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1999年12月14日

葬儀に出席する夢を見る/最悪、マイクロソフトワード/皇太子妃はトキじゃねえっつうの

 夢を見て、起きた。リビングに行き、時計を見てみると5時過ぎだった。
 夢の舞台は、父方の祖父の葬式だった。と言っても、僕は祖父の葬式に出席したことなどない。2人の祖父ともに、第二次大戦の前後に亡くなっているので、顔すら見たことがないのだ。でも、僕は祖父の葬式に出ていた。
 葬儀の行なわれていたのは、普通の民家のようだった。だが、そこは僕の家でも、実家でも、父の実家でもない。覚えのない、しかしどこか懐かしいような、そんな家だった。僕は廊下に立っていて、突き当たりの部屋(おそらく、そこに祭壇があるらしかった)の開いている引き戸の向こうに見える父の背中を見ていた。父は、背中を丸めて立っていた。僕はその背中を見て、「父に優しくしてやらなければ」と思っていた。

 そうだ、きっと、僕が見たのは父の葬儀なのだ。別に確証もないし、夢分析の技術も持ち合わせていないけれど、僕はおそらく、祖父の葬儀ではなく父の葬儀を見ていたのだ。すると、猫背の男は、あれは僕だったのか?

 それはともかく、僕は夢の中でいろいろな事を考えていた。「死者を忘れないことが、死者に対する最大の弔いだ、だから人間は位牌を作り墓を立てるのだ」とか「自分の葬儀はどのように取り仕切るべきなのか、無宗教な僕だが、死んだら生者の都合を優先してもらう方がいいよなあ、家族が満足する形であれば豪華な式でもただ燃やすだけでもどっちでもいいや」とか「坊主はあんな念仏で高い金をとるんだなあ、ぼったくりだぞ」とか「しかし、こういう風に伝統に沿って葬式を進めるのが一番楽なんだろうな、先例に逆らうのはなにかと大変だ」とか……。実にとりとめのないことばかりを考えていた。

 しかしあれだな、よく「夢というものは、どんなに長いものでもほんの数秒で見ているものだ」って説を聞くけれど、あれってホントかね? だって、僕の夢ってヤツは、どう考えてもダラダラと時間をかけて見ているような気がするんだよなあ。消し忘れたテレビの音とか、夕方を知らせるチャイムとか、家族の話し声とか、そういうものも小道具に取りこみながら夢が進行しているってこともあるし。場合によっては、ある程度の時間的な幅をもって夢を見ているとしか思えないケースもあるもん。それとも、間欠泉的に夢を見ているのだろうか僕らは? 眠りの切れ間に、脳髄からドーっと夢が噴き出してくるような。

 そう言えば、最初の子供が生まれる前に、印象的な夢を見た。僕が、4歳くらいの女の子と、2歳くらいの女の子と話をしている夢だ。その夢を見た朝に、彼女に「生まれてくるのは女の子だなあ」と話した。で、案の定、僕には2人の子供が生まれたわけだ。
 もちろん、単なる偶然かもしれない。偶然ではないのかもしれない。でも、いずれにせよ夢には不思議な力があるように思われる。

 「夢を見るのはほんの一瞬」という説が正しいとすれば、覚醒しているときよりも夢を見ているときの方が、ある意味では頭の回転速度は速いと言えるだろう。
 よく、「刑事(デカ)のカン」ってドラマであるよな。あれって、長年の経験が意識下で高度に組織化されて、それでほんの少しの情報がその回路に入っても、すぐに適切な結論が出るってことじゃないかと思うのだ。であれば、夢の回路も、それと似ているのかもなあ。グダグダばかりの僕であっても、一応30年以上は生きながらえているわけで、それらがどこかに蓄積され、互いに関連付けられていて、で、ふとしたはずみでその回路が目を覚ますと、パパッと夢が火花を散らして立ち現れる、なんて風に。

 ま、あんまり突き詰めちゃうと、トンデモ科学者になっちゃいそうなんで、このへんにしておこう。「と学会」の本を読むのは大好きだけど、あれに掲載される方はちょっとイヤだし。


 さて、早朝に目が覚め、つい今しがた見た夢を忘れないように、手近にあったメモ帳に殴り書きしてから、もう一度布団に入った。で、次に起きたのは昼過ぎ。このところは規則正しい生活ができていたのに、ちょっと気を抜くと(今日は彼女が直行で、家を出る時間が遅くなってもよいということだったので、子供たちの保育園への送りをお願いしてしまったのだ)すぐにこのありさまだ。
 とりあえずパソコンを立ち上げ、仕事にかかる。今日やらなきゃいけない仕事は、なんと「職務経歴書」作りだ。ある情報誌の仕事で、「職務経歴書の書き方」という趣旨の記事を担当していて、そこに掲載するためのサンプル経歴書を作って編集者に見せなくてはならない。
 なにしろ、これまでちゃんとした就職活動を一度もやったことのことのない僕としては、職務経歴書を作るだけでも大変な作業。その上、職務経歴書の見栄えを整えるためには、ワープロソフトを使わなきゃいけない。これが辛い、辛い。

 仕事で使うのは、たいがいMacだ。それも、エディタを使って原稿を書く。ワープロソフトなんてかったるくて使ってらんない。たまに、凝った企画書を作るときにはDTPソフトを使ってるし。
 ところが今回は、普通のビジネスマンが作るような職務経歴書を作らなくてはダメ。なので、仕方なくWindowsマシンにインストールされている「ワード」を使う羽目になった。これが、超使いづらい。よくこんなソフトを、世の中の人たちは使ってるもんだよなあ。5分ごとに腹を立てながら、仕事をした。
 ホントに今日は、辛い仕事をした日だったなあ。


 ところで、皇太子妃のご懐妊騒ぎ、あれ、別に関心もないんだけどさ、でも、あの皇居前で張りこんでるマスコミ連中、あれはどうなんだい? 皇太子妃ってトキじゃないんだからさあ、あんなに取り囲んでフラッシュ焚いたり照明当てたりして、ありゃあ失礼過ぎるよ。それで「雅子様にはお身体を大切にしていただきたい」とか言ってるからなあ。「自殺しようと思って手首にカミソリを当てたけれど、カミソリの刃が汚れていたのでバイ菌が入るといけないと考え、自殺を止めた」みたいな論理だ、ってわかりづらいか。
 マスコミって、ホントバカだよなあ、で、それを支持しているのが僕たちバカな国民なんだよなあ、と、再び議会生民主主義とか衆愚政治とかに思いを馳せたりしちゃいましたぜ、ダンナ。

2000年08月18日

長い夢

 ……夢を見た。ひどく長い夢だった、といっても、前の方は全く覚えていない。
 かろうじて思い出せたのは、僕が白人の老人(60歳くらいか?)になっていて、「妻」(やはり白人。小柄でやせ気味。皺が多くて神経質そうな顔だった)と一緒にホームパーティーだかなんだかに出る準備をしている断片からだ(なんとなく、劇中劇ならぬ「夢中夢」だったような気もするが、もう思い出せない)。僕の「妻」はどういうわけか、プロレスラー「スーパーストロングマシン」のマスクをかぶり、その上からいろいろな装飾品(?)をごてごてと乗せていた。僕は「オゥ、それはよく似合うね」などと言いながら喜んでいるのだが、その後で彼女に殺された。
 続いて、僕は白人のまま、100メートルほどある坂道をすべりおりた。そのときは、友人らしき人と一緒だった。そして、坂を降りきった草原で、アメリカンフットボールのランニングバックのつもりで(何かロックが流れていたような気がする。多分ローリングストーンズだったのでは?)走った。クォーターバックの「ハッハッ!」というカウントにあわせてダッシュし、フェイクやフェイントを入れながら草原を駆け回っていた。
 その次は、ゲームセンターにいるようだった。恐らく近未来、今よりもグッと進化した体感ゲームで僕は遊んでいた。ゲーム機の筐体には「RunningBack ~」とペイントされていた(いつのまにか僕は、白人ではなく「僕自身」になっていたようだ)。と、そこに広報担当者の女性がやってきた(現実の世界では見たことのない人だったように思う)。僕は、おそらく2、3回しか面識のない(という設定の)その女性に対して口説き文句を並べながら、彼女の腰を抱いて歩き出した。彼女の方もまんざらではない様子で、僕と一緒に歩き出した。僕たちは二段ベッドが並ぶ部屋を抜けて(多くの子供たちがそのベッドの上で遊びまわっていた)、やがて大きな部屋についた。そこには料理施設があって、有名なシェフが調理の実演をすると言う話だった。ところが、この後タレントの浅草キッドがやってくるので、その準備をしなくてはならない、それゆえ取材時間は2分だと言われてしまった(そう、僕はいつのまにかこの現場を取材することになっていたのだ)。でも、まだカメラマンが来てない……と言いよどんでいると、そこにカメラマンのHさんがやってきた(Hさんとはもう何年も一緒に仕事してないんだけどなあ。会う機会は多いんだけど)。僕はHさんに取材の趣旨を説明。すると、そこにはHさんの仕事仲間というカメラマンが2人(どちらも初対面。一人は175cmくらい、もう一人は2mくらいあった)も来ていた。で、彼らの一人が「え~っ、2分しか撮影できないの~? 最悪じゃん」と大声で言い、あからさまに嫌な顔。もう一人がこちらを見ながら、最悪じゃんと言ったカメラマンに耳打ち、そして嫌な感じの笑い。Hさんだけは何も言わずに立っていた。
 僕は、ごめんなさい仕切り悪くて、でもしょうがないので撮影してください、なんてしどろもどろで依頼。そこでHさんら3人のカメラマンは、ものすごいスピードでシャッターを切り始めた。カシャーカシャーカシャー、カシャーカシャーカシャー……。
 ひとしきり撮影が終わり、Hさんが僕に話し掛けてきた。「白谷さん、今日酔ってるんじゃない? 顔赤いよ」(これは、昨日、某編集部で本当に尋ねられた言葉。もちろん一口も飲んでなかったんだけどなあ。オレンジのシャツを着ていたせいかな?)と言いながら、笑顔。僕は、どう答えようかと考えているところに、「パパ、パパ、わたしのかいた絵、見てよ~」と娘の声……、で、夢から覚めた。昨日の夜からひきはじめた風邪が、更に悪化したようだ。喉が痛む。

 夢っていうのは、ごくごく短時間で見るものだという通説があるけれど、僕にはとても信じられない。これだけの長い夢なんだもん、やっぱり相当の時間をかけて見てると思うんだけどなあ……。

2002年01月25日

「誓いの言葉」を話す夢

 朝方、夢を見た。

 シチュエーションは恐らく、中学校か高校の卒業式。体育館(それにしては、ずいぶん狭くて天井が低かったのだが)には何百人かの学生が集まっていた。司会進行をしていた男女のうち、女性の方はライター仲間のIさん(もちろん、中学・高校とも別)。Iさんは持ち前の天然ボケをかまし、会場の大きな笑いを取っていた。

 式が進行し、僕が代表として「誓いの言葉」を話す番になった。同級生たちを背にしてマイクに向かい、ポケットをまさぐると、そこにあるべき草稿がない。慌てて会場の後ろの方にあった机の上から原稿用紙をひったくり、舞台上のマイクに向かって開いてみると、全く無関係の文章。壇上の校長先生(全く見知らぬ女性だった)に向かって苦笑いしながら言い訳をし、もう一度3枚ほどの原稿用紙をひっつかんで戻る。お、これは確かに僕の草稿だ。で、ぎこちなく挨拶をしてから読み始めると、これがまた、全然文章になっていない。僕は焦り、大幅にアドリブを交えながら読んでいくのだが、またそのアドリブが、全然なってないんだよな。読みすすめるごとに、「こんな文章じゃダメだ」とどんどん焦りが増幅していく……。

 で、目が覚めた。あまりのいたたまれなさと、それから、「これは夢だ、目が覚めればこんないたたまれない思いはしなくて済む」という思いが半々くらいあって、それで目が覚めた。

 時計を見ると、6時前。

 しかし、怖くて夢から覚めるという経験は何度かあるけど、いたたまれなくて目が覚めたってのは初めてだな。ちょっと笑った。

2002年04月05日

中村有志氏の夢を見る

 夢を見た。

 僕は、仲間と4人で電車に乗っていた。僕らが乗っていたのは電車の一番前の車両で、座席は15cmの高さしかなかった。
 仲間というのは、どうやら同じ会社の同僚、あるいは同じ学校の在学生、という設定だった。一人は女性(この人は、全く印象に残っていない。知り合いかどうかさえ覚えていない)、一人は後輩の男性(ハンサムだが、ちょっと軽い雰囲気の人だった。俳優の中村俊介のような雰囲気、というか、中村俊介だったかも)。そして、もう一人、僕にとって先輩にあたる人物が、パントマイマーの中村有志さんだった。

 最初、僕ら4人は、ごく普通の雑談をしていた。中村有志氏と中村俊介君は何かの賭けに勝ったらしく、二人とも「地元商店街で安く買い物ができる券」を持っていた(なんじゃそりゃ!)。僕がそのことを彼らに聞くと、中村氏と中村君は、僕に「イエー!」と親指を立てて応えていた。
 僕らは電車に乗り込んだ。僕と中村有志氏は、座布団のような座席にどっかと腰を下ろし、中村俊介君は2人の近くに立っていた(女性がどこにいたかは覚えていない)。で、そこで僕は中村俊介君に説教(?)を始めた。
 「おい、お前って、この人(中村有志氏)がどんなに偉大な人か知らないだろ」
 「う~ん、そうですねえ」
 「この人、すごいパントマイマーなんだぞ」
 「え、マジですか?」
 「ったく、お前はなあ……」

 と、僕は中村有志氏の方を振り返り、話を続けた。
 「中村さんのマイムに対する姿勢って、戦略的、って言うか、、マーケティング的ですよね」
 僕は、なんだかインタビュアーのように、中村氏のパントマイム論について聞いていた(以前、NHKで中村氏が出ているインタビュー番組を見たことがある。そのときの印象が残っているのだろう)。いろいろ話をした挙句、最後はこんな言葉でまとまった。

 「俺はね、売れない芸術なんてダメだと思ってるのよ。マイムをやってる途中で、こっちの方が客に受けるな、こっちの方がお金もらえそうだなって感じたら、自分のポリシーなんて関係なく、ひょいひょいマイムのやり方を変えてしまう。節操ないよ、ホント(笑)」
 「でも、それって『商人の息子』(前述の番組で、僕は中村氏が商家の出身であることを知っていた)の発想ですよね? 日本では『士農工商』って、商人の位置が低いでしょ。芸術の分野でも、一般の人に受ける『大衆芸術』より、貧乏だけど高尚なことをやっていそうな『純芸術』の方がずっと格上みたいに見られてるじゃないですか。でもなあ、それって違うと思うんですよ」
 「そうだよね。人間は、自分にとって役立つものにしかお金を出したくないでしょ? お金をもらえるってことは、僕のマイムが、世の中の人に役立ってるってことなんだよね」
 「そっか、逆に、どんなに立派なことをしていても、お金をもらえないっていうのは人の役に立てていないってことになるんでしょうかね」
 「そう。僕、仕事でお金をもらうたびに、ああ、こんな僕の芸でも、他の人を幸せにできるんだなあって実感してんのよ。お金は汚いものでもなんでもない。僕にとっては、人とつながり、人の役に立っている証なんだよね……」

 ここで目が覚めた。
 どうして、あの『TVチャンピオン』のレポーター、中村有志氏が僕の夢に出てきたのだろう? そして、どうして妙にまとまりのよいインタビューをしていたんだろう?
謎だ。


 謎は多いが、でもやっぱり、夢ってのはおもろいなあ。

2002年08月28日

コンサートの夢

 夢を見た。

 僕は、コンサートホールにいた。客席の方だけ見ると、2000人くらいは入りそうな、立派なホールだ。しかし、どういうわけかその構造は横長で、ステージが妙に幅広い。客席の奥行きは、寸詰まりだ。

 ステージの上では、DJが客をあおっていた。彼が「Say Yeaaa!」とか呼びかけると、客席中央の客が総立ちで応える。ところが、横に広い客席の端に近いところには、Yシャツ姿のオヤジの姿が目立つ。で、彼らはDJの呼びかけなどお構いなく、ムッとしながら座っている。

 と、女性ボーカルがステージに入場。彼女は、Globeの曲を歌っていた(なぜだ? Globeってユニットがあったなんてこと、すっかり忘れていたのになあ)。ところが、彼女はGlobeのボーカル、KEIKOとは似ても似つかない姿。一昔前の声優を、さらに貧相にしたような感じ。
 彼女のバックバンドも、変だった。8人程度のバンドに、ドラムが2台という編成だったのだ(ギターやキーボードもいたと思うが、憶えていない)。2人のドラマーは、交互にソロを取ったりしていた。そして、これもまた奇妙なことに、彼らの中央には「指揮者」がいた。いや、指揮棒を持たず、キューを出すようにしてメンバーに合図を送っていたから、バンドマスターと呼ぶべきなのかな? とにかく、ステージ後方中央に彼は陣取り、バンドを指揮していた。

 サウンドは薄っぺらで、ドラムのハイハットだけを伴奏に、ボーカリストは歌っていた。

 僕は、どうやら客席にいたらしい。その薄っぺらな曲を聴いていると、僕の後ろに立っていたオヤジが、連れに向かってドラムについての講釈をたれ始めた。「あのドラムフレーズは『渡り太鼓』だぜ」とかなんとか言ってた(なんだその「渡り太鼓」ってのは?)。彼らはどうやらバンドのメンバーの知り合いで、いわゆる業界人のようだ。そして、演奏にお構いなく、わけの分からないうんちくをのたまっている。

 僕は、頭にきた。
 グッと後ろを振り向き、そのオヤジに向かって言った。「黙れ。殺すぞ。」オヤジとその連れは、たじろいで2、3歩後ろに下がった。すると、彼の別の仲間で、多少威厳のある雰囲気のオヤジが、「なあ兄さん、『殺す』なんて言い方は、あんまり上品な言い方じゃあないんとちゃいますか? 言い直したらんかい!」と詰め寄ってきた。僕はさらに言い返そうと思ったが、思い直し、そのオヤジの顔をにらみながら、「言葉がすぎました。申し訳ありません」と、深々とお辞儀した。と、僕の斜め前にいたスーツを着た小男が、「わっはっは、君のような男が、我が組にいればのお!」どうやら彼はヤクザの大親分で、僕のことが気に入ったらしい……。

 そこで目が覚めた。

 しかし、締めの部分、『サラリーマン金太郎』かっつうの。我ながら、陳腐な夢だなあ……。

2003年02月20日

「30年党」

 4歳の次女が、何の前触れもなく泣く。夕食を食べているとき、絵本を読んでいるとき、コンピュータに向かう両親の膝の上にいるとき……。理由を聞いてみると、戦争が怖いから、らしい。
 神戸の大震災の直後、地震を怪獣か何かのように考えている子供の話を聞いたことがある。次女もきっと同じような状況なのだろう。戦争というものがよく飲み込めないから、余計に怖いのではと思う。


 深夜の2時、夢を見て目が覚めた。

 僕はどこか狭い部屋で、たくさんの人と一緒にいた。僕らは絶えず議論をしていた。ちょうど、ウォーレン・ビーティの『レッズ』のワンシーンのような感じだったな。そう、僕はJ・リードだったのだろう。
 で、その中で僕は、こんなことを話していた。「僕らの党の名前は、もう決まっている。『30年党』だ。入党資格は一つだけ。この先30年、この世界で生きていこうと考えていればOKだ。死ぬまでの10年、何とか逃げ切ればいいと思っている老人や、目先の利益だけしか見てない奴らは無視しろ。分衆の時代だ、全人類を満足させられる政策などあり得ない。僕らは僕らが住みたいと思える社会をデザインするんだ、それが『30年党』だ」

 僕が見る夢は、たいがい、意味の分からない部分がたくさん混じっている。でも、この夢に限っていえば、ものすごくクリアで、論理的だった。

2003年10月27日

刑事になった夢

 久しぶりに、ひどく長い夢を見た。ことによると、こんなに長い夢を見たのは初めてじゃないだろうか。なにしろ、連続ドラマ1クール分の夢だからな。もっとも、夢から覚めた今覚えているのは、「第13話」だけだったりするのだが。

 僕は、新任の刑事として、ある警察署に赴任した。同僚は深津絵里。おそらく、ユースケ・サンタマリアもいたと思う。ただ、夢のネタ元は完全に『踊る大捜査線』のはずなのに、僕の相棒はよりによって伊集院光だった(なぜだ?)。

 「1話」から「12話」までの内容は、断片的にしか覚えていない。かろうじて記憶に残っているのは、「リゾート地のホテルの入り口で、大会に出場することが決まった警察所属のアイスホッケー部(選手が全部で50人はいた。それじゃアメリカンフットボールだって)を、署員全員で万歳三唱した後に送り出す」とか、「『松戸市まで車を飛ばすと30分。よし、奴のアリバイは崩れた(どうしてそれで崩れることになるのか全く分からないのだが、そういうことになっていたのだから仕方がない)』と叫んでいる」なんてシーンだけだ。想像するに、それなりに充実した刑事生活を送っていたのだろう。

 そして、いよいよ最終話に突入だ。
 僕は、伊集院光と共に、とあるJRの駅前にいた。そこで2人は、犯人逮捕のための決定的なセリフ(青い空がどうの、とかいう内容だった)を思いだした。そして、ほぼ同時に、その言葉の意味するところを悟った。駅前には、青い空が描かれた看板があった。それをじっくりと見て、青に目を慣らした後、僕らは券売機の上にかかっている路線案内図に目を移した。すると、青い残像で読みづらくなった路線図の中に、1カ所だけ白く浮き上がって見えるところがあるではないか! それは、手掛かりとして残されていた図形にも、ピッタリと符合した。そして、2人は同時に叫んだ。「分かったぞ!」。僕らの後ろにいた制服姿の警察官が、無線で「犯人が分かったようです。緊急手配お願いします」と連絡している。

 僕と伊集院は、応援を待つのももどかしく、電車に飛び乗った。中央線だ。路線図に示された場所である三鷹駅で降り、ホームを少し歩くと、応援に来たという同僚が2人、後ろから追いかけてきた。いかにもベテラン捜査員という雰囲気の渋いオヤジと、比較的若い女性というペアだ。
 僕ら4人は、並んで数歩進んだ。ところが驚いたことに、いきなり伊集院が銃を抜き、オヤジ刑事に向けて構えた。オヤジは反射的に銃を抜き、一緒にいた女性刑事の頭に突きつけ、左手で彼女の首を押さえつけた。僕は、オヤジの後ろに立ち、やはり彼に向かって銃を構えた。
 伊集院は、オヤジが犯人である理由を、理路整然と述べはじめた。僕は、同僚が犯人だったということと、いつもは間の抜けたことばかりしていた伊集院が、実は大層な切れ者であったことに驚きながら、必死で銃を握りしめていた。すると、オヤジ刑事は事件の経緯を語りはじめた(この辺のトーンは、『踊る……』というより、『ケイゾク』っぽかったな)。そして、全てを語り終わった時、ホームには電車が入ってきた。オヤジは女性刑事の首を抱えたまま、線路に落ちようとした、伊集院は素早く彼につかみかかった、だが……。
 次の瞬間、僕は顔にしぶきがかかるのを感じた。ごく小さいかけらのようなものも混じっていた。足元に何かの塊が転がってきてぶつかった(多分、ちょうどその時、横に寝ていた5歳の次女に蹴られたのだろうと思う)。ホームに、3人の姿はなかった。

 僕はどうしようもない無力感に襲われ、駅の階段を上った。

 ……そこで目が覚めた。

 さすがに疲れたなあ。何しろ、3カ月たっぷり刑事をやってたわけだから。

2003年11月04日

長い夢/小久保、ジャイアンツへ放出

 今朝も、長い、長い夢を見た。

 人工衛星(?)から、きらきらと光る海に向かってダイブした。海に入る数秒前、僕は、水面に対して直角に入れば死なずに済むはずだと考え、つま先を伸ばした。高いところから落ちているのだから、海の中に沈んでいる時間も長いはずだとも思い、鼻をつまんで息を止めた。だが、海に突入してから15秒ほどで海上に浮き上がることができたため、「ははん、これは夢だな」と理解した。

 最後のシーンは、学校のグラウンドのようなところだった。ただし、土のトラックには、木製の柵が巡らされていた。僕は何人かの友人と一緒にいた。妻はもうずいぶん前に捨ててしまったロッキングチェアに座っていた。僕は、日差しがなくて寒いから、薄着はやめておいた方がいいよ、と言って雲を見上げた。雲は、地上から10メートルくらいのところを、ものすごい勢いで流れていた。雲の流れてきた右の方に、僕は視線を移した。と、雲はいつか白い電車に変わっていた。僕は、家族と共に駅のホームに立っていた。
で、そこで夢は終わった。


 目が覚めると、肌寒さを感じた。つい昨日まで夏だ夏だと思っていたのに、気が付くともう11月だ。季節の過ぎるのは、本当に早い。本当に、だ。
 この調子で行くと、50歳や60歳になるのもあっという間だろうなあ。ついこの前まで高校生だったはずなのに、気が付いたら死の床ってことだ。「なにわのことも ゆめのまたゆめ」という気分、分からなくもない。

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 ダイエーホークスの小久保が、ジャイアンツに放出されるらしい。ジャイアンツから、人的、金銭的な補償は一切なし。スポーツ紙の中には「無償トレード」と書いていたところもあるけれど、見返りがゼロなのに、何がトレードだよ、と思う。

 本当に、ひどいものだ。ますます「野球」が嫌いになる。故障で1年間戦列を離れていたとはいえ、小久保はれっきとしたダイエーの4番バッターだ。それを、何の見返りもなく放出するなんて、考えられない。本当に、うんざりする。

 この「トレード」によって誰が得をするというのだ。小久保は、「第二の江藤」にされるだけだ。打順は6番か7番で、彼が築き上げた地位や「格」など全く無視。読売や報知、日本テレビのプレッシャーを受け、故障を押して無理な試合出場を余儀なくされる。挙げ句、2~3年いいかげんな使われ方をして、今度はベンチ要員に格下げだ。
 小久保に取って代わられる江藤にしたって、惨めなものだ。カープ時代は押しも押されもせぬ看板選手だったのに、ジャイアンツでは「その他の選手」として十把一絡げにされた。そんな扱いをされれば、オーラも輝きも消されてしまうのは当然だ。今後、他球団に移籍できればまだマシだろうが、このままベンチに座らされるようでは、本当に浮かばれない。
 ホークスの選手も、腹を立てているに違いない。来年は井口が抜ける。このままでは得点力の低下は免れない。いくら若手投手陣が充実しているからといっても(ホークス投手陣の充実ぶりは、一時の西武ライオンズに匹敵するほどだ)、何らかのてこ入れは必要だ。だがそこに、中軸打者の無償放出だ。報知新聞によれば、松中は「ふざけるな、と言いたい。もう、この球団は勝ちたくないんでしょ。終わりですよ」とコメントしたらしい。そりゃあそうだろう。小久保の年俸は、恐らく2億円程度。選手の側からすれば、日本一で選手の年俸が上がるのに備えて、球団は2億円の予算を確保しようとした。そんな風に映るだろう。そんなに金がないなら、外資でも何でもいいから身売りしろよ、ダイエー!
 そして一番不幸なのは、ジャイアンツの若手内野手たちだ。江藤が衰えたと思ったら小久保が来て、さらに松井稼頭央も狙っているチームで、彼らは文字通りの飼い殺しだ。多摩川あたりのグラウンドで、永遠に続く助走の中にいる彼らの気持ちは、果たしてどんなものなのだろう。


 こんな「野球」など、誰も見たくない。ファンがMLBに目を向けるのは、当然のことなのだ。

 本当に、毎年「野球」を見るのが憂鬱になる……。

2005年07月16日

ドラマ仕立ての夢

 夢を見た。なにやら、ドラマの一部分のような夢だ。僕の目線から見た映像だけでなく、僕自身を前や横から見たカットもあったから。

 僕は、人材派遣会社のようなところで、キャリアアドバイザー兼弁護士(?)のような仕事をしているらしかった。僕は、30代半ばで企業の人事を担当している男性、20代前半でその企業への転職を志望している女性と3人で、直径1メートルくらいの丸テーブルを囲んでいた。
 僕は、転職志望者の女性が、ひどくダラダラとした態度で話をしていることに気が付いた。こんな態度じゃ、絶対に採用などされない。僕はその女性に注意をしようと思った。と、その女性は、丸テーブルにもたれ、頬をテーブルにペタリとくっつけて話をしていた。さらに、女性の頭の上には、人事担当の男性が頭を乗せていた。面接にあるまじき、親密な雰囲気が二人の間に流れている。
 その時、男性か女性が何かセリフを言った(内容は忘れてしまった)。それに対して僕は、「それより僕は、どうしてこういう状況になったか教えて欲しいものです」と答えた(ドラマの上では、ここは多分笑いどころ)。そして、2人に対して法律的な講釈(入社から数日後に自己都合で退職した場合、会社から損害賠償を求められる可能性はあるかどうか、なんていう話だった気がする)を一通りした後で、僕は面接室のドア(病院の手術室にあるような、ストッパーもドアノブもない、押せばそのまま開く仕組みのドアだった。ただし、なぜか扉が2枚重ねになっていて、ひどく開けづらかった)を肩で押して、すっかり親密になっている面接者と転職志望者を後にした。

 相談者などでごった返す廊下を抜け、キャリアアドバイザーの控え室(学校の職員室のような雰囲気)に戻った。僕が妙に幅の狭い、木製の机に座ると、同僚の女性数名が、差し入れと称して食べ物をくれた。クッキーの類もあったが、ほとんどはチーズのかけらや、ビニールの小袋に入った柿の種、中にはインスタントラーメンをくれた人もいた。僕は、どうしてよりによってこういうものをくれるのだろう。僕の同僚は、美人だけど変わり者ばかりだと思いながら、隣の席の一番気心の知れた女性の同僚に、「お金持ちの家の子供になった気分~」とおどけていた(これも多分、ドラマ的には笑いどころのつもり)。
 その瞬間、僕は何かひらめいたらしい。急に目の前にあった受話器をひったくり、電話機のダイヤルを押した……。

 そこで眼が覚めた。

 このシーンに至るまでの過程は、すべて忘れてしまった。しかし、ずいぶん長い夢だったような気がする。


 そんな夢だった。

2005年09月02日

時速112km

 夢を見た。

 僕は恐らく、清原和博の役をやっているらしい。桑田真澄と、深刻な調子で話をしている。話題は、そう、引退について。

 その後、僕と桑田は室内練習場でキャッチボールをして、軽く汗を流した。ボールはプラスティックのような手触りで、ひどく軽くてよく回転した。表面は、白と黒の縞模様。僕がストレートを投げると、きれいな縦回転をして、灰色に見えた。でも、桑田の投げるボールは、いびつな回転をしているのがよく分かった。

 僕は桑田を連れて、室内練習場を出ようとした。すると、そこには野村克也氏がいた。僕は野村氏に尋ねた。
「バッターを抑えるには、どのくらいの球速があればいいんでしょう?」
野村氏は自信満々の笑顔で答えた。
「112キロ」
「そんなの、僕にだって出せるっちゅうの!」
驚いた僕の横で、桑田は苦笑していた。ホクロだらけの顔で。

2005年11月20日

「エマニエル夫人のテーマ」の夢

 夢を見た。

 僕は、ある高層ビルの中にいた。どうやらそのビルには、僕がよく出入りしている編集部があるらしい。
 僕は仕事を終え、仕事仲間に別れを告げて、ずいぶんと長いエスカレーターに乗った。エスカレーターは何本も並行に設置されていて、多くの人が乗り降りしていた。1階に降りると、そこにはドアはなく、すぐにビルの外に出られる仕組み。駅のような建物だと思った。

 僕はビルを出てすぐに左に曲がった。古びた木造の建物に入ると、そこは小学校の教室のようだった。顔見知りの人が数人いて、僕は軽くあいさつをした。どうやらこれから、「勉強会」が始まるらしい。そして僕は、「勉強会」の副幹事(?)を務めているらしい。

 するとそこに、「講師」が入場してきた。日本人とも外国人ともつかない顔をした男は、教壇に立って歌い始めた。教卓の上には、「黒ひげ危機一発ゲーム」が置かれていて、彼はそれに向かって熱唱した。曲は「エマニエル夫人のテーマ」。

 と、彼が歌っている途中で、「勉強会」の幹事がおもむろに立ち上がった。そして、小学生用の小さな机に座っている僕らを見回して、「ええっと、皆さんにお伝えしたいことがあります……」と言った。
 歌を途中で遮られた「講師」は、明らかに感情を害したようだった。怒りを押し殺した顔で、「それでは失礼します……」とだけ言い残し、彼は教室を出た。
 静まりかえる教室。僕は、頭を抱えた。幹事に「お前は空気を読め!」と叫び、ぽかんとした顔の幹事を後にして、講師に詫びようと教室を飛び出した。廊下をしばらく走り、木造の建物を出てエスカレーターの下まで行ったが、もう「講師」の姿はどこにも見えなかった。

 僕は途方に暮れた。そこに、中学時代の同級生が通りかかった。中学時代そのままの童顔と、スーツとサングラスという姿に、違和感を覚えた。彼は僕に向かって、「お前の責任だぞ。ちゃんとフォローしておけよ」となじった。
 もちろん彼に言われるまでもない。副幹事という立場としては、「講師」その人と、「講師」が所属する組織に対して謝罪をしなければならないことは明らかだった。僕はエスカレーターを見上げ、「今日は早く帰って、明日の取材の準備をしようと思ったのに……」とつぶやいた。
 僕はさっきまで仕事をしていた編集部に戻り、関係各所に連絡を入れようと決意した。そして、重い足を引きずるようにして、上りエスカレーターに乗った。

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 とまあ、こんな夢だった。
 そもそも夢というものはわけの分からないものだが、今日見た夢もそうだった。なぜ教室で「エマニエル夫人のテーマ」? なぜそれが「勉強会」? そして、なぜ突然、ほとんど存在を忘れかけていた中学時代の同級生(彼と同じクラスだったのは1年間だけで、さほど親しい間柄ではなかった)が登場した?

 釈然としないまま、目が覚めた。

2006年03月30日

面接への潜入取材

 夢を見た。

 僕は、転職者のふりをして、ある企業の面接を受けていた。どうやらこの夢は、ライターによる面接現場の潜入取材、という設定らしい。履歴書、職務経歴書の他、僕は「自転車部に入っていたため、体力と根性には自信がある」(いつの間に自転車部なんかに入っていたんだ、俺は?)といった内容の自己PR書を携えて、社長との面接に臨んだ。

 社長の顔は、ヒューザーの小嶋社長にそっくり。しかし、案外、というべきか、非常に人情に厚そうな人だった。僕が持参した架空の経歴を読みながら、いろいろな質問を投げかけてきた。僕は、あらかじめ用意しておいたシナリオに沿って受け答えをしていたのだが、そのうち、貴重な時間を割いて、熱心に質問をしてくれる社長をだましていることに、心苦しさを感じるようになっていた。
 社長、実は僕は転職志望者ではなく、ライターなんですよ。ごめんなさい、これは取材で、僕は御社に入る気などないんです……。

 社長は、僕を気に入ったようだ。そして、僕をぜひ採用したいと言った。これ以上、この社長をだますことはできない……。だが、結局僕は、最後まで取材で訪れたことを言い出せなかった。仕方なく、「新幹線の時間がありますから」とうめいて、返答を先延ばし。逃げるようにその会社を後にした……。


 ……とまあ、なんとも後味の悪い夢だったなあ。面接に潜入取材するという設定が、中途半端にリアルで、そこもまた、イヤな感じだった。

2006年04月03日

夢の断片、二つ

 夢を見た。いつも通り、かなり長い夢だったのだが、覚えているのは二つの断片だけ。

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 一つ目の断片。

 僕は、ある編集部で仕事をしていた。その場所は、その編集部が現実に使っているフロアとは、全く違っていた。むしろ、僕が10年ほど前、頻繁に出入りしていた編集部のそれに近かったと思う。
 軽い打ち合わせが終わると、僕は編集者の一人から呼び止められた。別の部門(マーケティングか何かの部門だった)が主催する実験に、協力してほしいのだという。その編集者は、「本当は社員だけでやれればいいんですけど、人数が足りなくて……」と恐縮していたが、僕はむしろ嬉しかった。外部スタッフである僕を、「中の人」として扱ってくれたような気がしていたのだ。

 僕は、体育館のような場所に案内された。僕らのグループは、どうやら会場に一番乗りしたようだった。壁には、座席表(?)と注意書きのようなものが書かれた、B1版、もしくはA0版サイズの模造紙が張られていた。
 僕は、何かのゲームをするのだと思った。そこで、近くにいた編集者のKさんに耳打ちした。「もしこれからゲームをするのであれば、互いに協力しましょう。その方が、互いが生き残れる確率が高くなるかもしれない」。
 会場には、続々と人が集まってきた。僕たちは、「実験」が始まるのを、わくわくしながら待っていた……。

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 二つ目の断片。

 舞台は、先ほどと同じ体育館。でも、夢の雰囲気は全く違っていた。何だか、荒涼とした雰囲気。先ほどの夢に出てきた人々はいなくなり、壁に張られていた紙もなくなって、ガランとしていた。
 僕の前には、3人の女がいた。リーダー格は、映画『下妻物語』に出演していた矢沢心を醜くして、60%くらい体重を増やした感じ。残る2人も、絵に描いたような「スケバン」だった。3人は僕に襲いかかってきたが、僕は周りにあったもので応戦。高さが70cmほどもあるような壺を持ち上げ、倒れているスケバンの頭に投げおろしたり、彼女らが持っていた木刀を奪って、思い切り殴りつけたりもした。
 確かにダメージは与えていたはずなのだった。僕が攻撃するたびに、3人は倒れたり、ふらついたりしていたのだが、どういう訳か彼らは常に笑っていた。
 僕は3人を、体育館の床に正座させた。彼女らは、命令におとなしく従った。しかし、なお余裕のある笑みを浮かべている彼女らを前にして、本当に僕は優位に立っているのか、不安がぬぐえなかった……。

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 ……と、そんなところで目が覚めた。

 どういうことで、こんな夢を見ているのか。その仕組みは、全く分からない。どんなに追求しても、夢の意味しているところを知ることなどできないだろう。

 でも、多分僕はまた、訳の分からない夢を見るんだろうな。明日か、明後日か、その次の日なのかは分からないけれど。

2006年04月07日

泳ぐ夢

 夢を見た。

 僕は、スイミングスクールで泳ぎを習っていた。最も自信を持っているのは、背泳ぎ。腕で一度かいただけで、僕の身体は25mプールの向こう側まで届いた。

 最初のうち、そこは何の変哲のない室内プールだった(やや小振りな感はあったが)。ところが、途中から、柔道場のような雰囲気に変わっていた。コーチも受講生も皆、柔道場の畳の上に立っていた。そして、泳ぐ番が回って来ると、畳から1mくらい浮き上がり、宙を泳いだ。
 柔道場プールの中には、黒いジャケットを着た、NHKの山本浩アナウンサーにそっくりなコーチがいた。彼は僕に言った。「白谷さんのクロールは、アメリカのウォード選手のフォームに似ていますね」……

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 ……目が覚めると、早速Google窓に「水泳 ウォード」と入力して検索した。めぼしいヒットはなし。おかしいな、山本アナは、はっきりと「ウォード選手」って言ってたのに。そして僕は、目が覚めたらちゃんと検索しようと思って、きちんと聞き直したのに。

2006年05月03日

「ふぞろいの林檎たち」の夢

 夢を見た。

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 僕は、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」の世界にいた。

 仲手川(中井貴一)と僕は、久しぶりに本田(国広富之)を訪ねていた(おそらく設定は、「ふぞろい~」のパート3くらいの時期だと思う)。本田は、以前とガラリと印象が変わり、とても柔和な笑顔で僕らを迎えてくれた。僕は本田の顔を見ながら、数年会わないだけで、人はこれほど変わるものかと驚いた。

 僕と仲手川は、何か悲しい思いをしていたのだと思う。たとえば、共通の友人を亡くしたとか。公園のベンチのような場所で、そのことを本田に話した。すると彼は、ハードカバーで横長の本を取りだしてきた。
 ページをめくると、朱色のページが目に飛び込んできた。背景は、夕日と海の写真。そこに、明朝体の、80級くらいある大きな文字が、十数行並んでいる。僕は一目見て、これは夏恵(高橋ひとみ)の遺書だと了解した(遺書がなぜ、ハードカバーに製本されているのかは分からないけど)。そして、背景写真で使われている海は、夏恵が身を投じた場所であろうとも感じた。

 一行目には確か、「もう、どうでもいい」と書かれていたと思う。また、三行目以降はほとんど思い出せない(「カレンの不器用だが……」という文があった気もする)。
 ただ、二行目の冒頭だけははっきり目に焼き付いている。「心言え。」だ。
 遺書の中で夏恵は、本田に心を開けと諭していた。それがどんなにぎこちないものでも、心を開いて伝えようとすれば、相手の心をふるわせるものなのだと。本田が心を開ける人間に変わることが、私の最後の願いなのだというのが、遺書の骨子だった。
 それで夏恵は、「心言え」と書いた。僕は、「夏恵は確か東京外語大を出てるのに、変な文章を書くなあ」と思った。それで、妙に記憶に残ったのだ。

 遺書を僕らに見せながら、本田は少し寂しそうに笑った。すると、仲手川は本田に抱きついた。本田は最初、少しとまどったが、すぐに優しい笑顔になって、仲手川を抱き留めた。そして、仲手川の背中をトントンとたたき、彼を慰めた……。

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 もっと長い夢だったのだが、今覚えているのはこのシーンだけ。遺書の次のページも読んだのだが(そちらは、12級くらいの小さな文字で、ぎっしりと書かれていた)、すっかり忘れてしまった。


 こういう風に、ドラマの中に僕が入り込んでいる夢は、たまに見ることがある。ただ、僕が誰かの役をやっていることはさほど多くない。今日の夢でも、僕は岩田(時任三郎)ではなく、あくまで僕自身として夢に参加していた。

2006年10月30日

古畑任三郎の夢

 夢を見た。


 舞台設定は、ドラマ『古畑任三郎』そのまま。

 田村正和演ずる古畑任三郎は、森下愛子(ただし、外見は30歳前後という雰囲気だった。『うちの子にかぎって』くらいの頃か?)が主宰するフラワーアレンジメント教室に通っている。花に興味はなく、いかにも森下目当てという感じ。その教室には二十歳過ぎの男(こちらは誰なのか分からない。実際の『古畑……』にも出演していた市川染五郎に藤原竜也を混ぜ、さらに若くしたような男だった)も通っている。若い男は和の文化に興味を持っていて、それなりの知識も持っているらしい。

 で、ある日のこと。古畑は、フラワーアレンジメント教室に和服で現れた。和服を着たのはほんのはずみで、本当は自分で着付けることすらできない。それなのに、古畑は見栄を張り、森下と若い男に、和服に関する聞きかじりのうんちくを語ってしまった。それを聞いた若い男は、がぜん興味を持って古畑に質問を浴びせる。しどろもどろになりながら、いい加減な返事を返す古畑。途中、例の横柄な調子で知り合い(恐らく和服を借りた人物)に電話を掛け、和服についての事柄を聞いたりもしていた。

 レッスンが終わった。教室(庭は広く、白い砂利が敷かれていた)を出るとき、和服姿の古畑は、一辺80センチメートル程度、麻縄のような素材でできた目の粗い網状の袋に足を突っ込んだ。どうやらその袋は、和服の裾を汚さないための外套(?)らしい。古畑は、袋の一端についているひもを右手に持ち、小股で歩いて教室を後にした。そして、若い男と歩く道すがら、古畑はさっき電話で仕入れた、和服に関する知識をひけらかした。

 その日。若い男は殺人を犯す(経緯は不明)。そして、古畑は不敵な笑みを浮かべながら、事件の謎を解こうと動き始めるのだった……。

 と、いうところで目が覚めた。


 基本的には、僕は田村正和たちを客観的に、それこそドラマのように見ていた。ところが、網状の袋に足を突っ込むシーンから、和服のうんちくを語りながら若い男と歩くところまでは、僕自身が古畑になっていた。こういう風に、視点が自由に移動するところが、夢の面白いところだな。

 もう一つ、今日見た夢の変わっていたところは、これは夢だとうっすら分かっていたところ。僕は意識の底の方で、「今、この夢の中で和服に関する話題が出ているのは、妻がこの1年ほど和服に凝っていることが影響しているんだ……」と、ぼんやり考えていた。
 夢だと知りつつ夢を見ることは何度かあったのだが、どうしてこの夢を見ているのか考えながら夢を見たという経験は珍しいな。

2006年11月09日

新聞のスポーツ欄の夢

 夢を見た。といっても、記憶に残っているのはただ一つの絵柄だけ。一般紙のスポーツ欄だ。

 見開きの左ページでは、高校野球が報道されていた。「○○選手、○奪三振の力投」というような見出しの合間に、元プロ野球選手(恐らく、鹿取義隆氏の名前があったように思う)によるコラムが挟み込まれていた。
 右ページには、日本シリーズ終了後のレポートが載っていた。中日ドラゴンズ・落合監督の選手起用の是非とか、そんな記事だった気がする。


 普段は比較的長く、それなりにストーリーのある(といっても、荒唐無稽な筋がほとんどだが)夢を見ることが多いので、こういう一場面だけしか覚えていないケースは珍しい。

2007年04月09日

タクシー運転手に怒鳴る夢

 夢を見た。


 僕は家族と一緒に、国内の観光地を訪れているらしかった。雰囲気としては、北関東の地方都市といったところ。

 旅程も終盤。僕らはJRの駅に向かうため、タクシーを拾おうとした。観光地の駐車場らしき一角には、タクシーが何台か止まっている。僕が声を掛けると、一人の運転手がこちらを向いた。50代後半の男性。軽薄な雰囲気であれこれと話しかけてくるが、右手に持った煙草は持ったまま。僕はこの時点で既に、「煙草を捨てて早く出発しろよ」と不機嫌になっていた。
 その運転手の煙草の吸い方も変だった。フィルター側に口を付けるのではなく、火がつき煙が上がっているところに唇を近づけ、副流煙を吸い込んでいる。その姿が、ますます癪に障った。

 しばらくして、ようやく運転手は車に乗り込んだ。僕は不機嫌なまま、シートに座った。しかし、家族と一緒に外の景色を見ているうちに、気分はどうにか落ち着いてきた。道路の両側に並ぶ木造の建物を見ながら、僕は子供と話をしていた。
 ところが、車は急に止まった。そして、運転手は車外に出て、また煙草を吹かし始めた。僕は再びいらいらしてきた。運転手はそれに気付くと、半分くらい残った煙草を放り、足で踏みつぶしてから車に乗り込んだ。
 そして、わずか数十秒後、タクシーは駅に到着。タクシーから降りると同時に、僕は「何であそこで煙草を吸わなきゃならねえんだよ。駅に着いてから吸いやがれ!」と声を荒げた。運転手にいくつも罵声を浴びせたが、それでも気持ちは収まらない。「上長を呼べ!」と怒鳴り、今度は運転手の上役に向かってまくし立てた……。

 ……ここまで夢を見て、あまりの不愉快さに目が覚めた。当然、気分は最悪。月曜日だっていうのに、何だかなあ……。

2007年04月13日

電話が聞き取りにくい夢

 夢を見た。


 僕は仕事部屋にいた。本当の仕事部屋とは、似ているようで違う。

 電話が掛かってきた。昨日、取材をした人からだ。僕は床に座り込み、彼の話を聞いている。取材は受けたが、やはり誌面には載りたくないということらしい。

 窓の外は、強い風が吹いている。窓ガラスがビリビリふるえている。そのせいで、電話の声はとても聞き取りにくい。彼の声は、3分の1ほどしか理解できなかった。僕は仕方なく、何度も「もう一度お話しいただけますか?」と聞き直した……。


 その後、十数年前に一緒に仕事をしていた人と会ったり、中古ゲーム店を冷やかしたりしたのだが、そのあたりはほとんど思い出せない。

2007年06月16日

1万年前に戻る薬

 夢を見た。

 

 僕はテレビ番組に、パネラーとして出ていた。司会者は、恐らく島田紳助だったと思う。

 紳助は僕らに聞いた。

 「1万年前に戻って、1万と50年生きられる薬があったとする。さあ、あなたは使ってみる?!」

 他のパネラーは、口々に拒否した。長生きできるのはいいかもしれないけど、1万年は長すぎる。だいたい1万年前なんて、文明も何もなかった頃じゃないか。そんな時代に戻って生きるなんて、どう考えても大変すぎる。

 でも、僕だけは違った。どうやら夢の中の設定では、僕の娘は死に至る病にかかっているらしい(あるいは既に亡くなったか、殺されたのかもしれない。この辺りは、もうはっきりしない)。で、僕は、1万年前に戻ってそこから歴史をやり直せば、娘が救えるかもしれないと思ったのだ。

 そこで僕は志願して、その薬を飲むことにした(ただのパネラーだったはずなのに、治験者みたいなことになってる!)。そして、1万年前に戻って、娘を救えるかどうか確かめてみることにした……。

 

 ……と、今の時点で覚えているのはこれだけだ。僕は夢の中で1万年分生きたのか。それは、よく分からない。

 でも、「1万年前に戻って、1万50年生きる薬」っていう問いかけは面白かったなあ。僕は過去に現実世界で、そんな話を耳にしていたのだろうか? あるいは、夢の中の僕が考え出したんだろうか?

2007年06月27日

「無風状態」を歌う杉良太郎

 夢を見た。

 

 僕は沖縄にいた。こぢんまりした公園のような、ビアガーデンのような雰囲気の屋外ステージの座席に腰を下ろし、演奏が始まるのを待っていた。隣には、十数年前に同僚だったOさん(現実の世界では、もう10年くらい会っていない)。周囲には、スーツ姿の男性が目立った。座席は木製のベンチシートで、僕のひざの上にはフォークギターがあった。

 誰かの演奏が終わった。続いてステージに上がってきたのは、杉良太郎だ。ステージの大きさは、2メートル四方。僕らとの距離は、約15メートル。ステージに上った杉良太郎は、こちらを見てにっこり笑うと、おもむろに歌い始めた。曲は、はっぴいえんどの「無風状態」。アコースティックギターの前奏が聞こえた瞬間、観客は大きく沸いた(観客はみんな、おじさんだったんだな)。僕も拍手し、大喜びで歌を聴いた。

 歌の途中で、僕は用事があったことを思いだした。そこで、隣のOさんに「この歌が終わったら、俺だけ抜けさせてもらうよ」と小声で伝えた。盛り上がっている途中で抜け出すのは難しいかと思っていたら、意外や意外、杉良太郎は「無風状態」を歌い終えると、すぐにいなくなってしまった。そこで僕は、Oさんに別れを告げて会場を出た……。

2007年08月11日

太ももに虫(?)がいる夢

 夢を見た。

 

 僕は、完成して間もない一戸建ての家にいた。2階建て、4LDKくらいの間取りのようだった。1階にはリビング。2階に上がると、子供部屋やダイニングキッチンがあった。

 で、階段を上りきったところは、ちょっとしたホールになっていた。そこには大きめのラックがあり、コンピュータやモニター(液晶ではなく、かなり大きなCRTディスプレイだった)、プリンターが収納されていた。僕はそのラックの前に座っていたが、そのうちフローリングの床に寝そべり、うとうとした。

 どのくらい時間が経ったのだろうか、僕は太ももに違和感を感じた。見ると、皮膚の下を黒い物体が、右膝上10センチくらいのところから股関節方向に動いている。僕は腰が抜けるほど驚いて、この気味の悪い物体が胴体の方に移動しないように、太ももを押さえた。そして、周囲にいた人を大声で呼んだ。そしてもう一度太ももの方向を見ると、床には体長7~8センチの細長い虫がいた。ムカデのような、エイリアンの幼虫のような、気味の悪い虫だった。

 次の瞬間、場面はオフィスのような場所に変わっていた。スーツを着た人たちの間を縫って、白衣を着た研究者のような男が僕に近づいてきた。手には、先ほどの虫と同じような生き物を乗せたトレイを持っている。トレイにはベルベットの布が敷かれていて、その上に虫はいた。虫の数は3匹。ただし、僕が見たものより大きい。3倍くらいの長さがあるようだった。そして、色もずいぶん白っぽかった。その研究者は、虫について解説した(内容は忘れてしまった)……。

 

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 ううむ、気持ち悪い夢だった。そして、太ももの違和感もリアルだった。ただし、痛みは感じなかったな。

2007年08月12日

入れ子構造の夢

 夢を見た。そして、夢の中でも夢を見た。

 

 僕は、テーブルに座っていた。右手には江頭2:50、正面には見知らぬ男が座っている。

 突然、江頭が自らの唇を強く噛み始めた。顔を真っ赤にして噛んでいる。見る見るうちに、彼の唇からは赤い血が流れ出した。僕ともう一人の男は、驚いた。驚いたおかげで、もう一人の男は鼻血を出した。僕も、耳の縁から出血した。僕は江頭に「お前の芸人根性はすごいよ。でも、そこまでやることはないんじゃないのかな」と言った。その間も、僕の耳からはものすごい勢いで血が噴き出していた。

 耳の近くに手を持っていってみると、血しぶきは脈拍に合わせて間歇泉のように出ている。ただ、出血量は大したことがなかった。そこで僕は、傷口はかなり小さいのだろうと判断し、しばらく様子を見ることに決めた。

 ところが、出血はなかなか止まらない。仕方なく、僕は「付き合っている彼女」の父親が開いている診療所に出掛けた。その診療所は住宅街の中にあった。看板はなく、ドアは小さく洒落たガラス戸。例えるなら、「カリスマ美容師が個人でこっそりと開いている、完全予約制の美容室」という風情。

 ガラス戸を開けて中に入ると、「付き合っている彼女」がいた。彼女は僕を見るなり、「うわ、大変!」と大声を出した。しかし、彼女の父親は診察中とのことだった。僕は仕方なく、ロビーに置かれたソファに座った。やはり、心臓が鼓動するたびに、耳から細い血が噴き出す。

 

 ……と、ここで夢の中の僕は目が覚めた。そして、横にいた妻に、今見た夢のことを話した。「その診療所のドアが、ちっちゃな美容院みたいな感じでさあ」と話すと、夢の中の妻は「ああ、わかるわかる!」と同意してくれた。また、僕はもう一つの夢の話もしていた。そちらの夢の内容は忘れてしまったが、夢の中で妻に「今日の夢は珍しかったよ。2本だてだったもん」と話したことだけは覚えている。

 

 ……と、ここで現実の僕は目が覚めた。

 

 今日の夢は、入れ子のような構造だったな。

2007年12月31日

2007年、最後に見た夢

 夢を見た。

 

 僕は、取材に向かうため、バスに乗っていた。時間帯は昼。おそらく、14時か15時くらいだったのだろうと思う。僕は、何かをぼーっと考えていた(よく覚えていないのだが、芸能ゴシップのようなことだった気がする)。

 バスは目的地に着いた。僕は慌てて、降りる人の列に並んだ。ところが、料金を用意するのを忘れていた。いったん列から外れ、胸ポケットから財布を出し、160円をつまみ上げて料金入れに放り込んだ。

 バスを降りて周りを見ると、そこは地方都市の商店街のようだった。背の高いビルはなく、ドラッグストアや小さな書店などが並んでいる。

 後ろでバスの発車する音が聞こえた。その時、僕は車内に背負い鞄を置き忘れたことに気が付いた。僕は「待ってくれ~!」と叫び、バスを数十歩追った。しかし、バスは気付くことなく、そのまま走り去った。
 鞄の中には、ノートパソコンや筆記用具が入っている。取材先の情報を書き込んだPDAも鞄の中だ。僕は青ざめ、ズボンのポケットの携帯電話を取り出した。しかし、ダイヤルしようと試みても、電話は繋がらない。

 取材の約束の時刻は、目前に迫っていた。バス会社に連絡し、鞄を取りに行けば、当然、遅刻してしまうだろう。仕方なく、僕は取材先に向かうことにした。

 どうやらここは、「渋谷」であるらしかった。僕は郊外のような場所を通り過ぎ、人の流れとともに「JR渋谷駅」の近くに着いた。そこは現実の渋谷とは似ても似つかない場所で、やはり、ドラッグストアや小さな書店などが並んでいた。

 僕は、3階建てほどのビルのガラス製のドアを開き、取材先である中小企業の人々と会った。50代後半、頭が禿げている、いかにも人柄の良さそうな男性が社長。20代半ば、丸顔で親しみやすい感じの女性が、取材窓口を務めてくれた人。そして、やはり20代半ば、真面目で実直そうな顔に、はにかむような微笑みを浮かべている男性が、今日の取材対象だった。僕は3人に好感を覚えながら、彼らの後ろについて階段を上った。

 通された会議室には、大きなガラス製の丸テーブルが置かれていた。僕は取材対象の若い男性の斜め前に座り、インタビューを始めた。ところが、取材メモを取ろうにも、ノートパソコンも筆記用具もICレコーダーもない。そこで僕は、隣に座っていたカメラマンのTさんに頼み、テーブルの上に置かれていた4色ボールペンを借りた……。

 

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 と、覚えているのはここまで。

 

 この夢を見たのは、妻の実家。PCを持参していなかったので、仕方なく携帯電話でメモを取った。文章の確認をせず、そのままアップするので、誤字脱字はご容赦を。

2008年01月14日

ワニのような生き物の夢

 夢を見た。

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 僕はベッドの中でまどろんでいた。うとうとしながら体を起こすと、ベッドの横に、1枚のFAXが落ちていた。

 僕は紙を拾い上げた。コンタクトレンズも入れず、メガネも掛けていないので、文字はぼんやりしている。

 送られてきたのは、何かの雑誌の見本刷りのようだった。紙は感熱紙。僕は「今どき、どうして感熱紙のFAX用紙があるんだ?」と不審に思いながら、見本刷りに書き込まれている手書きの文字を読んだ。そこには、聞いたこともない編集プロダクションの、聞いたこともない編集者の名前がある。読み進めると、彼はどうやら、僕に原稿の確認を求めているらしい。

 紙の右下には、「1/5」と書かれている。どうやら、他にも4枚、FAXは送られてきているらしい。僕は傍らで眠っていた妻に、残りの4枚の在処を知らないか声を掛けた。妻は眠そうに、知らないと応えた。

 

 そこで僕は、仕事部屋に移動した。

 僕らの部屋は、マンションの1階にあった。間取りも内装も、全く見たことのない場所だ。ただ、1階にあるという点だけは、20代の半ばに住んでいた板橋区のマンションに似ていた。

 仕事部屋には果たして、B4サイズの4枚のFAXがあった。紙は、やはり感熱紙だった。特有の手触りと、少し湾曲して読みづらい感熱紙にいらだちを感じながら、僕は見本刷りを読んだ。

 そこには、聞いたこともない編集者から、原稿修正に関する指示が書かれていた。最初は、こんな記事など書いた記憶などないと思っていたが、そのうち、何となく僕が書いた記事のような気がしてきた。

 しかし、今日は連休の最後の日(ここは、現実を踏まえている)。僕は、「祝日の朝にFAXを送ってくるとは、なんてワーカホリックな編集者なんだ」と呆れながら、返事は翌日の平日にすればいいだろうとたかをくくり、FAXを机の上に置いた。

 

 その時、窓ガラスの外に気配を感じた。僕は、カーテンを開けてみた。すると、そこには体長7センチはあると思われる蜂がいた。僕は驚き、隣の部屋にいる妻に声を掛けた。既にベッドから出ていたらしい妻も、その蜂を見て驚いていた。すると今度は、窓ガラスの右上に、長さ1メートルほどの2つの影が見えた。それは、ワニを腹の方から見たような形だった。

 最初、影は2つだった。しかし、窓ガラスの近くにあったブロック塀の上で、影は1つになっていた。よく見ると、ワニのような生き物が、同じ生き物を食べている。共食いだ。ワニのような生き物は、もう1匹をあらかた食い尽くしているところだった。

 僕は驚いて、妻に「おい、警察に電話しろ!」と叫んだ。そして、隣の部屋に駆け込み、まだ眠っている長女に向かって「早く起きろ」と怒鳴った。気配を感じて廊下を振り返ると、そこにはワニのような生き物がいた。そいつは、こちらに向かってノソノソと近づいてくる。僕は慌てて障子(?)を閉めたが、そいつは構わず突き破った。僕は妻に、家を出て誰かに助けを呼ぶように言った。そして、窓を開けて外に出て、ガラス窓を手で押さえた。

 ワニのような生き物は、ガラスの向こうにいる。体を持ち上げたりガラスにぶつかったりして、外に出ようと試みている。僕は恐怖を感じながら、近くにいた長女に、「回りに注意しながら、ママの方に行きなさい。他にもいるかも知れないから、絶対に警戒を怠っちゃダメだよ」と伝えた……

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 当然のことだが、目覚めは非常に悪かった。何だったんだ、あのワニのような奴は?