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1999年11月17日

就職率が史上最悪……大学の学費を大幅アップせよ/CGIでパスワードを設定/朝顔/しし座流星群は不発

 大学生、高校生の就職率が、史上最悪なのだそうだ。で、労相か誰かが、日経連だかどこかに「求人を増やしてくれ」ってお願いに行ったんだと。
 なんともまあ、間の抜けた話だ。
 だってさあ、お願いされた企業側が「そうですね、じゃあ求人を増やしましょう」なんて返事、するわけないじゃない。どの企業だって、長年勤めてきた社員をどんどん首切りしている状況なのにさ。ここで、新入社員を山ほど採用したって、せっかく切り下げた人件費がまた増えるだけ。大臣だかなんだか知らないが、そんなお願い聞いてらんないっての。
 企業に属する社員のうち、2割が優秀な幹部候補、6割がごく普通の社員で、残りの2割はダメ社員と仮定すると、今の企業は幹部候補の2割だけを残そうと考えているのだと思う。普通の社員は、外注(アウトソーシングなんて気取ってもいいけど)と派遣社員に置き換え、2割のダメ社員は早いところ辞めてもらおう、と。こんな状況で、従来のように大学生の9割が就職できるというわけがない。だって、彼らは専門知識も、経験も持ち合わせていないんだから。
 そんな中、労相のおねだり。ホントに間が抜けてる。もっと他にやることはあるだろうと思うけどなあ。

 大学生もかわいそうだよな。だって、社会ですぐに役立てられる知識や能力を、大学では身につけられないんだもん。ま、僕自身大学にはほとんど行かなかったから、良くわかんないんだけどさ。
 大体が、大学の授業料は安すぎると思うんだよな。例えば、国立大学の学費を、1年間500万円くらいにするってのはどうだい? あるいは、今、大学卒業に必要な単位数ってのは124単位だったよねえ? だったら、1単位取得するのに50万円くらい必要だとか。あくまで後納で。学生数も、今の半分とか4分の1くらいにしちゃう。
 でね、単位取得の際にA評価をもらったら、その単位の受講料はタダになる。B評価だったら45万円の補助が出て、学生が支払うのは5万円。C評価なら35万円の補助が出て15万円を支払い、D評価なら全額支払うというルールにする。そうすると、すべての科目でA評価をもらえるような優秀な学生は、無料で大学を卒業できる。一方、学業に対してそれほど熱意のない学生はどんどん受講料が膨らむので、まず大学を辞めていく。
 ただし、リタイアした学生にもチャンスを与えるために、単位互換を大幅に認めることにする。そして、その学生にとってもっと興味の持てる学部や、あるいは多少レベルの低い大学に移って、勉強を続けることができるシステムを用意する。
 そうしたリタイア組の学生の大部分は、専門性の高い、「ウリ」を持っている私立大学に進むようになるだろう。従来の大学を出ても、就職できるだけのスキルは身につかないのだから、職業教育に力を注いでいる大学はきっと学生たちに注目されるはず。「ビジネススクール」や「ロースクール」のように特化した大学が、今ののんべんだらりとした大学に取って代わるはずだ。
 国立大学にしても、授業料が年間500万円になったら、くだらない授業なんてやってらんないと思うんだよね。だって、高い授業料払って、つまんない講義しか聴けないのなら、学生もタコ怒りになっちゃうもん。それに、仮にA評価を連発して学生たちの受講料を安くしてくれる「良心的」な大学があったとしても、その大学の卒業生って企業からの評価は低いだろうし。「あそこの大学から、A評価ばかりの学生を取ったけど、見掛け倒しで全然使えなかった」なんて風評が広がれば、その大学の人気(企業からも、学生からも)はがた落ちだろうし。


 子供たちが通っている保育園のホームページを、僕は作っているのだが、その中のあるページにパスワードを設定した。CGIのフリースクリプトをダウンロードして、サーバーにアップしたのだが、なんだかいろいろ試行錯誤してしまった。努力の甲斐あって、なんとか設定は終了。疲れたあ。


 ベランダに置いてるプランターの朝顔が、ようやく枯れた。つい1~2週間前までは、思い出したように花を咲かせていたのだが。しかし、朝顔って、こんなに秋が深くなっても咲くものなんだなあ。なんとなく、夏いっぱいで終わりのように思っていたのだが。


 しし座流星群を見ようと思ったが、今年は天気が悪くてダメだった。去年は1時間で5~6個の流れ星を見られたのになあ。

2001年09月14日

デフレの「利益」はどう使う?

 金曜日の深夜だというのに、土曜日朝イチ締め切りの原稿を書いている。


 デフレだ。
 マクドナルドのハンバーガーが65円に、吉野家の牛丼は280円になった。僕たちは、以前よりずっと安い値段で、さまざまな商品やサービスを手に入れられるようになった。
 でも、それは本当に良いことなんだろうか?

 吉野家が牛丼の値下げを発表するとき、「単価は3割減だが、来店客を5割増やして利益を出す」というようなことを言っていた。これは店員からすれば、従来より50%増えた客をさばかなければならないということだ。また、周囲の飲食店にとっては、客を吉野家に取られることを意味する。
 ある店は、吉野家並みに店員を働かせて、あるいは食材を買いたたいて対抗しようとするだろうし、ある店は店員をクビにして人件費を減らすだろう。ある店は、どちらもできずにつぶれていく。そして、以前と同じ給料なのに仕事量の増えた店員と、仕事量は同じだが給料を減らされた店員、そして店員でなくなった人が生まれるというわけだ。

 あるいは、ロードサイドのディスカウントストアが、商店街を駆逐しているという現状はどうだ?
 郊外に大規模な店舗を構えることは、コスト削減には効果が高い。地価が安いために店舗維持費が抑えられるし、店のサイズを大きくすることで、商品の仕入れ価格をダウンさせたり、流通コストをカットすることも可能だ(いわゆる「規模の経済」ってヤツでしょうか)。そうした店にはたくさんの客が集まるため、薄利多売による店舗運営が可能。すると、ますますコストダウンを図ることができる。共稼ぎの多い若い世代には、週末に車で食料品などをまとめ買いするスタイルをとる人が増えており、その点でも郊外店は強みを発揮している。
 商店街が不利であることは歴然。コストでも便利さでも、なかなか対抗できないのが現状だ。そのため、各地の商店街(特に地方都市では厳しいようだ)はさびれていく一方にある。

 さびれていくのが店だけであれば、マイナスは小さい。問題は、商店街が維持してきた人間関係や地域社会も同時に失われていることなのだ。商店街で日々交わされていた会話や情報交換は、ロードサイドでは決して同様に行われてはいない。無口で孤立した人々が、表面的なコンビニエンスを享受しているだけだ。

 デフレが進むことに反対しているということではない。例えば、悪どい中間搾取者(官公庁の周りにはびこる「特殊法人」あたりが、その典型だ)を排除することで、商品やサービスが安価に出回るのであれば、それは心から歓迎すべきことだろうと思う。
 ただ、物が安く買えた分、僕たちはデメリットを背負い込んでいることを忘れてはならないのだ。値下がりしている商品の背後には、労働強化や失業者の増加、地域社会の崩壊といった影が潜んでいる。


 吉野家の牛丼は、400円から280円になった。であれば、浮いた120円のうち、100円くらいは税金として支払ってもいいと思う。そして、その100円が地域の人間関係が豊かになるためのサポートや、失業者が教育を受けられる場所づくり、警官や看護婦を雇うための費用などに使われるのであれば、喜んで払わせてもらうつもりなのだ。

2001年10月21日

タバコは20歳、教師は30歳、公務員は45歳から

 このサイトを訪れてくれる方の中には、現役の教師や公務員もいらっしゃる。で、こんなことを書くとまた怒られてしまいそうなのだが、表題に挙げたことは僕の持論の一つだ。

 人にものを教えることは、本当に大変だと思う。子供相手であれば、なおさらだ。自分が22歳の頃を思い返してみると、あんな若造に、とても教師が務まるはずなどないと思う。もちろん、僕はきわめてダメな22歳であったのだが、公平に見ても、大学を卒業したばかりでたいした社会経験もない人間に、うまく教師の仕事がこなせるとは思えない。教師には豊かな社会経験と、それに根ざしたバランス感覚が不可欠だと思うからだ。
 また、教師には、常にスキルアップを目指す義務があるとも思う。同じノートを使って同じ授業を繰り返すだけの教師なんて、教わる方からすれば迷惑以外のなにものでもない。だから、教員免許は、3年なり5年なりの期限を設け、更新制にするべきだと思う。
 その代わり、教師は物心両面で、もっと尊敬されるべきだ。年俸はもっと高額でよいと思うし(1000万円以上もらって全然問題ない仕事だと思う)、なによりも私たち全員が、教師を地域の名士として尊敬する気持ちを持つべきなのだ。
 ちなみに、こうした「尊敬すべき仕事」は他にもたくさんあると思う。警官、看護婦、保育士、農業従事者……。我々の生活を守ってくれる人間は、そうでない人間より、より尊敬されてしかるべきだと思う。

 それから、公務員の話。一口に公務員と言ってもいろいろなポストがある。長年スキルを積み重ねることが必要な職種もあるだろう。だが、そうでない職種もたくさんあるのではないかと想像する。そうしたポストには新卒採用者を充てるのではなく、できるだけ中高年の方を中途採用して欲しいのだ。
 これからの時代は、中高年にとってはつらい時代だ。仕事のスキルは、決して右肩あがりに伸びていくものではない。むしろ、歳を取って体力や柔軟性、吸収力が落ちるに従って、年収が減り、雇用カットの対象になる可能性は大きくなる。
 だから、社会全体が、「若いヤツにはバリバリ働いて高給を得るチャンスを与え、歳を取ったらマイペースで働ける」という仕組みを用意する必要があると思うのだ。

 他にも、「医者と政治家は60歳定年」とか、「社会奉仕に参加した人に、税制上の特典を与えよ」なんてことも考えたりするのだが、明朝一番に上げなきゃ行けない原稿があるので、このへんで。

2001年10月22日

犯罪者と人権

 昨日の日曜日、僕は「公立保育園父母の会」に出席した。そこで、会合に出席していた他の会員の方から、市川市内の女子小学生が自宅でレイプされた話を聞いた。電話を貸してくれと騙した犯人を自宅に入れ、その結果事件に巻き込まれたのだそうだ。また、小学生や幼稚園児、保育園児に声を掛ける不審者も増えているらしい。僕たちは、「嫌な世の中だよね」と言ったきり、他にあまり言葉も見つからなかった。

 警察庁のホームページに、「平成13年上半期の犯罪情勢」という統計があったので、ざっと読んでみた。重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取誘拐、強制わいせつ)の件数は、前年同期に比べて23.3%増の9410件。強姦は7.6%、強制わいせつは39.9%、それぞれ増えているのだという。

 一方、重要犯罪の検挙率は、前年の65.1%からグッと下がって54.5%。強姦の検挙率は64.3%、強制わいせつの検挙率に至っては、41.8%でしかない。無論、これらの数字は、犯罪の性質上かなり高めに出ているはずだ。つまり、強姦や強制わいせつの犯人のうち、刑務所にぶち込まれているヤツより見つからずにのうのうと暮らしているヤツの方が多いってことだ。

 検挙率の低さは、確かに問題だ。警察官の増員や、警察組織の改組などが、もっと議論されてしかるべきだと思う。ただ、いくら警官を増やしたところで、検挙率が格段に上がるとは、僕には思えないのだ。
 過去、日本の警察は優秀だと言われていた。検挙率も他国に比べて、ずっと高いという評判だった。だが、それは日本警察が優秀だったことより、日本の社会が犯罪を生み出しにくい環境だったからという理由の方が大きかったのだと思う。「よそ者」に対するチェック機能、濃い血縁、地縁によって結ばれた人間関係。それらが犯罪の発生を防ぎ、犯罪者の発見を容易にしていたのだと思うのだ。
 しかし、社会の流動性はますます高くなっていく一方。隣人の顔もよく分からないような社会で、犯罪捜査はますます難しいものになっていくはずだ。世田谷の一家惨殺事件はどうなった? 今年に入って起こった現金輸送車強盗のうち、何件の犯人がつかまった?

 犯罪は増える。検挙率は上がらない。であれば、罪に対する刑罰は、以前より重くせざるを得ないと思うのだ。なぜなら、刑罰を犯罪の抑止力としてとらえる場合、「刑罰の重さ(刑期の長さ)×検挙率=抑止力(犯罪者にとってのリスク)」という式が成り立つ。今、検挙率という変数が下降している以上、それに反比例する形で刑の重罰化は避けられない。
 また、一般市民の側からしても、例えばプライバシーや生活の自由度をある程度犠牲にして、犯罪の発生を防ぐという選択肢もありうるのではないかと思う。先日、韓国で性犯罪者のリストがウェブ上で公開され、議論になったが、そうした手段を日本でも検討する必要があるのではないか? もちろん、誰だってプライバシーを侵害されたり、自由の一部分でも失うのは嫌だ。僕だってそうだ。だが、危険度を増す社会情勢と一緒にバランスシートに載せ、安心できる社会を得る方がメリットが多いと判断すれば、自由が制限されるのも仕方のないことだと思う。


 ちなみに、犯罪者の人権を過度に守る立場には、僕は大反対だ。犯罪者の人権は、少なくともある程度の制限を受けてしかるべきである。
 なぜなら、権利は義務とワンセットで存在するものだから。犯罪を犯した人間は、その瞬間に社会に対する義務を放棄したと見なされるべきだと思うのだ。特に、自分の欲望を満たすために重大犯罪を犯した者は、大きくその人権を制限されるべきだ。

 例えば、過去に何らかの性犯罪を犯した者は、一定のリストに登録されるべきだ。そして、そのリストは、一定の資格を持つ人間に対して開示されるべきだ。罪を犯してから一定期間が過ぎ、ボランティア活動などで十分な社会貢献をしたらリストから削除されるとか、リストの情報を無資格者に対して横流しした者への罰則を定めるなどのルールはもちろん厳格に運営されなくてはならないが、それでもこの種の仕組み作りは絶対に不可欠になると思う。


 なにしろこちとら、2人の娘のオヤジだからな。彼女たちがコンクリート詰めにされたり、誘拐されて何年も監禁されちゃ、悔やんでも悔やみきれない。これからずっと側ばにいて守ってやるわけにはいかないんだから、せめて彼女たちが少しでも安心できる仕組みを作りたいと思うのだ。

2001年10月27日

「目には目」式の刑罰と、被害者側の「裁量枠」

 長崎県で、小学1年生の女の子が誘拐され、殺された事件で、今日犯人と見られる23歳の男が逮捕されたそうだ。夕食を取りながら、NHKのニュース番組でそのことを知り、傍らに座っていた来年小学校に上がる長女を見ながら、僕はひどく嫌な気持ちになった。で、妻に向かって「こんな野郎、死刑だよ、死刑」と吐き捨てた。

 ニュースによると、犯人は取り調べにも素直に応じ、反省と謝罪の言葉も述べているらしい。「かわいいと思った」などと供述しているようなので、おそらくはアニメやマンガなどに触発されたペドフィリアなのだろう。
 この男の犯罪歴は分からないが、手口や動機が稚拙で、取り調べにも素直に応じているところをみると、恐らく初犯なのではないかと思う。すると、未成年者略取誘拐と殺人、死体遺棄で、求刑は懲役15年くらいか。で、判決は10年か12年。模範囚として過ごせば、この男、30歳過ぎくらいには仮釈放になって娑婆に戻ってくることになる。

 これじゃあたまらないじゃないか、そう僕は思うのだ。

 一方は何の非もなく殺された。で、もう一方は、己の欲望を満たすためだけに人を殺したのに、7年だか10年だか臭いメシを食えば、それで普通の暮らしに戻れる。そんなことは、どう考えても道理に合わない。少なくとも僕が被害者の親なら、納得できないと思う。
 また、30歳を過ぎた彼を迎える社会の側も、あまりにも無防備ではないか? この種の犯罪の再犯率が高いのは常識だ。しかし、彼の近隣の住民や学校は、そうした人間が地域にいることを知らされない。警察や裁判所が、特別な監視体制を取るわけでもない。で、もし彼が再犯に及んだら、彼を釈放し、適切な対策を取らなかった社会全体が、一種の「不作為の罪」に当たるんじゃねえのかなあ。

 いや、僕は本当に、こんなヤツは死刑にするべきだと思うのだ。野蛮と非難されようと、「人が人を殺すのはいけない」と理想論で責められても、その信念は変わらない。「目には目」式の刑罰は、ごくごく自然なものだと思うのだ。こうした犯罪を犯した人間に、人権などあり得ない。どんな罪だって、重すぎるということはない。

 確かに、人が人を裁くのは難しいことだ。冤罪で有罪判決を受けた人が簡単に死刑になってしまったら、取り返しがつかない。また、「人が人を殺すのは、どんな理由があってもいけないこと」とか「犯人を殺しても、被害者は戻ってこない」という理屈も、一面では正しいと思う。
 だったら、裁判長(あるいは陪審員)と被害者の家族(不在の場合は弁護人など)に、一種の「裁量枠」を与えてやればいいと思う。人を殺したら(いわゆる「第一級殺人」にあたるケースを想定)、即死刑。ただし、裁判長は公平な立場からの情状の裁量枠を持つ。また、被害者側に犯人を許す気持ちが強ければ、その感情も判決に反映する。例えば、裁判長が情状を酌量し、死刑から(無期懲役ではなく)終身刑に減刑。また、被害者の家族が「犯人にもそれなりの事情があった」と認めたため、終身刑から懲役15年に減刑、なんて仕組みにすればいいんじゃないか? あるいは、被害者の家族に対して、「仇討ち」のオプションを認めるのも一つの手だと思う。

 いずれにせよ、現在は被害者の救済という視点がなさすぎ。
 これじゃあたまらん、そう僕は思うのだ。

2002年02月24日

信用経済

 Windowsパソコンのデスクトップには、「書かなきゃいけない原稿リスト」が張ってある。今月の初めは、そこには10本ほどの企画名が書かれていた。しかも、どれも全くの準備不足状態。リストを見るたびに「ちくしょー、終わんねえよ!」と暗澹たる気持ちになっていた。
 だが、現時点で残りは3本。ようやくここまできたかあ。こうして今回も、山を越えていくわけだ。もう10年も前に先輩が教えてくれた金言「白いまま出た本はない」。本当にそうだ。

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 忙しいといいながらも、オリンピックの中継はそこそこ見ていた。寺尾が不可解な失格を食らい、金メダルを4つ取ると期待されていたオーノがまさかの転倒で銀メダルに終わった、男子ショートトラックも見た。終わった直後、率直に言って、「こんなにあいまいなルールで戦う競技に、4年間、莫大なエネルギーを注ぐのか!」と、選手たちを気の毒に感じた。ルールや審判を信頼できないスポーツなんて、空しいじゃないか。


 現代の経済は、信用によって成り立っている。
 少し前なら、貨幣の背後には金や銀があって、その価値を担保していた。場合によっては、国家ないし支配勢力の武力が貨幣の後ろ盾となっていたこともあっただろう。それが現在では、少なくとも先進国と呼ばれる国家のほとんどで、貨幣はその国家の信用によって裏書されている。

 さて、信用とは大まかに言って、2つの方法で育まれていく。一つは、言わずもがなのことだが、約束を守り続けることだ。一つ一つの約束を確実に守ることで、信頼は積み上げられていく。これは、誰もが知っていることだ。
 ところが、もう一つの方法は忘れられることが多い。それは、約束を破った場合、自ら進んで適切なペナルティを進んで背負うことだ。ルールに従って償いをすることで、信用が守られる、あるいは信用が積み増されることだってある。

 今の日本の不況の原因はいろいろ言われているが、根本は「信用不況」なのだと思う。政府は、保険や年金制度の破綻について、決して本当のことを言わない。昔は「従業員を守るのが会社の使命」と語っていた企業が前言を翻し、あの手この手で社員を解雇する。官僚は、税金を不正に流用し、天下りで不当な利益を得ている。牛肉のラベルは、原産地名も賞味期限も書き換えられている。そんな中で、のんきにお金を使うことなど、できるわけがない。
 特に、僕らのような若い世代はね。どう考えたって、僕らは逃げ切れない世代。マージャン用語で言う「つかまっている」ってヤツだ。

 今の日本には、ルールがない。特に、「償いのルール」があまりにもおろそかにされていると思うのだ。
 例えば、銀行に投入された「公的資金」。あれもひどい話だったな。債務超過に陥った銀行には、それなりの原因があったはずだ。彼らは、そうした原因を作った張本人として、償いをしなくてはならなかった。でも、政府は責任の所在をすべてうやむやにしたまま、数千億円、数兆円の金を突っ込んじゃった。政府閣僚や高級官僚たちが言ってたな、「経済システムを守るためのやむを得ない方策だ」って。でもさ、そのために払った代償はあまりに大きかった。ルールを破り、さらに償いすらしない者を助けた結果、「信頼のルール体系」を足元から崩してしまった。でも、そっちの方が、経済に与える傷は深かったのだ。

 景気を良くするには、公的資金の投入なんて無意味、というか逆効果なのだと思う。むしろ、政府の、官僚の、企業の信頼度を高めることこそが、景気回復の最大の鍵なのだ。
 情報公開。私的な利益確保と保身を図るすべての閣僚、官僚、企業役員の排除。将来に対する明確、具体的なビジョン作り。そして、約束を守るものを守り、約束を破るものに正当な償いを課すルールの策定。

 景気回復は、経済の専門家に任せてもムダだ。むしろ、心理学者と小説家とショートトラックの選手がチームを組む方が、ずっと効果的だと思うね。

2002年03月14日

刑は誰のためか?/国民の安全と徴兵制

 山口の母子殺人事件で、控訴審の判決が出た。結果は、一審と同じ無期懲役。
 一審が死刑ではなく、無期懲役の判断を下した根拠は、「少年は未熟で、更生の余地がある」というものだったそうだ。一方、妻と子供を殺された被害者側は、「少年の行為は、万死に値する」と言っていた。で、裁判官は、被害者の感情より、少年の更生の方をとったわけだな。

 ちゃんちゃらおかしいと思うのだ。何の罪もなく殺された側より、むごたらしい方法で2人を殺した犯人の事情が優先されるなど。刑は誰のためにあるのか? 犯人を更生させるため? そんな馬鹿な! だったら全ての犯罪者を、刑務所ではなく、寄宿舎つきの学校にでも入れればいい!
 刑は、犯人のためにあるのではない。被害者のためにあるべきだ。今回の事件では、犯人は自らの都合で2人を殺した。被害者側は、犯人の死を願っている。であれば、判決は死刑以外にないはずだ。

 大体が「更生の余地がある」から、どうして罪が軽くなるんだろうか? 全ての人間には、更生の余地はあるのだ。どんな犯罪を犯した人間であっても、その後聖人になる可能性は残されている、少なくとも可能性としては。だが、その人間が出所し、再び罪を犯す可能性だって、同様に残されているのだ。
 僕は、性善説も性悪説も支持しない。どちらも、顧慮する必要もないほど、単純で皮相的で馬鹿げた意見だ。人間には、よい部分も悪い部分もないまぜになった存在。どんな悪人だって、気まぐれを起こしてちょっとした善行を積むことがあるかもしれないし、どんな善人だって、悪魔に変わる瞬間のある可能性を否定できない。
 犯人は、更生するかもしれない。だが、表面だけ取り繕って模範囚としてすごし、出所後再び犯罪に手を染める可能性だってある。犯人を殺したいほど憎む被害者の感情を無視し、更生のチャンスを与えた裁判所の温情を裏切って、犯人が再び罪を犯したとき、裁判官はどう責任を取るのか? 決して取れはしまい。
 であれば、その犯人が更生するかどうかなどという理由で、刑罰を左右するべきではないのだ。それは、犯人が少年であっても関係ない。

 なんだか腰の入っていない判決だと思うのだ。裁判官には勇気がなさ過ぎる。いや、殺人者は常に殺せというわけじゃない。だが、死に値する罪には、死を与える勇気が必要なのだ。

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 イギリス留学中の女性が、北朝鮮に拉致されていた事件も、ひどいものだ。
 犯罪に関係していた人物から、これだけ詳細な証言が取れているのに、どうして日本政府は毅然とした態度をとらないのだろう? 必要があれば、武力行使の可能性も視野に入れて、行動すべきだと思うのだ。
 政府は、僕らから税金をはじめ、さまざまなものを巻き上げている。であれば、国民が安全を脅かされたときに守るのは、当然の義務だ。人をだまして拉致し、その人生を大きく捻じ曲げるようなことを、決して許すべきではないのだ。

 僕らは、自分たちの安全について、あまりにも無頓着すぎる。自分の安全は自分で守るという意識が、どうにも希薄すぎる。口を開けて待っているだけでは、安全な生活を手に入れることはできないのだ。
 今の世界には、軍事力をもって対処しなければならない問題が、悲しいことだが、ある。
 しかし一方で、軍事力をもって対処しなければならないこの世の中は、不幸だ。
 であれば、いや、むしろ、であるからこそ、僕は徴兵制を導入するべきだと思うのだ。一人一人が問題を自分のものとして捉えるためには、自分が体験するに如くはないからだ。
 そこで、「戦争は絶対的な悪だ。軍事力がなければ平穏な生活が確保できない今の世界は不幸だ。であれば、軍事力なしで平和を確保できる世界を作るために、最大限の努力をしたい」と強く希う人が、たくさん生まれてくれるといい。自分たちが脅かされていることを体感し、そうした脅威から、軍事力を使うなんて愚かな手段ではなく、もっと賢い方法を使って、自分と自分の愛する人を守ることを考える人が、増えてくれるといいと思う。

 僕自身も、そうした方法を探そうと、模索している。

2002年03月24日

選挙民の連座制/「ASAYAN」打ち切り

 僕は思う、選挙民に連座制が適用されないのはどういうわけだ、と。

 鈴木宗男氏が好き勝手できたのも、彼に投票した選挙民がいたからだ。鈴木氏に限らない。自民党系の地元代議士を国会に送り込み、それによって甘い汁を吸った人間は、全国各地に何千万人もいるはずだ。
 だいたいが、現在の選挙制度ってのは、無責任な選挙民を容認するものなんだよな。どんな馬鹿を選んだって、選挙民が罰せられることはない。でもさ、それってどうなのよ。

 選挙民にも連座制を適用する。地元の建設会社に利益を上げさせ、そこからの政治献金で食べているような政治家を選んだ選挙区は、数年間一切の補助金を停止するとか、そのエリアの税率を上げるとかするわけだ。それくらいしなきゃ、腹巻に札束を入れて選挙に勝つような「田舎っぺ代議士」は、いつまで経ってもなくならないさ。汚れた政治家を選ぶことが、自分たちにとって明白な不利益になるような制度を作らないとダメなのだ。

 人間は、自分の頭に火の粉が降りかからないと何も変化できないものだというのが僕の基本認識だ。特に自分自身を見ていると、そう実感せざるを得ないんだよな、これが。であれば、この世の中に降りかかってくる火の粉を、みんなが共有できる仕組みを作るべきだと思う。徴兵制に関する意見も、こうした思いの延長線上にある。

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 「ASAYAN」が打ち切りになったらしい。
 前身である「浅草橋ヤング洋品店」が「ASAYAN」に切り替わったときは、ショックだったなあ。次から次へと予想もつかない攻撃を繰り返す「浅ヤン」を、僕は本当に楽しみにしていたのだ。それが、「コムロギャルソン」だのなんだのって、わけの分からない企画に変わっちゃってさ、当時、本当に僕は落胆していたのだ。

 ただ、そんな「ASAYAN」も、一つだけいいことをしたな。それが、亜波根綾乃を発掘したこと。この人がオーディションに登場し、石嶺聡子(作詞作曲は、確か尾崎亜美)の「私がいる」を歌うのを聞いたときは、正直びっくりした。
 当時オーディションの審査員をしていた、どこかのレコード会社のPだかDだかが、ぶっちぎりでオーディションに受かった亜波根綾乃に対し、「私たちと一緒に、新しい時代を作りましょう」とか言ってたんだよな。僕も、思わず感じたもんだ、確かにこの人なら時代を作れるかもな、って。

 最近、あまり彼女うわさを聞かないけど(もっとも、僕が知りうる音楽情報なんてごく限られたもんだが)、どうしているんだろうなあ?
 というわけで、現在BGMは、「Lin Nai」。

2002年09月16日

人殺し

 夜食を取ろうと思って冷蔵庫から大根を取り出した。おろし金で大根をすりながら、ふとテレビを付けると、NHKでニュースを放送していた。離婚調停中の妻の実家に包丁を持って立てこもり、義理の母と姪を人質に取っていた男が、28時間後に逮捕。しかし、姪は既に殺されていた、そうだ。

 姪を殺したのは、もちろん立てこもった男だ。しかし僕から言わせれば、警察の責任者こそ、人殺しの張本人だ。

 報道によれば、立てこもった男は警察との交渉の過程で、覚醒剤を打っていると話していたらしい。また、焼酎を飲んでしたたか酔ってもいたようだ。その男を、無策にも28時間放置して、結果、罪のない小学生を殺した。これは、いわゆる「未必の故意」ではないのか?

 僕は、男が立てこもった家の構造を知らない。男の性格も、立てこもっていたときの精神状態も知らない。男、あるいは殺された小学生の家族が、警察にどのような要請をしていたのかも知らない。だが、そこにどんな事情があろうと、今回のようなケースでは犯人を早いタイミングで射殺するべきだった。
 人の命は、公平に重いわけではない。覚醒剤を使い、包丁を片手に罪のない小学生を人質に取った男の命と、何の非もないのに事件に巻き込まれた子供の命が、等価であるはずがないのだ。その子供が、たとえ万が一にでも殺される可能性があるなら、射殺を躊躇するべきではない。

 人殺しにだって人権はある。だが、優先順位ってもんがあるだろう。最優先で守るべきなのは、人質の人権だ。

 こういうことを書くと、白谷は野蛮だって言われるんだろうな。
 ふん、構うか。

 こういうシチュエーションでは、人質の命を守るために、犯人の射殺はやむを得ないこと。それをしなかった警察は、人殺しの共犯となじられても仕方がない。絶対に、その怠慢を責められるべきだ。

2005年11月08日

納税する実感

 先日、市県民税と国民健康保険税を、一括で支払ってきた。合計で数十万円。銀行を出ると、寒さが少し身に染みた。

 税金を銀行の窓口などで支払うのは、面倒だ。しかも、支払った直後は一挙に貧乏になった気がして、軽く落ち込む。だが、それでも自動引き落としにはすまいと思っている。なぜなら、現金をこの手に持ち、窓口の行員に手渡す方が、納税の実感が持てるから。


 本当は、会社勤めをしている人も、確定申告をしたり、税金を直接銀行などで支払う方がいいと思っている。税金を支払うときに痛みを感じれば、それだけ、税金の使い道にもシビアになれるからだ。

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