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政治 アーカイブ

1999年07月06日

民主党などのサイトを見る

 政治ってものをテーマに掲げてるんだから、ちょっとはそれっぽいものを読んでみようかと思い、いろいろな政党のウェブサイトを覗く。政党のサイトをちゃんと見るのは、1年前の参議院議員選挙の時以来のこと。当時は、いろんな政党の政策を見ては、友達と作っているメーリングリスト上でさかんに論議してたなあ。そうそう、ちょうどその頃、公明党の「商品券」構想が話題になっていて、僕は「そんなバカなことできるわけないだろう! やっても意味ないし」という立場だったのだが、結局あの政策、実行されたよなあ。あん時は、商品券の配布など技術的に無理だと思っていたのだけれど……。

 久しぶりにいろんな政党のサイトを見たけど、どこも以前よりぐっと充実してた。で、その中で、民主党のページにあった「民主党安全保障基本政策」をダウンロード。ふ~ん、ごくごく当たり前のことを言ってるんだねえ……。今のところ、僕はどの政党にも加入する気はないのだけれど、多分僕の立場って、民主党に一番近いんだろうなあと思ってたりする。

 ところで、民主党のサイトなんかを見ていると、僕と同世代(30歳そこそこ)の政治家が何人も活動してるらしいことがわかった。こういう人たちって、やっぱりちゃんと仕事を積み上げてきてるんだろうかなあ。
僕は、自分の能力に対して、かなり懐疑的だったりする。その上、自分がこれまで仕事や知識や経験を積み上げてきたという自信もない。なので、どうしても、「ちゃんとした人」の前に立つと、卑屈になっちゃうんだよなあ。俺みたいなヤツに、政治なんてことできるのかなあ、って。
 ただし最近は、僕には自分の力を低く見積もりすぎるという傾向があることもわかってきて、そうした考え方はやめようとも思ってる。仮に、自分が無力だったとしても、無力だ無力だと萎縮するばっかりじゃあしょうがないしな。「人生にムダヅモなし」とも言うし。一見、ムダな牌ばっかり引いてるようでも、最終的に国士無双であがれるかも知れねえもん(この際、流し満貫でもOKつうことにしよう)。

1999年10月16日

緊急父母会とカウボーイ民主主義

 17時から、緊急父母会に参加。しかし、定刻に集合したのは、僕と僕の彼女のほかにはたったの1人だけ。もちろん、保育園に子供を預けている父母が忙しいのはわかっているが(だって僕もそうだもん)……。正直、少しショックだった。最終的には10名ほどの参加者が集まったのだが、それにしても、出席率は2割ほど。
 今回のトラブルは、保育園の近くの住人の1人が、園に怒鳴り込んできたことから始まった。そして今、その住人(男性)は態度を硬化させ、「園や園児に対して強硬手段をとる」と宣言しているのだ。
 園児の中には、男性に激しく怒鳴られたことが傷になり、夜泣きしたりしている子もいるらしい。また、今後彼が、園児や保育士に対して暴力を振るわないとも限らない。かなり状況は深刻なのだ。
 そうした状況は、一度園で開かれた緊急保護者会で、父母の方には説明されている。だから父母は、ある程度の状況は把握しているはず。なのに、出席率は2割。こんなものなんだろうか? 状況に対して、楽観的なのだろうか、それとも関心がないのだろうか、それとも、想像を絶するほど皆忙しいのだろうか?

 僕の考えていることは、言わば「カウボーイ民主主義」なんだろう。自分たちの問題は自分たちで解決するってところに、あまりに力が入りすぎてるのかなあ。今回の父母会に参加しなかった人たちとは、あまりにも体温が違うんだろうか? そうなのかなあ……?

 2時間ほど話し合いをして、一応の方針を決めてから解散。結局今後は、父母会としてのなんらかの動きをしなくてはならないだろう。でも、これからもこうした動きに参加してくれるのは、今日集まった「熱心な」10人と、あとは出席したかったけど今日だけは無理だったという数名だけなんだろうかなあ。
 でも、もしそれで園に関する問題が解決したとして、そこから得られる利益っていうのは、熱心な人もそうでない人も平等に受けるんだよな。無論、僕たちの最大の目的は、子供と園の安全を守ること。だから、それが達成できるのは嬉しいんだけどさ。でもなあ、なんか変だ。俺って心が狭いのかなあ?

1999年10月21日

原田知世はいつから「アーティスト」?/ダグ・フルーティってカッコイイ/西村政務次官、「核武装」発言で辞任

 午前中に1本原稿を書き上げた後、ボーっとテレビを見ていた。と、原田知世のビデオクリップがCSから流れてきたのだ。見ると、なんだかすっかり、「女性ヴォーカリスト」という雰囲気で歌を歌っている。いつの間にこの人、今井美樹のようなポジションになってたんだろう? 全然知らなかった。
 僕の中では、歌手の原田知世の位置付けってのは、「ザ・ベストテン」で、「時をかける少女」を裏声をひっくり返しながら唄ってた人ってところだったからなあ。当時は、安田成美か原田知世って感じだった。
だから、原田知世の歌の上手さには、結構驚きました。歌って、練習で上手くなるんだねえ。それとも、「ベストテン」の原田知世は、単にアガリ倒していただけだったんだろうか?


 午後からはチリワインを飲みながら、、NFL「ビルズ対スティーラーズ」をテレビ観戦。ダグ・フルーティとコーデル・スチュワートという動けるクォーターバック同士の戦いは、ベテランのフルーティが率いるビルズが24対21で勝利。
 フルーティやスチュワートみたいな機動力のあるQBのプレイって、嫌いじゃない。ダン・マリーノみたいなポケットパッサーのプレイより、ずっと楽しい。まあ、昔(イーグルスだったっけ?)のランドール・カニンガムみたいに、QBがチームのリーディングラッシャーになっちゃったりすると、ちょっと違うんだけど。一直線の攻撃じゃなく、パスありランあり、しかもたまにはスクランブルなんかも見せてもらって、フットボールの楽しさ満載って感じが一番いいんだよな。
 その点、今日の試合はかなり面白かった。

 特に、フルーティっていいよなあ。身長は5フィート10インチっていうから、177~8センチ。僕とほとんど変わらない。今のNFLのQBの平均サイズは195センチくらいだから、それより20センチ近く低いのだ。小柄だって理由で、ずっとNFLでは過小評価されつづけて、CFLでのプレイを余儀なくされてきた苦労人。で、昨年ようやくNFLでプレイして、大活躍した。今シーズンも頑張ってる。もう37歳なのに小気味いい動き、小さい体なのに大男相手に力の勝負を挑む。かっちょいいよなあ。
 今年はちょっと、ビルズの試合を見てみようかと思った次第。


 防衛庁の西村政務次官が辞任。情けないくらい、予想通りの決着。
 臭いものにはフタ、キツイ議論は先送り、いつものことだ。

 核武装をしない国は危険にさらされているって考え方は、もうあまりにも古すぎてダメだろう。でも、議論をする価値はある。議論をすることで、日本にとって必要な武装は何かということが見えてくるかもしれないじゃないか。
 結論は、そりゃ簡単には出ないだろう。ある人は一切の戦力放棄(自衛権をも含めた)を主張するかもしれない、ある人は核武装を言うかもしれない。でも、例えば核武装を主張する人が、どうして核が必要なのか、核を持った場合のメリットとデメリット、運用コスト、危険性、得られる利益、周囲の国との関係の悪化、それらすべてをバランスシート上に乗せて話をする。あるいは、非武装中立を主張する人が、どうして非武装中立が優れているのか、その可能性と危険性、他国から攻め込まれる可能性の高さ、侵攻を受けた場合の対策、それらをバランスシート上に乗せて話をする。それを聞くだけでも価値があると思うんだけどなあ。
 きっと、あるべき防衛の姿、できるだけ多くの国民の利益が最大になるような防衛政策は、この2つの間のどこかにあるのだろう。だから、彼らの話を聞いて、自分にとっての理想の国防政策を、国民1人1人が考える材料(反面教師だって立派な材料だ!)にすればいいのに。
 誰かが大声で「日本は核武装すべし」って連呼してたら、ほとんどの人は「そりゃ違うだろう」って思うだろう。それだって意味がある。違うって思ったら、どうしてそれが違うと思うのか、では正しいこととは何か、それを実現するためにはどうしたらいいのかって、ステップを踏んで考えてみるかもしれない。そういう人が現れるための、いい機会だったかもしれないのに。
 気づき、情報を仕入れ、考え、発言するという、当たり前の手順を踏む人が増えたかもしれないのに。

 でも、この国といったら、目をそむけ、無知を恥じず、思考停止することが、一番楽に生きられる手段ときたもんだ。ったく、なんだってんだろうなあ。

1999年10月27日

「街のデザイン」/日本シリーズ、ダイエーが王手

 朝、園長先生と雑談。例の「幼児虐待ホームページ」も話題にのぼった。
 園長先生も、親が社会的に孤立しているとマズイよねえって言っていた。保育園としても、近隣の父母を対象に「子育て相談」を企画するなど、園児以外への子育て支援のためにいろいろ頑張っているらしい。でも、現実問題としては、人手が足りていない。
 第一、普段の保育だって大変なのだ。ウチの保育園の4、5歳クラスでは、20人以上の子供に対して保育士さんはわずか1人。長女が通っている3歳クラスでも、30人近い子供を2人の保育士さんが面倒見ている。僕なんか、たった2人の我が子の世話をするのにも四苦八苦なのに、他人の子供を何十人も預かっている保育士さんたちは、本当にご苦労されてると思う。さらに、最近では保育園で起こったトラブルが原因で、近所の公園への「園外保育」もひんぱんにやってくれているみたい。言うこと聞かない子供を外へ連れ出すなんて、メチャ大変だろうなあ。ホント、お疲れ様です。
 で、そういう状況で、さらに園児以外の子供のフォローもするなんていうのは、物理的に無理があるのだ。さらに、追い討ちをかけるように、保育予算の削減がやってくる。

 こういうとき、お馬鹿な役人と議員は、「一律○%の予算カット」なんてことをやっちまう。ったく、社会をデザインするって発想が、微塵もないんだからなあ。いらない(いや、それができることでそれなりの利便性が発生するのだろうが)道路を1本作る予算があったら、その金で保育士さんが何十人、何百人も採用できるのに。
 市川市ってのは、言うまでもなく東京のベッドタウンだ(平成7年の時点で、全18万世帯のうちの10万世帯が核家族世帯、6万5000世帯が単独世帯だという調査もあるし)。僕らみたいに、20代後半から30代の両親と子供1~2人という構成の家庭は、おそらく最大のグループではないかと思う。だったら、そういう層を狙った制作ってえのがもっと打ち出されてもいいんじゃないのかなあ?
 例えば保育。例えば教育。例えば住宅。例えば商業施設の充実。例えば交通網の整備。そういう部分にフォーカスして予算配分をする、そして、そのことを外部にもアピールする。「市川市は、若い核家族層にとって住みやすい街です」、と。そうした環境が良くなれば、多くの人が市川に住みたいと思うようになるだろう。そうすれば、税収も上がるかもしれないし、それによって街の環境はさらに充実できる。
 そういう、「街のデザイン」というか、「街の強み」を作るというか、そんな発想をする政治家っていないのかなあ?


 日本シリーズは、ダイエーが王手。これで3勝1敗。
 ダイエー、明日の先発は楽になったなあ。2戦目にKOされた若田部を出して、リベンジ(余談だが、「リベンジ」って絶対今年の流行語大賞に選ばれるだろうなあ)を狙わせてやってもいいし、佐久本やヒデカズといったところを出してもいい。余裕がある。
 ちょうど、シリーズが始まる前の中日が、こんな感じだったなあ。正攻法で野口で行ってもいいし、川上でもいい。工藤が出てくることを予想して、あえて山本昌をぶつけていく手もあった。ところが、明日の中日の先発は、もはや野口以外にあり得ない。立場が全く逆になってしまったのだ。
 王さんとしては、工藤を中4日で出すなんていうバカなことさえしなければ、このシリーズはいただきだろう。工藤の先発、それだけはやめて欲しいなあ。もし工藤で負けたら、6、7戦のピッチャーはビビっちゃうからねえ。永井や星野が好投できたのは、第1戦で工藤がピシャっとやってくれたから。精神的な柱である工藤を、中4日で無理使いして失敗したら、流れが逆転してしまうもん。
 もちろん、工藤ファンとしては、中4日で先発して完封、MVPってのが理想ではあるけれど、でもやっぱりここは若田部か佐久本でしょう。で、工藤と永井を残して福岡で優勝決定。工藤が完封でMVP、と。願望ですが。


 ひどい腰痛に悩まされる。なんだろう? 変な寝相で寝たのかなあ?

1999年11月13日

佐賀新聞の記事データベース/国会議員の平均年齢/オリンピック代表の司令塔は?

 「+・-・×・÷」の文章を書いているときに、国会議員の平均年齢を知りたいと思って「Yahoo!」などを使って検索してみた。しかし、これがなかなかわからないんだよなあ。
 まずは、衆議院のオフィシャルサイトに行ってみる。と、どこにも国会議員の平均年齢なんて書いてない。それどころか、各議員の年齢すら書かれてない。どうしてだ? 年がバレルとマズイのか、議員さんってのは?
 仕方ないので、いろいろなサイトを回ってみたのだが、議員の平均年齢を調べているサイトは見つからなかった。全議員のプロフィールをまとめているサイトは見つかったが、さすがに、500人の平均年齢を自分で計算して出すほど、ヒマも根性もない(いや、実はヒマならあるんだけど……)。
 あきらめかけて、「ニフティの新聞記事検索でも使おうかなあ、でもなんだかバカバカしいなあ(とは言え、先日はダイエー工藤が西武を離れたときのいきさつが知りたくて、サンスポの有料記事検索サービスを使ったりしてるのだが)……」なんて思ってたときに探し当てたのが、佐賀新聞の記事データベースサービス。これって、おそらく日本で唯一の、無料の新聞記事検索サービスじゃあないのかなあ? 偉いぞ、佐賀新聞!

 さっそく調べてみると、96年の衆議院議員選挙の結果分析が見つかった。それによると、衆議院議員の平均年齢は54.8歳。これは96年当時のデータなので、今は57~8歳というところなんだろう。ま、大体予想していた数字。あと20年くらいしか生きない人たちに、今の政治は動かされているということなんだよな。なんだかなあって感じ。


 今夜は19時から、オリンピックのサッカー最終予選「日本対タイ」をテレビ観戦。個人的には、市船時代から好きだった(だって地元だし)北島が活躍できなかったのが残念だった。やっぱり、まだチームにフィットしてないのかなあ、それとも意気込みが空回りしてたんだろうか? パスへの反応が、平瀬より2タイミングくらい遅れちゃうんだよなあ。これって、中田のパスを受けてないってハンディもあると思うんだけど……。とにかく、市船出身のFWとして頑張って欲しいよな、北島には(森崎は、あんなに期待されてたのに、あっさりジェフを解雇されちゃったし)。

 しかし、中村俊輔はやっぱり左サイドより真ん中の方があってるよなあ。でも、そうすると中田はどこで使うんだろう? そして、小野が戻ってきたら、どうするんだろう? 俊輔と中田と小野、このすばらしい3人の才能は共存できるんだろうかなあ。
 ペルージャでの中田は、一時「1.5列目」的なポジションをとっていた。それに、この前のカザフスタン戦でも、FWのポジションで動いた時間帯もあった。だから、ワントップ(平瀬かなあ、柳沢かなあ。もし23歳以上の枠を使うなら、城あたりもあり得るか?)気味の配置にして、トップ下に中田を置き、その下に俊輔と小野のダブル司令塔って感じにするのが、一番普通の考え方なんだろうか。右のウイングバックは市川大祐で、左は本山。ボランチには稲本と遠藤(ここには、「日本のダービッツ」伊東輝悦が入るか?)なんて感じだと、かなり楽しめそうではある。小倉・城・前園・中田・伊東というアトランタ代表以上に期待させるかも。
 でもなあ、僕は、中田は「1.5列目」には向いていないと思うんだよな。もちろん、中田は頭がいいし、能力も高いからなんとかこなしちゃうのかもしれないけど、でも中田ってのは、ゴール前で思いもよらないきらめきを放つ、いわゆる「ファンタジスタ」(デル・ピエーロとかロベルト・バッジオみたいな)としての側面は強くないと思うんだよなあ、僕としては。ただ、一番「ファンタジスタ」的要素の強い俊輔は、線の細さがFWにはどうかという危惧がある。そして、小野にはひらめきも強さもあるが、スピードがない。
 もし、俊輔・中田・小野の3人を、全員フィールドに立たせようと思ったら、やはり中田にボランチをやってもらうしかないと思うんだけどなあ。日刊スポーツによると、昨シーズン、中田はセリエAで、合計116回ボールを失ったそうだ。一方、相手からボールを奪った回数は、なんと220回。アメリカンフットボール流に言えば、ターンオーバーレシオは+104。非常に高い。攻撃的MFの数字じゃあないよね、これって。
 守備力もあり、展開力も視野の広さも兼ね備える。そして、強さと低い位置からの安定したドリブルを持っている中田には、日本のドゥンガになって欲しいんだよなあ。そして、中田の周りを、日本のダービッツが走り回る。それが一番いいと思うんだけど。

 ま、「日本のロナウド」みたいなFWが1人出てくれば、すべて解決なんだろうけど。

1999年12月04日

保育課との懇談会

 朝の9時半から、市の保育課と「市川市公立父母の会」とで行う懇談会に出席。
 父母会側からはいくつかの要望を出しているのだが、保育課の方で最も多い返答は「それは予算がないので厳しい」というパターン。なんでも、市の方は財政緊縮の折、一般会計の総額を1割減らそうとしているらしい。で、保育予算も1割減ということにしたいのだそうだ。
 こちらとしては、保育料予算を減らしてもらっては困る(大体、今でも十分とは言えないのだから。近隣の市区町村に比べても市川市の保育予算は決して高くはない)。一方で、一般会計の額を圧縮しないと、市の財政が破綻するというのはわかる。だから例えば、保育予算は現状維持だが土木予算を2割減らして、全体としては1割マイナスにすればいいと思うのに、どうも市の予算編成っちゅうものはそういう風には行かないらしい。前年までの実績をもとに、とにかくどの事業でものべつまくなしに1割減らせと号令がかかっているのだそうだ。なんておバカな。

 父母会としては、各園への看護婦の配置とか、延長保育時間に正規保育士の配置などを要望している。でも、これらは全て予算がらみの話。保育課の担当者レベルでは、「予算がないから……」という答えで終わってしまう。じゃあ、財務担当に要望を出せばいいのか? それもどうやら違うらしい。では、議員に陳情するか? でも、その議員が議会で多数派工作をしてくれないと、予算を大きく動かすのは難しいだろう。では、市長を動かすのか……?
 一体、どこにどのように話を持っていけばいいのか、激しく悩む……。

 僕なんかは、予算なんてものは、その年度の事情に合わせて弾力的に組めばいいと思う。毎年、ゼロから予算案を作ればいいと思う。でも、お役所ってのはそうではないんだよな。とにかく先例がありきで、そこから足したり、引いたりっていう発想しかできない。どこをどう動かせば、そういう非能率的で大バカな組織運営をやめさせられるんだろうなあ?

 そうそう、「全体に予算を1割カット」という話を聞いて、僕、「じゃあ市の職員も1割給料カットするんですか?」って質問しようかとも思った。でも、そんなことを保育課の人に言ってもしょうがねえもんなあ。結局大人な僕は、その質問をぐっと飲みこんで、他の質問をした。えらいぞ、俺。


 11時30分過ぎに、会は終了。会議室を片付けた後、現役員の方とちょっとお話。もしかすると、次期役員をやることになるかもしれない。大変そうだよなあ。どうしようかなあ。

1999年12月06日

議会制民主主義/カンフル剤を打ってもこのありさま

 テレビでニュースを見ていたら、大阪府の横山ノック知事のセクハラ裁判に関するアンケートの結果が報道されていた。もし裁判で敗訴したら、知事は辞職するべきだと考えている人は、全体の40%余り。これに対して、30%余りの人は辞職しなくてもいいと考えているそうだ。
 アナウンサーは、「裁判に敗れた場合、知事は辞めるべきだと考えている人が、辞めなくてもいいと考えている人の割合を超えました」なんて言っていたけれど、僕にとっては、横山ノックは辞めるべきと考えている人が全体の40%しかいないことの方が驚きだった。
 僕は、犯罪を犯した人が本当に反省し、更正したのであれば、社会はその人をきちんと受け入れてやるべきだと思う。一方、犯罪を犯した人が反省もせず、しかも堂々と大手を振って生きられる社会なんて認めたくない。しかも、大阪の場合は、被告が公職のトップだよ。それって、痴漢やセクハラ、強制猥褻をしても構わないって、大阪全体で太鼓判を押しているようなもんじゃない。
 もちろん、横山ノックはまだ、裁判で有罪が確定したわけではない。政治家という立場上、政敵などから罠を仕掛けられる可能性だって十分にあるわけだし。ただ、彼は裁判をわざわざ欠席したわけでしょ? その上、慰謝料800万円だかも払うって言うんでしょ? もし当人が言うように潔白なのであれば、そんなバカなことするわけないじゃん。つまり、横浜ノックが有罪である可能性は、現在のとこときわめて高いと考えざるを得ない。
 なのに、アンケートの結果では、知事は辞職するべきと考えている人はたったの40%強。どうしてそんなことになっちゃうんだろう?

 そこで思い出したのが、一昨日の市川市保育課との懇談会で、保育課の課長さんが言ってたコメント。

僕 「予算全体を1割削減しなくちゃダメだって話は、良くわかります。国からの補助金も少なくなってるって言うし、地方税の税収も減ってるんだろうし。一方で、市の借金は膨れ上がってますからね」
課長さん 「はい、そうなんです」
僕 「それは良くわかるんですが、何も、全ての事業を一律に1割マイナスにすることはないでしょう。例えば、保育予算は現状維持で、一方で土木費は2割マイナスにして、一般会計全体としては1割マイナスに収めるとか、そういう方法もあるわけですよね?」
課長さん 「それはそうです。でも、役所のやり方っていうのは、そうじゃあないんですよね。財政課の方からは、とにかく予算を削れとせっつかれてるんです。今までは、『積み上げ方式』と言って、これとこれが必要だからということで予算を請求してきたんですが、これからはそうはいかないんですよ、この不景気ですからね。前年からどこをどれだけ削るかという発想で予算を組むわけです」
僕 「いや、だから、全体として予算をカットすることは仕方ないと思うんですよ。でも、保育予算もなにもかも、全て一律でカットっていうのは馬鹿げてませんか? それが言いたいんです。ってことは、あれですか、こういう話は保育課の皆さんとお話をするより、その、財務課の方と話したほうがいいんですか?」
課長さん 「いや、財務課もね、何も勝手に予算を決めてるわけじゃないですからね。結局、われわれの作るのは『予算案』であって、それを議決するのは市議会なわけです。これは、議会制民主主義にのっとって皆さんが選んでいる代表の方ですからねえ、この方々が承認しているわけですから」
僕 「……」

 確かにそうだ。僕たちが選んでいる議員が、結局のところ予算案を議決しているわけだ。どんなに予算案が気に入らなくても、それを最終的に議決するのは僕らが選んだ代表なのだ。ってことは、理屈の上では、僕らが予算案を承認しているということになる。どうしてだ? いつそんなことになったんだ? 代議制ってなんだ? 議会制民主主義って?

 ……、ってことは、議員に対して陳情を行うべきなのか、でも、1~2人の議員がいくつか質問したところで、事態は変わるのだろうか? 一体、自分たちの意見を政治に反映させるには、どうするのが一番効果的なんだろうか……?
 もしかすると、今後僕は、公立父母の会の役員になる可能性もある。でも、どういう風に動くのが一番言いのだろうか? かなり悩んでいる。


 やはりテレビのニュースが、7~9月期のGDPがマイナス1%成長だったと伝えていた。これで、小渕内閣が約束していた、今年度の成長率0.6%という数字は微妙になったのかな。
 しかし、日本のGDPってどのくらい? 500兆円くらいだったっけ? でさあ、単純に考えれば、ここに5兆円、ポーンと空から降ってきて、日本の皆様、自由に使っていいよ、なんてことになったら、それだけでGDPは1%成長するわけじゃない? ところが、ここ数年、「景気を回復する」っていう大義名分の元にジャブジャブ税金使ってさあ、今年だって数十兆円使って公共事業をやったりしてるわけでしょ? なのに、わずか0.6%の成長も難しいっていうのはどういうこと?
 僭越ながら僕が思うに、原因は3つ。
1)日本はもう死んでいる……ご臨終間近の身体にカンフル剤を打ったって、単に死期を延ばしているだけ
2)カンフル剤を打つ場所を間違っている……ちゃんと静脈注射すれば効くのに、変な場所に注射針を刺している。今更、公共事業とか言って穴掘りばっかりしても、景気浮揚の約には立たない?
3)カンフル剤を、誰かがネコババしている……せっかく買ってきたカンフル剤を、だれかがこっそりと盗んで自分に注射してしまった。つぶれても仕方がないゼネコンや銀行を、誰のためだか知らないけれど助けちゃってさあ。

 そうそう、GDPの6割が個人消費なんだってね。ってことは、日本人が物を買い、お金を使うようにならないと、景気は回復しないってことだよな。でも、今のご時世、豪勢に金を使う根性のあるヤツなんて、そんなにたくさんはいないもん。
 なぜなら、みんな先が見えなくて不安極まりないんだから。年金、介護保険、国や地方自治体の累積赤字……。そのへんがどうなるのか、ぼんやりとでも見えてこない限りは怖くて怖くて仕方がない。ついつい、お金があっても貯金しちゃう。
 結局ねえ、小手先の手当てばっかりで、根本的な国のデザイン、未来図を誰も作ってこなかったから、こういうことになっちゃうんだよな。大きな立場から国をデザインしていこうという市民の熱意と、それを一つの方向にまとめ上げていくリーダー、どっちもいない。いるのは、自分の立場を守り、利益をあげるためにその場しのぎの政策を乱発する政治屋と小役人、そして、それに対して無気力で、日々怠惰に過ごしている国民。

 なんだか萎えちゃう。

2000年01月12日

憲法第九条/Java/SPA!と鉄腕DASH!

 『通販生活』を読んでいたら、「憲法第九条」特集を見つけた。綴じ込み付録では、日本国憲法の全文が紹介されている。
 せっかくなので、第九条をここに引用しておこう。

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 なるほど。
 これはこれだなあ。確かに、この条文は立派なものだと思う。ものすごく毅然とした、立派な態度だと思う。
 「非武装中立」という理念は素晴らしい。暴力や戦争は忌むべきものに間違いないのだから。

 でも、今の僕は、この条文にはやはり賛成できない。

 小さいころから僕は、自分のことを馬鹿にされるより、自分の親や妹を馬鹿にされる方が何倍も辛かった。今も、例えば自分が飢えることよりも、自分の子供が飢えることの方が何倍も辛いだろうと思う。
 だから、もし僕が守るべき人を持たない立場なら、「日本は今日から完全非武装です。北朝鮮やロシアや中国やアメリカや、あるいはオウムや過激派連中が武器を引っさげて攻めてきても、暴力反対っていう理想のもと、喜んで死にます」ってメンタリティもあり得るかもしれない。でも、誰かが理不尽な暴力をふるい、それによって自分の妻や子供たちが殺されたりするのを見るのは、やはり耐えられない。

 ということで、僕は、国防のための最小限の軍隊を持つことは、現時点では仕方がないと思っている。そして、その軍隊を、国防という目的のために機能的に動かすためには、ある程度の法整備をしなければならないとも思っている。だから、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という一項は、修正しなければならないだろう(そして、いわゆる「有事法制」も、なるべく早く整備しておくべきだ)。

 ただ、「国際情勢は、常に武力を背景として動いているのだ」なんて、したり顔で解説を加えちゃう、自称「マキャベリスト」あるいは「現実主義者」の輪に加わる気もない。彼らは、常に砲弾の届かないところで安穏と暮らしている傍観者に過ぎない。最前線で実際に血を流している人間にしてみれば、絶対安全地帯から高みの見物を決め込む彼らは、最も卑怯な存在なのだろう。
 現実は、確かに理想通りには進まない。でも、理想に近づこうとする意思がなければ、現実はますます理想から遠く離れてしまう。

 例えば、戦争が起こる前にそれを防ぐ方法はたくさんあるだろう。軍縮、集団的自衛権を中心とした同盟関係の構築、各国が国連軍に一定の軍事力を預託して「中立」な軍隊を作る(完全な意味での中立はあり得ないが、でも運用方法に工夫をすれば一定の抑止力になる)……。
 あるいは、例えば、いろんな国に友達を作ることだって戦争を防ぐいい方法だ。北朝鮮がアブナイ国だと言っても、仮に金日成から一般の兵士まで、全員が何人かの日本人の友人を持っていたとすれば、戦争を仕掛けられる確率はかなり低くなるはずだ。

 要は、現時点で必要な最小限の兵力は持とう、と。その上で、外交や国連システムの整備、民間レベルの交流をきっちりこなすことを忘れないこと。この両輪を同じに動かすことが大切だと思うのだ。

 現実を離れた政治はあり得ない。しかし、理想を忘れた政治は救いがたい。現実を正確に把握し、理想をきちんと提示し、そしてその間に横たわる道をデザインするのが政治家だと思うんだよなあ。


 トップページに、JavaScriptを使ってみた。と言っても、ほんのちょっとしたところだが。
 さらに勢いに乗って、プロフィールのページの顔写真に、Javaアプレットを使って仕掛けをしてみたのだが、こちらはブラウザがいちいちJavaを起動するのがかったるくなったので、却下。


 「SPA!」の最新号の広告を見た。特集は「僕らの『景気回復なんてウソでしょ』宣言」だそうだ。ひひひ、「SPA!」って相変わらず楽しいなあ(ま、最盛期に比べて多少パワーは落ちてるけど)。
 あと、「鉄腕DASH!」の予告編で、「東京タワーを日時計にする」というような企画が紹介されてた。こちらの目の付け所も、僕は好きなのだ。
 実は、こういう類の日時計に関しては、昔ちょっとした文章を書いたことがある。イメージしていたのは、千葉市のポートタワー。「ポートタワーの影が美術館にかかると、もう日暮れが近いことが知れた」みたいな文章だった。ちょっと懐かしいなあ。

2000年01月24日

長女発熱/吉野川可動堰に関する中山建設相の愚民思想コメント

 昨夜から熱を出していた長女の状態が、良くならない。朝の時点で39度2分。昨日書いた文章じゃないが、こういうときに限って妻は深夜残業だったりする。幸い僕の方はスケジュールが立てこんでない状態なので、今日はもう仕事はいいや、と諦めて看病態勢に。

 11時頃熱を計ると、40度1分。熱が引く気配がない。行き付けの病院に電話をしてみるが、月曜日の午前中、しかもインフルエンザの子供が続出ということで、ひどく混んでいるとのこと。長女は熱のわりには元気だったので、病院で長々と待つよりは自宅で寝てた方がマシだと思い、とりあえず熱冷ましのために座薬を使っておく。

 長女のうたた寝の間に、取材のアポ入れ。いくつかの教育機関に電話を入れたのだが、そのうち1ヵ所は「Aさん? いませんよ! 休み。えっ、明日は来るか? わかんないね」との対応。もう1ヵ所では、担当者が電話中だったらしく、「ちょっと待ってください」と言われてから4~5分、そのままでほっとかれてしまった(しかも保留音なし)。
 よく、学校の先生って世間知らずだって言うけどさ、やっぱそれってあるよねえ。キャンパスっていう閉じた世界から出なくても、それで生きていけちゃうってのはマズイと思うんだけどな。「教員免状は30歳以上にしか出さない」というシステム、必要だと思うんだけど。

 昼食に作った卵粥にもほとんど口をつけなかった長女が、14時過ぎになって「そろそろ病院に行こうか」と言い出す。病院に電話を入れると、今は比較的空いているとのこと。急ぎ支度をして外出、30分ほど待ってから診察を受ける。と、予想通り風邪との診断。抗生物質と解熱剤を処方してもらい、16時頃帰宅。


 しっかし、僕がフリーランスで、しかもヒマなライターだったから良かったけど、両親ともに多忙、しかもなかなか有給も取れないような職場に勤めてたりすると、子供が熱を出すとツライよなあ。病児保育の制度ってのは全然整備されてないし、近所の友人に預けていくってことも、なかなか難しいもん。
 僕の友達には、フリーライター同士のカップルとか、ライターとカメラマンのカップルとかが何組かいるけど、多分みんな子供を作ることに躊躇しちゃうところが大きいと思うんだよな。ウチみたいに、妻の実家(ドアトゥードアで30分ちょっと)や僕の実家(こちらは1時間あまり)のヘルプを期待できるところでさえ、時にはしんどいことが多い。これが、実家から遠くはなれて住んでるカップルだと、そりゃ育児とキャリアを両立するのって大変だよ。

 出生率は、ここ数年低下する一方。そりゃそうだ、だって安心して子供を育てられる環境がないんだもん。
 例えば今、土地が値下がりして困っている人たちがたくさんいるけど、だったらさあ、育児しやすい社会環境を作るために公的な投資をしたらどうだって思う。だってさ、出生率が下がれば日本の人口は減る。人口が減れば、土地は余る。土地が余れば、地価が値上がりするわけないじゃない。
 道路や橋を作るより、病気の子供を保育する施設を作って、十分な看護婦と保育士を配置してやる方が、実は地価下落を止められるかもしれないのにさ、そういう発想をする政治家や役人、僕、見たことない。


 そうそう、発想で思い出した、今日の朝刊に出ていた吉野川の可動堰の話題。堰の建設計画に反対多数という結果が出たのに対し、中山建設大臣が「(住民投票は)民主主義における投票行為の誤作動」ってコメントしてたらしい。これはビックリこいたね。「愚民が投票したってろくな結論出るわけない」って、こないにはっきり言っちゃうんだから、度胸あるなあ、この大臣。
 でもな、こういう「シモジモの言うことなんて愚かなことばかり」って発想で動いてる役人って、きっと多いと思うんだな。特に、大蔵省あたりのエリート君は、そんなヤツばっかりじゃねえのかな。


 夕方、次女を迎えに保育園へ。その後、夕食。長女もそこそこ食べてくれて、ちょっとだけ安心。しかし、解熱剤を飲ませても、熱はまだ38度半ばある。


 深夜1時頃に帰宅した妻と、長女のことについて相談。明日も保育園休まなきゃならないだろうからなあ。どうしたもんだろう。

2000年01月30日

すごいニュースが続く……/犯罪者の権利と被害者の権利、オウム信者の権利と近隣住民の権利/大蔵省、「毎年30兆円の国債発行が必要」と試算/フランス議会

 相変わらず、喉の痛みは引かない。


 しかし、すごいニュースが続く。
 9歳のときに連れ去られ、19歳になってようやく家族のところに戻ってきた女性の話。例の「ストーカー殺人事件」で殺された女性の元交際相手で、事件のカギを握ると考えられていた男が自殺していたという話。野島伸司脚本じゃん、それじゃ。ま、ドラマでは、誘拐された少女は鉄仮面をさせられてたり、自殺した男は実は体つきの似た別人だったりするんだけどさ。
 しかしなあ、僕も一応、2人の娘を持つ父親。自分の子供に置き換えてみると、こりゃあたまらん気持ちになる。あんまりふざけちゃいけないよな、反省。

 そうそう、思い出した、何日か前に「犯罪被害者の会」(?)って団体が記者発表をやってたよな。その中に、奥さんと小さな子供を少年に殺されたダンナさん(確か山口の方の事件だった)がいて、犯罪者の人権は守ろうとするのにどうして被害者側の権利は守ってくれないのかと訴えてた。しごくもっともな話だ。

 権利、権利と、僕たちは当たり前のように口にする。でも、権利というものには、それを制限する2つの要素が確かに併存していることに関して、注意を払う人は少ないだろう。
 その1つは、「ある人の権利は、他の人の権利を犠牲にしてまで享受できるものではない」ということ。もし、ある人の主張する権利が、別の人が主張する権利と相容れない場合、そこには何らかの調整が行なわれてしかるべきだ。互いの権利の境界線は、ある場合は両者から等距離の場所に、ある場合はどちらかの側により近い位置に引かれるんだろう。
 もう1つは、「権利というものは、常に義務と表裏一体である」ということ。つまり、義務を果たさない人間に、権利は発生しないと、僕は思っているのだ。
 別になにも、例えば憲法で「国民の義務」と定められている納税をさぼったからって、すぐさま「お前の人権、取りやめ!」なんて言うつもりはないよ。この場合の義務ってのは、それよりもっとずっとハードルの低いもの。つまりね、「お前それ、人間じゃねえよ……」ってことをやったら、それは人間としてのルールを破った、人間としての義務を放棄したっつうことになるんじゃないだろうかなあ、なんて思うんだな。
 例えば山口の事件では、犯人の18歳の少年は最初から暴行目的で被害者宅に押し入り、抵抗する女性を絞殺してから強姦したらしい。さらに、近くにいた子供(たしか10ヶ月とか、そのくらいだったと思うが……)が泣いているのを見て、これも殺してしまった。そんな子供に証言能力なんてあるわけないのに、それでも、だもんな。これが、人間として許されることだとは、到底僕には思えない。人間としての最低限のルールを放棄してしまった、そうした凶悪犯罪者に、「人権」を認めることは適当なんだろうか? とても僕には、納得できない。
 それが、被害者側の権利を損なうのなら、なおさらだ。山口の事件のダンナさんは、法廷に妻子の遺影を持ちこもうとしたとき、裁判所から拒否されたらしい。いわく、「被告が冷静に裁判を受ける権利を阻害する」だってさ。そりゃねえだろよ、ダンナさんの「殺された妻子に裁判の様子を見せたい」って気持ちはないがしろでさ、加害者側の権利だけを優先するなんてさ、そりゃどう考えたって変だって。


 あ、そうだ、オウムに関するニュースも多かったな。その中で考えさせられたのが、石井久子の子供の小学校入学を、役所(管轄は教育委員会だったような……)が拒否したニュース。
 今、全国各地で「オウム排斥市民運動」ってのが起こっている。これは、ある程度は仕方がないとは思う。何しろ、オウムは地下鉄サリン事件、長野サリン事件などの数々のテロ活動を行った団体。最近でも、麻原の息子を拉致する事件を起こすなど、その体質は変わってなさそうだ。そんな団体が隣に引っ越してきたら、これは確かにたまらん。

 余談だけど、葬儀場や老人介護施設、学校、保育施設などの建設反対運動ってのも、各地で起こってるらしい。これはオウムの件とは全く違う。
 葬儀場などの施設の場合は、「縁起が悪い」「そんなものを近くに建てられると不気味だし、地価も下がる」「子供の声がうるさくてイヤだ」という理由がほとんど。言わば、住民のエゴなのだ。自分も大声をあげて遊んでいた子供だったし、将来は老人になって人に面倒を見てもらい、やがては火葬場で焼かれて死んでいくつうに、でも自分がそれらによって迷惑をするのはイヤだと言う。それはちょっと勝手だよな。
反対運動をやってる人たちもその辺は感づいているらしく、多くの場合運動の口実は「建設によって自然破壊が起こる」なんてことにしてるんだよな。
 確かに、「地価が下がる」「声がうるさい」ってのは迷惑だろう。だったら、それを補うだけの方策を立てて、それで受け入れ態勢を作ればいい。地価が下がった分は補償し、子供の声がうるさくないように隣家との間は十分にとり、植栽も行う(で、余計にかかった分の税金は、当然住民全体が負担する)。それなら、僕はウチの近くにそういう施設が来ても、全然OKさ。ウチからちょっと離れたところにそういう施設が建って、それで住民税が上がっても、納得して払うし。

 話は戻ってオウムの件。
 オウム自体を、住民が排斥するのはわかる。しかし、石井久子の子供を学校に入れない権利ってのは、住民にはあるんだろうか? 確かに、その村(町?)の子供には、静かな環境で勉強をする権利があるだろう。でもなあ、石井久子の子供にだって、勉強する権利はあるもんなあ。さらに、石井はオウムの幹部(元幹部か、正確には)かも知れんが、石井の子供は決してそんなことない。石井の子供はサリンをまいたわけじゃないし、VXガスで人を殺してもいない。って言うか、オウムの教義を信じてるかどうかもわからん。なのに、なあ。双方の権利の境界線が、入学拒否ってところにあるってのは、それでいいのか?
 わからん。

 オウム本体にしたって、末端の信者は基本的に無害だろう(幹部の連中はアブナイかもしれん)。でも、彼らもいろんな街で排斥され、流浪状態だったりする。
 もともと「普通」の世の中から、ある意味で追い出されてオウムに入った人も多いのではないかと想像するが、さらに排斥運動なんか食らっちゃったら、もう、どんどん世の中に戻れなくなっちゃうんじゃないかなあ。彼ら、ちょっとかわいそうだ。だってなあ、彼らも人殺しなんてしてないよ。1人1人は、善良で小心で、潔癖で理想主義者で現状に対する危機意識も強かったりすんだよ、もしかすっと。でも、あるいはそれゆえに、世の中からはじき出されてしまう。う~む、やっぱちょっとかわいそうだなあ……。
 かと言って、彼らが麻原なり上祐なりの言うことをまだ信じていて、さらに彼らに麻原や上祐の命令が届くとしたら、これはやはり危険なことだ。末端のオウム信者は善良で、彼らに人権があったとしても、その隣人にも人権がある。葬儀場ならあとでフォローがきくけれど、サリンをまかれたら取り返しがつかない。どうしたらいいんだべなあ……?

 この際、「オウム特別区」を作るか? 
 オウム信者を居住させる地区を、法令で作る。信者は共同生活を望んでるんだし、日本のあらゆる地区がオウム排斥を望んでいる。であれば、そういう解決法もありだと思うんだけどなあ。でも、そんなことしたら、国がオウムの存在を公認するって取られるかもしれないし、他の宗教団体が「オレのところも特別区にしてくれ」って言い出すかもしれないもんなあ。無理か、やっぱし。
 だったら、オウムを完全に解体するか?
 でも、言うは易し、だよな。まず、オウム信者全員が教義を放棄するなんて思えない。だって、宗教だもん。もともと宗教ってのは非合理を含んでいるもの。それを承知で皆信じてるんだから、理詰めで説得したって納得するわけがない。感情で攻めるにしたって、親兄弟を捨ててオウムに飛びこんだ信者に対して、どんな方法も対して効きやしないだろうし。だいたい、オウム首脳部が「サリン事件はオウムがやりました」って認めてるのに、それでもまだあんなに信者がいるんだもん。そりゃ、彼らの信仰は筋金入りだよな。
 で、今の時代、電子メールでも使えば、バラバラに住んでいても信者同士簡単に連絡が取れる。例えば、10人以上の信者が集会を開いちゃダメ、とか法律で決めても、チャットで集まっちゃえばいいもんな。それを防ぐには、彼らの電子メールやホームページを、盗聴法案にのっとって調べるのか?  それもエライ怖い世の中だよなあ。いつ自分たちが、同じことやられるからもわからんもん。確かにオウムも怖いんだけどさ。……。


 とにかく、利害が対立している人同士、団体同士の調整をするのは大変だっつうことだな、ってそんな結論かいっ!


 大蔵省が2005年までの国の財政状況を試算して、毎年30兆円の国債発行が必要だって報告したっちゅうニュース、これもビックリした。何が驚いたって、その厚顔無恥ぶりと無能ぶりに。
 だってさあ、今の予算規模って80兆円くらいでしょ? なのに、毎年30兆円の国債を発行するってのは、どんな予算を組んでるわけ? 普通に考えれば、それってよっぽど背伸びした予算を組んでるか、あるいはよっぽどムダのある予算を組んでるとしか思えないじゃん。そんなダメな予算を組んで、おまけにバカな試算を出してさ、それでのほほんとしている大蔵省って、いったいなんなんだ?

 ま、大蔵省は強いもんね。なんつったって、徴税権ってのを持ってるらしいから。いざとなったらシモジモの者どもからビシビシ税金取りたてればいいと思ってるんだろうな。
 だからなあ、僕は英語ができたらいいなあと、心から思う。で、アメリカに脱出して、日本になんてビタ一文の税金も払わないんだ。そんでもって、日本に居残っちゃってすんげえ税金取られてる人のニュースを見て、「あら、日本ってのは大変なんだねえ」なんてコーヒー片手に言ってみたりする……
 でも、僕は英語ができない。だから、大蔵省とか、日本の政治家とかに、すっげえ腹が立っちゃうんだよな。ったく。


 最後に、これもかなり驚いたニュース。
 フランスの議会で、各政党の公職選挙における立候補者を、男女同数にするという法律が可決されたそうだ。これはまた思い切った法律だよなあ。
 個人的には、立候補者の男女比を1対1に固定するってのは、やり過ぎじゃないかと思う(ただし、代議士ってのは市民の利益代表で、市民の中での男女比はほぼ1対1なのだから、結果的に代議士の男女比が1対1になるのは良いことだろう)。でも、僕の驚きはそこにはなかった。
 朝日新聞の記事によると、フランスの国民議会(下院)で女性議員は10.9%。つまり、9割がたは男なのだ。なのに、この法案が通った。それが一番の驚きだった。議決する議員の利益にならない法案が通るんだなあ、フランスでは。もちろん、この法案を通すことで女性票が期待できるという読みもあるのかもしれない。それはそれで、有権者の意思が代議士に有効に届いている証拠なわけだし。いずれにせよ、すごい。

 そう言えば、どこかの国の党が、代議士の定年制でなんかもめてたなあ。あそこの国では、老人代議士が「政治は若いヤツラに任せるべきだ、定年制を敷こう!」なんて主張してたりするるのかしら? 寡聞にして知らんなあ。


 しかし、喉いてえなあ。

2000年04月03日

小渕首相倒れる/永田村しか見ていない政治家たち

 小渕首相が倒れた。脳梗塞だそうだ。呼吸器をつけられ、意識はなく、かなり危険な状態らしい。

 そんな中、自民党の政治家たちがこんなコメントを出していた。
 「こんな時期に首相の後継人事など口にするのは不謹慎」
 あるいは
 「次期首相は、党をまとめられる人を」

 そだねえ、やっぱりこの人たちって、内部にしか目が行ってないんだねえ。
 良く言われているように、永田町という場所は「村」なのだろう。外との交渉よりも、内部の調整の方が何百倍も大切なのだ。彼らには、一億三千万人の生活や安全を守る職業人としての自覚は、これっぽっちもないんだよな。ま、いまさら口にするほどのことでもないけど。

2000年05月14日

「千葉県保育問題協議会」に出席

 日曜日だというのに、船橋市で開かれた「千葉県保育問題協議会」の定期総会に出席。
 会場は60~70名程度の人が出席。僕は、市川市公立保育園父母の会の会長Yさんと席を並べて座った。
 開会してすぐに2人の来賓が挨拶。千葉県の労働組合の副委員長(?)と、千葉県議会の共産党議員がスピーチしたのだが、どちらも保育問題に関するコメントはほぼゼロ。その代わり、ガイドライン法や盗聴法の危険を訴え、平和憲法を守ることをひとしきり力説して帰っていった。何だったんだ? こっちは「保育問題」に関する報告や討議が行われると思って出席してるのに。共産党色丸出しの組織なんだなあ。

 ところが、幹部の人たちはともかく、僕のような一般の出席者は、ごく普通の人も多いらしい。八千代市の父母の会の代表が、公立保育園の民営化に関する活動の報告をしていたが、彼の話し方はごく普通の感じで、好感が持てたし共感もできた。父母会活動をするなかでの僕の悩みのひとつが、一緒にに仕事をしたいと思える人があまり見つからないという点だったりするのだが、こういうフラットなスタンスで話ができる人がたくさんいればいいなあと思う。

 昼休みに入り、弁当を食べながら、Yさんなどと会話。僕が正直に「こんなに共産党色が強いとは思わなかった」と感想を言うと、Yさんも同感してくれる。しかし、彼の「俺も最初は、こういう政党色の強い組織に出るのは嫌だったけど、子供の保育環境を良くするために運動しようとすると、結局この方法しかないんだよね。他の政党はこういう活動ほとんどやってないし、自分たちだけで動くには力不足だし……」という話を聞いて、それも一理あるよなあと思う。一方で、こんなに政党色の強い組織の下部団体として動くことに、強い拒否反応を示す人も多いしなあ……。

 とりあえず、僕はこれから1年間、2ヶ月に1度のペースでこの組織に顔を出すことになりそうだ。せいぜい、どんな場所なのか見てこようと思っている。

2000年06月13日

衆院選が公示/公明党の選挙ポスター

 衆議院議員選挙が公示になったそうだ。さっそく我が家のポストに、共産党を誹謗中傷するチラシが投げ込まれていた。なんでも、「共産党の某議員の事務所開きは、大酒盛り大会だった」んだそうだ。ふへえ~。
 いったいこの文書って、誰が作ったんだろう? 常識的に考えれば、この議員と同じ選挙区で立候補する人の陣営なんだろうけど、それにしてもこんな怪文書丸出しのチラシを配って、そんなに効果があるとは思えないんだけどねえ。たくさんの人手をかけて(だから、きっと組織力の高い政党がやったんだろう)、現場を押さえられるリスクまで背負って(これって選挙妨害として罪に問われないのかしら?)、それでもこういうチラシを配る意味ってなんなんだろうか?
 一応僕も、将来的には選挙に出る可能性がある(ホントは面倒なので、誰か僕以外の人に、僕たちの利益代表者として立候補して欲しいのだが)わけで、ちょっとその辺、気になる。


 そう言えば、保育園の行きかえりに見かける公明党の選挙ポスター、これは結構いい感じだ。僕が見たのは、皿の上にマウスが乗ってるバージョンと、ボルトとナットが乗ってるバージョンの2種類。マウスは粘土のような材質で作られた立体イラストで(ちゃんと見たわけじゃないので不確かなんだけど)、柔らかく親しみやすい雰囲気を出している。
 これって、ちょっとこれまでの選挙ポスターとは違うなあ。もしかすると、広告代理店かなんかに頼んだのかしら? ま、それはそれでOK。政党の主張がわかりやすく僕たちに伝わってるんだから。

2000年06月25日

選挙に対する無力感

 このところ入稿続きで、更新が途絶えていたのだが、どうも来月も忙しくなる予感。「ホームページビルダー」を立ち上げる時間が少なくなりそうだ。

 しかし、選挙だ。
 何でも、森首相に対する支持率は、わずか20%前後なのだそうだ。しかし、自民党だけで過半数近い議席を取るんだなあ……。利益誘導型政治、二世議員、野党の不甲斐なさ……。こりゃあ、国民が政治に対して無気力になってしまうのも仕方ねえよな。

 今回の選挙は、棄権しようかと思ったくらいだ。なにしろ、立候補者に魅力がない。僕が政治に求めているニーズに対し、具体的な言葉で語ってくれた人は、少なくともこの選挙区には一人もいなかった。
 テレビも新聞も(もちろん選挙公報も)、必要な情報を伝えていなかった。例えば、どの候補者が二世議員なのかという情報は、人によっては投票に大きな影響を与えると思うのだが、そうした情報を網羅的に紹介するメディアはなかったと思う。

 迷った挙句、20時の締め切り直前になって、ようやく投票にでかけた。
 僕はいつも、投票したい候補がいないときには共産党に入れることにしている。なぜなら、共産党は議会の中ではどの会派とも協同せず、そのため共産党の議席は一種の「死に議席」となっているから、共産党に投票することは「半分棄権した」という意味合いになるからだ。今回も、結局共産党に投票。ふ~っ、なんだかなあ。

 最高裁判事の審査ってやつも、いつもと同じパターンで投票。
 最初はさ、町田顕さんと元原利文さんっていう判事だけは○にしようかとも思ったのよ。町田氏は今年3月、最高裁判事になったばかりで、×をつけるほどの実績もない。もう一人の元原氏は、公報の中の「自分が関与した主な裁判」という項目の中で、一人だけ反対意見を中心に事例を掲載していたことに好感を持った。だってさ、こんなところで「多数意見」とか「全員一致」ってのを紹介したって、自分がどんな意図で判決を下しているのかを世間に伝える情報にはなり得ないでしょ? 「他の人はこう考えたようですが、自分はこう思います」って事例のほうが、その人の考え方は伝わりやすい。その辺り、元原さんってのはちゃんとわかってるみたいだし。
 でもな、結局はいつも通り、全員に×をつけて投票。だって、9人の判事のうち、一番若い人(前出の町田氏)でも昭和11年生まれって言うんだよ。つうことは、この判事さんたちって、例外なく60歳以上、人によっては70歳ってことなんだもん。なんぼなんでも年取りすぎ。第一線からは、早く引退しなさいっての。

 しかし、ほんとになんだかなあって感じだよなあ。もう、選挙特番を見る気も、あまり起こらない。
 俺も本気で政治を目指すなら、選挙ってヤツも避けては通れない道なんだよな。……、なんだかガックリきちゃうぜ。

2000年08月07日

職場の「雰囲気」と、育児休業/5人に1人しか支持してない内閣が安泰とは?

 新聞を読んでいたら(ちなみに、今取ってるのは読売。新聞ってのは大概つまらないものだが、読売はヒドイね。時代感覚がメチャ欠けている朝日もかなりヤバイと思うけど、それよりひどい。やっぱ新聞取るなら日経なのかな?)、興味深い記事が載っていた。見出しは、「育児休業取らなかった理由 『職場の雰囲気』43%」。労働省がまとめた、育児休業に関する調査に関するレポートだった。いやあ、これ、実に日本的な話だよなあ。
 育児休業ってのは、法律で定められた労働者の権利ってヤツだ。ところが、それを取らせなかった原因が「雰囲気」ってのが笑わせる。きっとさ、直属の上司や社長が「休みは取るな」って言ったわけじゃないんだよ。休みを取らなかった女性(今回の調査は女性限定のものらしいが、もしかすると男性で育児休業を申請した人もいるのかなあ。だとすれば、風当たりはこちらの方が強そうだ)の側も、誰かに直接「休みを取ってはいかん」って言われてない。誰も何もしてない。全く手を下していない。なのに、いつのまにか、休みを取るのは罪悪だって雰囲気が出来上がっている……。これって、ものすごいことだよなあ。
 この職場の人々っていうのは、言わば「未必の故意の共犯者」なんだよな。会社という組織を効率的に運営するんだという意識付けが、しかも無意識のうちに刷り込まれている。刷り込まれているだけじゃなくて、ちょっとした言葉やしぐさの中にそれをにじませて、周りに振りまいている。やがて組織はひとつの自動運動体のようになって、その中にはある種の「空気」が醸成されていく。ほえ~っ、気んもちワル!

 誰も直接手を汚してない。だれも悪いことはしていない。だからこそ、誰も罪の意識を持つこともない。そして、雰囲気や空気というのは全く入れ替えられることもなく、締め切った部屋の中でよどみつづける、と。
 で、知らないうちに一酸化炭素中毒になっちゃってるんだよね。ま、死んでることにも気がつかないって状態は、ある意味幸せかもしれないけどさあ。


 もうひとつ面白かったニュースが、NHKの内閣支持率調査。森内閣の支持率は22%、不支持率は60%だったんだと。これも非常に笑える数字だ。
 なんたって、国民の5人に1人しか支持してない内閣が、全く安泰に日々を過ごしているという事実。国民の過半数が指示していないのに、倒閣への動きがあるなんて、これっぽっちも感じられない。これは何だ? 僕の軽い頭では、イマイチ理解できんですたい。あるいは、支持率はせいぜい25%程度しかない自民党が、過半数近い議席を持っているという事実。なんだか不思議で不思議で、めまいがしてきそうです。

 それから、支持が22%、不支持は60%。さて、残りの18%は、何なんでしょう? 恐らくアメリカあたりでこうした世論調査をすると、支持と不支持の合計はほぼ100%になると思うのだが、日本ではそうではない。「どちらでもない」って答える人の割合の高さ、ここにも極めて日本的な問題が潜んでいると思うんですけどね。


 結局、「共同責任は無責任」ということわざを、日本人は大切にしなきゃいけないよね。「世間」っていう着ぐるみを着て意見を言う習慣を、改めないと。
 ところがなあ、このところ「自己責任」「自助努力」って言葉がやたら使われてるけどさ、そのうちのかなりの部分が、単なる役人や政治家の責任放棄に過ぎなかったりするからな。
 責任を取るためには、まずどこからどこまでが責任を持つべきエリアなのかをはっきりさせることが必要。また、責任を取るべき人に、敗者復活の機会を与えることも大切だ。どちらも用意せずに「自己責任」なんて言葉を乱用するのは、これも「無責任な日本人」の悪癖露呈って感じですかね。

2000年10月13日

ON対決、大フィーバー/放送禁止と思考停止/IT振興券

 ドラクエは始めるし、仕事もするし、体も壊すしで、2週間ぶりの更新。


 世間では、ON対決で大フィーバーなのだそうだ。少なくとも、新聞やテレビではそんなことになっている。
 ON対決、大フィーバー。結局、そんな言葉しか考え付かないようなご老体たちが、日本ではマスコミを牛耳っていらっしゃるわけだ。
 いったい、どこをどういう風に見たら、ON対決とやらで興奮できるんだろう? 工藤対城島が見たいってならよくわかる。ジャイアンツの強力打線が何本ホームランを打てるか楽しみってのでも許そう。しかし、なぜON対決なんだ?
 投げも打ちもしない監督に、そんなにスポットを当ててどうする? どうして野球をソープオペラみたいにする? ふん、そういうのが好きなんだったら、WWFでビンス・マクマホンを見てろってんだ。

 今の野球ってのはもう、逆も逆、真逆ってヤツだ。ものすごい速球や切れる変化球を、バッターが力と技で打ち返す。野手の間を抜けようとするボールを野手がキャッチし、走者が塁を掛け抜ける。それが野球の楽しさだろうよ。でも、今は全然違う方向に行ってる。
 よく、ドーム球場を日本プロ野球のメタファーとして使う人がいるけれど、確かにそれってそうだと思う。どんなに一所懸命ボールを投げ、打っていても、空へ突き抜けていかないのだ日本野球は。場外ホームランだって閉じ込めてしまう、大歓声だって押し殺してしまう。息苦しさしか感じられない。そして、それはそのまま、日本社会の縮図でもある。
 こんな状況で、「ON対決」なんて大喜びしている連中の気が知れない。死の床でラリッてるシャブ中毒患者じゃねえの、それって。
 野茂だって伊良部だって、そしてイチローだって、みんな息苦しさに絶えられずに日本を出ていった。現在、日本のスタジアムに残っているのは、突きぬける意思か能力に欠けた選手ばかり。だったら、コントローラー握って「パワプロ」やるよ。その方がまだ楽しいよ。

 その点、サッカーはいいね。中田はもちろん、中村俊輔も稲本も西澤も、みんなそれぞれのやり方で空へ飛び出そうとしているもん。城だって名波だって、「通用せずに日本に戻った」なんて思わない。単に、現時点で一番有利な場所が、たまたま日本だったということに過ぎないのだと思える。


 夜、桑田佳佑がテレビで「ヨイトマケの唄」ってのを歌っているのを見た。これ、長い間放送禁止だった唄だそうだ。歌詞の中に「土方」なんて単語が入ってるからダメだったんだろうか?
 歌自体は、桑田佳佑のヴォーカルの力も得て、とても説得力のあるものだった。内容的にも、別に問題なんて全然ないと思う(「金太の大冒険」とは違うっつうの)。でも、これが放送禁止ってかあ……。
 そう言えば、ちょっと前にaikoの新曲がNHKで放送禁止になったって話もあったな。確か、「テトラポッド」は商品名だからっつうことだったと思う。多分、特定の商品名を放送に乗せると何らかの宣伝の片棒を担いでしまう可能性があり、厳正中立のNHKとしてまかりならんってことなんだよな。でもさあ、テレビを見てる視聴者のうち、何人がテトラポッドの購買者になりうるのよ。だいたいが、今って野球中継やスポーツニュースで「西武ライオンズ」とか「ダイエーホークス」って連呼してんじゃん。その辺のバランス、無理があると思うけどなあ。

 思考停止ってのは、こういうことを言うんだろうな。
 老人や妊婦、身障者のためにシルバーシートを作った瞬間、彼らへの想像力を失う。マニュアル化すると、マニュアルを作った目的よりマニュアルをこなすことが優先される。そんなことばっかり。
 オリンピックでも、「感動をさせてください」なんて甘ったれたことを言って、恥じることもない。どいつもこいつも、あまりにも思考のスタミナがなさ過ぎるのだ。


 ひょえ~、なんか僕ってすっかり憂国状態じゃあないですか! でも、ホントに腹が立つんだもん。


 ところで、ここ1ヶ月半ほど新聞を取らない暮らしをしているのだが、IT振興券(だったっけ?)ってなくなっちゃったの? 僕、あれは悪くないアイディアだと思ってたんだけど……。
 「地域振興券」のときは、本当に馬鹿な話しだと思ったよ。単なる政治家の人気取りのバラマキだってことがミエミエだったもん。でも、今回は違うと思ったんだけどね。国民の知識や技術、生活環境の改善ってところに焦点を絞り、一応その先のビジョン(もっとも森首相個人のITへのビジョンに限れば、寒々しいことこの上ないのだろうが)もある。やる価値はあったと思うんだけどねえ。

 あのお馬鹿な地域振興券は実施され、IT振興券はボツになる。ホント、どうなってるんでしょうかね?

2000年10月15日

田中康夫、長野県知事に/結局、市議会議員になるくらいじゃダメなのか?

 夕飯を食いながらNHKを見ていると、田中康夫が長野県知事選挙で当選確実になったニュースが流れてきた。うへ、今日が選挙だったんだ。知らなかった。この1ヶ月半、新聞を取らない生活をしているのだが、こういうときはやっぱりちゃんと新聞読んでおくべきだと痛感する。新聞がないと、自分にとって必要のない情報ってのに、どんどん疎くなってしまうもんな。

 田中康夫は個人的には好きじゃないし、政治家としての素養も全然信用してはいないのだが、今回長野県民が彼を選んだのは喜ばしいことだと思う。田中康夫は「県民が一緒に参加する政治」ってのを標榜していたはずで(かなりうろ覚えなんですけど)、ということは、県民は「政治に対してこれまでより主体的になること」を選択したわけだ。市民が政治を自分の問題として捉え、積極的に関与していくべきだと思っている僕にとっては、とても望ましい状態。もちろん、田中康夫に対して、ある種の「タレント票」や「期待票」が大量に入っているのは事実だろうけど。

 しかし、議会の運営は大変だろう。石原慎太郎は、なんだかんだ言ったって元自民党(あれ、今もだっけ?)だし、シンパも多い。東京都というマスコミのお膝元にいるおかげで、議会も表立って人気抜群の知事の足を引っ張ることはできないし。でもなあ、田中康夫はそうはいきそうにないもんなあ。恐らく、議会の過半数は「反田中」でまとまっちゃう。いろんな嫌がらせが起こるだろうなあ。作家田中康夫的には、エッセイのネタには事欠かないだろうけど。


 結局、議会というものは、当たり前だが多数決で動いていくものだ。このところ、遅れ馳せながらそのことに気づき始めた。

 昨年の今ごろは、保育園父母会の主張を通そうと思ったら、自分か、あるいは誰か父母会の代表者に市議会議員になってもらって、それで議会活動をするほうが手っ取り早いって思っていた。でも、現実はそうもいかないらしい。市川市議会で過半数を取るには、23人以上の議員の賛成が必要。保育より道路作りを優先する自民党系議員の壁を崩すのは大変だ。それに、6人以上の会派を作らないと、法案を提出する事すらできないらしい。たかだか1人当選させたくらいでは、状況はあまり変わらないのかもしれない。10日ほど前、市川市の保育士さんの労働組合の人と会合を持った帰りに、労組の書記長さんから話を伺ったときも、そういう感触だった。

 もちろん、議員という肩書きがあれば発言の重みが変わってくるだろうし、その立場を利用した活動も可能になるのかもしれない。ただ、現実的に選挙活動は大変だし、仮に当選してもその人間は仕事を辞めなくてはならない。で、任期を終えると失業者。そんなリスクを負うのは、正直大変だ。もちろん、2ケタの議員を当選させたり、市長選挙に打って出るような状況があるわけもない。

 かといって、既成の政党なり会派にアプローチして、自分たちの主張を実現してもらうって動き方も、隔靴掻痒ってなもんだ。議員には育児経験のある人は少ない。子供を持ってはいても、実際に保育園に子供を送迎した経験のありそうな人は、ごく少数派だ。
 5年半ほど前、僕の彼女がはじめて妊娠したことを知ったとき、街の中にこんなに妊婦がいたのかって驚いたことがあった。自分に子供ができるまで、妊婦や子供という存在は僕の視界には入っていなかったのだ。
 子供が生まれてからは、こんなに子育ては大変なものかと痛感した。同時に、周囲にいた子育てをしている人々に対し、「キミたち、すんげえ苦労してたんだねえ」って共感したもんだ。それまでは、仕事を途中で切り上げて家路を急ぐ親に対し、「子供を言い訳にして仕事サボってるんじゃねえの?」なんて目を向けたこともあったのに。
 人間の想像力なんて、ごく限られたもの。自分が経験していないことに対しては、ひどく鈍感だ。だから、子育てをしたことのない議員に、父母会の意見を代弁してもらおうと思ったって、それは難しいこと。

 結局、立場の似通っている団体と、連帯していくしかないんだろうかなあ。学童保育の団体や、保育士の労働組合、幼稚園の父母会……。そうすれば、複数の議員を市議会に送りこめるかもしれないし、あるいは一種の「票田」として市長や議会に対する発言力を強めることもできるのかも。

 でも、手間が掛かるなあ。それにいかにも先の遠い話だ。
 もっと他の方法ってあるのかな……?。

2001年04月22日

VAIO C1購入/小泉純一郎氏、自民党総裁に近づく?

 昨日、ライター仲間のAさんの結婚パーティーで飲んだ。自分ではかなり酒量をセーブしたつもりだったが、朝起きると、かなり本格的な頭痛。あれ、そんなに飲んでたのかな?
 そう言えば、パーティーの場で俺、あんまり頭が回ってなかったような気がするなあ。どういうわけか政治とか経済の話題が出たのだが、なんだかピントのボケた例え話ばっかりしてたような覚えもあるし。


 以前からノートパソコンが欲しいと思っていた。外出先でメールや原稿を書く機会が、このところ本当に増えてきていたのだ。
 本当は、MacOSを載せたサブノートマシンが欲しかった。しかし、いつまでたってもそんなものは出てきやしない。Palmマシンにキーボードを接続して使うことも考えたが、やっぱり現実的じゃない。すると、もう、VAIOしかなかったんだよなあ。
 最初は、マッキントッシュエミュレータ‐のSoftMacを入れ、「VAIO-Mac」にしようとも思ったが、SoftMacってイーサネットをサポートしてないんだよな。スタンドアローンで使うことなどないサブノートマシンで、ネットワークに接続できないってのは致命的。結局、そのまんまWindowsMeを使っている。

 長い間、Macをメインマシンに使ってきた僕だが、そろそろWindowsマシンをメインにしなきゃいけないのかな?


 自民党総裁選挙ってのが、どうやら全国的に行われているらしい。実質的には自分が住んでる国の最高指導者を決める選挙なんだけど、これがまた全然興味を持てないんだよな
 原因の一つは、僕に選挙権がないってことにあるのだと思う。しかし、それより大きな原因があるのだ。それは、立候補者が全員、年寄りだってこと。小泉純一郎って、もうすぐ60歳くらいなんでしょ? 彼が平均的な日本人程度に長生きできるとしてさ、あとせいぜい20年弱。だめじゃん、それ。
 例えばさ、自分の家を消火する消防士って、普段よりグッと機敏に動くと思うんだよね。一方、宮沢喜一さんが「私は史上最も借金をした大蔵大臣として、歴史に残るだろう」って言ったときにさ、他人事みたいに言うなってツッコミが数多く入った。でもさあ、宮沢さんにとっては、確実に他人事だよ。彼は最悪の日本を見る前に死ぬし、仮に最悪の日本を見られるほど長生きしたところで、生活に困るほどの庶民じゃない。「日本経済がポシャッたって、それはオイラが死んだあと。若い皆さん、あとはどうなりとやってくれ」ってもんさ。
 この前の千葉県知事選挙だって、「無党派市民の新風が吹いた」なんて言ってるけどさ、全然ダメだと思ってるもん。千葉県知事の堂本さんって、もう70歳近い人だから。結局年寄りは勝ち逃げ世代。彼らに多くを期待するのが間違ってる。

 もし僕が日本の首相を任命できるんだったら、
1)まだ若い(20代がベスト)
2)養育すべき子供がいる
3)英語ができない
4)財産がない
ってヤツにするな。これから先、この日本で50年も60年も暮らしていかなきゃいけないって人間でないと、今の日本を真剣に改革しようなんて思えないもんさ。

2001年04月27日

ようやく一息/大人のS君/同窓会の連絡/55階から落ちた男~思い出の記憶喪失/自民党総裁選を見て思ったこと

 ゴールデンウイーク前に片付けなければならなかった仕事を、なんとか終わらせた。ふう、これでようやく一息つける。休み明けすぐに入稿やら色稿戻しとかが控えてはいるのだが、そんなの来週考えればいいさ。ふわあ、休みだ休みだ。

 昼間に、S君から携帯に電話。彼、仕事の都合で鹿児島に行ってたのだが、そこで会えるはずの友人と連絡が取れず、「なあ白谷、なんか事情知らない?」と聞きにきたわけなのだった(後に、単にその友人がアポを忘れ