を開いたり。でも、熱意を持って動いている父母はホントに一部だけで、あとの人たちは傍観しているだけ。また、熱心な人にしても、自分が中心になって行動を起こすことには尻込みしている現実。
 結局、いろいろと骨を折っているのは、いつものメンバー。全員の利益のために、一部の人間が負担を背負い込むという構図は相変わらずだ。おっかしいよなあ。
 みんなの利益を守るためなの行動なのに、協力しようと腰をあげるのはごく一部。協力しようと言ってくれる人数が少ないから、その人にかかる負担は大きくなる。負担が大きいから、誰もが協力したくなくなる。そして、協力する人はさらに減る。
 悪循環は止まらない。
 なんだか、今、少し徒労感を覚えているのだ。


 「幼児虐待当事者による幼児虐待の記録」というホームページのニュースが、朝日新聞の朝刊に載っていた。朝10時の時点でアクセスしてみたら、Forbidden状態。既にジオシティーズのサーパーから削除されてしまったようだ。

 夜になって、件のホームページが海外のサーバーで公開されているという話を聞く。早速、掲示板などの情報を頼りに、そのページを閲覧してみた。
 そうまでしてこのページを見たいと思った理由は、1つは、単純に興味があったから(ほとんど「のぞき趣味」に近い。お恥ずかしい)。
 もう1つは、幼児虐待をする人間の環境と心理っていうものは、果たしてどんなものなのか知りたかったからだ。

 僕は、子供を虐待する親の気持ちは、少しはわかるような気がしている。僕も子供と一緒にいて、「しんどい」と思うことがたくさんあるからだ。こちらは大人、子供が楽しいと思う遊びは、僕にとってはちっとも楽しくない。特に、仕事をたくさん抱えて心が重~くなってるときや、体調が悪いときなど、子供と長時間付き合うのは、正直苦役に近かったりもする。
 特に、長女が1歳になり、彼女の育児休暇が終わって職場復帰してから、長女との間に言葉によるコミュニケーションが成り立つようになった1歳10ヶ月目くらいまでは辛かったな。長女が泣いて、オムツを替えても、ミルクや食事をやっても泣きやまなくって、眠いのかと思い、抱っこして歌を唄いながらゆすってやったらバタバタと暴れてさらに泣いて、イライラしながらも優しく言い聞かせたらさらに泣いて、カチンと来て大きな声で「泣くな!」と言ったらさらに大泣きになって……、なんて時は、ホントに途方に暮れちゃうもんなあ。機嫌の悪いときは、そのまま部屋に閉じ込めてしまおうかと思ったりするもん。ま、しないんだけどさ。でも、ネグレクトしちゃおうって気持ちは良くわかる。

 長女が1歳過ぎだったころに比べれば、現在1歳6ヶ月の次女の面倒を見る方が全然楽だ。というのも、今は長女がいるから。子供と1対1で向き合わなきゃ行けないという状況ではないから。次女が言うことを聞かずに泣きとおしていても、長女と「はるかちゃん(次女)、なかなか泣き止まないねえ」「どうして泣いてるんだろうねえ」などと話すことで、ずいぶん楽になる。ストレスの逃げ場があるのだ。
 長女と2人だけのときは、そうではなかった。お互いにまっすぐ向き合って、ストレスを逃がす場所がなかったのだ。自然イライラも昂じて、思わず手を出してしまったこともあった。

 最初のデートとかでも同じだよな。お互いにシャイな高校生とかが、いきなり面と向かって話をしようとしても気詰まりになったりするもん。まずは映画みたいに、互いの視線が平行になる場所に行くでしょ。
  男         女
  ↓         ↓
  ↓         ↓
  映画館のスクリーン

 続いて、ウインドウショッピングとかオープンエアの喫茶店とかに行って、視線を少しクロスさせる。
  男         女
   \       /
     \   /
   ショーウインドウ
もしくは喫茶店の外の景色

 で、心理的な距離が十分に縮まったら、そこで初めて向き合ってみるってな流れがいいのじゃあないか、と。

  男→→喫茶店のテーブル←←女

 子供を育てる際にも、同じようなことがあるのではないかと、僕は思ったりするのだ。子供と1対1で、真正面から向き合うだけでは、いずれしんどくなる。でも、そこに第三者が存在すれば、辛さの度合いはグッと減ると思うのだ。
つまり、
  親→→→←←←子供
という関係よりは、
  親→→→←←←子供
   \       /
     \   /
      第三者
というような関係の方が、親のストレスは(おそらく子供のストレスも)大幅に軽減されるのではないかなあ。

 なので、僕は経験的に、幼児虐待が起こる原因の一つはその親が孤立しているからではないかと思うわけだ。だから、件のホームページには興味があった。どんな環境に置かれた人間が、虐待をしているのかを見てみたいと思ったのだ。
 で、見てみました。
 ……これはひどいね。もし、ここに書かれていることが事実だとしたら、この女性(本当に女性かどうか、わかったもんじゃないけど)は刑事告訴されるべきだろう。また、こういう環境で育てられた子供が、将来どんなふうになってしまうのかを考えると、胸が詰まる思いがする。
 このホームページは、ホントなのか嘘なのかわからんけど、でもおそらく、こういう風に子供を育てている(「育てる」という言葉が、そもそも違うっつう話もあるが)親は、世の中にたくさんいるのだろう。
 何ヶ月か前のニュースで、ここ5年間で虐待によって死んだ子供は26名(日経の記事だったと思う)だと言っていた。当たり前のことだが、これは氷山の一角に過ぎない。虐待で死んだ子供はもっと多いだろうし、死なないまでも虐待された子供はもっともっと多いはずだ。

 おそらく、虐待を加えている親のかなりの部分が、社会的に孤立した形での子育てを余儀なくされているのではないかと、僕は想像している。そして、彼らの孤独をなんらかの形で解消しなければ、幼児虐待は今後増えていってしまうのではと危惧している。

1999年11月05日

東大野球部の女性投手

 東京大学野球部の女性ピッチャーが、新人戦に登板したという話題がテレビやラジオでたくさん流されていた。なんだかちょっと、かわいそうな感じだったなあ。
 彼女が投げたのは、全部で6球。すべてがストレートだったそうだ。で、結果は1人のバッターに対して、2-3からのフォアボール。これで交代。
 テレビで彼女のピッチングを見たが、リトルリーグレベルという感じ(もちろん、トップクラスの小学生、例えば小学時代の松坂大輔とかには全く及ばない)。スピードは、最速で104km/hしかでてなかったっていうしなあ。俺が投げた方が速いぞ。東大野球部のレベルがどれほど低いかは知らないが、また、新人戦がどれほどのレベルかも知らないが、でも、さすがに最速104km/hのピッチャーが登板できるってほどレベルが低いことはないだろう。おそらく、彼女以外の野手全員が、104km/h以上の球を投げられるに違いない。
 とにかく、彼女は女性であるがゆえに、新人戦での登板機会を与えられたわけだ。これって、彼女にとっては、逆に辛いことなんじゃないだろうか? 彼女は、女性だけで編成されている野球チームではなく、あえて普通の野球部に入部した。つまり、男性のチームメイトと同じスタートラインに立って、ライバルと実力を競うことを選んだわけだよなあ。なのに、「女性であるがゆえ」に試合に出ることができたというのは、いかにも辛そうに思えるのだが……。

 しかも、マスコミが大々的に取り上げちゃうし。女性ピッチャーが投げることって、そんなに大したニュースか? そりゃあ、これまで大学(しかも六大学)の野球部で女性ピッチャーが投げたなんてこと、あんまりなかっただろうけどさ、でもなあ。
 僕なんかは、女性が女性であるがゆえに特別なチャンスを得るってことは、あまり気持ちのいいこととは思わないし、それ以上に、そのことをマスコミが大きく取りあげるってことは不愉快だ。だって、それは男性に対する逆差別だと思うし、逆に女性に対しても、なんだかバカにしているような気がするもん。

 まあ、彼女が試合に出られたのは、新人戦だからなのだろう。現在のようなピッチングをする限り、リーグ戦などの公式戦(新人戦も、まあ一種の公式戦だとは思うけど)に登板することはないだろうと思う。だってなあ、絶対通用しない、っていうか、全然レベルが違うんだもん。それとも、実は東大って、野球部員が12~3人くらいしかいなくて、彼女が投げないとどうしようもないとか……。でも、彼女が投げたら、いつ試合が終わるかわかんないしなあ。

 って言ってるうちに、なんとその彼女が水原勇気みたいになったりすると、それはそれで面白いけどなあ。

1999年11月11日

「1並び」で券売機がパンク

 今日は、平成11年の11月11日。ニュースでは、11時11分に切符を買う人が集中して、JRの券売機がパンクしたという話も伝えられていた。ご苦労なことだ。
 僕自身、あまりこういうことにこだわりがないんだよなあ。だから、例えばもうすぐ21世紀だとか言われても、だからどうしたって感想しか出てこないし。イスラム歴でも皇紀でも、別に特別な年がやってくるってわけでもないんでしょ? 僕、クリスチャンじゃないもん、2000年とか2001年がやってきたって、別に、ねえ。

 相変わらずの腰痛。さっき友達に、「U2ならぬ、YOU2の日々」なんて、頭の悪い表題のメールを送ってしまい、後悔。
 そう言えば、ICU(集中治療室、だったっけ?)ってあるでしょ、あれって、「I see you」を洒落てるんだと思うんだけどなあ。違うのかなあ?

 相変わらずヒマなので、昼過ぎに書店に向かう。しかし、今日も本を欲しいと思えなかった。仕方なく、Numberの最新号と、「ゴリラーマン」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)を1巻から4巻まで買ってきて読む。

 しかし、工藤って本当に巨人に行くのかなあ? それだけは避けて欲しいのだが……。この際贅沢は言わない、名古屋でも許すぞ。ま、僕が許したところで、どうにもならんのだが。

1999年11月17日

就職率が史上最悪……大学の学費を大幅アップせよ/CGIでパスワードを設定/朝顔/しし座流星群は不発

 大学生、高校生の就職率が、史上最悪なのだそうだ。で、労相か誰かが、日経連だかどこかに「求人を増やしてくれ」ってお願いに行ったんだと。
 なんともまあ、間の抜けた話だ。
 だってさあ、お願いされた企業側が「そうですね、じゃあ求人を増やしましょう」なんて返事、するわけないじゃない。どの企業だって、長年勤めてきた社員をどんどん首切りしている状況なのにさ。ここで、新入社員を山ほど採用したって、せっかく切り下げた人件費がまた増えるだけ。大臣だかなんだか知らないが、そんなお願い聞いてらんないっての。
 企業に属する社員のうち、2割が優秀な幹部候補、6割がごく普通の社員で、残りの2割はダメ社員と仮定すると、今の企業は幹部候補の2割だけを残そうと考えているのだと思う。普通の社員は、外注(アウトソーシングなんて気取ってもいいけど)と派遣社員に置き換え、2割のダメ社員は早いところ辞めてもらおう、と。こんな状況で、従来のように大学生の9割が就職できるというわけがない。だって、彼らは専門知識も、経験も持ち合わせていないんだから。
 そんな中、労相のおねだり。ホントに間が抜けてる。もっと他にやることはあるだろうと思うけどなあ。

 大学生もかわいそうだよな。だって、社会ですぐに役立てられる知識や能力を、大学では身につけられないんだもん。ま、僕自身大学にはほとんど行かなかったから、良くわかんないんだけどさ。
 大体が、大学の授業料は安すぎると思うんだよな。例えば、国立大学の学費を、1年間500万円くらいにするってのはどうだい? あるいは、今、大学卒業に必要な単位数ってのは124単位だったよねえ? だったら、1単位取得するのに50万円くらい必要だとか。あくまで後納で。学生数も、今の半分とか4分の1くらいにしちゃう。
 でね、単位取得の際にA評価をもらったら、その単位の受講料はタダになる。B評価だったら45万円の補助が出て、学生が支払うのは5万円。C評価なら35万円の補助が出て15万円を支払い、D評価なら全額支払うというルールにする。そうすると、すべての科目でA評価をもらえるような優秀な学生は、無料で大学を卒業できる。一方、学業に対してそれほど熱意のない学生はどんどん受講料が膨らむので、まず大学を辞めていく。
 ただし、リタイアした学生にもチャンスを与えるために、単位互換を大幅に認めることにする。そして、その学生にとってもっと興味の持てる学部や、あるいは多少レベルの低い大学に移って、勉強を続けることができるシステムを用意する。
 そうしたリタイア組の学生の大部分は、専門性の高い、「ウリ」を持っている私立大学に進むようになるだろう。従来の大学を出ても、就職できるだけのスキルは身につかないのだから、職業教育に力を注いでいる大学はきっと学生たちに注目されるはず。「ビジネススクール」や「ロースクール」のように特化した大学が、今ののんべんだらりとした大学に取って代わるはずだ。
 国立大学にしても、授業料が年間500万円になったら、くだらない授業なんてやってらんないと思うんだよね。だって、高い授業料払って、つまんない講義しか聴けないのなら、学生もタコ怒りになっちゃうもん。それに、仮にA評価を連発して学生たちの受講料を安くしてくれる「良心的」な大学があったとしても、その大学の卒業生って企業からの評価は低いだろうし。「あそこの大学から、A評価ばかりの学生を取ったけど、見掛け倒しで全然使えなかった」なんて風評が広がれば、その大学の人気(企業からも、学生からも)はがた落ちだろうし。


 子供たちが通っている保育園のホームページを、僕は作っているのだが、その中のあるページにパスワードを設定した。CGIのフリースクリプトをダウンロードして、サーバーにアップしたのだが、なんだかいろいろ試行錯誤してしまった。努力の甲斐あって、なんとか設定は終了。疲れたあ。


 ベランダに置いてるプランターの朝顔が、ようやく枯れた。つい1~2週間前までは、思い出したように花を咲かせていたのだが。しかし、朝顔って、こんなに秋が深くなっても咲くものなんだなあ。なんとなく、夏いっぱいで終わりのように思っていたのだが。


 しし座流星群を見ようと思ったが、今年は天気が悪くてダメだった。去年は1時間で5~6個の流れ星を見られたのになあ。

1999年11月19日

朝焼け/児童虐待/ドラクエ発売延期

 朝の6時、眠っている子供たちの布団を直しながら、ふと窓の外を見ると、きれいな朝焼けが見えた。
僕には人に誇れるようなものはほとんどないが、朝焼けを見た回数に関してはきっとどの友達にも負けないだろうと、ひそかに自負している。ま、僕たちが歳をとって、同世代の連中が皆、朝早~く起きるのが当たり前になっちゃったりしたら、そうもいかないんだろうけど。

 高校時代からこっち、朝焼けを見る機会は多かった。何しろ僕は完全な夜型。朝の10時頃に布団に入り、夕方のドラマの再放送か、ニュース番組を眺めながら目を覚ますというのが、一番快調な生活リズムなのだ。だから、ラジオの深夜放送を聞いたり、グダグダと本を読んだしゲームをしながら長い夜を過ごした後、東の空が明けていくのを何度も眺めてきたもんだ。ボーっとした目と頭で、徐々に輝きを増していく空を、孤独に、誇らしく、無力感にさいなまれ、突き上げる衝動を抑えながら眺めてきたもんだ。

 朝焼けと夕焼けは、僕にとっては全く違うものだ。朝焼けを見るとき、僕は夕焼けの百倍も、胸の潰れる思いがする。闇の中で、緑とオレンジのかすかな光が交差し、ゆらぎ、広がっていくのを見るのは、決して飽きることがない。低い雲が、まだ顔を見せない陽の光を浴びて、炭火のように燃えながら流れていくのを見るのが好きだ。

 大人になっても、相変わらず朝焼けを見る僕だ。願わくば、これからも。


 厚生省によると、昨年度の児童虐待による死亡は41人なのだそうだ。「一時保護」の措置は2053件に上るという。
 この数字、当たり前だが氷山の一角に過ぎないのだろうなあ。「児童への虐待を発見した学校の57%が児童相談所などへの連絡をしていない」(1998.12.21付け毎日新聞)という報道もあるし、母親の10人に1人が虐待経験ありという報道を見た記憶もある。
 児童虐待って、多分外からは見えづらいものなんだよな。だって、家庭は社会から孤立しているし、その中で子供は無力だから。子供が苦しんでいる声は、なかなか周りの人間にはとどかないものなんだろう。
 僕の子供たちが通っている保育園でも、園児以外への子育て支援を行うべく、いろいろな努力をしている。保育園でもいい、町内会やサークルでもいい、何らかのネットワークが孤立しがちな家庭をつなぎとめて、その息苦しさを解放してやれたらいいのに。そうすれば、41人(実際にはもっと多いのだろう)の子供たちも、死なずに済んだだろうに。


 12月29日に発売予定だった「ドラクエ7」が、来年1月か2月に発売延期となった。
 子供が生まれてからは、正月は僕と彼女の実家巡りという過ごし方になっていたのだが、今年は2000年問題を警戒して、三が日くらいは自宅で過ごそうと思っていたのだ。で、当然、ドラクエ三昧という目論見だったのだが……。仕方ない、まだ手に入れてない「トルネコ2」でもやろうかなあ。
 世の中には「FF派」と「ドラクエ派」が存在するが、僕は圧倒的にドラクエ派だ。なにしろ、FFシリーズでクリアしたのは、3と7くらい。一応、1~7までは買ったんだけどなあ(8はもう、「どうせ途中で放棄するに決まってる」と諦めていた)。一方、ドラクエの方は1~6まですべてクリア。特に、ドラクエ2あたりはホントに楽しませてもらったと思う。「ふっかつのじゅもん」をメモした紙が、当時の僕の部屋には山ほどあったものだ。

 「ゼビウス」「ファミスタ」「ゼルダの伝説」「さんまの名探偵」「ベストプレープロ野球」「テクモスーパーボウル」「ダービースタリオン」「信長の野望」「シムシティ」「テトリス」「いただきストリート」「実況パワフルプロ野球」「ぷよぷよ」「Jリーグプロサッカークラブを作ろう」「街」「BOXER'S ROAD」「グランツーリスモ」……。思い出深いゲームはいろいろあるけれど、やはりドラクエは別格。
 仕方ない、来年まで待とう。

1999年11月27日

自転車で小岩まで/「お受験殺人事件」?/どこでもいっしょ、お別れ/レッズ、J2落ち

 小岩に新しくオープンする家電量販店のチラシが入っていた。見ると、携帯が安い。ちょうど、IDOからドコモに買い替えを考えていたし、小岩だったら自転車でも行ける距離。最近運動不足だし、ここはジョギングと散歩がてら行ってみようと思い、家を出る。
 僕の家から江戸川までが15分、江戸川をわたってから店までが20分の、合計35分ほどで到着。しかし、ここで大きなミスが発覚。なんと、申し込みに必要な銀行印を忘れてしまったのだ。サイクリングのつもりでいったん家に戻り、今度は違う道を通ってもう一度小岩へ。で、携帯を手に入れてから再び帰宅。トータルで3時間くらいは自転車に乗っていたか。これなら、自転車に乗っている時間だけ仕事をした方がいいかも、などとも思っ
 たけれど、でも、久しぶりに長い時間ペダルをこぐのは、悪くなかった。


 さて、巷を騒がせている「お受験殺人事件」だが、僕も世間一般の感想と同じで、どうにも腑に落ちない。
 最初、幼稚園での目撃証言が非常に少ないという報道を耳にして、これは男性の犯罪ではないと思った。だって、幼稚園に男性(しかも、部外者で、場合によっては変質者的なオーラを出していることも考えられる)が入ったら、これは目立つもん。それに、殺された2歳の女の子は、その幼稚園の園児ではないわけでしょ? だとすれば、1人で園の外に勝手に出る可能性は低そうだし、仮に出たとしても、やはり男性に手を引かれて道を歩いてたりしたら、これも目立つもん。
 すぐに思い出したのは、市川市で起きた事件。子供が欲しいと思いつめた女性が、デパートの踊り場のベビーカーに入れられた乳児を連れ去ってしまったという話だ。で、もし女性が連れ去ったのであれば、子供はおそらく無事だろうなあ、そんな風に思っていた。だから、子供の遺体が見つかり、しかも犯人は女性というニュース速報を見たときは、意外な感じがした。

 しかしなあ、この事件、ホントに「お受験」だけが原因なのかなあ? たしかに、その地域は受験熱も高いのだろうし、幼児の受験においては子供の評価より親が評価されるという側面が強く、その分プレッシャーも感じるのかもしれない。また、専業主婦にとっては、子供の評価が自分の評価に直結するという傾向があるという話もわからなくはない。でもなあ……。
 例えば、一族すべてが東大とか慶応の出身で、自分たちも、いわゆる「レベルの高い」学校に子供をやらないとどうしようもなく肩身が狭いってなら、まだ話はわかる(納得はできないけど理解は、ね)。でも、そういうわけでもないんでしょ? 受験に失敗(しかも抽選で)しただけで人を殺すかね?
 新聞報道を見ると、まだ容疑者は動機について、「親同士の心のぶつかり合い」以上の事を言ってないらしい。ここも、いかにも怪しいよな。この事件、見た目ほど単純ではないのかもしれない。


 「どこでもいっしょ」だが、うさぎの「みいちゃん」から、今日唐突に別れを告げられてしまった。明日の夜、月に帰らなきゃいけなくなったらしい。長女と、しばらく悲しむ。
 しかし、長女はすぐに「次は猫ちゃんを飼おうかな」などと言っていた。切り替え早いなあ。


 夜はペダル疲れで早々に就寝。深夜に目が覚めて、日刊スポーツのウェブサイトを見て、浦和レッズがJ2落ちしたことを知り、驚く。
 でも、浦和は2部に落ちてもサポーターは残るかもしれない。そしたら、本当の意味で、レッズって市民クラブになるよなあ。ちょっと楽しみだ(市原は、J2落ちしたら即解散かもしれないもんなあ)。ま、レッズファンはそれどころじゃないかもしれないが。

1999年12月01日

個人情報の流出

 朝日新聞の夕刊で、早稲田大学が江沢民氏の講演の参加者名簿を警察に提出していたという記事を読んだ。昨日の朝刊には、名前などの個人情報に病歴をセットにした名簿を、業者が販売しているという記事も目にした。NTTやその関連会社の社員、あるいは警察官が、個人情報を不正に流していたって報道も、このところ立て続けになされている。
 こういう、特定の企業や機関が持っている情報を横流しする犯罪は、企業にとってマーケティングというものが最重要視される今、絶対に減ることはない。モラルのない企業は、消費者ターゲットを絞り込んで宣伝効率をアップするためなら、個人情報に金を払うことを躊躇しないだろうし、モラルのない社員や公務員はどこにでもいて、彼らは大した罪悪感もなく僕たちの情報を企業に売るのだろう。あ~、やだやだ。

 僕たちは、毎日いろんな企業・機関に、さまざまなデータを取られている。スーパーやデパート、レストランでクレジットカードを使えば、何を買ったかを把握され、銀行には毎月の電話代、ローンの残高、収入などが筒抜けになっている。おまけに、ディレクTVでペイパービューのエロビデオでも見た日にゃあ、どんな女優・タイトル・ビデオメーカーが好きなのかもバレバレになってしまう。
 そうそう、どこかの家電メーカーが、インターネットに接続できる電子レンジだか冷蔵庫だかを発表してたよな。ネットからレシピをダウンロードして料理できるってヤツ。こういうヤツを使ってると、そのうち「ふんふん、このウチの主婦は凝ったケーキを作るのが好きみたいだなあ。よし、ケーキ作りの調理器具のカタログを送ってやれ」とか「なんだ、ここの家庭はレトルトばっかりだなあ。栄養剤の案内したら一発だ」ってな感じで、営業されちゃったりするんだよな、きっと。

 しかもさあ、この先、国民総背番号制みたいなことになったら、こうしたデータって、すべて連結されちゃうんだよな。住所や電話番号、家族構成のような基礎データはもちろん、食べ物の好みや良く読む雑誌、好きなアーティストに女性のタイプまで捕捉されちゃう。なんかそれって、えらい気持ち悪いよなあ。
 まあ、便利っちゃあ便利なのかもしれないけど。例えば、「そろそろリビングの電球が寿命です」「来年3月に2歳になるお子様のために、こんなプレゼントはいかがでしょう」なんて、メチャきめこまかい案内が来たりするかも知れないもんな。でも、そんなのに慣れちゃうと、単なる消費マシンになっちゃいそうだ。やっぱヤダ。自分のことくらい、自分で決めたいもん。今の時代、それすら幻想なのかもしれないけどさ。

1999年12月14日

葬儀に出席する夢を見る/最悪、マイクロソフトワード/皇太子妃はトキじゃねえっつうの

 夢を見て、起きた。リビングに行き、時計を見てみると5時過ぎだった。
 夢の舞台は、父方の祖父の葬式だった。と言っても、僕は祖父の葬式に出席したことなどない。2人の祖父ともに、第二次大戦の前後に亡くなっているので、顔すら見たことがないのだ。でも、僕は祖父の葬式に出ていた。
 葬儀の行なわれていたのは、普通の民家のようだった。だが、そこは僕の家でも、実家でも、父の実家でもない。覚えのない、しかしどこか懐かしいような、そんな家だった。僕は廊下に立っていて、突き当たりの部屋(おそらく、そこに祭壇があるらしかった)の開いている引き戸の向こうに見える父の背中を見ていた。父は、背中を丸めて立っていた。僕はその背中を見て、「父に優しくしてやらなければ」と思っていた。

 そうだ、きっと、僕が見たのは父の葬儀なのだ。別に確証もないし、夢分析の技術も持ち合わせていないけれど、僕はおそらく、祖父の葬儀ではなく父の葬儀を見ていたのだ。すると、猫背の男は、あれは僕だったのか?

 それはともかく、僕は夢の中でいろいろな事を考えていた。「死者を忘れないことが、死者に対する最大の弔いだ、だから人間は位牌を作り墓を立てるのだ」とか「自分の葬儀はどのように取り仕切るべきなのか、無宗教な僕だが、死んだら生者の都合を優先してもらう方がいいよなあ、家族が満足する形であれば豪華な式でもただ燃やすだけでもどっちでもいいや」とか「坊主はあんな念仏で高い金をとるんだなあ、ぼったくりだぞ」とか「しかし、こういう風に伝統に沿って葬式を進めるのが一番楽なんだろうな、先例に逆らうのはなにかと大変だ」とか……。実にとりとめのないことばかりを考えていた。

 しかしあれだな、よく「夢というものは、どんなに長いものでもほんの数秒で見ているものだ」って説を聞くけれど、あれってホントかね? だって、僕の夢ってヤツは、どう考えてもダラダラと時間をかけて見ているような気がするんだよなあ。消し忘れたテレビの音とか、夕方を知らせるチャイムとか、家族の話し声とか、そういうものも小道具に取りこみながら夢が進行しているってこともあるし。場合によっては、ある程度の時間的な幅をもって夢を見ているとしか思えないケースもあるもん。それとも、間欠泉的に夢を見ているのだろうか僕らは? 眠りの切れ間に、脳髄からドーっと夢が噴き出してくるような。

 そう言えば、最初の子供が生まれる前に、印象的な夢を見た。僕が、4歳くらいの女の子と、2歳くらいの女の子と話をしている夢だ。その夢を見た朝に、彼女に「生まれてくるのは女の子だなあ」と話した。で、案の定、僕には2人の子供が生まれたわけだ。
 もちろん、単なる偶然かもしれない。偶然ではないのかもしれない。でも、いずれにせよ夢には不思議な力があるように思われる。

 「夢を見るのはほんの一瞬」という説が正しいとすれば、覚醒しているときよりも夢を見ているときの方が、ある意味では頭の回転速度は速いと言えるだろう。
 よく、「刑事(デカ)のカン」ってドラマであるよな。あれって、長年の経験が意識下で高度に組織化されて、それでほんの少しの情報がその回路に入っても、すぐに適切な結論が出るってことじゃないかと思うのだ。であれば、夢の回路も、それと似ているのかもなあ。グダグダばかりの僕であっても、一応30年以上は生きながらえているわけで、それらがどこかに蓄積され、互いに関連付けられていて、で、ふとしたはずみでその回路が目を覚ますと、パパッと夢が火花を散らして立ち現れる、なんて風に。

 ま、あんまり突き詰めちゃうと、トンデモ科学者になっちゃいそうなんで、このへんにしておこう。「と学会」の本を読むのは大好きだけど、あれに掲載される方はちょっとイヤだし。


 さて、早朝に目が覚め、つい今しがた見た夢を忘れないように、手近にあったメモ帳に殴り書きしてから、もう一度布団に入った。で、次に起きたのは昼過ぎ。このところは規則正しい生活ができていたのに、ちょっと気を抜くと(今日は彼女が直行で、家を出る時間が遅くなってもよいということだったので、子供たちの保育園への送りをお願いしてしまったのだ)すぐにこのありさまだ。
 とりあえずパソコンを立ち上げ、仕事にかかる。今日やらなきゃいけない仕事は、なんと「職務経歴書」作りだ。ある情報誌の仕事で、「職務経歴書の書き方」という趣旨の記事を担当していて、そこに掲載するためのサンプル経歴書を作って編集者に見せなくてはならない。
 なにしろ、これまでちゃんとした就職活動を一度もやったことのことのない僕としては、職務経歴書を作るだけでも大変な作業。その上、職務経歴書の見栄えを整えるためには、ワープロソフトを使わなきゃいけない。これが辛い、辛い。

 仕事で使うのは、たいがいMacだ。それも、エディタを使って原稿を書く。ワープロソフトなんてかったるくて使ってらんない。たまに、凝った企画書を作るときにはDTPソフトを使ってるし。
 ところが今回は、普通のビジネスマンが作るような職務経歴書を作らなくてはダメ。なので、仕方なくWindowsマシンにインストールされている「ワード」を使う羽目になった。これが、超使いづらい。よくこんなソフトを、世の中の人たちは使ってるもんだよなあ。5分ごとに腹を立てながら、仕事をした。
 ホントに今日は、辛い仕事をした日だったなあ。


 ところで、皇太子妃のご懐妊騒ぎ、あれ、別に関心もないんだけどさ、でも、あの皇居前で張りこんでるマスコミ連中、あれはどうなんだい? 皇太子妃ってトキじゃないんだからさあ、あんなに取り囲んでフラッシュ焚いたり照明当てたりして、ありゃあ失礼過ぎるよ。それで「雅子様にはお身体を大切にしていただきたい」とか言ってるからなあ。「自殺しようと思って手首にカミソリを当てたけれど、カミソリの刃が汚れていたのでバイ菌が入るといけないと考え、自殺を止めた」みたいな論理だ、ってわかりづらいか。
 マスコミって、ホントバカだよなあ、で、それを支持しているのが僕たちバカな国民なんだよなあ、と、再び議会生民主主義とか衆愚政治とかに思いを馳せたりしちゃいましたぜ、ダンナ。

1999年12月16日

ダウンタウンとビートたけし/2000年問題、政府と僕らの体温差/SOTECのCM

 僕はダウンタウンが大好きで、「ガキの使いやあらへんで」や「ごっつええ感じ」のビデオを、合わせて10本以上持っていたりする。今日も、メシの時間などにに「ガキの使い」のビデオを流しっぱなしにしていた。でも、「Hey! Hey! Hey」のダウンタウンはそんなに好きじゃないんだよな。
 今週の「Hey! Hey! Hey」には、エレファントカシマシが出演していた。で、エレカシのヴォーカル宮本氏は、ダウンタウンにいいようにいじられていた。そのいじり方が、ホント愛情のないやり方なんだよなあ。見ていてちょっとかわいそうだった。

 ナンシー関は、「ビートたけしは、力や条件が揃わなくて、それ(宗教トラブルなどのダメージからの社会復帰)ができない人を救ってあげることがよくある。本人にその気はないかもしれないが、結果的にたけしに救われた形になることは多い」「ビートたけしの浄化装置として機能は強力だ」と書いている(「小耳にはさもう」朝日新聞社刊)。僕も全く同感だ。
 これは、ビートたけしと松本人志・浜田雅功のキャラクターの違いはもちろんだが、彼らを育てた風土(足立区と尼崎市)や彼らの年齢(52歳と36歳)、ピン芸人とコンビという差も影響しているんだろうなあ。


 聞いたところによると、小淵首相がテレビのCMで、2000年問題に関して注意を訴えてるんだってなあ。内容は良く知らないけれど、きっと「安全だけど、注意して」みたいな内容なんだろう。いったいどっちなんだって突っ込みが入りそうな。コントに出てくる中国人が「ないアルよ」って答えてるときみたいに。
 とりあえず、政府が「安全だが、念のために3日~1週間分の備えを」って言ってるらしいから、僕としては2週間分の水と食料を確保しようと思っている。ちなみに、僕が茨城県に住んでいたとしたら、東海村の事故報道が起こったらすぐに、半径20km以遠の地域に逃げるだろう。別に政府には嘘を言ってるつもりがなくても、彼らに当事者意識は薄い。当事者である僕らとは体温の差があることは常に覚えておかなくちゃ。
 なにしろ、外務省が海外の駐在員に「1月1日は飛行機を使うな」って通達したとか、ロシアの軍のコンピュータが「1999年9月9日」にもトラブルを起こしたなんて話しも伝わってきてることだし、今年の正月はおとなしくしとこうかな。


 ところで、SOTECのCMを見た。どうせだったら、もっとiMacのCMをパクった作りにして開き直っちゃえば、それはそれで笑えるのになあ、なんて思っていたら、CMソングのクレジットにglobe。わははは、なんともまあ、うまいところにタイアップを持ちかけますなあ、SOTECってば。

1999年12月21日

ストーカー殺人事件と連続幼女誘拐殺人事件の報道を見て

 性善説も性悪説も、どちらも僕にとっては取るに足らないものだ。ごく一般の人間は、さまざまな要素が複雑に絡み合って構成されているし、しかも時間が移ろうたびに変化する。無論、人間より高等な動物や、神から見れば、ごくごく単純なものだろう。しかし、人間にとっての人間は、十分に複雑だと思う。
ところが世の中には、そうしたごく普通の人に混じって、すばらしい人格者が存在している。そして一方で、手の施しようもないほどの極悪人もいる。
 人間は複雑で、人間が集まって作る社会はもっと複雑だ。とても、性善・性悪という言葉で済まされるほど単純ではない。いろんな人が、この世の中にはいる、そういうもんだ。


 さて、夕方のニュース番組では、「ストーカー殺人事件」の犯人が捕まったという報道がなされていた。殺された女性と付き合っており、その後ストーカー行為をしていた男性の兄が、複数の知人に殺人を依頼したのだと言う。ホント、怖い話だ。何年か前に起こった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の加害者たちが、そのまま大人になるとこんな犯罪に手を染めるんだろうか、そんなことを考えた。

 ニュースでは、「連続幼女誘拐殺人事件」(しかし、あの事件がおきてから、もう10年以上も経つのか……。早いもんだ)の宮崎勤被告の控訴審での様子もレポートされていた。宮崎は、心ここにあらずといった風情で、裁判の途中でも落書きや居眠りをしていたそうな。で、弁護団は彼の事件当時の責任能力欠如(または減退)を証明するつもりなのだそうだ。もし、仮にそれが成功するとなると、宮崎勤は無期懲役か、ことによると無罪になる可能性もあるわけだよな。
 ふ~ん。
 もし、宮崎が無罪になって釈放され、自分の近所に住むとしたら、弁護士の皆さんはどうするんだろうか? いや、別に宮崎を死刑台にって言ってるわけじゃない。単に、そういう状況になったら弁護士の皆さんはどうするのか、それが知りたいだけ。


 以前、僕が知人と作っている小さなメーリングリストで、死刑制度が話題に上ったことがある。きっかけは、僕のこんなメールだった。

>テレビを見てたら、永山則夫他4人の死刑囚の刑が執行された、
>というニュースをやっていた。
>それ自体は別に何も思わなかったのだが、
>それに対する、死刑に反対している団体のリーダーのコメントが面白かった。
>曰く「欧米では死刑制度は廃止に向かっているのが時代の趨勢なのに恥ずかしい」。
>続けて「人間として、こんな野蛮な制度の存続を許しておけない」。
>
>思わず、おいおいってテレビに突っ込みたくなったっす。
>
>まず、今時「欧米では~なのに日本では~で恥ずかしい」っていう感性が凄い。
>おまえは江戸時代の人か。
>ヨーロッパイズナンバーワーン、欧米で正しいことは全世界で正義だって考え方、
>そろそろやめて欲しいっす。
>
>それから。死刑が野蛮だって件。
>
>俺が思うに、こういう団体の人たちってのは
>こんな三段論法で考えてるんじゃないかな。
>「死刑制度は野蛮だ」→「野蛮なことはよくない」あるいは
>「野蛮なことは人間にふさわしくない」→「だから死刑制度はやめるべき」
>
>とりあえず、前提部分はまあいいや。
>事件において冤罪の可能性は常にゼロではないことを考えると、
>冤罪者に対して死刑を実行してしまうケースもあり得る死刑制度は、
>野蛮と言えば野蛮だろうから。
>
>問題は前提をうける部分だよな。
>
>もともと人間って野蛮な生き物なんじゃないの?
>大体が、野生の動物ってあんまり共食いってしないけど
>人間は互いに殺しあったりするからねえ。
>殺人事件や戦争や、あるいは交通事故だって薬害エイズみたいな事件でだって
>人間は人間を殺しているわけだから。
>さらに、牛や豚や、魚や鯨をさんざん殺して捕食しているわけで、
>人間っていうのは全世界で一番野蛮な生物、っつうほうが
>むしろホントなんじゃないのかなあ。
>
>いや、誤解しないで欲しいけど、野蛮が悪いって思ってるわけじゃないのよ。
>俺、肉大好きだし、鯨おいしいし。
>毎日精進料理食って暮らせ、なんて言われたら、
>人生の楽しみ半分くらいになっちゃうのでは?
>
>俺の言いたいのは、そんな野蛮な人間が、野蛮なことは良くないとか
>野蛮なことは人間には似つかわしくないなんて言ったところで
>説得力は全然ないぞ、と。
>永山死刑囚にしたって、罪のない見ず知らずの人を4人も射殺しているわけだし、
>彼の場合は冤罪の可能性もない。
>そういうヤツラを守るための論法としては、なんだかなあって感じ。
>
>いや、個人的には死刑を廃止してもいいと思ってるよ。
>でも、その場合、仇討ちの復活が条件。
>やっぱり「目には目を」って、刑罰の基本でしょう。
>例えば、彼女や子供が殺されたら、その犯人を殺してやろうって思うもん、俺。
>神戸の小学生殺人事件にしたって、自分の子供を殺した犯人が
>2、3年後に少年院を出てきて、のうのうと青春を謳歌してたりしたら、
>殺された子の親としてはやっぱり割り切れんだろう。
(以下略)

 そしたら、そこのメンバーの1人が、「私は死刑反対。人が人を殺すのに、犯罪も刑罰も変わりない。それが1億2千万人分の1だとしても、自分が人殺しに荷担するのはいやだ」と反論してきた。その考え方も、わからんではないよな。
 でも、世の中には更正不可能な悪人がいると思うのだ。殺人を犯して服役し、出所後すぐにまた人殺しをしてしまうような。で、彼らに対して死刑を執行することに反対する理由は、僕には見当たらない。だって、そんなアブナイ奴が野放しにされて、それで自分や自分の大切な人たちが殺されたり傷つけられたりするのはイヤだもん。

 死刑廃止ってのは、それはそれで立派な意見だと思う。でも、それが頭でこしらえただけの、根無し草のような偽善であるならば、僕にとっては顧慮に値しない思想だ。
 もし死刑廃止を唱えるなら、無期懲役だけでなく終身刑を創設する、重罪(殺人・誘拐・レイプ・幼児に対する強制わいせつなど)を犯した人間に対しては刑期終了後一定期間の保護観察処分を施す、ストーカー法や被害者を守るための法律を整備するなどの施策を同時並行で行なわなければ、片手落ちと言うものだろう。


 そう、この国には、根本的な議論がない。口あたりのいい、でも中身のまったくない浮き草理想論か、付け焼刃の対策&先送りというセットしかないのだ。自衛隊、赤字国債、構造改革……。どれもこれもそうだ。そして、そういう浮き草理想論や、先送りを好む人が、僕の周りにもたくさんいる。

 ……。

1999年12月22日

人嫌い

 初対面の人に「いやあ、実は僕って見ての通りの恥ずかしがり屋で」と言うと、たいがい笑いを取れる。ある程度親しくなった人に「俺ってあんまり社交的じゃないからなあ」とこぼしても、時には「何言ってんだい」なんて返事が返ってくる。どうも僕は、ある程度の社交性を持っている人間だと、他の人からは思われているらしい。
 そりゃまあ、一応ライターって仕事をしてるから、人と話をするのは下手ではない。初対面の人とだって、ある程度打ち解けて話をすることだってできなかないし、話したら話したで、自分自身も結構楽しかったりもする。取材で人の話を聞くことが、勉強や刺激になることもたくさんある。
 でもなあ、だからと言って、人と話をすることが大好きってわけじゃあないんだよなあ、僕は。むしろ、人と付き合うことが重荷に感じることが多いのだ。気後れして、萎縮してしまうのだ、少なくとも心の中では。

 今日は、普段仕事をさせてもらってる、某編集部の忘年会に出た。招待状には19時30分スタートとあったので、20時ころに会場に到着。誰か知り合いがいるだろう、って思って。ところが、あらゆることがパンクチュアルに始まらないのがこの業界の常、まだ出席者はほとんど来てなかった。で、ほとんど面識のない人々が、会場のセッティングをしていたというわけ。
 もう、逃げるように会場を後にしたね。で、阿佐ヶ谷の駅の近くをぐるぐる歩いたり、書店に入って本を探したりしながら、意気地のないことに「もう帰っちゃおうかな?」なんて考えたりもしたもん。我ながら、情けないことだ。

 要は、自分に自信がないんだよな。そいでもって、「僕みたいな人間を受け入れてくれる人がいるだろうか? なんてつまんないヤツだ、なんて思われないだろうか?」なんて風に、中学生みたいな感じ方をしちまう。あ~やだ、こういう自分のだらしなさってのは。おふくろからも良く叱られたもんだ、あんたは意気地がないって。ホント、その通りだよな。

 で、なんで自信がないかっていうと、それは実績がないからだ。なんで実績がないかというと、それは努力と才能が足りないからだ。そのことはよ~くわかっている。わかっているくせに、グダグダしている。ホントに意気地がない。

 叶えたいことを実現するために、戦略を立て準備を行い、実行していくのが大人。それに対して、ぬるま湯のようなベッドの中で夢見ることだけしかしないのが子供。であれば、僕は悲しいほどに子供だ。情けない。もう33歳のオヤジなのになあ。

 あ~、いかんいかん、今日はすっかり反省モードだ。もうやめやめ。


 24時過ぎに帰宅。途中自転車を止め、カチッと輝いた満月と、その下のオリオン座をしばらく見つめる。


 小学2年生の男の子が、校庭で刺殺。やはり小学2年生の女の子が誘拐(無事保護されて、それは良かったが)。東海村の事故で、被曝した大内さんが死亡。そして、40兆円あまりの税収しかない国で作られた、80兆円の予算案。イヤな報道ばかりが耳に入ってくる。

 すっかりいやな気分の夜だ。

2000年01月24日

長女発熱/吉野川可動堰に関する中山建設相の愚民思想コメント

 昨夜から熱を出していた長女の状態が、良くならない。朝の時点で39度2分。昨日書いた文章じゃないが、こういうときに限って妻は深夜残業だったりする。幸い僕の方はスケジュールが立てこんでない状態なので、今日はもう仕事はいいや、と諦めて看病態勢に。

 11時頃熱を計ると、40度1分。熱が引く気配がない。行き付けの病院に電話をしてみるが、月曜日の午前中、しかもインフルエンザの子供が続出ということで、ひどく混んでいるとのこと。長女は熱のわりには元気だったので、病院で長々と待つよりは自宅で寝てた方がマシだと思い、とりあえず熱冷ましのために座薬を使っておく。

 長女のうたた寝の間に、取材のアポ入れ。いくつかの教育機関に電話を入れたのだが、そのうち1ヵ所は「Aさん? いませんよ! 休み。えっ、明日は来るか? わかんないね」との対応。もう1ヵ所では、担当者が電話中だったらしく、「ちょっと待ってください」と言われてから4~5分、そのままでほっとかれてしまった(しかも保留音なし)。
 よく、学校の先生って世間知らずだって言うけどさ、やっぱそれってあるよねえ。キャンパスっていう閉じた世界から出なくても、それで生きていけちゃうってのはマズイと思うんだけどな。「教員免状は30歳以上にしか出さない」というシステム、必要だと思うんだけど。

 昼食に作った卵粥にもほとんど口をつけなかった長女が、14時過ぎになって「そろそろ病院に行こうか」と言い出す。病院に電話を入れると、今は比較的空いているとのこと。急ぎ支度をして外出、30分ほど待ってから診察を受ける。と、予想通り風邪との診断。抗生物質と解熱剤を処方してもらい、16時頃帰宅。


 しっかし、僕がフリーランスで、しかもヒマなライターだったから良かったけど、両親ともに多忙、しかもなかなか有給も取れないような職場に勤めてたりすると、子供が熱を出すとツライよなあ。病児保育の制度ってのは全然整備されてないし、近所の友人に預けていくってことも、なかなか難しいもん。
 僕の友達には、フリーライター同士のカップルとか、ライターとカメラマンのカップルとかが何組かいるけど、多分みんな子供を作ることに躊躇しちゃうところが大きいと思うんだよな。ウチみたいに、妻の実家(ドアトゥードアで30分ちょっと)や僕の実家(こちらは1時間あまり)のヘルプを期待できるところでさえ、時にはしんどいことが多い。これが、実家から遠くはなれて住んでるカップルだと、そりゃ育児とキャリアを両立するのって大変だよ。

 出生率は、ここ数年低下する一方。そりゃそうだ、だって安心して子供を育てられる環境がないんだもん。
 例えば今、土地が値下がりして困っている人たちがたくさんいるけど、だったらさあ、育児しやすい社会環境を作るために公的な投資をしたらどうだって思う。だってさ、出生率が下がれば日本の人口は減る。人口が減れば、土地は余る。土地が余れば、地価が値上がりするわけないじゃない。
 道路や橋を作るより、病気の子供を保育する施設を作って、十分な看護婦と保育士を配置してやる方が、実は地価下落を止められるかもしれないのにさ、そういう発想をする政治家や役人、僕、見たことない。


 そうそう、発想で思い出した、今日の朝刊に出ていた吉野川の可動堰の話題。堰の建設計画に反対多数という結果が出たのに対し、中山建設大臣が「(住民投票は)民主主義における投票行為の誤作動」ってコメントしてたらしい。これはビックリこいたね。「愚民が投票したってろくな結論出るわけない」って、こないにはっきり言っちゃうんだから、度胸あるなあ、この大臣。
 でもな、こういう「シモジモの言うことなんて愚かなことばかり」って発想で動いてる役人って、きっと多いと思うんだな。特に、大蔵省あたりのエリート君は、そんなヤツばっかりじゃねえのかな。


 夕方、次女を迎えに保育園へ。その後、夕食。長女もそこそこ食べてくれて、ちょっとだけ安心。しかし、解熱剤を飲ませても、熱はまだ38度半ばある。


 深夜1時頃に帰宅した妻と、長女のことについて相談。明日も保育園休まなきゃならないだろうからなあ。どうしたもんだろう。

2000年01月30日

すごいニュースが続く……/犯罪者の権利と被害者の権利、オウム信者の権利と近隣住民の権利/大蔵省、「毎年30兆円の国債発行が必要」と試算/フランス議会

 相変わらず、喉の痛みは引かない。


 しかし、すごいニュースが続く。
 9歳のときに連れ去られ、19歳になってようやく家族のところに戻ってきた女性の話。例の「ストーカー殺人事件」で殺された女性の元交際相手で、事件のカギを握ると考えられていた男が自殺していたという話。野島伸司脚本じゃん、それじゃ。ま、ドラマでは、誘拐された少女は鉄仮面をさせられてたり、自殺した男は実は体つきの似た別人だったりするんだけどさ。
 しかしなあ、僕も一応、2人の娘を持つ父親。自分の子供に置き換えてみると、こりゃあたまらん気持ちになる。あんまりふざけちゃいけないよな、反省。

 そうそう、思い出した、何日か前に「犯罪被害者の会」(?)って団体が記者発表をやってたよな。その中に、奥さんと小さな子供を少年に殺されたダンナさん(確か山口の方の事件だった)がいて、犯罪者の人権は守ろうとするのにどうして被害者側の権利は守ってくれないのかと訴えてた