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本・雑誌・読書 アーカイブ

1999年07月09日

『爆笑問題の日本原論』/キャリアアップは現在の職場で最大のアウトプットを出すこと

取材に向かう電車の中で、『爆笑問題の日本原論』(宝島社文庫)を読了。これって、面白いのかなあ? 売れてるし、評判にもなったけれども、僕には全然ピンとこなかった。これなら東スポに連載されてる、「浅草キッドの捨て看板ニュース!」(浅草キッドのウェブページにも掲載されている)の方が、僕にとっては全然楽しいんだけど。

今日の取材先は、某大手人材派遣会社。人材コーディネーターの方の「キャリアアップをしたいと思うなら、常に自己投資を怠らないことと、今の職場で精一杯のアウトプットを出すこと。今の環境で結果を出し、評価を受けることが、次の仕事につながる」という話を聞いて、なるほどなあと納得。仕事に対して不平を言ったり逃げたりしても、希望する仕事には近づけない。むしろ、目の前の仕事に最大の努力を払えっていう意見、そりゃそうだと思うなあ。
確かさくらももこが「私はエッセイストになりたかった。でも、いきなりエッセイストになるのは無理だから、マンガ家になった。マンが家として売れればエッセイも書けると思って」というようなことを言っていた記憶がある。自分の強みを最大限に生かす方向を探し出し、それに向かってまずは一点突破。で、確固たる地位を築いていくことが、実は目標に近づくための早道だったりすることもあるわけだ。

ま、その辺のことはわかっちゃいるのだが、言うは易し、行うは難し、なんだよなあ。

1999年07月19日

自分の仕事について考え込む/松野大介「芸人失格」

 いつも最低限の仕事しか受けずにグダグダしている僕としては珍しく、このところ忙しい毎日が続いている。
 このところ、自分の仕事について考え込む事が多い。今日の夕方、僕とそれほど年の変わらないクリエイターの取材に行ったのだが、彼は「自分の好きな商品だから、そこの広告の仕事をしているんだ」と言っていた。生活のために、気に入らない仕事もやむなく受けている自分と見比べて、うらやましいと思う。しかし、自分の好きな仕事だけをするのは、実力の裏づけがないとダメだ。僕にはそれがあるのか? あるいは、やりたいことのために生活を犠牲にする意気込みがあるのか?

 そんなことを考えながら乗っていた、帰宅途中の電車の中で、「芸人失格」(松野大介著/幻冬社文庫)を読む。30代の主人公の自意識、プライド、劣等感、焦り、浮き草のように実態のないコミュニケーションに対する疑問と嫌悪……。そういったものがすべてリアルに共感できてしまった。高校時代に太宰治の「人間失格」を読んだときとは違う、等身大の共感。
 さらに、ビートたけしのラジオを聞きながら育ち、芸人という行き方に憧れを持っている僕としては、なかなか冷静には読めない小説だった。

1999年08月06日

読書リストと、僕の読書量の少なさ

 今、少なくとも50冊くらいの本が、「積ん読」状態になっている。
 現在のところ、僕が1ヶ月に読む本は、せいぜい5冊程度。なので、1年間は本など買わなくていいはずなのだが、気になるタイトルの本があると、ついつい買ってしまうのだ。

 今のところ、僕が買う本はいくつかのジャンルに分かれている。

1)歴史
……「日本海海戦の真実」(野村実/講談社現代新書)、「日本軍政下のアジア」(小林英夫/岩波新書)、「東西交渉史論」(宮崎市定他/中公文庫)など。
日本の歴史モノが中心。そうそう、30歳を過ぎて、司馬遼太郎なんかも読むようになったんだよあなあ。こういうところでも、自分が年を取ったことを実感する。

2)政治
……「国会議員」(上田耕一郎/平凡社新書)、「お笑い北朝鮮 私が愛した金日成」(テリー伊藤/宝島者文庫)、「日本国の研究」(猪瀬直樹/文春文庫)など。
ま、こんなウェブサイトも作ってますので、多少は読んでおかないとなあ、ということで。

3)小説・ドキュメンタリー
……「アンチノイズ」(辻仁成/新潮文庫)、「スローカーブを、もう一球」(山際淳司/角川文庫)、「地獄への道はアホな正義で埋まっとる」(宮崎学/太田出版)など。
なんだか、非主流派の読み物ばかり。これでも、高校生から20代前半くらいまでは文学青年で、国内外の純文学作品なんかも読んだものなのだが……。最近はとんと純文学ってのを読まなくなったなあ。

4)エッセイ
……「この国のかたち 五」(司馬遼太郎/文春文庫)、「真説『たけし!』」(ビートたけし/講談社文庫)、「のほほん人間革命」(大槻ケンジ/角川文庫)など。
ちなみに、ナンシー関の本は、全部で11冊持っている。これらは、決して「積ん読」にはならず、すぐに読みきってしまう。

5)理系もの
……「相対論のABC」(福島肇/講談社ブルーバックス)、「ゲームの理論入門」(モートン・D・デービス/講談社ブルーバックス)、「コスモス 上・下」(カール・セーガン/朝日文庫)など。
友人からはは「おまえは文系アタマ」という評価をもらうことが多いのだが、理系の本も多少は
読む。ただ、入門ものばっかりだけど。
そうそう、「コスモス」は、この前ディレクTVで再放送しているのも録画しておいた。でも、これも果たしていつ見ることやら……。

6)思想系
……「リアルであること」(中沢新一/幻冬社文庫)、「日本の無思想」(加藤典洋/平凡社新書)、「非-知」(ジョルジュ・バタイユ/平凡社ライブラリー)など。
時折血迷って買う。あれでしょうか、大学を中退して、アカデミックなものに対するコンプレックスがあるからでしょうかね?

7)うんちく系・その他
……「墓と葬送の社会史」(森謙二/講談社現代新書)、「英文法の謎を解く」(副島隆彦/ちくま新書)、「性的唯幻論序説」(岸田秀/文春新書)など。
こうした分野の本が、一番最後まで読み残るんだよな。「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)なんて、買ってから3年だか4年「積ん読」状態だもん。

 そういえば、さっき友達と話をしてたら、おすぎがテレビ番組の中で、「私は目を悪くする前は、1日1冊は本を読んでた」と豪語していたそうだ。
 それ、ホントかよ~? でも、本をちゃんと読んでる人って、そんなもんなのかもなあ……。
以前、大して読書などしてなさそうに見えた知人が「ウチには数千冊の蔵書がある」って豪語しているのを聞いて、ショックを受けたことがある。そっか、彼くらいの人でも、そんなに本を読んでるのか、それに比べて俺のこの読書量の少なさはなんなんだ、って。個人サイトの「読書日誌」をいくつか見てみたが、やはり1ヶ月に10冊以上の本を読む人はごろごろいるみたいだし。

 ちなみに、最近2カ月で読み終えた本をピックアップすると、こんな感じ。
 「小国主義」(田中彰/岩波新書)、「芸人失格」(松野大介/幻冬社文庫)、「終わりなき日常を生きろ」(宮台真司/ちくま文庫)、「金なら返せん!」(大川豊/幻冬舎アウトロー文庫)、「買ってはいけない」(週間金曜日別冊)、「音楽誌が書かないJポップ批評2」(別冊宝島)、「安全保障とは何か」(江畑謙介/平凡社新書)、「J-POP進化論~ヨサホイ節からAutomaticへ」(佐藤良明/平凡社新書)、「殉死」(司馬遼太郎/文春文庫)、「爆笑問題の日本原論」(爆笑問題/宝島社文庫)。やっぱり、1ヶ月で5冊がやっとか。
 つうことは、まともな読書は年間せいぜい50~60冊。生涯でも3000冊読めるかどうかってとこだろう。
貧しいのお……。


 でもって、今日も帰宅途中、懲りもせず書店に寄り、「SPA!」「週刊文春」「ダ・カーポ」と、「面白すぎる日記たち」(鴨下信一著/文春新書)、「耳部長」(ナンシー関著/朝日新聞社)、「・死なないこと・楽しむこと・世界を知ること すべての男は消耗品である。Vol.4」(村上龍著/幻冬社文庫)、「社会的ひきこもり 終わらない思春期」(斉藤環著/PHP新書)、「自衛隊の実力」(別冊宝島)を購入。ホント、いつこれ読むんだ、俺。

1999年09月30日

巨人の戦力補強の無思想ぶり

 日刊スポーツによると、巨人が広島の江藤をFAで獲得しようとしているらしい。
 なんなんだろう、このくだらなさは。清原、石井、広沢、マルティネスと揃えておいて、さらに江藤ってか。バカじゃないか? 次は近鉄の中村紀洋か、それともロッテの初芝清か?
 金に物を言わせて、手当たり次第選手をかき集める読売のやり方は、反吐が出るほど嫌いだが、それにしたってやり方というものがあるだろうよ。なんで江藤なんだ? 四番タイプの選手を何人も集めたって、全員をスターティングラインナップに並べられるはずがないってこと、どうしてわかんないんだろうか? 

 どうせ選手を獲るなら、せめてキャッチャーだろうよ、巨人の場合は。強いチームを作るには、しっかりした正捕手ってのが必須条件だもん。黄金時代の西武には伊東、ヤクルトには古田。
 今年優勝したダイエーにしたって、城島の成長が大きかった。横浜が強くなったのも、谷繁が1人立ちしてからだった。
 だから、同じくFA権を獲得している、広島の西山捕手を獲得するってなら、まだ話はわかるんだ。あるいは、せっかく札束使うならヤクルトの古田を無理やり引っこ抜くとか、西武の伊東を連れてきて若手の生きた見本にするとか、そういうことなんじゃないのか?

 しかし、これでまた、石井か清原か広沢か、あるいは清水とか後藤とかが「飼い殺し」の境遇に追いこまれるわけだよな。ガッカリ。こういうのって、野球界全体の損失だよ。
 読売のおかげで、最近つまらない野球が、またどんどんつまんなくなっていく……。


 さて、9月に読んだ本はたったの6冊。
 「この国のかたち 五」(司馬遼太郎/文春文庫)、「NFLを知り尽くす」(ベースボールマガジン社ムック)、「日本海海戦の真実」(野村實/講談社現代新書)、「ナンシー関の顔面手帖」(角川文庫)、「光る風 (上)(下)」(山上たつひこ/ちくま文庫)。
 今月は、エネルギーダウンが著しかったなあ。
 僕は本屋に行くと、自分の精神状態をなんとなくつかむことができる。一般に、買いたい本がたくさん見つかるときは、調子がいいのだ。しかし、おととい書店に行ったときなんか、ディレクTVの番組表だけしか買わなかったもん。こりゃダメだ。

 来月は、ちょっとは元気が出るだろうか?

1999年10月04日

映画で時間をつぶすことの難しさ、適正料金

 今日は2件取材が入っていた。1件目の取材は、飯田橋、14時スタート。2件目は、麹町、19時スタート。
 1件目の取材は、1時間弱で終了。時計を見ると、次の取材までには4時間ほどある。こういうときの時間のつぶし方には、結構悩むものだ。
 まずは、近所の書店に入って「ぴあ」を立ち読み。映画でも見ようと思ったのだが、これがなかなかうまく行かない。飯田橋周辺では見たい映画がかかってなかったので、新宿まで出ないとダメ。ところが、飯田橋から新宿の映画館までの移動を30分、新宿から麹町の取材先への移動を30分と見積もると、17時40分~18時にスタートする映画でないと取材に間に合わないのだ。しかし、あいにくその時間帯には見たい映画はゼロ(本当は「バーシティ・ブルース」を見たかったんだけどな。「バッファロー'66」に続いてのフットボール映画。次は、「天国からきたチャンピオン」のビデオでも見るか? 「レッズ」のウォーレン・ビーティは大好きだし)。ったく、使えない……。

 今日読んだ「日経エンタテインメント」の中で、「映画の適正料金はいくら?」というアンケートの結果が掲載されていた。読者からの回答の平均値は、1149円だそうだ。
 ふ~ん、僕にとっては、この金額だって高いくらいだ。見たい時間に見たい映画が見られない、映画館では携帯や時計のアラームを鳴らすバカ野郎がうじゃうじゃいる、隣の人に気を使いながら狭い椅子に2時間以上も座ってなきゃいけない、そんなデメリットばかりの映画鑑賞に、どうしてレンタルビデオの6倍ものお金を払わなきゃならないのかなあ。納得できん。僕なら、映画の適正料金は600円くらいだと思うけどな。せいぜい、レンタルビデオの2倍。「ドトール」のコーヒー3~4杯分。
 そう言えば、飯田橋駅前に「マンガ喫茶」があったなあ。こちらの方は、時間帯もコンテンツも完全にオンデマンド。看板を見ると、食べ物飲み物の持ちこみも自由なのだそうだ。こんなにユーザーフレンドリーな業態なのに、1時間の料金は300円。やはり2時間で600円だ。映画もそのくらいの料金設定にならないと、なかなか映画館に出かける気にならないと思うんだけどなあ。


 余談だが、プレステ2には別売のハードディスクが用意されているらしい。こちらの容量は、最低50GBという目もくらむようなものになるようだ。これって、明らかに映画やテレビの配信を想定しているよな。CATVを通じて映像を配信し、ハードディスクに保存して鑑賞する。必要ならDVD-RAM(いや、ソニーだからDVD+RWとかになるんだっけ?)に録画しておくこともできる、っていう。スゴイ話だ。
 こういう競合も出てくるのに、いまだに1800円の料金で工夫のない商売している映画館って、なんだかなあ。


 というわけで、映画はボツ。マンガ喫茶に入ろうとも思ったが、独特の雰囲気にちょっと気後れがして、結局書店と散歩と喫茶店で時間をつぶすことに。

 四谷の喫茶店で、読みさしだった「面白すぎる日記たち~逆説的日本語読本」(鴨下信一/文春新書)を読了。今僕は、自分専用の日記と、ここにアップしている「ノート」をつけているので、非常に参考になったし、面白い本だった。また、この本を読んで、記録と伝達という両面性を持っている「ウェブ日記」という存在に、さらに興味を深くした。

 その後、最近エネルギーダウンしている自分を少し元気付けようと思って、麹町の書店で本を無理やり買いこむ。「戦争論」(多木浩二/岩波新書)、「政・官・財(おえらがた)の日本語塾」(イアン・アーシー/中公文庫)、「存在の耐えがたきサルサ」(村上龍対談集/文芸春秋)、「俺、南進して。」(荒木経惟・写真、町田康・小説/新潮社)、「7日間でマスターする レイアウト基礎講座」(視覚デザイン研究所)の5冊。
 帰りの電車の中で、早速「戦争論」を読み始める。

1999年10月31日

アウシュビッツ、上九一色村、東海村……。残虐行為がルーティンワークに変わるとき

 今月は最悪だったなあ、精神的なエネルギーが枯渇しちゃった感じだった。仕事もあまりしなかったのに、映画も見ないし、本も読まなかった。今月読んだのは、「戦争論」(多木浩二/岩波新書)と、「面白すぎる日記たち~逆説的日本語読本」(鴨下信一/文春新書)の2冊だけ。雑誌の類も、週刊文春やSPA!、Numberくらいで、定番ものばっかりだった。野球とサッカー、アメリカンフットボールの観戦は、多少多かったかな。あとは、「みんなのゴルフ2」のスコアが上がったくらい。なんだったんだ、10月は。
 ま、多少改善の兆しが出てきてるので、来月はちょっとはマシだろうかなあ。

 その「戦争論」だが、その中にアウシュビッツに関する記述があった。
 強制収容所でユダヤ人を虐殺していた人たちの多くは、罪の意識を全く感じていなかったらしい。彼らは、官僚として自分の職務を忠実に果たしているだけだと思っていたそうだ。
 この話を聞いて思い出したのが、松本市や営団地下鉄でサリンをまいた、オウムの実行犯連中のことだった。彼らも、組織の歯車として、自分に課せられた職責を全うすることしか考えていなかった。あるいは、東海村のJCOの職員もそうだったのかもしれない。自分の行為がどのような危険をはらんでいるかということより、仕事を期限内に、より効率的に終わらせることが重要になっていたのだろう。
 人間とは、目の前にぶら下げられているニンジンを追う馬と、実は大差ないのかもしれない。日常の仕事に追われるうち、目の前の仕事に対して近視の度は進んでいく一方なのだ。

 なので、あらゆる組織において、定期検診の必要性は高いと思うわけです。東海村でも、科学技術庁なりがもう少しきちんとしたチェックをしていれば、今回のような事故は起こらなかったはず。
 僕としては、こういうチェック機能を役人が果たせる可能性に関しては、極めて懐疑的だ。むしろ民間のチェック機構を創設して、彼らが組織の枠を超えていろいろな場所で検証を行うというスタイルが望ましいと考えている。

1999年11月24日

風邪をひく/上手いこというなあ

 風邪をひいてしまった。
 朝4時過ぎに目が覚め、何か暖かいものを食べようと思って台所をあさってみる。インスタント味噌汁やレトルトのふかひれスープを見つけたが、どことなくピンとこない。そこで、卵を割り、茶碗蒸を作って食べる。
 僕の茶碗蒸のレシピはいい加減で、解き卵に市販の出し汁、醤油、みりんを加えて混ぜ、沸騰した湯を張った大き目の鍋に入れて15分蒸すというだけのもの。でも、これが結構いけるのだ。特に、今日のように身体が暖かいものを欲しているときは、まだ熱い茶碗蒸が食道の奥を通っていくのがとても快感だ。

 ところで、「風邪をひく」ってのは、英語で「catch cold」だったよなあ。これってイメージとしては、風邪という病気が人間を、うゎーって襲うって感じなのかしら? なんか、ちょっと感じわかるよなあ。風邪くらいだと今は別に襲われるって雰囲気は薄いけど、昔はペストとかコレラクラスの病魔だったのかも。そうすっと、「catchされる」って感じにもなるだろう。上手いこと言うなあ。
 ところで、今まで読んできた小説の中で一番「上手いこと言うなあ」って印象に残ってるのは、高校生のときに現代国語の授業で読んだ、漱石の「こころ」だな。「鉛のような飯を食いました」とか「もう取り返しがつかないという黒い光が、わたしの未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました」なんて言いまわしは、今でも覚えてる。あるいは、梶井基次郎の「檸檬」の、「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。」という一節もそうだ。こういう言葉は、なかなか忘れない。
 で、こういう表現を、高校や大学時代はマネして書いたりしたもんだ。今読むと、そういう文章ってメチャこっぱずかしいんだろうなあ。ま、若気の至りってヤツか。

1999年11月29日

芥川の「河童」を読みなおす/サンダル人生

 14時過ぎに保育園に出向き、アトピーである長女の除去食について、栄養士さんと面接。
 その後、友人のIさんとAさんが共同で、今月立ち上げたライター事務所に遊びに行くために渋谷へ。

 電車内では、Dragon Ashの「Viva la revolition」を聞きながら、芥川龍之介の「河童」を読む。
 これでも高校時代から20代頭にかけては、多少は(いや、少々、かな?)文学青年だった。当時、芥川はかなり好きで、文庫で出版されている小説・随筆のたぐいはすべて読み通したものだ。図書館で関連図書を借りて読んだことも多かったような。
 で、今日、家を出るときに、書棚の下に岩波文庫版の「河童」が落ちているのを偶然見つけたのだ。僕は、基本的に新潮文庫で芥川を読んでいたので、おそらく僕の彼女が買った本なのだろう。それを、いたずら盛りの次女が本棚で遊んでいるうちに、落としたものだと思われた。電車で読む本を探していた僕は、「あの頃面白かった芥川って、今読んだらどうなんだろうなあ?」って思い、その文庫本をポケットに突っ込んで出かけたというわけだ。
 本八幡駅から読み始め、代々木駅で山手線に乗り換えるころに読了。感想は……、つまらなかった。ま、「河童」みたいな小説だからなあ、1回読んだことで面白さはぐっと減じるのかもしれない。でもなあ……。こんなもんだったか、芥川って? なんか上滑りで、食い足りないんだよなあ。この分では、「羅生門」や「鼻」、「地獄変」あたりを読んでも、同じような感想しか持てないかもしれない。「蜜柑」とか「トロッコ」でも、ひょっとしてそうなのかなあ……? 特に、芥川得意のアフォリズムってやつが、どうにも鼻について仕方がないのだ。高校時代に好んで文章をマネしていた(内容はもちろん全然お粗末だったと思うが)「しゅ(人偏に朱)儒の言葉」なんか、今読んだら「ケッ」って感じかもなあ。まあ、「歯車」だけは違うと思うのだが……。僕には「歯車」が見えた経験があるし、多少は芥川の追い詰められた心境が身に染みてくるのでは、なんて思っているのだが……。
 でも、なんで芥川がつまんなくなっちゃったのかなあ? 僕が変わったからなんだろうけど、でもそれなら、僕はどんな風に変わったんだろう? あるいは、漱石の「こころ」や武者小路実篤の「友情」は、今でも僕を感動させるのかなあ?

 あ、今読んだら、萩原朔太郎の「月に吠える」は断然いいね。「さびしい人格」には泣けちゃうし(こんなに泣ける詩は、あとはボードレールの散文詩「夜半の一時に」くらいしか知らない)、「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」の戦慄は他に類を見ないっすもん。
 だからあれだな、別に小説・詩が古くなったからダメっていうんじゃあないんだよな。やはり、僕が変わったから芥川が面白くなくなったんだろう。

 ところで、今、書棚を探していたら、今日読んだ岩波文庫版の「河童 他二編」のほかに、新潮文庫版の「河童 或る阿呆の一生」、さらに角川文庫版の「河童 玄鶴山房」も見つかった。一体俺、どんな本の買い方してるんだ?


 渋谷に着いたのは15時半過ぎ。宮益坂を2~3分登ったところに、ライター事務所はあった。そこで、Aさんと1時間半ほど雑談。今日は自宅で原稿を書いているというIさんを17時過ぎまで待ったのだが、結局Iさんは出社せず。
 帰りに、デジカメでも買おうかと思ってビックカメラに寄ったが、金がないことに気づいて断念。結局、「トルネコの大冒険2」を購入。これでまた、しばらく社会復帰できないかも。

 山手線を新宿で乗り換え、総武線で秋葉原まで。
 ラッシュアワーの電車に、サンダル履きで乗りこむのはかなり危険だということを痛感。混み合った車内では、ハイヒールのおネエちゃんに足を踏まれるし(ま、これが違うシチュエーションだったら、意外とうれしかったりするのかもしれないけどさ、顔とかを踏んでもらったりしてなあ、でも、電車内では痛いだけ)、なによりも電車に乗りこむ際にサンダルを落っことしそうで怖い。このところ、僕はどこにでもサンダル履きでダラダラ行っちゃってるのだが(もちろん仕事のときは別だが)、さすがにラッシュは避けなくちゃな。
でも、できればサンダル履きでダラダラとやっていける人生、これは結構いいかも知れない。って、それって寅さんか。

 秋葉原駅のホームで10分ほど待ち、日比谷線から乗り換えてきた帰宅途中の彼女と合流。彼女は、僕のサンダル姿を見て、「大人はサンダルで電車に乗っちゃいけないんだよ~」と笑っていた。そりゃそうだ。
 2人で電車に乗り、本八幡まで。その後、保育園に子供たちを迎えに行き、帰宅。

1999年11月30日

IさんとWebの話/携帯の着メロ

 朝の9時半過ぎに、友人のIさんに電話。そこで、Iさんが今関心を持っている分野に関して、Webを使ったネットワーク作りをしたいというアイディアを聞く。
 アプローチのやり方や分野は多少違っているものの、発想はまさに僕のサイト(ここと、保育園の父母会サイトのいずれも)と同じだった。ある共通の利益、興味、境遇を持っている人たちが集まり、情報交換や意見交換をするための「場」を作ろうという行き方なわけだ。
 僕にとって、「場」を作り、整備するということは、今の一番のテーマだったりする。これは僕の実感値でしかないのだが、世の中に対してなにか言いたいことを持っている人って、多いと思うんだよな。で、そういうことってWeb日記とか、友達同士の雑談とか、あるいは1人1人の心の中でやりとりされてたりするんだけど、それを有効な行動に結びつけるための場所がない。場所があっても、そこに気軽に参加できる土壌がない。
 例えばね、僕の子供たちが通っている保育園の父母会って、かなり大きな事件が起こってさ、みんなで一緒に考えませんかって呼びかけてみても、参加してくれる人ってせいぜい全体の3分の1くらいだったりするわけだ。それって当事者意識が希薄な人(「きっと誰かがやってくれる」「多分御上がやってくれる」式の)が多いということだけではなくて、きっと、父母会という存在のうっとうしさとか、あるいは、参加したいと思ってもなかなか参加できない条件があるからだと思うんだよな。「下手に父母会に入って役員に祭り上げられて、いろんな雑用を押し付けられたらたまらん」「仕事が忙しい」「家事で忙しい」「自分以外に子供の面倒を見てくれる人がいないから、行事には参加できない」「父母会や、市との懇談会に出たところで、子供の保育環境が変わるとは思えない」……。
 そうした問題を、個人が努力してクリアすることには限界がある。例えば、仕事が忙しいと言う人には、地域活動に参加する場合の有給休暇に関して国や地方自治体が援助を行う、子供の面倒を見てくれる人がいない人には、パートタイム的に子供を預かってくれる保育施設の設置を進めるなどの方策が考えられるだろう。で、そのためには当然お金が必要。で、そのためには自分たちの利益を代表してくれる人が議会に席を確保しなきゃダメだ、そんな方向で物事を考えていたりするわけだ僕は。

 とりあえず、Iさんとは1時間余り話をする。後半は自分の考え事をしてて、Iさんの話がおろそかになった部分もあったけど(ごめんよ)。ま、こういう話は長期戦覚悟だからなあ、仕事やプライベートの合間に進めなきゃいけないことだから。お互いに、来年のうちにはもう少し具体的な形ができあがってるといいなあ。


 新しく携帯の端末が変わった。で、これには「オリジナル着信音」を作る機能がついている。こうしたヤツをみると、とりあえず何か入れてみようって思うのが人情だよな。
 早速Webを検索して、着メロのデータをいくつかピックアップ。Misiaの「陽の当たる場所」、奥田民夫の「イージューライダー」、ブルーハーツの「Train-Train」を入力してみた。元のデータで気に入らない部分は、自分でアレンジしなおしたりして。
 でも、入力が終わり、いざ設定をしようと思ったときに気が変わっちゃった。だって、着メロに凝るのってなんか、自意識過剰な気がして(ま、そうゆうことを考えること自体が、逆に自意識過剰なんだけど、てへへへ)。オリジナルの音を着信音にするのって、ま、1つには自分の着信音が他と区別しやすいってメリットもあるけどさあ、でも、その音を周りに聞かせたいっていう部分もあるわけでしょ、違うのかな? なんかそれって、ちょっとイヤらしくない? 「私はこんな曲を選ぶ、ええセンスの持ち主でっせえっ!」ってな主張、どうなんすか?
 ってなことで、オリジナル着信音の採用はナシ。結局、「着信音3」っていうのを使うことにした。


 今月読んだ本は、「コスモス 上・下巻」(カール・せーガン著・木村繁訳/朝日文庫)、「スローカーブを、もう一球」(山際淳司/角川文庫)、「ゴリラーマン 1~4」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)。他に、「河童 他二編」(芥川龍之介/岩波文庫)と「レッドドラゴン 上・下巻」(トマス・ハリス/早川文庫)を再読。

1999年12月09日

霞ヶ関で取材/事件と教訓/刑事ドラマが好き?

 13時から霞ヶ関ビルの喫茶店で、初対面の編集者と打ち合わせ。多少早く着いたので、特許庁に勤めている友人と会おうと思い、携帯を呼び出したが、この番号は現在利用できない旨のメッセージ。そう言えば、ちょっと前にcdma-Oneに乗り換えたなんて話をメールでしてたなあ。ったく、番号変更の通知くらいしろよな、と携帯に一人ごちる。
 14時から同じビル内で取材を行い、終了後新橋に移動して打ち合わせ。
 書店で「何がどうして」(ナンシー関/世界文化社)、「JMM VOL.1 日本の選択した道」(村上龍編集長/NHK出版)、「スポーツ20世紀~サッカー 英雄たちの世紀」(ベースボールマガジン社)、他に雑誌を数冊購入。
 帰りの電車内で「英文法の謎を解く」(副島隆彦/ちくま新書)を読了。

 18時過ぎに保育園に到着。彼女が仕事で終電帰りなので、子供たちに食事を与え、風呂に入れ、本を読んで寝かしつける。4歳の長女は、もうかなり手が掛からなくなってきたのだが、1歳9ヶ月の次女は自我が強くなりつつある年頃。僕が食べさせるスプーンをはねのけ、自分の手で食事を食べようとする。あるいは、まだ浴槽にお湯がたまってないのに、勝手に服やオムツを脱いでしまう。寝る前に読む絵本をあれこれ持って来ては、あたりに散らかす。
 22時半頃になって、ようやく子供たちは就寝、ホッと息をつく。次女が言葉で十分にコミュニケーションを取れるようになるまで、あと半年か一年、そこまでが一番大変な時期だろうなあ。それを越えてしまえば、我が家の子育てはぐっと楽になると思うのだが。

 しかし、つくづく1人で子供を育てるってのは大変だ。ほんの数時間子供の面倒を見るのだって大変なのに、これが1年365日ずっと続くなんざ、とても考えられないよなあ。
 僕がたまに、幼児虐待する母親の気持ちは多少はわかる気がするって思うのは、やはりこういうことを経験してるからだろうなあ。子供たちとずっと顔を突き合わせて生きるのって、やっぱどこかで息苦しいと思うもん。もちろん、自分の子供ってのはかわいい。でも、それでも四六時中一緒にいれば、そりゃ多少はイヤにもなるって。

 虐待する親の気持ちは少しはわかるけど、だからと言って虐待を許すつもりはない。もちろん、「お受験殺人事件」(これ、動機はどうやらお受験以外のところにあるみたいだけど、便宜上こう呼んでおく)の犯人になんて同情する気はさらさらない。
 ただ、誰もがそうした立場に追い込まれる可能性があることだけは、みんなが覚えておかなくちゃなんないだろう。でないと、今回の事件が、社会的背景とはなんのつながりのない、突出し特異なケースに終わってしまうもんな。
 いや、覚えておくだけじゃダメか。1~2ヶ月前に大騒ぎになったけれど、今じゃ全然話題にならない「ストーカー(?)殺人」とか、あるいは「毒入りカレー事件」、「神戸の事件」、「女子高生コンクリート詰め事件」……、どれも、事件の教訓って十分に生きてるんだろうか? あるいは、オウム特別法が作られた「地下鉄サリン事件」にしても、法律制定というやり方が本当に正しかったのか、それだけで十分だったのか、そんなことも考えなくちゃいけないんだよなあ。

 どこかに、そうした犯罪と社会的な背景なんかを手際良くまとめた資料がないかしら?


 夜、子供たちが寝静まったあと、録画しておいたドラマ「ケイゾク」(TBS系)を見る。
 ……そっか、オレ、「ちょっといびつなスーパーマンが活躍するディテクティブストーリー」が好きなんだなあ。

1999年12月17日

トホホな僕らしさ/本を買う

 長女が風邪をひいて保育園を休んだ。次女だけを保育園に連れて行ったあと、リビングのテレビの前に敷いた布団で横になっている長女の様子を気にしながら仕事。
 長女に昼食を食べさせた後、お義母さんが長女の看病にやってきてくれたので、僕は急いで外出。新橋で打ち合わせのあと、16時から霞ヶ関で取材。取材対象者が所用で遅れたため、同行した編集者と、取材先企業の広報担当者としばし雑談。すると、「白谷さん、そのジャケット、クリーニングしたてですか?」と広報の方。顔が赤くなるのを感じながら、「えっ、タグかなんかがついてますか?」「はい、その袖口のボタン」
 ……見ると、ジャケットの4つ並んだ袖ボタンに、銀色のアルミホイルがついたまま。ひょええ~っ、これは恥ずかしかった! 
 前の方のボタンについてたアルミホイルは、さすがに出がけに外したのだが、袖のヤツは気づかなかった。道中はずっとコートを着ていたし、新橋で打ち合わせをした時の相手は、このことに気づいていなかったらしいから、まだマシだったけどなあ。こういう、痒いところに手が届かない、あるいは頭隠して尻隠さずってところが、良くも悪くも僕らしさであるなあ……。ちょっとトホホだ。

 17時半頃に、取材終了。広報の方と編集者と僕の3人での雑談が盛り上がり、20分ほど話しこむ。広報の方は、2年ほど山形で農業をしていたそうで、そこでの人間関係の濃密さが辛くなり、東京に戻ってきたとのこと。僕も、地域の人間関係については思うところがいろいろあり、ついつい話が長くなってしまった。


 帰路、書店に寄って、高田文夫などが書いた「笑芸人」という本を買おうと思うが、3ヶ所の書店全てで見つからず。もう発売されているはずなのだが、どうしてだろう? 売り切れたのか、それとも白夜書房だからだろうか?
 その本は諦め、「ギャンブルレーサー」(田中誠/講談社モーニングKC)、「ゴリラーマン5、6巻」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)、「日経TRENDY」、「Number」、「音楽誌が書かないJポップ批評4」(別冊宝島)、「星の地図館」(林完次・渡部潤一/小学館)を購入。
 ちなみに、「星の地図館」は天体写真をふんだんにつかった本で、なんと4800円ナリ。僕としては、最高額に近い本だなあ。

 夜ふかし。「ギャンブルレーサー」「ゴリラーマン」「Number」「音楽誌が書かないJポップ批評4」をざっと読み終えた後、「今こそ知りたい! 自衛隊の実力」(別冊宝島)を途中まで読み、就寝。

1999年12月31日

久しぶりにレコードを聞く/モーニング娘。と「イケイケ」

 29、30日と市原の実家に帰省。ここ数年、正月は実家で迎えていたのだが、今年は2000年問題警戒ということで、自宅に戻る。個人的には、日本が2000年を迎える瞬間よりも、ロシアの2000年の方が心配。


 実家では、CDとMDしか見たことのない長女に、僕が中・高校生の時に聞いていたレコードを見せる。オフコース、ゴダイゴ、ABBA、中島みゆき、野口五郎など、「そんなの買ってたんだなあ」というヤツがたくさん見つかって、懐かしいやら恥ずかしいやら。そのなかから、YMOの「Solid State Surviver」と、ビートたけしの「たかをくくろうか」を抜き出し、古いステレオのコードをつなぎなおしてから聞いてみる。
 ちなみに「たかをくくろうか」は、作詞谷川俊太郎、作曲坂本龍一という豪華ラインナップ。結構好きな歌なのだが、カラオケには絶対に入ってない。ま、当然か。


 ここ数日、すっかり生活リズムがおかしくなっている。今日も、昼間に2~3時間ずつ、細切れに睡眠。


 夜、家族と共に「紅白歌合戦」を見る。一番手のモーニング娘。を見て、「ジュリアナ東京・お立ち台・イケイケ」なんて文化が、もう一回りしてしまったのかと思い、ちょっと感慨にふける。あの振り付け、歌詞ってのは、あのバブルの真っ最中に芝浦あたりで繰り広げられていた雰囲気に、おニャン子クラブをブレンドしたようなものじゃあないかと、個人的には思っているのだが、それが受け入れられるということは、それだけの時間が経ったということだもんなあ。流行ってのは、ちょっとずれたところが一番カッコ悪いわけでさ、でも、一回りしちゃえば逆に新鮮に見えたりもする。

 でも、つんくってスゴイよなあ。僕が始めてシャ乱Qを見たのは、まだ9年ほど前。確か、ヤマハが主催していたコンテスト(「バンド・エクスプロージョン」とかいう名前だったと思う。「ポプコン」が廃止になって、その後釜的な存在だったような)に、取材に行ったときだった。どんな曲を演奏してたかなんて、もう完全に忘れちまった(と言うか、コンサートの直後に、もう忘れちゃってたのかも)けど、その「シャ乱Q」っつうバンド名と名前の由来だけは印象に残ってる。
 あれからしばらくは全然売れなくて、メジャーになったのは「シングルベッド」がリリースされた5~6年前くらいだったもんな。それが、今では大プロデューサーになっちゃった。やっぱり才能あったんだなあ。
余談だが、「上・京・物・語」は、良くカラオケで歌わせてもらってます。


今月読んだ本は、「アンチノイズ」(辻仁成/新潮文庫)、「英文法の謎を解く」(副島隆彦/ちくま新書)、「ギャンブルレーサー 25巻」(田中誠/講談社モーニングKC)、「ゴリラーマン5、6巻」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)、「音楽誌が書かないJポップ批評4」(別冊宝島)、「今こそ知りたい! 自衛隊の実力」(別冊宝島)。

2000年01月03日

夜中に本の整理/オランダサッカー

 夜中に思い立って(というか、酔った勢いで)本の整理を始めた。さしあたって読むことのない文庫本を中心に、プラスティックのボックスに放り込む。カミュとかトルストイとか、太宰とか芥川とか、そんな高校・大学時代に読んだ本がわらわらと湧いてきて、懐かしい気持ちになる。
 とりあえず、800冊ほどの文庫本を箱詰め。本棚がかなりすっきりする。


 朝日が昇るころ、昨日録画しておいた、サッカーの「オランダ代表対アルゼンチン代表」のテストマッチを見る。どちらも良いチームだなあ。こういう試合を見た後は、日本代表ってまだまだだよなって思っちゃう。
 特に、オランダのGKファン・デル・サール、素晴らしい。あんなに足技が安定しているから、ディフェンダーも安心してボールを預けられる。川口なんてまだまだ、楢崎なんて足元にも及ばない、と言うより、相馬とか秋田などA代表のフィールドプレイヤーにしたって、ファン・デル・サールほどのテクニックを持っている選手は少ないんじゃないか、そんな風に思えたほど。

 ブラジル、イタリア、スペイン、イングランド、アルゼンチン……。サッカーの世界は広いが、オランダのサッカーは僕にとっては格別だ。大きくて、強くて、速い。グラウンド全体をフルに使ったパス回しのスピード感は、まるでNBAを観戦しているような錯覚に陥るほど。そして、見事なパス回しを可能にする球捌きの能力、なかでもトラップの正確さ。シュートみたいな勢いのボールが足元に入って、ピタッと止まるのを見ては、もはや「ふえ~っ!」なんて間の抜けた感嘆詞しか出てこない。

 でも、あれだよな、オランダリーグにはもはや、オランダ人の大物選手はほとんど残ってないんだってね。クライファートやコクーなどスペインリーグに行ってる選手は多いし、ベルカンプやオーフェルマルスはアーセナルだ。ダービッツは、……セリエAだったよな(どこだったっけ?)。そうそう、ファン・デル・サールもアヤックスを出たんだよね、確か(余談だが、リトマネンもアヤックスを出てバルサ入り。ホント、アヤックスって誰もいなくなっちゃったよなあ、と思ってたら、ヌワンコ・カヌーの弟が、なんとDFとしてアヤックスデビューを飾ったというニュースもあり!)。

 そんなことを考えながら、勢いで「UEFAカップ3回戦 アーセナル対ナント」戦を見る。ベルカンプ、上手い! カッコイイ! カヌーも相変わらず妖しい。この試合も面白かった。しかし、カヌーと交代で出てきたのがスーケルで、こりゃあ豪華だなあって感じ。ACミランで「ボバン→レオナルド」っていう超豪華な交代パターンがあるけど、それに引けを取らない。

2000年01月07日

ゲームが入り口/ルールとマナー・常識家の僕/城のスペイン移籍

 14日までに書けばいいと勘違いしていた原稿が、実は7日アップだったことが判明。6日の朝からあたふたと取り掛かり、7日の朝までになんとか書き上げる。


 睡眠不足の目をこすりながら、昼過ぎに新宿へ。電車内で「Number PLUS 第4巻~競馬 黄金の蹄跡」を読んだ。

 僕が競馬を見るようになったきっかけは、ゲーム「ダービースタリオン」だった。名作ソフト「ベストプレープロ野球」が大好きだった僕は、同じ人(言わずと知れた園部博之氏、っつうても当時は全然知名度低かったと思いますけど)が作ったゲームがあるということで、暇つぶしに買ってみようかって思ったのだ。競馬なんて全然興味なかったし、ギャンブルが好きだっつうこともなかったんだよな。
 ところが、プレイしてみると面白い面白い。聞いたことのある馬の名前は、せいぜいシンボリルドルフとミスターシービー、そしてハイセイコーくらい。「ハイペリオン」や「ナスルーラ」や「グレイソブリン」や「ネイティブダンサー」や「ノーザンダンサー」、あるいは「ノーザンテースト」や「リアルシャダイ」や「マルゼンスキー」や「サクラユタカオー」、そんなところも知らない僕だったのだが、見事にハマってしまった。当時半同棲状態だった彼女の部屋で夜中ずっとダビスタをやり続けて、「ここは私の部屋なのよっ、ゲームばかりされるとイライラするっ!」なんて深刻な喧嘩をしてことも何回かあるったなあ。

 競馬に興味を持った僕が手始めに買ったのが、ダビスタの攻略本。次は、Numberの競馬特集号。やがて、「Gallop」などの専門誌を買ったり、週末の競馬中継を見るようにもなった。今では、メジャーな馬の名前くらいは把握している僕だ。馬券は買わないけど。

 今競馬場に通っている30代以下の男の中で、こういうヤツって意外と多いんじゃないかと思う。昔からのファンは、「けっ、ダビスタ上がりが」なんて思ってるだろうけど、でもこういう入り方もOKなんじゃないのかなあ? 他にも、「サカつく」から入ってサッカーファンになるとか、「グランツーリスモ」で気に入った車を、実際に買ってみる、とかさ。
 (余談だけど、マンガには多いパターンだよね。「哭きの竜」読んでマージャン始めたり(で、雀荘とか友達の部屋で「ふっ」っとか言ってたりするんだ。くえぇ~っ、迷惑だなあ~)、「美味しんぼ」読んで料理に凝りはじめちゃった知り合いは多いもん。)
 優れたゲームってのは、この世の中に存在するいろいろな楽しみを、手軽に体験させてくれる。だから、ゲームを入り口にしてある分野にのめりこむって流れは、全然アリだと思うんだよな、僕は。

 なので、願わくばNFLファンの僕としては、「テクモスーパーボウル」(でなくてもいいんだけど)の続編のリリースを、切に願っていたりするのだが。


 新宿での取材は16時過ぎに終了。南新宿の紀伊国屋書店に寄って、仕事のための資料と、「Number PLUS 第5巻~格闘者 魂のコロシアム」(文芸春秋社)、「浅草キッドの芸能界地獄の問題集」(浅草キッド/青心社)、「笑芸人」(高田文夫編/白夜書房)を購入。「笑芸人」はどこの本屋に行っても売り切れだったし、「浅草キッドの……」なんかは、もう絶版になったと思ってたのに、どちらも入手。さすが紀伊国屋だ。

 しかし、紀伊国屋書店のあたりって、どうしても南新宿って言っちゃうんだけど、地理的には代々木だよなあ。住所的にも、JR新宿駅南口を出て甲州街道を渡ると、すぐに「渋谷区代々木」だしさ。

 帰りの電車の中では、「電脳農奴解放ジャーナル Vol.2」を読む。


 友人のIさんが作っているサイトで、「ルールとマナー」というテーマの文章が掲載されていた。実は、僕も偶然、ちょっと前に同じテーマで考え事をしていたのだ。
 僕が考えていたのは、例えば高速道路で時速100kmで走るのがルール、時速120kmで周りの流れに逆らわず乗るのがマナー、なんてことだった。現代日本、特に都市部で心地よく生活するためには、ルールよりむしろマナーが大切、なんていう、極めて常識的な発想。
 ところが、Iさんの方が考えていたのは、さすがに一味違う内容。

 僕は基本的に、常識家なのだ。でも、それではいかん。やっぱり、僕も、人と違うことを考える訓練をしなくちゃいかんですなあ。


 マリノスの城がスペインリーグへ移籍。活躍できるといいけどなあ。
 日本人のMFは、多分世界に通用するはず。中田はもちろん、名波だってちゃんとやってるし、小野も中村俊輔も、あるいは稲本や伊東輝にしたって、全然やっていけると思う。DFにしたって、何人かの選手は海外のリーグでもやれるんじゃないのかな。
 でも、FWはどうなんだろうなあ?
 これで城が成功すれば、ホントに日本のサッカーって、ひとつの壁を突き抜けられると思う。ぜひ頑張って欲しいなあ、城には。

 ただ、城には2つの不安がある。1つは、わずか半年だけの契約ってところ。前園がブラジルに行っても、契約期間の短さやレンタル移籍という形態が不利を招いた。城も、スペインで「お客さん」扱いされないといいんだけど……。
 もう1つの不安は、城が周囲からの後押しを受けて海外に出ること。もちろん、それはそれで素晴らしいことでは有るんだろうけど、でも、中田があれだけの結果を出したのは、あるいはメジャーリーグに行った野茂や吉井、伊良部が活躍できたのも、彼らには帰る場所がなかったからだと思うのだ。「日本にはもう戻らない、戻れない」という意識が覚悟につながったからこそ、あれだけ働けたのではないのかなあ? だとすれば、城、大丈夫なのか?

 とりあえず、1週間か2週間以内に、城は試合に出る雰囲気だ。ぜひその試合を見てみたいな。

2000年01月21日

徹夜明け/前園帰国/東中野で飲み

 木曜日の朝に、4ページの原稿をアップ。さらに金曜日の朝にも4ページの原稿をアップ。さすがに疲れた。おまけに、完成した原稿をファックスで送ろうとしたら、ファックスソフトがフリーズを繰り返して動かねえでやんの。ったく、眠い頭にこういうトラブルは堪えるなあ。


 前園がギリシアのチームとの交渉を諦め、帰国したらしい。もうこうなったら、Jリーグでプレイしようと腹をくくったようだ。ヴェルディの監督は前園を戦力外と見なしているらしいので、他のチームでプレイすることになるんだろうな。
 伊東輝がいるエスパルスは……、やっぱ無理だろうなあ、チーム財政的に。グランパスは……、財政的には比較的良さそうだけど、もう小倉はいなくなっちゃったし。そうだなあ、この際、アントラーズでジーコに鍛えなおしてもらうってのはどうだろうなあ。あ、某K監督が率いる京都のチームだけはダメだぞ。またおかしなことになっちゃうから。

 いずれにせよ、前園には腐らないで欲しい。もう一度モチベーションを上げて、代表入りして欲しいなあ。


 15時頃から昼寝。18時半頃目が覚めると、友人のIさんから電話。「今日の飲み会、おいでよ」との誘いを受け、着の身着のままで外に出る。

 20時ちょっと前に東中野に到着。日本酒とワインを飲んだあと、23時過ぎに帰路に。

 帰りの電車で、坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を読む。ヘッドフォンにMisiaだとか小泉今日子だとかがガンガン鳴り響く中、読む。気がつくと、神田。御茶ノ水まで戻って、再度総武線に乗りこむ。
 小泉今日子の「月ひとしずく」が、最大ボリュームで鳴る。


 家に戻り、日刊スポーツのサイトをのぞいてみると、前園がベルマーレに移籍という報道。うんうん。
中田が昨日、ベルマーレにスポンサードしたという報道がなされていたが、そのベルマーレに移籍したか。うんうん。それはそれだ。
 前園は、あらゆるものをバネにすればいい。

2000年02月29日

日本に対する愛情

 アメリカに旅行に行ったとき、確かシカゴあたりから乗った飛行機の中で、隣のジジイに話しかけられた。彼はマイアミに住んでいる娘の家に遊びに行くらしい。僕はマイアミでフットボールの試合を見に行くところで、それでジョー・モンタナとダン・マリーノはどちらがスゴイとか(彼も僕もモンタナ派だったので、当然「マリーノなんてダメさ」という結論に落ち着いたわけだが)、あるいは機内で上映されてたジム・キャリーの『マスク』を見た感想とか(僕はちょうど「slapstick」という単語を知っていて、それをそのジイさんに言ったら、ジイさんいたく気に入ったらしく、何度も「Yes,slapstick」と言って笑っていた。なにかのツボにハマったんだろうな)を言い合っていた。

 で、いつしか僕の住んでいる場所の話題になった。最初は彼、僕を中国人だと思ってたらしい。で、違う違う、実は僕は日本人だと。家は狭いし(事実、当時僕が住んでいた東京のアパートは、4畳半だったし)、道は混んでいて空気は汚い、そういう日本だって……言っちゃったんだよな。
 ところが、そのジイさん、ベトナム戦争時代に沖縄基地にいたんだってさ。で、兵役が終わると同時に婚約者を日本に呼んで、京都とか回ったらしい。そいで、「日本にはいいところがいっぱいあるじゃないか」ってたしなめられちまった。

 そうだよなあ、普通、「お前の住んでる国はどんなとこだ?」って聞かれたら、キョート、ソニー、ニンテンドー、ビューティフルネイチャー、テンノーって調子で答えるよなあ。でないと、会話がふくらんでいかないもん。ところが、僕はついつい日本を卑下しちゃった。
 つまりは、日本に対する誇りと、愛情が持ててないからなんだろうなあ……。

 もう1ヶ月くらい前になるかな、小渕首相が「日本という国に誇りを持てるようにしたい」というようなコメントをしていたような気がする(うろ覚え)。でも、それって今の状況では難しいと思うんだよな。
 日本に対して誇りや愛情を持つためには、実績が必要だ。海外で日本人が素晴らしい活躍をし、あるいは日本という国が海外で役に立っていれば、日本に対して誇りが持てるだろう。周囲の日本人や、あるいはメディアで報道されている日本人に素晴らしいと思える人物がたくさんいれば、日本に対して愛情も持てるかもしれない。でもなあ、政治家、官僚、警察組織、企業、メディア……、あらゆる分野を見渡してみても、なかなかそういう状況じゃあないもんな。50歳以上の連中が動かしている社会は、完全に閉塞しちゃってるのだ。
 そんな気分が充満しているからこそ、野茂や中田や城を応援するわけだし。


 コスモポリタンとインターナショナル、この2つの言葉の間には、実に大きな開きがあると、僕には感じられる。で、僕が嫌っている日本というのは、往々にしてコスモポリタニズムを採用していると思うのだ。あるいは、無責任な性善説とでも言うのかな。
 おそらく日本は、自信がない国なのだ。だから、コスモポリタニズム的な動き方しかできない。「俺は俺、お前はお前」という行き方ではなく、「みんな一緒にね、ね?」つう腰の引けた態度しか取れないのだ。

 なんだか俺、右翼みたいなこと言ってる?

 ま、自分が右か左かなんて良くわかんないけど、でも,今はそんな風に思ってるんだよなあ。


 1月、2月に読んだ本は、「ゴリラーマン7~10巻」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)、「破産しない国イタリア」(内田洋子/平凡社新書)、「今夜、すべてのバーで」(中島らも/講談社文庫)、「芸能界地獄の問題集」(浅草キッド/青心社)、「笑芸人」(高田文夫編集/白夜書房)、「スポーツ20世紀1 サッカー 英雄たちの世紀」(ベースボールマガジン社ムック)、「Number PLUS 20世紀スポーツ最強伝説4 競馬 黄金の蹄鉄」「Number PLUS 20世紀スポーツ最強伝説5 格闘者 最強の夢に懸けた男たち」(文芸春秋)。

2000年03月31日

有珠山噴火/プロ野球開幕

 有珠山が噴火した。
 避難を余儀なくされている人々の映像を見て、彼らは本当に大変だろうなと思う(もちろん、僕なんかに彼らの辛さが正確に理解できるわけもないのだが)。噴火の恐怖と、将来に対する不安とで疲れきっていることだろう。さらに、疲れた顔に無遠慮にカメラを向けるマスコミの存在。鬱陶しいだろうなあ……。
 恐らく今回も、いろいろなテレビ局、新聞社のクルーが、疲れた避難民の間をばたばたと駆け回っているのだろう。それを想像するだけで、嫌な気持ちになる。

 とりあえず、有珠山関係のニュースがテレビから流れ出してきたら、チャンネルを切り替えることにしよう。ごくごくささやかな抵抗だけど。


 セ・リーグが開幕。夕飯を食べながらジャイアンツの試合を見ていたら、上原が打たれていた。
 上原に対する評価って、過大だと思ってるんだよな、僕。そりゃあ、新人でいきなり20勝するくらいだから、並みのピッチャーじゃない。でも、だからといって今年も20勝できるなんて、とても思えない。「野球評論家」と呼ばれる人たちの何人かが「巨人の投手陣で『絶対』と言えるのは上原だけ」なんてコメントをしてたけど、上原ってそこまでの存在かしら?
 西武の松坂みたいに、150キロクラスの速球とスーパーなスライダーがあれば、絶対的な存在になることは可能だろう。でも、切れとコンビネーションで戦うタイプのピッチャーだからなあ、上原は。例えば、元日ハムで、ルーキーでタイトルを総なめにした木田勇(古いか)。あるいは中日で星野監督につぶされたピッチャーたち(上原とか森田とか。与田もそうだなあ)。元西武の森山。最近では、広島の山内とか巨人の河原みたいに、何かのきっかけで切れをなくすと、一気にダメになっちゃう可能性もあると思うのだが。


 3月に読んだ本は、「ゴリラーマン11、12巻」(ハロルド作石/講談社漫画文庫)、「Macintosh サーバ化計画 MKLinux DR3」(アスキー出版局)、「古いパソコンで作ろう ホームLAN」(ローカス)。今月も低調だったなあ。

2000年05月31日

徹夜がこたえるトシ

 取材を3件終えてから家に戻り、一昨日あたりから書き始めている原稿の続き。普段だったら、1日あれば書き終わるページ数なのだが、なんせ死ぬほど文字量が多い。結局徹夜して作業することに。
 朝の6時くらいまでかかって、ようやく先が見える。そこで、これも今日が締め切りだった、公立保育園父母の会の総会資料の清書にかかる。睡眠不足の中、2時間ほどで作業終了。子供たちと食事を取り、彼女に保育園への送りを頼んで再び原稿に。そして、10時過ぎにようやく原稿を書き終え、送信。

 ドライアイの目に、さすがにコンタクトをするのはキツかったので、メガネをかけて外出。某編集部で作業をし、昼食を食べるヒマもなく新宿へ。
 取材先は、某人材派遣会社の広報担当の方。頭のいい人だし、これまでに何度も取材をさせてもらってるということもあってすぐに企画趣旨を理解してもらい、話は40分ほどで終了。と、帰り際に「白谷さん、今日はお疲れですねえ」などと言われてしまう。やっぱり、徹夜がバレバレだったようだ。

 30歳を過ぎてからこっち、徹夜がつらくなったなあ。25歳くらいのときは、こんな風じゃなかったと思うんだけど。
 徹夜がきつくなっていくことと、カラオケが下手になっていくことを感じる瞬間が、僕が「俺ってトシ取ったよなあ」と思うときだったりする。


 4月、5月で読んだ本は、「ハンニバル 上・下」(トマス・ハリス/新潮社文庫)、「超クソゲー2」(阿部広樹他/太田出版)、「決定版 ルポライター事始」(竹中労/ちくま文庫)、「地獄で仏」(ナンシー関・大月隆寛/文春文庫)、「紙の前田日明」(紙のプロレス編/ワニマガジン社)

 今月は、忙しい中サッカーの試合は結構たくさん見たなあ。セリエAやスペインリーグ、プレミアリーグにW杯南米予選。まだまだ見終えていないビデオテープも山積みだし。

2000年08月06日

実況ワールドサッカー、即中古屋へ/物欲がふつふつ

 ひょえ~っ、こんなに長い間更新をほったらかしてしまった。カウンターを見ると、毎日何人かアクセスしてる人がいるみたいで、ホントに申し訳ねえです。日頃から他の人に「ウェブで日記とか公開しなよ、友達向けに『元気ですよ』ってメッセージ投げるつもりでさ」なんて言ってるくせに、この体たらく。反省してます。

 ホームページビルダーから離れていたのは、ひとつは忙しかったから。物理的には決して忙しいはずはないのだが(なにしろ、僕の1ヶ月の労働時間は、おそらく150時間を超えてないはずだし)、なんだか精神的に追われていたという感じ。書かなきゃ原稿がたまってくると、キーボードに向かう気力は反比例的に萎えていくんだもん。それに、知り合いの編集者から「ウェブ更新するヒマがあったら、早く原稿あげろ!」なんてチェックされてもなんだし(情けね)。
 もうひとつの理由は、「実況パワフルプロ野球7」にハマッてたから。たはは。バグが多いとか、以前のパスワードが使えないとか腹の立つ部分はたくさんあるのだが、やはりPS2のパワプロも面白かった。仕事の合間をぬって、相変わらずプレイしてます。

 そうそう、もうひとつのコナミ「実況」シリーズ、むしろ「パワプロ」より期待していた「実況ワールドサッカー2000」。これは、先週の木曜日、発売日当日に買った。ところがところが、これがとんでもないクソゲー! ずっと発売を待ちわびていただけに、裏切られた感は大きかった!
 前作の「実況ワールドサッカー フランス98」は、本当にいいゲームだったんだけどなあ。その続編なんだから、しかもプレステ2で出るんだから、期待しちゃうでしょ、そりゃ。ところがところが。ホント、がっかりしちゃった。グラフィックスはPS2だけど、プレイアビリティはスーパーファミコンの初期のゲームみたいだった。頭に来て、土曜日には中古屋に売り飛ばした。
 やっぱり、プレステ2でゲームを作るってのは大変な作業なんだなあ。ゲームクリエイターのプレステ評が悪いの、ちょっとうなずける気がした。かと言って、(クリエイターからも評価が高い)ドリキャス派になろうとは思わないんだけどさ。
 ちゃんとした「実況ワールドサッカー」が出るまで、あと2年くらい待たないといけないのかもなあ……。
これから出るであろう「グランツーリスモ」と「ファイヤープロレスリング」の続編は、ちゃんと熟成された状態でリリースして欲しいと、ユーザーとしては期待。


 そろそろ、僕が住んでいる市川市でも「FLETS・アイ」(だったっけ?)が使えるようになる。とりあえず、今月中にルーターを買ってきて、NTTにも申し込みをしようと思っているのだが、今日はその準備というわけで、パソコン周辺の整理をした。WindowsマシンにLANカードを挿し、古いMac(7100)を引っ張り出してラックに収めた。
 しっかしパソコンってデカイな。G4MacもミドルタワーのWindowsマシンも、どれも図体がでけえ。僕の広くはない机の上に置くと、結構な圧迫感があるのだ。そういうわけで、新しく出たCubeタイプのG4、欲しいんだよな。キーボードもマウスも今までのヤツに比べて、全然良さそうだし。

 そう言えば、デジカメも欲しいんだよな、今。
 今持っているデジカメは、富士フィルムの80万画素のヤツ。そこそこ軽いし、ウェブで使うだけの僕にはこの画素数で十分。そして、何よりも単3の乾電池で動かせるのが好きで、ずっと愛用してきた。ところが2週間ほど前、両国に打ち合わせに行った帰りに撮った画像データを見て、300万画素クラスのカメラが欲しいと思ってしまった。
 その日はとんでもない暑さ。14時過ぎに打ち合わせを終えた僕は、汗をたらしながら両国駅近くの高架下を歩いていたわけだ。と、高架のところにあった交通情報の電光掲示板が大笑い! なんと、わけのわからない漢字に文字化けしていたのだ。「ふひひひひ、電光掲示板もこの暑さでおかしくなりやがったか!」ってほくそえみながら、証拠写真を撮っておこうとデジカメのシャッターを押した僕。
 ところが、帰ってきてからデータを確認してみると、肝心の電光掲示板部分がぼんやりとしか写ってない! ズームなし、80万画素のカメラではムリだったのか……、ってガッカリしちゃった。こりゃ、2~3倍ズーム付きの300万画素デジカメが欲しいなあ、と思ったわけだ。

 VisorやRioの新モデルなど、デジタル方面の物欲は、今ふつふつと燃えているところ。


 6月、7月に読んだ本は、「アントニオ猪木自伝」(猪木寛至/新潮社)、「新・シングルライフ」(海老坂武/集英社新書)、「最強のプロ野球論」(二宮清純/講談社現代新書)、「日本語の年輪」(大野晋/新潮社)、「人間の集団について~ベトナムから考える」(司馬遼太郎/中央公論社)、「激白 プロレスラー烈伝」(宝島文庫)、「ブラックジャック 16」(秋田文庫)、「格闘技・超勝負列伝」(メディアワークス)、「日本代表SPIRITS Vol.2」(ネコ・パブリッシング)。

2000年09月30日

上野動物園に行く/ドラゴンクエスト7を購入

 家族で上野動物園に行った。高校時代、「競歩大会」(生徒全員で九十九里浜を30km歩くというイベント)が雨で中止になり、その代替イベントとして訪れて以来だから、約15年ぶりということになるだろうか。
周囲は、当然のことながら家族連れが多い。大人が子供の手を引いて説明をしている。多くの場合、「あれがゾウさんでちゅよ」などと子供口調になっているのだな、これが。ったく、馬鹿じゃねえのかって思いかけた瞬間、自分も2歳の娘に「チッコは大丈夫?」なんて口を滑らせてるから世話がない。ちょっとだけ苦笑しながら、子供たちを肩車して園内を歩く。

 ところで、園内は家族連れだけでなく、若いカップルもいるのだ。そうか、動物園というものは、デートスポットでもあるのか。知らなかった。しかし、どういう流れで、動物園でデートすることが決まるんだろうか。男か女か、あるいは双方が「俺(私)、動物好きなんだよね」なんてことがきっかけなのかなあ?
 動物園で動物を見るのが好きだって感覚は、僕には良くわからんなあ。特に、動物を擬人化して見るってのは、どうにも苦手だ。だって、自分が見られる側になるケースを想像しちまうから。サル山なんて、どうなんだろうね、あの狭いフィールドで何家族かがひしめき合って暮らしててさ、しかも周囲には常に好奇の目が取り巻いている。僕ならどうするかな? 自殺するかそれともとことんまで鈍くなって生き延びるか、あるいは「人間」に取り入って少しでも良い環境を作るよう努力するのか……、なんてことを想像するだけで横隔膜のあたりが重く感じられる。

 そんなオヤジにお構いなく、子供たちは十分に満足したようだ。ゾウ、キリン、カバなどの圧倒的な存在感を間近で見ただけで、強いインパクトがあったらしい。動物園ではしゃいだ反動で、帰りの電車では2人ともグッスリと眠ってしまった。育児と仕事で疲れ気味の母と、前夜「Xファイル」のビデオを見て夜更かしした父も、子供を抱きかかえながらしばし眠る。


 ついに「ドラゴンクエスト7」を購入。マンションの同じ階に住むNさんは、既にレベル42に達し、クリア寸前だといっていたが、こちらは1時間ほど操作してそのまま放置。
 確かに忙しいという事情もあるのだが、それよりも、以前とは操作性が全く異なっていることに戸惑う。

 1年ほど前、Nintendo64の「ゼルダの伝説」を買った。途中で行き詰まり、珍しく「攻略本」まで手に入れてプレイしたのだが、結局クリアできぬまま。これは僕としては相当にショックだった。ファミコンでもスーファミでも熱中し、そこそこうまくプレイできた「ゼルダ」なのに……。やっぱりアクションゲームは年々下手になるよなあ、なんて。
 でも、今度のドラクエがクリアできないとなると、これは深刻かも。ゲームってジャンル自体から、僕が離れていっているのかもなあ。
 ま、まずはもうちょっと時間ができて、プレイしてみないことにはわからないんだけどさ。


 3日ほど前、ライター仲間のAさんの出産祝い(といっても、当然Aさんは出席していない。ま、単なる飲むための口実です)で飲んだとき、友人のIさんが「白谷さんのサイト、ちょっと前から叙情的(?)な口調になったよね」といわれた。自分では全然意識していなかったが、何か変化があったかなあ? 以前より「不特定多数」を意識することが少なくなったから、それが影響しているんだろうか。


 9月に読んだ本は「あしたのジョー1~8」(高森朝雄・ちばてつや/講談社漫画文庫)、「レイアウトスタイルブック2000年度版」(ワークスコーポレーション)、「最強のプロ野球論」(二宮清純/講談社現代新書)。

2000年10月17日

飛蚊症/芥川って、子供と遊んだことなかったのかな?/「ガーディアン・エンジェル」って、どうなん?/サッカー代表、国際Aマッチで8-1の大勝

 昨日の夜から早朝にかけて、ずっとドラクエをプレイ。さすがに目が疲れてしまい、目をつぶって指でまぶたをマッサージした。すると、いつも通り、まぶたの裏に紫と黒の模様が浮かび上がり、ゆらゆらと動き始めた。

 高校時代、芥川龍之介が好きでよく読んでいたのだが、彼の『歯車』体験、僕にもあったりする。目を閉じると、さまざまな模様がまぶたの裏に浮かんでくる。歯車のような回転体が見えることもある。調子がいい(?)ときは、そのまま目を開いても、しばらく残像が見えることもあるのだ。
 なにが原因なのかはわからない。眼球の問題なのか、それとも視神経なのか。いずれにせよ、物理的な問題に過ぎないのだろうと思う。「歯車」が見えること自体は、別に病的な現象ではないのだろう(もっとも、眼科医は何らかの病気に分類するのかもしれないけどさ)。ただ、芥川が回転する歯車を恐れた瞬間、それは神経症に転じてしまったのではないかな?

 大人になって知ったのだが、僕は一種の「飛蚊症」であるらしい。晴れた日に青空を見ていると、透明なおたまじゃくしのようなものが、視界を横切る事がある。おたまじゃくしは、眼球を動かすにつれて左右に移動する。眼球の動きに完全にリンクしているのではなく、眼球が動いてから一瞬遅れて動き出し、眼球の動きを止めてもほんのしばらく慣性で動く。
 僕がこの症状を初めて自覚したのは、おそらく小学3年生くらいの頃だったと思う。最初は、僕は幽霊を見ているのだと思った。しかし、眼球を動かすとそのおたまじゃくしが動く事を発見して、すぐに考えを改めた。おそらく、角膜(当時その言葉は知らなかったが)の表面にホコリがついていて、目を動かすと涙の上に浮かんでいるホコリが移動するのを見ているのだろうと推測したのだ。

 小学3年生の僕は、それで納得した。でも、大人で、さまざまな心労を抱え、そして聡明で鋭敏過ぎた芥川は、そういうわけにいかなかったんだろうな。


 そう言や先週の土曜日、子供たちを昼寝させる前に、お話をせがまれたんだよな。そのときに話したのが、芥川の『蜘蛛の糸』だったのだが、これが大不評。話し終わった後、4歳の長女はすっかり目に涙を浮かべ、「そんな話ヤダ、もうひとつ他の話してくれないと眠れない」と駄々をこねていた。
 ま、そりゃそうかもな、主人公カンダダは最後まで他の人間を信じることができず、結局地獄に落ちたっていう救いのない話だもんな。そりゃあ、昼寝前にそんな話聞いても寝られるわけねえか。たいていの昔話は話してしまっているので新しいお話をしてやろうと、オヤジとしては気をきかせたつもりだったんだけど、から回りでした。
 しかし、多分芥川って子供とあんまり遊んだことなかったんだろうな。『蜘蛛の糸』ってストーリーとしてはよくできてるけど、ナマの子供の視点ってのがあまりに欠けてるもんな。いや、それって別に童話に限らないか。芥川の作風自体が、生々しい人間の息遣いみたいなものを描けない欠点があったもんなあ。

 芥川と実子とのかかわりについて書かれた資料って、なにかあるのかしら?


 夕方のニュースで、渋谷などの繁華街をパトロールするボランティア団体「ガーディアン・エンジェル」のレポートを見る。自分で自分たちの街を守るという発想は、僕的には非常に賛同できるものなのだが、パトロールの風景を見てなんだか引いてしまった。だって、メンバーのかなりの部分が、単に警察ゴッコを楽しんでいる風だったんだもん。街を守るということより、単にチンピラ相手にサバイバルゲームをプレイしている(しかも、それが「正義」の名の元に行われているだけ、タチが悪い)みたいに見えた。
 この組織、テレビは好意的に紹介していたのだけれど、ホントなのかなあ? 確かに、街の役に立つ部分は大きいとは思うが……。一応、今後もこの団体に関するニュースはチェックしてみよう。


 サッカーの日本代表が、アジアカップでウズベキスタン相手に、8-1の大勝を飾った。
 ウズベキスタンといえば、ちょうど3年前のフランスW杯予選、日本が予選敗退の崖っぷちに立たされていたあの時試合を、嫌でも思い出す。0-1で負けていた後半終了間際、井原が出したロングフィードが相手GKのミスを誘い、やっとこさっとこ引き分けたんだよな、確か。
 確かにウズベキスタンの出来は悪かった。特にディフェンスラインは酷かった