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1999年07月04日

マッケンロー、ウインブルドンの混合ダブルスでベスト4進出

 昨夜、NHKのウインブルドン中継を見てたら、グラフが決勝進出を決めてた。もうグラフも30歳なんだそうで、怪我や、私生活でのトラブルからの復活、へえ~っ、スゲえなあって感じなんだけど、もっとすごいのが、混合ダブルスであのマッケンローとペアを組んで、こちらもベスト4まで進んでるってこと。
 マッケンローって、今いくつなんだ? 俺が中学生の頃にはもうバリバリの超一流だったから、もう40歳超えてるんじゃないだろうか? それでベスト4ってのはどういうことなんだ? ウインブルドンにはシニア部門ってあったのか、でもそしたらグラフとペアを組んでるわけないし……。ううむ、マッケンロー、凄過ぎる。
 僕が好んで見ているどのスポーツでも、それを一番熱心に見ていた頃というのがあったよな。野球なら、86年から93年くらいにかけての西武ライオンズ(清原~、まだ引退するには早いだろうよ~! 怪我を治してがんばってくれよ~!)。アメリカンフットボールなら、1988~91年にかけてのサンフランシスコ49ers(引退寸前のジョー・モンタナを見に、マイアミやカンザスシティまで行ったなあ)。
 でもって、僕にとってのテニス黄金時代は、マッケンロー、コナーズ、ボルグって時代だったと思うんだよな。中でも、僕はマッケンローが一番好きだった。審判の判定に荒れながら、でも観客席から「カモン、ジョン!」とか声がかかったあとに、ビシッとサービスエース。「悪童マック」、カッコ良かったっすよねえ。
 マッケンローのプレイ、見たいぞこりゃ。ダブルスの準決勝って、NHKで中継やってるのかな? ウチはBS入らないから、BSのみの中継だったらショックだなあ……。

1999年07月05日

マッケンローの棄権/「子ども虐待の定義拡大」に対する、厚生省のコメント

 ウインブルドンの混合ダブルス準決勝、マッケンローとグラフのペアは棄権してしまったそうだ。なんでも、グラフが足に違和感を感じて、大事をとったとのこと。マッケンローのプレイを楽しみにしていたのに、残念。ウチはディレクTVに加入しているので、シニアの大会は見られるのだが、若いプレイヤーを相手にマッケンローがどんなプレイをするのかに関心があったので、残念。


 5日付けの朝日新聞夕刊の一面に、「子ども虐待の定義拡大」という見出しの記事が載っていた。なんでも、外傷が残らない暴行や、車やベビーカーへの放置なども、虐待に当たるとして対処するように、全国の児童相談所長に指示したのだそうだ。
 まあ、そのこと自体はむしろ当然のことで、特に感想もないのだけれど、記事中の厚生省側のコメントがちょっと気になった。
 記事から抜粋すると、こんな感じ。

最近ではベビーカーに赤ちゃんを乗せたまま店舗の一階に残し、 二階で買い物をしている間に誘拐されたりする事件が相次いでいる。 男友達と遊びに出かけた母親に家に置き去りにされ、死亡した赤ちゃんもいた。 厚生省は「誘拐した容疑者はとんでもないが、 ベビーカーや車に子どもを残していくことは親の不注意ではなく、虐待だ。(以下略)」

 これ、遊んでる間に子どもを死なせた親と、ベビーカーに子どもを入れたまま買い物をしたら子どもを誘拐されちゃった親が、全く同格に扱われているように読めるよねえ? でもなあ、僕としては、ベビーカーに子どもを残して買い物をする気持ち、わからなくはないんだよなあ……。

 この前、友達の編集者が仕事をしている赤ちゃん雑誌に、読者モデルとして出ることになった。その際、赤ん坊と2人でベビーカーを押したりする写真を撮るということで、下の子どもを抱えて出かけた。市川の僕の自宅から、撮影場所の代々木公園までは、ドアトゥードアで1時間10分程度。当日の気温は30度を超えており、僕は子供をずっと抱っこして、ひどく汗をかいた。14時過ぎに家を出て、帰宅できたのは18時半頃。家に着いたときには、肩はメチャこってるし、ホントに疲れたよなあ。
 ところが、僕は男だし、子供はまだ9キロ余り。しかも、子供を抱っこしていたのは正味3時間ほどだったから、こんなもんで済んだ。でも、世の中の親には、これよりもっと大変な状況の人もたくさんいるわけでなあ。
 例えば、子供が何人もいる、親などの介護もしなくちゃいけない、仕事が忙しい、誰も子供の面倒を頼める人が周りにいない、自分自身の体調がすぐれない……。そんな人は、きっとたくさんいるでしょう? そして、そんな人が時間のない中で、エレベーターやエスカレーターの完備していない、通路のひどく狭い、館内音楽がけたたましい、空調が効きすぎていて風邪をひきそうな、そんなデパートでたくさんの買い物をしなくちゃいけない、そんなケースだってあるでしょう?
 もし僕がそういう立場に置かれたら、もしかしたらマズイかもって思いながらも、「ほんの少しの時間だから」って子供を置きっぱなしにしちゃうかもしれない。だから、少なくとも、子供をベビーカーに入れたまま、買い物をしてしまった親を、無条件で責める気にはなれない。「虐待だ!」なんて言ってる厚生省のお役人も、自分がそういう立場になっても絶対に子供は離さないって言いきれるんだろうかねえ?
 ま、お役人が「虐待だ!」って語気を強めるのはいいけれど、だったら並行してやるべきことがあるだろう、母親が子供をベビーカーに置きっぱなしにせずに済むような対策作りがさ。単純な話、一時的に保育を頼める施設があれば、こんな事件は起こんないわけだし、スーパーやデパートが保育コーナーを作ったり、バリアフリー的な構造を取るように工夫するように指導するって手もあるんだし。

 子供をベビーカーに入れて買い物に行ったら、そのまま誘拐されてしまってっていう母親の話、あれ、僕が住んでいる市川市内の出来事なんだよね(確か、行徳のほうだったような)。そういうこともあって、この事件は良く覚えてる。少なくともこの事件の母親って、パチンコや男に夢中になって子供を死なせた親とは、全然違うと思うんだけどなあ……。

1999年09月11日

ブパシの日本女性論/パ・リーグ天王山に工藤登板/「遅球伝説」

 いやいやすごいよなあ、インドのブパシ! なんつうたって、平木理化と杉山愛の2人も、四大大会のチャンピオンにしてくれたんだから。2年前、全仏で平木理化とのペアで優勝したときは、彼もまだそれほど有力な選手ではなかったようだったけど、今やダブルスランキングで世界第2位らしいからなあ。大したもんだ。
 きっと2~3週間後に発売される『SPA!』には、「祝! ブパシ・杉山組全米オープン優勝! アジアの男に惹かれる女たち」なんてタイトルの記事が掲載されているにちがいない(つうか、そういう記事はもうやってたか)。「Number」だって、ブパシのインタビュー記事を組むはずだ。組んでくんないかな?
 ブパシ、いいなあ。特に、彼の日本人女性論、聞いてみたい。少なくとも、イタリアのカバキの手記よりは全然面白いっしょ、ってそんなのと比較しちゃいかんて。


 今日は、ダイエーホークス対大阪近鉄バッファローズの試合が見たかったのに、ディレクTVでは見らんねえでやんの。いや、中継はあるんだけど、僕の契約していないチャンネルでの放送なんだよなあ。悔しい。
 なんたって、今日が今シーズンの天王山だもん。ここでエース工藤が勝つか負けるかで、パ・リーグの優勝の行方が決まっちゃう。勝てば、まだ望みは十分にある、でも負ければ、このまま踏ん張れずにズルズルと後退してしまう可能性が大だと思うのだ。僕がずっと応援している工藤、今日はなんとか勝ってくれ! これまで何度も発揮してきた勝負強さを見せてくれ!とりあえず、ディレクTVのスポーツ速報は20分おきくらいにチェックしよっと。

 ちなみに、今日の試合、工藤と投げ合っているマットソンというピッチャーにも、実は興味があったりする。マットソンは、ナックルボーラーだからだ。
 僕が松坂大輔みたいなピッチャーだったら、きっと野球は楽しいだろうと思う。自分の投げた快速球、鋭いスライダーで、相手バッターからどんどん三振が取れちゃうんだから。素人にもわかりやすい楽しさだ。
ところが、ナックルボールっていうのは、「行き先はボールに聞いてくれ」って球。三振を取っても、速球やスライダーで取ったときの快感とは、少し違うような気がするんだよな。それが「ケ・セラ・セラ」的達観なのか、「へん、単なる仕事なのさ」みたいなシニカルさなのか、いずれにせよ、どこか屈折してたりするんじゃないのかなあ、なんて想像をしちゃうのだ。
 そうだなあ、オリックスの星野とか、元ヤクルトの安田とか、そんなピッチャーから話を聞く、「遅球伝説!」みたいな記事、「Number」でやったら楽しいだろうなあ。遅い球を投げるからには、それなりの頭脳とか、勇気、ノウハウとかが必要なんだろうし。あるいは、野球に詳しい科学者も呼んで、どうして遅い球で打者を討ち取ることができるのか、分析もして欲しい。イチローの動体視力は圧倒的に優れているらしいけれど、彼もスローボールに体勢崩して打ちそこなうことがあるんだろう。そのメカニズムって、どうなってるのかなあ? うん、やっぱり興味あるぞ。

1999年11月16日

デトロイトライオンズの大逆転勝利/好みのスポーツ

 CSで、NFLの「ライオンズ対ラムズ」戦を見た。ゲームは、27対24でラムズがリードしていたのだが、残り3分弱からライオンズがタッチダウンドライブを完成。31対27の大逆転勝ちを収めた。
 途中、4thダウン26ヤードというシチュエーションもあり、これは試合も終わったなと思ったのだが、ここで50ヤード以上のパスが決まってしまったのが大きかった。逆転のタッチダウンを決めたレシーバーが歓喜の涙を流していたのに対し、彼に見事に置いてかれたラムズのCBが、死にそうな顔でフィールドを見てたのが印象的。
 残りツーミニッツからの大逆転。ディス・イズ・アメリカンフットボールという試合だった。

 これでライオンズは6勝2敗だそうだ。シーズン前の予想を覆し、見事にNFCセントラルでトップの成績。「こんな弱いチームではプレイしたくない」って引退しちゃったバリー・サンダース、今頃どう思ってるのかなあ?
 しかし、「あの」バリー・サンダースがガンガン走ってたにもかかわらず、去年までのライオンズは8勝8敗がせいぜいだった。それが、バリー・サンダースが抜けた今年は、ディヴィジョンのトップを走っている。フットボールってのは不思議だなあ。
 バリー・サンダースは、結局マイケル・ジョーダンではなかったってことか。ジョーダンが抜けたら、ブルズはさすがにガタガタだったもんなあ(NBAファンの友人に言わせると、ピッペンが抜けた穴の方が大きいという話だったのだが)。モンタナがいなくなっても、49ersはスーパーに出たし(だってスティーブ・ヤングが後釜だもん)。ま、バスケットボールのロースターはわずか5人、一方のアメリカンフットボールは22人だからな。フットボールは1人のスーパースターがいたって勝てるとは限らないのだろう。


 ところで、僕はメジャーなスポーツなら、大抵の分野で多少の知識を持っているつもりだ。野球、サッカー、バスケットボール、アメリカンフットボール、テニス、ゴルフ、バレーボール、相撲、格闘技……。
 で、思うのだが、好きなスポーツと性格の間には、何か相関関係があるのではないかしら? あるいは、好みのスポーツと行動様式の間にも、相関関係ってないのかなあ?
 例えば、相撲ファンは自民党に投票し、テニスファンは民主党に投票する。サッカーファンは意外にも共産党支持で、ゴルフファンは自由党。で、野球ファンは棄権、と。
 どこかのメディアか調査機関が、そんなリサーチしてくれないかなあ? いや、僕の知人関係でリサーチしてもいいけどさ。

 ちなみに、僕の好みとしては、一番観戦してて楽しいのはアメリカンフットボールかな。最悪なのは、バレーボール。

2000年01月07日

ゲームが入り口/ルールとマナー・常識家の僕/城のスペイン移籍

 14日までに書けばいいと勘違いしていた原稿が、実は7日アップだったことが判明。6日の朝からあたふたと取り掛かり、7日の朝までになんとか書き上げる。


 睡眠不足の目をこすりながら、昼過ぎに新宿へ。電車内で「Number PLUS 第4巻~競馬 黄金の蹄跡」を読んだ。

 僕が競馬を見るようになったきっかけは、ゲーム「ダービースタリオン」だった。名作ソフト「ベストプレープロ野球」が大好きだった僕は、同じ人(言わずと知れた園部博之氏、っつうても当時は全然知名度低かったと思いますけど)が作ったゲームがあるということで、暇つぶしに買ってみようかって思ったのだ。競馬なんて全然興味なかったし、ギャンブルが好きだっつうこともなかったんだよな。
 ところが、プレイしてみると面白い面白い。聞いたことのある馬の名前は、せいぜいシンボリルドルフとミスターシービー、そしてハイセイコーくらい。「ハイペリオン」や「ナスルーラ」や「グレイソブリン」や「ネイティブダンサー」や「ノーザンダンサー」、あるいは「ノーザンテースト」や「リアルシャダイ」や「マルゼンスキー」や「サクラユタカオー」、そんなところも知らない僕だったのだが、見事にハマってしまった。当時半同棲状態だった彼女の部屋で夜中ずっとダビスタをやり続けて、「ここは私の部屋なのよっ、ゲームばかりされるとイライラするっ!」なんて深刻な喧嘩をしてことも何回かあるったなあ。

 競馬に興味を持った僕が手始めに買ったのが、ダビスタの攻略本。次は、Numberの競馬特集号。やがて、「Gallop」などの専門誌を買ったり、週末の競馬中継を見るようにもなった。今では、メジャーな馬の名前くらいは把握している僕だ。馬券は買わないけど。

 今競馬場に通っている30代以下の男の中で、こういうヤツって意外と多いんじゃないかと思う。昔からのファンは、「けっ、ダビスタ上がりが」なんて思ってるだろうけど、でもこういう入り方もOKなんじゃないのかなあ? 他にも、「サカつく」から入ってサッカーファンになるとか、「グランツーリスモ」で気に入った車を、実際に買ってみる、とかさ。
 (余談だけど、マンガには多いパターンだよね。「哭きの竜」読んでマージャン始めたり(で、雀荘とか友達の部屋で「ふっ」っとか言ってたりするんだ。くえぇ~っ、迷惑だなあ~)、「美味しんぼ」読んで料理に凝りはじめちゃった知り合いは多いもん。)
 優れたゲームってのは、この世の中に存在するいろいろな楽しみを、手軽に体験させてくれる。だから、ゲームを入り口にしてある分野にのめりこむって流れは、全然アリだと思うんだよな、僕は。

 なので、願わくばNFLファンの僕としては、「テクモスーパーボウル」(でなくてもいいんだけど)の続編のリリースを、切に願っていたりするのだが。


 新宿での取材は16時過ぎに終了。南新宿の紀伊国屋書店に寄って、仕事のための資料と、「Number PLUS 第5巻~格闘者 魂のコロシアム」(文芸春秋社)、「浅草キッドの芸能界地獄の問題集」(浅草キッド/青心社)、「笑芸人」(高田文夫編/白夜書房)を購入。「笑芸人」はどこの本屋に行っても売り切れだったし、「浅草キッドの……」なんかは、もう絶版になったと思ってたのに、どちらも入手。さすが紀伊国屋だ。

 しかし、紀伊国屋書店のあたりって、どうしても南新宿って言っちゃうんだけど、地理的には代々木だよなあ。住所的にも、JR新宿駅南口を出て甲州街道を渡ると、すぐに「渋谷区代々木」だしさ。

 帰りの電車の中では、「電脳農奴解放ジャーナル Vol.2」を読む。


 友人のIさんが作っているサイトで、「ルールとマナー」というテーマの文章が掲載されていた。実は、僕も偶然、ちょっと前に同じテーマで考え事をしていたのだ。
 僕が考えていたのは、例えば高速道路で時速100kmで走るのがルール、時速120kmで周りの流れに逆らわず乗るのがマナー、なんてことだった。現代日本、特に都市部で心地よく生活するためには、ルールよりむしろマナーが大切、なんていう、極めて常識的な発想。
 ところが、Iさんの方が考えていたのは、さすがに一味違う内容。

 僕は基本的に、常識家なのだ。でも、それではいかん。やっぱり、僕も、人と違うことを考える訓練をしなくちゃいかんですなあ。


 マリノスの城がスペインリーグへ移籍。活躍できるといいけどなあ。
 日本人のMFは、多分世界に通用するはず。中田はもちろん、名波だってちゃんとやってるし、小野も中村俊輔も、あるいは稲本や伊東輝にしたって、全然やっていけると思う。DFにしたって、何人かの選手は海外のリーグでもやれるんじゃないのかな。
 でも、FWはどうなんだろうなあ?
 これで城が成功すれば、ホントに日本のサッカーって、ひとつの壁を突き抜けられると思う。ぜひ頑張って欲しいなあ、城には。

 ただ、城には2つの不安がある。1つは、わずか半年だけの契約ってところ。前園がブラジルに行っても、契約期間の短さやレンタル移籍という形態が不利を招いた。城も、スペインで「お客さん」扱いされないといいんだけど……。
 もう1つの不安は、城が周囲からの後押しを受けて海外に出ること。もちろん、それはそれで素晴らしいことでは有るんだろうけど、でも、中田があれだけの結果を出したのは、あるいはメジャーリーグに行った野茂や吉井、伊良部が活躍できたのも、彼らには帰る場所がなかったからだと思うのだ。「日本にはもう戻らない、戻れない」という意識が覚悟につながったからこそ、あれだけ働けたのではないのかなあ? だとすれば、城、大丈夫なのか?

 とりあえず、1週間か2週間以内に、城は試合に出る雰囲気だ。ぜひその試合を見てみたいな。

2000年01月09日

飲みすぎ/ゲイリー・オブライト死去/ルールとマナー続き

 人間は、ものごとを相対的な観点からのみ見てしまいがちだ。2800円ナリのランチを食べれば「今日はなんだか贅沢だなあ」なんて思うくせに、居酒屋の支払いが1人あたま3300円だと「ずいぶん安く済んだねえ」なんて感じてしまう。
 で、今日の僕は、「コカ・コーラを1リットルと牛乳を500cc飲めと言われたらそりゃ無理だよ~って思うくせに、ビールを1リットルとワインを500ccだとまだ足りないかなと感じる」という、お馬鹿な過ちを犯しているわけだ。
 僕は、酒を飲むと、頭より先に胃がやられてしまう。20代のころは、だから一旦トイレで吐いて、それからまた飲み始めるという、なんとも愚かな飲み方をしていたこともある。キャッチフレーズは「吐いてからが強い男」。
 ところが、この歳になって、やっぱ酒飲むなら吐いちゃあいかんよな、なんて、至極当たり前のことを理解し始めた僕。で、吐く回数は減ったのだが、その分(?)、飲み終わってから胃がすっきりするまでの時間が長くなった。大して酔ってもいないのだが、飲んでから半日ほど経ってからも、布団の中で寝返りしながら「う~、気持ちワリ」なんてうなってたりする。

 ちょっと反省。胃に負担の掛かる飲み方は、もうやめよう。そうだなあ、もっとアルコール度数の高いヤツを、少量飲むことにするか……って、それじゃ解決になってねえっつうの。


 夜、日刊スポーツのホームページを見てみると、レスラーのゲイリー・オブライトが試合中に死去という記事。
 オブライトと言えば、僕は10年近く前の、横浜アリーナでのUWFインターの興行を思い出す。
 その日、珍しく僕は会場に足を運び、わくわくしながら試合を見ていた。セミファイナルは、当時稀代の悪役だった北尾光司と、UWFインターNo.2の山崎一夫が対戦。北尾の強力な裏投げで山ちゃんはノックアウトされてしまい、観衆は落胆に包まれていた。そしてメインエベント。エース高田延彦と、オブライトがリングに上がった……。
 凄かったなあ、オブライトのスープレックス。こんなヤツに勝てる日本人はいないって、そのとき思ったもん。やっぱ、何万年も肉食ってるヤツは違うよなあ~ってさ。
 あんな強いヤツでも、死んじゃうんだなあ……。


 ところで、ルールとマナーの話題で、一つ思い出したこと。
 僕は、赤信号でも車が来てないときは、ガンガン信号を無視する。でも、子供が近くにいて、僕の姿を見ているときは、じっとその場で信号が変わるのを待つ。だって、もしその子供の親が「赤信号で渡っちゃいけないんだよ」と言っている横で、どこぞの大人が信号無視してしまったら、こりゃあ説得力なくなるもん。その辺の気持ちは、僕も子持ちなのでわかるもので、ね。
 僕にとってのルールとは、人から与えられた、曲げても構わないもの。マナーとは、自分で決めた、曲げると良心が痛むものだ。

 多分、Iさんが言っているところの「ルール」とは、微妙に意味合いが違うのだろう。そして、Iさんが言わんとすることも、とても良くわかる気がする。だってさあ、例えばバスケットボールで、高いところに小さいリングを設置して、そこにボールを入れろだとか、ボールを持って3歩以上歩いちゃいかんだとか、1回ドリブルを止めたあとでもう一度ドリブルしちゃダメだとか、そういうめんどくさい決まりごとって、ゲームを楽しむために作られてるんだもんねえ。その感覚で、自分に与えられた束縛やらなにやらを全てゲームのルールだと思えば、人生もまた違う楽しみ方ができるって考え方は、そりゃ確かにアリなんだろな。

 ううむ、気持ちが悪くてイマイチ考えがまとまらん。

2000年04月13日

小川直也対橋本真也戦

 明け方、以前録画しておいた「小川直也対橋本真也戦」(小川のデビュー戦から、今年1月のタッグマッチまでの全5戦)を見た。1、2戦と第3戦の間に、小川が大進化を遂げているのを目の当たりにして、しびれた。
 第1戦なんかは、攻め手は倒して(投げることすらできない。だって橋本、道着じゃないんだもん。そりゃムリ)関節を狙いに行くだけ。胴締めスリーパーで勝ったのは、完全に偶然だと思った(あるいは、単にガチンコじゃなかったんだな、と)。でもなあ、第3戦の小川、完全に総合格闘家じゃん! ジャブを放って牽制し(しかもスタンダードスタイルとサウスポースタイルを使い分けてる!)、タックルにきた橋本をフロントネックロック状態でホールドしてスタミナを奪う。マウントポジションを取ったら超怖いパンチが入るし、油断してるとアームロックや十字固めがやってくる。いやあ、こりゃあすげえや。小川ならグレイシーにも勝てるだろうよ(ま、ヒクソンとはあまりに体重差があるから、マッチメイクとしては邪道だけど)。もっと腕を磨いて、アレクサンダー・カレリンとかマーク・ケアーあたりと戦って欲しいね。

 しかし、小川の格闘スタイルって、アントニオ猪木というより、佐山聡を受け継いでるよな。打撃→投げ→極めっていう流れって、佐山の理想だったんでしょ? 佐山って、小川を見てどんな風に思ってるのかな?

 ところで、今月行われた小川対橋本戦だが、実は未見。誰かビデオ持ってないかなあ?

2000年05月03日

筆不精/スポーツは社会の縮図

 ホームページビルダーを立ち上げるのは久しぶりだ。

 我ながら、本当に筆不精なライターだと思う。いや、筆不精というより、不精なんだな、完全に。
 自分が、どうにもならないくらい怠惰だということは、もう身にしみてわかっている。だから、あれだな、これはやっぱり、なんらかの縛りを作ってやらないとダメなんだよな。テンションが低いとか、そんなことを言うのはやめた。やる気が出ようが出まいが、これから毎日、とにかく更新しよう。


 千葉すずが、シドニーオリンピックの代表から漏れた。選考レースで1位になり、標準記録もクリアし、昨年の世界ランクは2位。でも、代表には選ばれなかった。
 要するに、千葉すずはおエライさんに嫌われていた。それで、「テメエみたいに生意気なヤツは、オリンピックになんか出してやらない」ってことで、代表から外された。そんなもの、誰にでもわかる。ミエミエというやつだ。
 協会のエライさんにとっては、オリンピックってのは勝つための場所じゃないんだろうな。出場すればそれだけで満足できるっつう、観光地の写真撮影用スポットとおんなじような位置付けなんだろう。だから、関が原の戦いの後で、徳川家康が東軍の大名に領地を分け与えたように、覚えのめでたい選手たちにシドニー行きのチケットを分け与えてやったりするわけだ。
 彼らの視界は狭い。僕のような、水泳を取り巻く観客の姿など、目に入っているはずもない。彼らが見ているのは、自分たちの内側だけだ。自分と、自分を取り巻く共同体しか、見ようとしないのだ。

 サッカーの日本代表が、韓国代表との国際Aマッチで敗れた。トルシエ監督は、どうやら解任される公算が高いらしい。
 コーチとしてのトルシエは、恐らくかなり優秀な部類に入るのではないかと思う。何しろ、ユース世代を世界レベルにまで押し上げ、「フラット3」を中心としたディフェンスも、かなり整備されてきているように見える。確かに日本の攻撃力は、以前に比べてアップしてはいないようだが、それって監督を変えれば劇的に改善される種類の問題なのかなあ? 正直、僕には良くわからない。
 ま、確かにトルシエはA代表レベルでは結果が出せなかった。僕としては、日本の実力ってのは基本的にその程度なのだから、そりゃあ結果がでないのも当たり前、というスタンス。だが一方で、結果が出ないから監督を変えてみる、って考え方があるのも理解できる。そこまでは、ね。
 ところが、そこで次の監督候補として名前が挙がっているのが、西野レイソル監督とか山本現代表コーチってのはどういうことなんだ? 彼らには、代表チームの監督としての経験は薄い(もちろん、西野さんはアトランタ五輪の監督だし、山本さんはユース以下の世代の代表チームのコーチとしてさまざまな経験を積んでいるのはわかってる。でも、「A代表」の「監督」の経験はゼロでしょ?)。ワールドカップレベルの、高いプレッシャーの掛かる舞台でもまれたこともない。そんな人に監督を任せる理由って何? 加茂監督の時みたいに、「日本人の方がコミュニケーションが取りやすい」って言うつもりなの? それって、単に「日本人の方が言うことを聞く」ってことの言い換えじゃん。

2000年05月26日

大阪で取材/船木、ヒクソン・グレイシーに敗れる

 前日、徹夜で仕事と、公立保育園父母の会総会のための資料作り。
 フラフラになりながら東京駅まで行き、携帯で取材のアポを取ってから、のぞみに乗って大阪へ。さすがに、すぐにまぶたが重くなる。

 大阪に着き、取材先へ。体調は最悪だったが、取材の窓口をしてくれた女性がものすごく感じのいい人で、かなり回復。これが大阪でなかったら、結婚してるかどうか聞いてるところだったんだけどな。

 しかし、僕の友達に、女性との出会いがないって愚痴る男がいるんだけど、それってホントなのかなあ? 僕なんて、1ヶ月に1人は「お付き合いしたい」って女の人に会うんだけど。単に僕が惚れっぽいだけなのだろうか。

 帰りの新幹線でも、駅弁を食べるとすぐに睡魔に襲われてダウン。軽い頭痛を感じながら、東京駅で目を覚ます。その後、新橋に寄って仕事をしてから帰宅。


 夜になって、テレビ東京で放送していた、船木誠勝対ヒクソン・グレイシー戦を見る。最初は落ち着いてヒクソンのタックルをさばき、リング上で仰向けになったヒクソンにローキックを叩きこんで「これは行ける!」と思わせた船木だったが、試合開始10分くらいだったか、首相撲からの膝蹴りから引き込まれてテイクダウンを喫し、すぐにマウントポジションを取られた。その後は、馬乗り状態からパンチを何発も食らい流血、横になって逃げようとするところをチョークスリーパーで落とされてしまった。
 う~ん、正直、船木がヒクソンに勝てるとは思ってなかったからなあ、高田延彦がヒクソンに負けたときより全然ショックはなかったんだけど、でもな、船木が全然悔しい素振りも見せず、「15年間ありがとうございました」なんて言いながら花道を戻っていく姿を見て、ものすごく違和感を感じちまった。しかも、船木って引退するって言ってるらしいじゃん。なんなんだ、それ。

 船木の中ではさ、きっと「俺は美しく格闘人生を終えた」なんてことになってんだろうよ。でもなあ、見てるほうはそれじゃあたまらんて。高田は無様にもヒクソンに3回立て続けに負かされたけど、でも、2回もリベンジを狙って立ちあがったのはエライと思う(橋本真也の場合は、負けた後の態度がちょっと芝居染み過ぎててやだけど)。

 「プロレス」(ま、『PRIDE』とか『コロシアム2000』あたりが、いわゆる「プロレス」に該当するかどうかはさておき)っていうのは他のスポーツなんかと違って、物語の部分にこそ真の美味しさがあるものだ。ところが、船木はその部分を一切拒否しているんだよな。ふん、だったらアマレスの試合でも見るさ!

 やっぱりアレだな、桜庭と藤田和之、そして小川直也だな、僕たちの幻想を膨らませて、破裂させて、また膨らませてくれるような存在ってのは。

2000年05月28日

ライター根性/プロレスと人生

 ライターという仕事を始めて6年以上。なんやかんやで、多少は向いているんだろうと思う。
 そう言えば、1週間前のHさんの送別会で、彼女の同僚が書いた文章が読み上げられた。で、かなりの笑いを取っていたのだが、その時の僕の感想は「悔しい」だった。あの程度の文章だったら、俺のほうがもっと笑わせる文章書けるのに、って。これってやはり、ある意味ライター根性なんだろうなあ。


 小林秀雄は確か、「批評家とは、作品を通して己の夢を語る者である」なんてことを言っていたように思う。それに習って言えば、プロレスファンは、レスラーを通じて己の夢を語るのであろう。
 プロレスファンは、決して技術とか勝敗が見たいんじゃないんだよな。もちろん、それらによって気持ちが揺さぶられることはある。でも、それはスパイスとしての存在でしかない。決してメインディッシュなんかじゃない。
 要は、僕はリングの上に、人生を見たいんですよ。だって、僕は、人間に興味があるから。自分の何倍もスゴイ人間たちがギリギリの場所で戦い、そしてギリギリの人間性をさらけ出す、それが見たいんですよ。
 だから、昨日の船木の戦い方は、全然ダメだった。そこには、生身の人間の姿が、全くなかったもの。

 僕は、桜庭和志対ホイス・グレイシー戦のビデオなら、1万円でも安いと思う。でも、船木の試合はダメだね。レンタルビデオ屋で300円出す気も起こらない。

2000年06月03日

プロレスと人生、追記

 結局、人は人間に興味があるんだよな。それが愛にせよ憎悪にせよ、人間は人間に興味がある、あってあって仕方がないのだ。

 ただ、普通の人間を、わざわざ見たいとは思わない。だって、そんなものは日常生活の中で嫌になるほど見ているわけだから。見たいのは、あくまでものすごい人間、というより「人間のものすごい部分」なのだ。

 プロレスに限らない、全ての優れたスポーツは、人間を拡大して映し出す。人の中に在る美しさや汚さを、拡大し輪郭をシャープにし色彩をより鮮やかに変えて、僕の目の前に見せてくれる。だからこそ、僕は心を動かされるんだろう。

 日常生活とは、日々繰り返される微熱のようなものだ。抜きがたい倦怠、終わりない焦燥、説明のしようのない違和感を抱えながら、首をひねり背を丸めながら歩いていく毎日。
 抜け出したい、忘れたい、そして人はスポーツを見る。
 そこにあるのは、激しい熱だ! そして、急に降りかかってくる冷水だ! ほんの一瞬だけでも、それらによって僕の微熱を吹き飛ばしてくれるなら、これ以上の喜びがあるだろうか?

 内部に膿んだ微熱を感じ続けているより、皮膚を焦がす熱風に燃やされるほうが、より自分の実在をリアルに感じられる僕であることだし。


 今日も、眠さをかみ殺しながら2件の取材。17時ちょっと前に保育園に着き、子供たちを連れて帰宅。
で、だらだらしていたところにかなり強い地震。震度4だった。
 地震は怖いね。一人暮しのときはそんなことは思わなかったが、子供と一緒だと、ちょっと怖い。

2000年06月10日

アントニオ猪木自伝/身体を鍛えようかな

 この1週間で、「激白 プロレスラー烈伝」(宝島文庫)と「アントニオ猪木自伝」(猪木寛至/新潮文庫)を読了。
 僕は子供のころ、プロレスってのを全然見なかった。「どうせ八百長だろ」などと生意気にも白けていたりしたわけだ。でも、アントニオ猪木の試合をリアルタイムで見なかったことに関しては、今思えば惜しいことだった。。

 現在の日本人にとって、「一番大きな影響を受けた人は誰?」という質問をすると、1位はおそらくビートたけしだろうと思う。2位は長島茂雄。で、その次あたりにくるのが、実は猪木だったりするのかな、なんて気がしているのだ。質問の対象を僕と同じ30代の男性に絞ってしまえば、長島と猪木の順位は逆転しちゃうかもしれない。

 感受性がナイーブだった子供のころに、猪木の「毒性」を感じておきたかったなあ、と、猪木の自伝を読んでちょっと後悔。


 そうそう、猪木の伝記の中に「健全な精神は健全な肉体に宿る」的なことが書いてあったのを読んで、ちょっと身体を鍛えるかと思っていたところに、今日偶然、彼女がスポーツクラブのチラシを持ってきた。もともと泳ぐのは好きだし、ひとつやってみようかなあ。


 なんだかこのところ、政治の話題なんてすっかりしてないよな。
 選挙も近いし、いろいろ思うところもあるのだが、なんだか文章を書く気が起こらないのだ。
 ……、ちょっとこのサイト、模様替えしようかなあ?

2000年09月16日

シドニーオリンピック開幕

 オリンピック、開幕したんだよなあ。スポーツ観戦好きな僕ではあるのだが、あまり見たい気が起こらない。
 一応、長女と一緒に開会式を見たのだが、感想は「オーストラリアの国歌って、盛り上がるなあ」ってことだけ。結局途中で飽きてしまい、雑誌を読む。

2000年09月22日

若年層へのボランティアの義務化を、森内閣が提案/柔道は終わってるのか?/ライター仲間のAさんが出産

 前日、6ページ分の原稿をアップして疲労困憊状態。この1ヶ月ほど、サイトを全面的に改装しようともくろんでいるのだが、全く進んでいない。


 森内閣が、18歳の国民全員に1年間のボランティアを義務付ける、なんて風な提案をしているらしい(テレビのニュースで耳にはさんだだけなので、正確なところはわからないのだが)。で、このニュースに対して、レポーターが街行く高校生や大人に意見を聞いていた。ニュースでは3人分の回答を紹介していて、そのうちの2人(1人は男子高校生、もう一人は30代の女性)が「ボランティアは強制されてやるものじゃない」と否定的な感想をもらしていた。

 こういうインタビューを見ていると、なんだかムカムカしてくる。こいつら、何も分かってない。
 むしろ強制するべきだよ。そして、誰もが一度経験してみるべきなんだ。経験して、その後も継続的にボランティア活動に参加するならそれもいい。あるいは、ボランティアなんてくだらない、社会貢献なんてクソ食らえだって結論になるなら、それでも意味がある。
 大切なのは、経験することなんだ。経験すれば、そこで何かを知るチャンスが生まれる。考えるチャンスが生まれる。

 なのに、「個人の自由が尊重されるべき」なんてインチキ自由主義を言いやがるからなあ、特に若いヤツらに理解がありますよって態度の「進歩的な」大人はさ。ふざけんなって、それは単に子供を育てる責任を先送りしているだけだっての。

 今の子供は守られすぎ。3歳くらいから20歳前後まで、親と教師と同年代の友人っていう限定された世界に住んで、なおかつ周囲から手厚く保護されている。それじゃダメだろ。少なくとも、小学校高学年くらいになったら何らかの形で社会とアクセスしていかなきゃさ。ボランティアやアルバイトを通じて、社会経験のロールプレイを積んでいかないとさあ、ぶっつけ本番で大人になっちゃうのはまずいっしょ。本人にとっても大変だし、そんな風に未成熟なヤツらを受け入れなきゃ行けない社会の側も迷惑だ。

 若いヤツにかぎらず、みんながみんな経験すればいい。市役所の職員を、警察官を、自衛官を、教師を、政治家を……。そこから見えてくるものは、問題意識、当事者意識ってのを活発にしてくれると思うけどな。そう、この国の人間に一番欠けているのがその辺だと思うのだ僕は。


 オリンピックの柔道、男子100kg超級に出場した篠原選手の試合を見る。決勝戦、審判がメチャメチャな判定を下した。その結果、篠原は負けてしまったのだが、その際テレビの解説者が「こんな判定が通るようでは、柔道が終わってしまいます」と言ってたんだよな。
 それを聞いて、むしろ柔道は既に終わっているんじゃないかと思った。だって、アマチュアスポーツである柔道にとって、オリンピックってのは最高の舞台なわけでしょ? その決勝戦で、こんな判定をしちゃうダメ審判(技術がないのか、あるいは「注射を打たれた」のかはわかんないけど)を登場させちゃうんだから。
 他にもいろいろ「政治的な」(余談だけど、「政治」って言葉ってやっぱりイメージ悪すぎだよね)話も出てるみたい。日本人選手の活躍を快く思ってない審判が、日本に不利なジャッジを下す傾向がある、とか。これもなんだかなあって感じ。


 ライター仲間のAさんが出産したと、彼女の事務所「スリーハーツ」のサイトの掲示板で知った。さっそく掲示板に、飲み会をしようかと書き込み。
 こういうときに、ネットってのはホントに便利だ。

2000年09月24日

女子マラソン高橋尚子、レスリンググレコローマンスタイル、読売ジャイアンツ、スポーツの気持ち悪さ3題/日刊ゲンダイの話、補足

 ねかなか寝付けず、「Xファイル」7シーズンのビデオを見ていたら、いつのまにか朝に。せっかくなので、7時から始まった女子マラソンの中継にチャンネルを合わせる。

 高橋尚子は強かったなあ。日本代表の選考レース(名古屋国際だったっけ?)もメチャ強な展開だったけど、今日の勝ち方も強かった。自分でペースを上げて集団を崩し、上り坂で細かくスパートかけてライバルを牽制。勝負どころで抜け出してそのままゴール。ゴール寸前ではかなりバテていたみたいだったけど、内容としては完勝、文句のない戦いぶりだった。エライ!

 ただ、レースが終わってからは、どうにも気持ち悪くて仕方なかった。

 僕が感じている気持ち悪さの原因ってのは、恐らく2つあるんだろうとおもう。ひとつは、彼女とコーチの関係性。まあそりゃ、長い間激しい練習を積んで難しい目標に向かっていた2人なんだから、そりゃ強い絆ってのがあるんだろう。何しろ世界レベルの目標だからな、僕にはうかがいしれないほどの精神的な結びつきがあるのかもしれない。でもなあ、ああいう無邪気な信頼関係(どうも巧い言葉が見つからないのだが……)を見せられると、なんだかすごく違和感を覚えてしまうのだ。あんなにコーチに依存しちゃってていいのかなあ、って。
 これまでも、こんな風景は何度か見たことがある。バレーボール、体操、陸上……。女子スポーツ選手の、コーチに対する過依存ってのは、日本だけの問題なんだろうか、それとも世界的にあまねく存在している現象なんだろうか? いずれにせよ、いい歳した大人があまりにもコーチべったりって絵ヅラは、僕としてはかなり気持ち悪いのだ。8歳くらいの「卓球の愛ちゃん」とお母さんじゃねえんだからさあ。

 もうひとつの気持ち悪さは、高橋選手が何の臆面もなくコーチへの信頼、っていうか愛情を表明していた点。
 高橋選手のコーチに対する感情って、師弟愛と恋愛感情がないまぜになったもののように思えるのだけれど、どうも日本の世間の文脈では、これを「師弟愛」って枠の中でのみ捉えるようになってるみたいなんだよな。
 仮に高橋選手が「一番最初に恋人にこの喜びを伝えたいので、インタビューはその後にしてください」って話していたとしたら、なんと言うかもう少し、照れくさそうに、言いづらそうにコメントしてたんじゃないかな。でも、「恋人」とか「夫」ではなく、「コーチ」にすり替わった瞬間、彼女は微塵も照れることなく話しちゃってるんだよな。
 多分これって、『「師弟愛」ってのは清らかなもの』って世論が確定してるからだと思うのだ。でもなあ、それって単に、恋愛感情が変形しただけだと思えるんだけどなあ、僕には。なのに、世間的には、それは師弟愛でOKってなことになってるわけでしょ? なんつうか、そこに欺瞞があるような気がするんだよなあ、うまく言えねえけど。


 昼過ぎに、レスリングのグレコローマンスタイルの試合を見る。上半身しか攻撃できないというこの競技、なんだか気持ち悪い。男同士が汗かきながら抱き合ってるだけじゃん(実際に一生懸命競技に打ちこんでいる皆さん、ごめんなさい)! 「グレコローマン」ってことは、恐らく2000年前後の歴史がある競技なんだとは思うけど、でもなあ、この競技って必要? フリースタイルだけでいいと思うんだけど。


 夜になって、読売ジャイアンツが優勝したニュースでテレビは大騒ぎ。特に、日テレのはしゃぎ加減は正視に絶えないほどだ。
 サッカーが世界で「普通に」戦っているのを見た後では、巨人の優勝って町内会の忘年会だよな。視聴者は何千万人もいるかもしれないけど、完全に閉じた世界。こんなところに安住してて、楽しいのかね?
野球の人気は、そりゃ落ち込むよな。空気があまりによどんでるもん。


 昨日書いた文章に関して補足。
 日刊ゲンダイってのは、成功者に対して嫉妬深く、インチキ平等主義を振りかざして人の足を引っ張るという、ある種の日本人を象徴するメディアだと思っている。その「ゲンダイ」が、サッカーの日本代表敗退のニュースに、どんな風に反応するかなと想像してみただけ。僕自身の感想とは、全く異なったものですから。
 逆にね、日本代表が負けても、ゲンダイのコメントを想像する余裕があるほどだったんですよ、僕としては。今の日本代表は、かなり気持ちいいね。ま、そのあとIさんに借りている「EURO2000」の決勝戦(フランス対イタリア)を見たら、こりゃまだまだ世界とは差があるかなって思ったけど。でも、今の日本代表のサッカーは楽しい。

2002年02月13日

清水、惜しくも銀

 クソ忙しいっていうのに(仕事もそうだし、家庭もそう)、朝5時過ぎに起きて、オリンピックのスピードスケート男子500mの中継を見た。清水宏保は惜しくも銀メダル。でも、大会直前に腰痛を起こし、出場さえ危ぶまれた状況を考えれば、この結果はベスト以上のものだったのではないか。極限のプレッシャーのかかる状況で34秒6のタイムを2本並べたことに、清水の「凄み」を存分に感じさせてもらった。
 清水はきっと、現在の自分に34秒3とか2ってタイムは出せないと分かってたんじゃねえのかな? 昨日、清水が一回目のレースを終えたときの表情を見て、僕はそう感じた。清水にとって、今回のレースは守りのレース。人事を尽くして、誰かのミスを待つ。そんな中で、清水は、自分のやれることを、最大限に成し遂げたんじゃないかと思う。
 これも、世界記録を出すことと同じくらい、難しいことなんじゃねえのかな。

 しかしなあ、どうにもダメなのは「大衆向けマスコミ」ってヤツだ。昨日の夕刊紙の見出しは、「清水、金見えた」式のものばかり。おいおい、トップから0.2秒近く離されて、しかも清水の体調が全然良くないって状況なのに、金が見えるわけなんかねえだろう!
 どうしてこうなるのかなあ? サッカーW杯のグループリーグ抽選会の後も、すべてのスポーツ新聞が「日本代表、ベスト8確定だ!」って書いてたしな。馬鹿にしすぎ。いや、ホントに馬鹿なのかも知れないけど。
 そういえば、女性週刊誌の表紙には、「小泉首相、真紀子ポイ捨ては佳代子(多分、首相の前夫人のことだろう)さんと一緒」ってあったなあ。こういう雑誌を本気で読む人が、小泉内閣の支持率を下げているんだろう。ったく、なんだかな、そんな支持率。

 なんだか根無し草のような人が多いことであることだ。

2002年02月24日

信用経済

 Windowsパソコンのデスクトップには、「書かなきゃいけない原稿リスト」が張ってある。今月の初めは、そこには10本ほどの企画名が書かれていた。しかも、どれも全くの準備不足状態。リストを見るたびに「ちくしょー、終わんねえよ!」と暗澹たる気持ちになっていた。
 だが、現時点で残りは3本。ようやくここまできたかあ。こうして今回も、山を越えていくわけだ。もう10年も前に先輩が教えてくれた金言「白いまま出た本はない」。本当にそうだ。

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 忙しいといいながらも、オリンピックの中継はそこそこ見ていた。寺尾が不可解な失格を食らい、金メダルを4つ取ると期待されていたオーノがまさかの転倒で銀メダルに終わった、男子ショートトラックも見た。終わった直後、率直に言って、「こんなにあいまいなルールで戦う競技に、4年間、莫大なエネルギーを注ぐのか!」と、選手たちを気の毒に感じた。ルールや審判を信頼できないスポーツなんて、空しいじゃないか。


 現代の経済は、信用によって成り立っている。
 少し前なら、貨幣の背後には金や銀があって、その価値を担保していた。場合によっては、国家ないし支配勢力の武力が貨幣の後ろ盾となっていたこともあっただろう。それが現在では、少なくとも先進国と呼ばれる国家のほとんどで、貨幣はその国家の信用によって裏書されている。

 さて、信用とは大まかに言って、2つの方法で育まれていく。一つは、言わずもがなのことだが、約束を守り続けることだ。一つ一つの約束を確実に守ることで、信頼は積み上げられていく。これは、誰もが知っていることだ。
 ところが、もう一つの方法は忘れられることが多い。それは、約束を破った場合、自ら進んで適切なペナルティを進んで背負うことだ。ルールに従って償いをすることで、信用が守られる、あるいは信用が積み増されることだってある。

 今の日本の不況の原因はいろいろ言われているが、根本は「信用不況」なのだと思う。政府は、保険や年金制度の破綻について、決して本当のことを言わない。昔は「従業員を守るのが会社の使命」と語っていた企業が前言を翻し、あの手この手で社員を解雇する。官僚は、税金を不正に流用し、天下りで不当な利益を得ている。牛肉のラベルは、原産地名も賞味期限も書き換えられている。そんな中で、のんきにお金を使うことなど、できるわけがない。
 特に、僕らのような若い世代はね。どう考えたって、僕らは逃げ切れない世代。マージャン用語で言う「つかまっている」ってヤツだ。

 今の日本には、ルールがない。特に、「償いのルール」があまりにもおろそかにされていると思うのだ。
 例えば、銀行に投入された「公的資金」。あれもひどい話だったな。債務超過に陥った銀行には、それなりの原因があったはずだ。彼らは、そうした原因を作った張本人として、償いをしなくてはならなかった。でも、政府は責任の所在をすべてうやむやにしたまま、数千億円、数兆円の金を突っ込んじゃった。政府閣僚や高級官僚たちが言ってたな、「経済システムを守るためのやむを得ない方策だ」って。でもさ、そのために払った代償はあまりに大きかった。ルールを破り、さらに償いすらしない者を助けた結果、「信頼のルール体系」を足元から崩してしまった。でも、そっちの方が、経済に与える傷は深かったのだ。

 景気を良くするには、公的資金の投入なんて無意味、というか逆効果なのだと思う。むしろ、政府の、官僚の、企業の信頼度を高めることこそが、景気回復の最大の鍵なのだ。
 情報公開。私的な利益確保と保身を図るすべての閣僚、官僚、企業役員の排除。将来に対する明確、具体的なビジョン作り。そして、約束を守るものを守り、約束を破るものに正当な償いを課すルールの策定。

 景気回復は、経済の専門家に任せてもムダだ。むしろ、心理学者と小説家とショートトラックの選手がチームを組む方が、ずっと効果的だと思うね。

2006年08月02日

ボクシング世界タイトル戦、亀田興毅対ファン・ランダエタ

 試合が終わった瞬間は、それまで亀田選手に持っていた黒い感情が、ずいぶん晴れたような気がした。ランダエタ選手との技術の差は歴然。足は使えず、手数も少なく、相手の細かいパンチをかなり食らった。しかし亀田は、何とか12ラウンド持ちこたえた。世界にはまだまだ届かなかったが、彼の練習量と精神力は素晴らしい。これは、次の世界戦までどのくらい成長するのか楽しみだな……。

 ……と思っていた矢先に、場内アナウンサーが、亀田判定勝ちと発表した。

 驚いた。そんな判定が可能なのかと、少しの間、思考が止まった。あのボクシングで、亀田に判定勝ちの裁定が下るのか。1Rは当然8-10だろうし、11、12Rも明らかに9-10以上の採点が妥当だろう。残りの9ラウンドで、亀田は5ポイント以上を挙げたと言いやがるんだな、亀田に入れたジャッジは。

 ホームタウンディシジョンなんてものじゃ、今日の判定は説明が付かない。

 今日の試合に関わった人たちは、結局のところ、ボクシングを殺しているのだ。短期的な利益を得るために、悪魔に魂を売った。酷いものだ。酷すぎる。
 コンテンツを使い捨てにするマスコミは、それでも構わないのだろう。ボクシングがダメになっても、他に放送できるものはたくさんあるから。でも、ボクシング関係者は、これでいいのか? まるで自国内に核ミサイルを落とすような行為だ。仮に短期的な勝利が手に入ったとしても、いずれは全員死に至る。どうしてそれが分からないんだろうか?

 僕のような門外漢がこんなに気分を悪くしているのだから、本当にボクシングが好きな人たちは、いったいどれほど悲しんでいるだろう。


 明日のマスコミ報道が、ある意味で楽しみだ。きっと、翼賛報道みたいなニュースが、たくさん流れるんだろうな。TBSを中心にして。

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