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仕事 アーカイブ

1999年07月09日

『爆笑問題の日本原論』/キャリアアップは現在の職場で最大のアウトプットを出すこと

取材に向かう電車の中で、『爆笑問題の日本原論』(宝島社文庫)を読了。これって、面白いのかなあ? 売れてるし、評判にもなったけれども、僕には全然ピンとこなかった。これなら東スポに連載されてる、「浅草キッドの捨て看板ニュース!」(浅草キッドのウェブページにも掲載されている)の方が、僕にとっては全然楽しいんだけど。

今日の取材先は、某大手人材派遣会社。人材コーディネーターの方の「キャリアアップをしたいと思うなら、常に自己投資を怠らないことと、今の職場で精一杯のアウトプットを出すこと。今の環境で結果を出し、評価を受けることが、次の仕事につながる」という話を聞いて、なるほどなあと納得。仕事に対して不平を言ったり逃げたりしても、希望する仕事には近づけない。むしろ、目の前の仕事に最大の努力を払えっていう意見、そりゃそうだと思うなあ。
確かさくらももこが「私はエッセイストになりたかった。でも、いきなりエッセイストになるのは無理だから、マンガ家になった。マンが家として売れればエッセイも書けると思って」というようなことを言っていた記憶がある。自分の強みを最大限に生かす方向を探し出し、それに向かってまずは一点突破。で、確固たる地位を築いていくことが、実は目標に近づくための早道だったりすることもあるわけだ。

ま、その辺のことはわかっちゃいるのだが、言うは易し、行うは難し、なんだよなあ。

1999年07月19日

自分の仕事について考え込む/松野大介「芸人失格」

 いつも最低限の仕事しか受けずにグダグダしている僕としては珍しく、このところ忙しい毎日が続いている。
 このところ、自分の仕事について考え込む事が多い。今日の夕方、僕とそれほど年の変わらないクリエイターの取材に行ったのだが、彼は「自分の好きな商品だから、そこの広告の仕事をしているんだ」と言っていた。生活のために、気に入らない仕事もやむなく受けている自分と見比べて、うらやましいと思う。しかし、自分の好きな仕事だけをするのは、実力の裏づけがないとダメだ。僕にはそれがあるのか? あるいは、やりたいことのために生活を犠牲にする意気込みがあるのか?

 そんなことを考えながら乗っていた、帰宅途中の電車の中で、「芸人失格」(松野大介著/幻冬社文庫)を読む。30代の主人公の自意識、プライド、劣等感、焦り、浮き草のように実態のないコミュニケーションに対する疑問と嫌悪……。そういったものがすべてリアルに共感できてしまった。高校時代に太宰治の「人間失格」を読んだときとは違う、等身大の共感。
 さらに、ビートたけしのラジオを聞きながら育ち、芸人という行き方に憧れを持っている僕としては、なかなか冷静には読めない小説だった。

1999年09月27日

ライターAさんと打ち合わせ、プロ意識について思う

 19時から、新橋の某編集部で打ち合わせ。30分ほどでサクッと終わらせ、今度はフリーの編集者・ライターのAさんと、居酒屋で打ち合わせ。仕事の話はそこそこに終わらせ、後は雑談。なかなか話が面白くて、最初は1杯だけのつもりだったのに、すぐに酎ハイを3杯も空けてしまった。
 Aさんはまだ仕事が残っているということで、21時には居酒屋を後にする。帰り際、新橋駅に向かう道でAさんが言った「あたしねえ、文章書きたくてライターやってるわけじゃないからさっ。世の中に言いたいことがあって、それでたまたまライターやってるだけで」って言葉に納得。
 Aさんは本当にアクティブ。で、常に前に進んでいる姿がカッコイイ人なのだ。いろんな媒体に売り込みに行ったりして、自分の進むべき道を模索している。グダグダしている僕から見れば、眩しいような存在だ。
 で、彼女が積極的に動いているのは、「言いたいことがある」っていうバックボーンがあるからなのかもなあ。
 「ライターがやりたくて、ライターをやっている」って人よりも、「言いたいことをいう手段として、たまたまライターをやっている」って人のほうが、突き抜けてて面白いんだよな、僕にとっては。
 中田英寿がカッコイイのも、「たまたまサッカーをやってるだけ」ってスタンスがいいんだと思う。しかも中田は、「たまたまやってるサッカーだが、今の俺はサッカーのプロだ」として、常に努力することをやめない。カッコイイ!

 突き抜けた視点を持ち、なおかつ強いプロ意識を持つ。そういう自分でありたいなあ、今日はそんなことを考えた。

2000年03月13日

今後の仕事の方向性

 前夜から徹夜で原稿を書いた後、朝の6時過ぎに、30分だけというつもりで布団に入る。しかし、気がつくと時計は既に8時半を回っているところ。慌てて子供たちに食事を取らせ、着替えをさせて保育園へ。園に入るなり、保育士さんたちから「パパ(保育園では決して『白谷さん』とは呼ばれない。あくまで『子供の名前+パパ』なのだ。不思議な感じだなあ)、どうしたの、徹夜ですかですか~?」と言われてしまった。よっぽど眠そうな顔してたんだろうな。
 園で子供の荷物をセッティング。案の定、次女の「連絡帳」を忘れてしまっていた。保育士さんに「ごめんなさい!」と一言。皆も僕のことをわかってくれているので、「あ~、いいですよいいですよ」と笑顔で対応してくれる。ホント、ごめんなさい。
 月曜日は、子供の昼寝用の布団にシーツを掛けるなど、やるべきことが多い。慌てて済ませ、9時半過ぎに保育園を後にして自宅に戻る。スリープ状態だったMacを起こし、自分も目をこすりながら、再度原稿を書き始める。
 土曜日から使い始めたG4Macは、まだ手になじんでいない。特に、一部の特殊記号(カギ括弧とか)がキーボードの表示と違っているのに閉口。どうも、昨日インストールしたATOK11が原因らしいが、再インストールしている暇などない。多少イライラしながら(これがWindowsなら、ブチ切れしてるところだが)、11時過ぎにようやく書き上げ、メールで送信。ホッとして昼飯を作り、食べる。


 昼過ぎに、ライター仲間のIさんと電話で話し、渋谷にある共通の友人ののライタープロダクションへ遊びに行くことに。
 13時ころ家を出て、いったん神保町の、これもライター仲間のWさんの事務所へ。借りていた資料を返し、すぐに半蔵門線に乗り込む。
 渋谷に着いたのは14時過ぎ。事務所にいたAさんと仕事のことで少しだけ話をしたら、その後は世間話など。14時40分ころIさんが到着、3人で今後の仕事の方向性について話し込む。
 こうしたブレストってのは、フリーの人間にとっては貴重な時間だ。以前、某編集部に籍を置いていたときは、まわりには常に同僚やスタッフがいた。普段の会話が、すでにブレストだったりしたのだ。ところが、フリーになると、基本的には自分だけで動くことになる。他の人と意見を交わす機会が、ぐっと減ってしまう。
 アイディアというものは、机やモニターの前に座ってる時より、他の人間とああだこうだと話しているときのほうが沸いてくるものだ。今日の話し合いでも、いくつかのヒントをもらうことができた。AさんやIさんが言うように、こういう機会や場をもっと持つようにしないよな。


 16時半ころ、Aさんのオフィスを後にする。東急プラザ内の店で、Iさんと軽く食事&ビール。途中で、ライターのKさんから仕事の電話。ビールを飲んでいることを言うと、こんな時間からと呆れられる。でもさあ、これがフリーの醍醐味だよなあ。
 店を出て、少し桜丘の方に歩き、バーのカウンターでバーボン。
 仕事の中で、僕がやるべきこと、僕がやらなきゃいけないことの方向性は、だいぶ整理されてきていると思うのだ。あとは、根性入れてやっていくこと。……わかってるんだよ、でもなあ、それが一番不安なんだよなあ、なんて言ってると、Iさんに怒られた。そうだよな「でもなあ」はいらないんだよな。

 今週はちょっと余裕があるから、企画書作ってみるか。で、仕事部屋にアップしよっと。

2000年05月28日

ライター根性/プロレスと人生

 ライターという仕事を始めて6年以上。なんやかんやで、多少は向いているんだろうと思う。
 そう言えば、1週間前のHさんの送別会で、彼女の同僚が書いた文章が読み上げられた。で、かなりの笑いを取っていたのだが、その時の僕の感想は「悔しい」だった。あの程度の文章だったら、俺のほうがもっと笑わせる文章書けるのに、って。これってやはり、ある意味ライター根性なんだろうなあ。


 小林秀雄は確か、「批評家とは、作品を通して己の夢を語る者である」なんてことを言っていたように思う。それに習って言えば、プロレスファンは、レスラーを通じて己の夢を語るのであろう。
 プロレスファンは、決して技術とか勝敗が見たいんじゃないんだよな。もちろん、それらによって気持ちが揺さぶられることはある。でも、それはスパイスとしての存在でしかない。決してメインディッシュなんかじゃない。
 要は、僕はリングの上に、人生を見たいんですよ。だって、僕は、人間に興味があるから。自分の何倍もスゴイ人間たちがギリギリの場所で戦い、そしてギリギリの人間性をさらけ出す、それが見たいんですよ。
 だから、昨日の船木の戦い方は、全然ダメだった。そこには、生身の人間の姿が、全くなかったもの。

 僕は、桜庭和志対ホイス・グレイシー戦のビデオなら、1万円でも安いと思う。でも、船木の試合はダメだね。レンタルビデオ屋で300円出す気も起こらない。

2000年07月15日

幕張で、同じ中学・高校出身の方を取材/雪印乳業/倉木麻衣パクリ騒動/清原「復活」

 んあ~っ、ぼやぼやしているうちに、7月ももう半分終わっちまった。
 ホームページビルダーを立ち上げるのは、3週間ぶりだなあ。相変わらず原稿を書いたり、取材したりで忙しい。合間には、公立保育園父母の会の原稿を書いたり、ホームページ立ち上げの作業をしたりもしている。おまけに、ついに「実況パワフルプロ野球7」を買ってしまったし。


 昨日は、幕張の電子機器メーカーで取材。そこで会った取材対象者、26歳の女性の方が、なんと僕の中学・高校の後輩だった。同じ高校の卒業生と取材先で出会うことはまれにあるし、同じ本八幡に住むという人に取材をした経験もあるけれど、中・高ともに同じ出身の人と会うってのはめったにない偶然だろう。しかも、取材相手に出身高校、中学を聞くケースなどほとんどないのだが、今回の取材テーマは「転職者の職務経歴書」。その女性には、あらかじめ職務経歴書だけでなく、履歴書も用意してもらっていたのだ。そして、それを見せてもらった時に、今回の偶然を発見したというわけ。偶然に偶然が重なったって感じだな。
 僕とは7つ歳が離れているので、もちろん面識などはなかったわけだが、取材の合間に「高校時代はあの先生に教わってたよ」などというローカルトークに花を咲かせた。


 さて、ここからは、この数週間に起こった出来事についてコメントを。


 雪印乳業の事件は、ここしばらく続いた警察や官僚の不祥事と全く同じ、「内部ばかりを見て外側を見ない、小事にとらわれ大事をおろそかにする日本人」の典型だよな。食中毒を起こした被害者の健康より、自分たちの責任問題の方が大切で、思いきった方策を打ち出せないまま傷口を広げていくというパターンは、もう見飽きてしまった。
 目薬に異物を混入したと脅迫されると、思いきって全製品を回収した製薬会社の株価は、事件収拾後上昇したらしいね。今の時代、そんな風に緊急自体に対して思いきった対応を取れる会社は評価される。一方、組織が硬直化してる会社はもうだめだ。

 僕の親しい人が雪印食品に勤めていて、ヒドイ目にあっている。「食品」は「乳業」の子会社ではあるが、別に食品の工場ではヤバイ商品を作っちゃいない。なのに、「食品」の製品もとばっちりを受けて、スーパーなどの売り場から撤去されることもあるらしい。売り場に置いてもらっていても、売上は激減しているだろうし。
 乳牛を育ててる人たちも大変だろうな。しばらくは牛乳の需要は落ち込むだろうから。中には首をくくらなきゃいけなくなる人も出るかもしれない。雪印乳業は、彼らにどんな保障をするんだろうねえ。

 しかし、騒動の初期の頃、雪印乳業の社長が悠長なコメント出してたなあ。「恐らく今期は赤字になることはないだろう」とかなんとか。僕は新聞でそのコメントを読んで、思わず「んなわけねえだろっ」って突っ込んでしまった。
 例えばさ、ラーメン屋で自分のどんぶりにゴキブリが入っているのを見つけたら、2度とそのラーメン屋には食べに行かないっての。その上、そのラーメンを食べた後で下痢でも起こしてごらんよ、そのラーメン屋の看板を見かけただけでムカムカしてくるに決まってる。雪印乳業の社長はその辺のことが全然わかってないよね。これで雪印のブランドは、完全に傷ついた。これが回復するには、少なくとも数年以上の時間が必要。だとすれば、雪印乳業の財務状況がどんなに良くたって、こりゃ倒産まであるっしょ?

 ゴキブリ入りラーメンを出したラーメン屋が、もう一度客を呼ぼうと思ったら、取るべき方法は2つしかない。1つは店主が変わること。もう1つは、店を新築すること。いずれにせよ、その後「私の店ではこのような方策を立てていますので、2度とゴキブリは出しません」と猛烈に宣伝をし、さらに時折台所を客に見せて、「ほらね、こんなに清潔にやってるでしょ」ってアピールしないとね。
 でも、それが果たして雪印乳業にできるかどうか。とりあえず、あの取締役たちを見ている限り、どうもムリそうだと思ってるんだけど。


 埼玉県の、ハムのO-157騒動、これもひどい話ですな。ハムの業者が、数百億円規模の賠償を、埼玉県に対して起こす構えらしい。ま、業者としては当たり前、そのツケを払わされる埼玉県民はお気の毒。
カイワレ大根を思い出すね。数年前、やはりO-157の騒ぎがあって以来、カイワレ大根の需要は激減したに違いない。当時は僕もよく食べていたが、あれ以来全然食卓に並べなくなったもんな。


 「Hey! Hey! Hey!」で、ダウンタウンの浜田雅功がゲストの宇多田ヒカルに対して「倉木麻衣ってお前のパクリやろ?」と発言。倉木側の事務所から猛烈な抗議を受けているそうな。
 視聴率25%を取る番組で、そんなことを言っちゃあいけねえだろって正論はさておき、でもやっぱり、倉木麻衣ってパクリだよなあ。17歳の帰国子女で、R&Bっぽい曲調に乗せて英語がさんざん混じった歌ってコンセプト。それを、「First Love」が大ヒットした後でやられたら、そりゃ誰だって二番煎じとしか思わない。そりゃまね、ファンにとっては宇多田ヒカルとの差異をいろいろと見つけられるんだろうけどさ、外野から見れば、倉木麻衣ってせいぜい「ちょっと美人の宇多田ヒカルを、Zardっぽくアレンジした人」って感じにしか受け取れねえですよ。
 あ、そうそう、件の番組を僕も見ていたのだが、宇多田ヒカルは倉木のことを「でも、多分事務所がさせてるんだから……」というニュアンスでかばってたなあ。自分で自分を演出する宇多田から見れば、人に演出されてるのがミエミエの倉木は、ちょっとかわいそうに思えるのかも。
 スポーツ新聞の報道では、倉木はこの事件がショックで学校にも通えなくなったとか。もし、これがホントなら、やっぱりかわいそうだな倉木麻衣。浜田の発言がかわいそうというのではなく、人形としてショービジネスの世界で生きている、その生き様がかわいそう。


 清原が復活。
 僕は、まだちゃんと彼のバッティングを見たわけではないので、ホントにそれが「復活」と言えるのか、多少疑問を持っている。例の「肉体改造」、僕は失敗ではないかと思ってるし(よろいのような筋肉をつけるより、少量でもしなやかで捻りを作りやすい筋肉をつけるべきじゃないのかなあ)、彼の弱点である内角の速球を克服できたかどうかも疑わしい。
 それでも、清原は僕にとっては大切なヒーローなのだ。この数年、傷つきまくりのヒーローだが、それでも松井秀喜やイチローの何倍も、僕にとっては輝いているヒーローだ。この調子でなんとかシーズン終了まで頑張って欲しいもんだ。
 願わくば、日本シリーズのMVPは清原にやってくれ(シーズンのMVPは工藤で、ね)。

2002年09月26日

ふさわしい場

 知り合いの編集者から、電話がきた。今月末で退職し、別の出版社に移るのだという。彼が新しく担当する雑誌は、彼の指向性にピッタリの媒体。素晴らしい転職だと思う。

 彼は、自らにとってふさわしい場を求めて、頑張っているようだ。
 俺も少し、ちゃんとしなきゃいけない。

 頑張らなきゃな、俺。

2002年10月17日

僕だからこそ……

 この世の中に、僕にしかできない仕事は、おそらく一つもないのだろうと思う。
 だが、僕だからこそできる仕事は、いくつかあるはずだ。
 今、そんな仕事をしている。

 仕合わせなことだ。

2003年02月12日

打ち合わせ好き

 某編集部。席を並べて仕事をしていたデザイナーが、そのまた隣に座っていた別のデザイナーと話していた。
「やっぱり、ページの構成を考えて組み立てていく作業が一番楽しいよね」
「え、私は色を付けたりする方が全然楽しいなあ」
「うそ、色を付けるなんていうのは、おまけというかさ、付け足しの仕事みたいなものじゃん」
「そうか~?」

 同じデザイナーでも、仕事にどんな楽しさを見いだすかって点は、全然ちがうんだなあ。
 ま、ライターや編集者だってそうだ。原稿を書く作業が一番楽しいってヤツもいるし、取材で人の話を聞くのが最大の喜びってヤツもいる。ゲラを直す段階が一番楽しいという話は、あまり聞いたことがないが。

 で、僕は、何といっても「打ち合わせ」が好きなのだ。特に、入稿までまだだいぶ時間があるタイミングでの、無責任にアイディアを出し合うブレストが大好物だ。思いつくままに話をし、参加者同士、「それ面白いっすねえ!」なんて盛り上がる瞬間こそ、こういう仕事の最大の醍醐味じゃないかと思う。

 編集会議などに参加したのに、自分の企画以外ではほとんどしゃべらないライター、編集者ってのが、世の中にはいる。でもなあ、それってもったいないと思うんだよなあ。むしろ、他人の企画こそ、くだらないアイディアを連発する最高の機会なのにさあ。

 なんてことを考えてみると、僕はライターというよりむしろ、企画商売の方が向いているのかもしれないな。

2004年03月01日

プロの技

 先日取材をし、その原稿の確認を依頼していた方から、「感服!プロの技だと感じたこともあり、敢えて私から訂正は入れません」と返信をいただいた。そういえば昨年の春、やはり取材を受けていただいた方から同じような言葉で褒められたんだよな。その時も、「プロの仕事」と評価していただいたのだ。

 どちらも、何冊も立派な著書を出している、非常に能力の高い方だ。そういう人々から「プロ」と褒めていただけるということは、僕も一応、プロらしい仕事ができるようになったということなのだろう。
 もちろん、能力の高い人から褒められたことは嬉しい。しかし、僕にはうれしさよりも、戸惑いや感慨深さの方が先に立つ。プロか、この僕が。


 僕が駆け出しの編集者としてこの業界に入ったのは、24歳の時だ。ある編集部で、ダメな編集者として3年間丁稚奉公をした(だから僕は、ダメな新人編集者に迷惑を掛けられても、なかなか怒ることができない。「昔のオレに比べれば、コイツの方がマシだよなあ……」と思うからだ)。そしてフリーのライター・編集者になってから、もう10年が過ぎた。そうだ、僕ももう十分にベテランなんだ。


 でも、どういうわけだか僕には、自分自身に十分なキャリアと能力があるとは、なかなか思えないのだよな。

 理由のひとつは、現在もフリーになった10年前と同じような立場で働いているからだろう。
 会社組織の中で働いている同年代の連中の多くは、「デスク」や「編集長」へと昇格している。仕事や責任の範囲が広がる様も比較的目に見えやすいし、昇給という形で評価も受けられる。ところがフリーには、そういった分かりやすい仕組みはない。昇格も昇給もなく(ただし、仕事の効率が高まったため、「時給」という面では10年前より格段に上がった。恐らく、10年前の4~5倍くらいにはなっているのではないか)、周囲から目に見える評価を受ける機会も少ない。版元の連中が、また次の仕事を発注してくるたびに、「ああ、今回の仕事も、さほどまずくはなかったんだな」と確認するのだ。ううむ、なんて頼りのない、心細い仕事なのだろう、ふふ。

 もう一つの理由は、単純に自分の能力を信じられないのだ。そりゃ、自分がまるっきりの無能でないことは、さすがの僕も分かっている。なんつうたって、もう40歳近いんだからさ。一応、自らの強みがどこにあるのか、多少は知ってるさ。でも、それが果たして絶対的な強みと言えるのか、僕には分からない(もちろん「比較優位」という考え方も知ってはいるが、しかし、絶対的な強みがなければなかなか前に出られないのも僕の性格であるのだ)。

 ともかく、僕はまだ自らの能力を信じ切れない。一方で、このところ、仕事ぶりを褒めていただくことが少なくない。そのギャップに、なんだか戸惑ってしまうのだ。

2004年06月14日

パラノイア相手の仕事

 高校の先輩で、ある新聞社に務めている「旅人」さんが、ご自身のサイトで「毎日毎日クレーマーの相手をしていると、本当に世の中嫌になってくるものです」と嘆いている。

 ライター仲間で立ち上げているBLOGにも、最近闖入者がやってきた。書き込みを一目見ただけで、「おかしい」と感じさせる人だった。取りあえず、無視を決め込んでいるのだが、気持ちの悪いものだ。

 4、5年前に、市議会議員選挙に出ようと思ったことがあった。最終的に断念したのは、1人だけが当選しても、それで自分の意見を市政に反映させられるわけではないというのがひとつ。もう一つは、政治家というのは基本的に、気違いの相手もしなければならない仕事だから。

 一口に「ライター」といっても、いろんな働き方がある。中には戦地に出かけていって取材するライターもいるし、ダークサイドの人間ばかり取材するライターもいる。でも、今の僕が取材対象にしている人たちは、基本的に立派な人たちだ。おしなべて優秀で、向上心もある。そういう人々と会い、話を聞くのは楽しい。

 ところが政治家は、そうはいかない。義務を果たさず、権利ばかりを主張する人。私利私欲だけを追求する人。論理の通用しない人。そして、自らのゆがんだ世界に暮らす人。そんな人々も相手にしなければならない仕事だ。

 弁護士なども、きっと同じような範疇に属する仕事なんだろう。少なくとも僕には、そういう仕事はこなせないな。

2005年02月27日

スランプ

 恐らく僕は、スランプに陥っているのだ。文章を書くことが、今、つらい。

 僕はこれまで、文章を書くのが楽しいと思った経験はほとんどない。どちらかというと、苦しい作業だと思っている。文章を書くのが趣味だという話を聞くと、全くうらやましいことだと思う。だが、ここまで苦しいと思った経験は、なかったような気がする。

 6月を過ぎると、ある仕事が一区切りつく。そうしたら、少し休もうと思っている。

2005年09月13日

名刺整理

 名刺フォルダのひとつが壊れてしまった。未整理の名刺も、200枚近くたまっていた。そこで、新しいフォルダを購入し、一気に再整理。
 取材先の名刺は、500枚収納のフォルダ4冊に収まった。この15年ほどで、少なくとも2000人の人と出会ったということだ。
 ライターというのは、人と会う仕事。コミュニケーション能力が情けないほど低かった、20代前半の自らを思いだしてみると、よくもこの仕事を続けてこられたなあと感慨を覚える。

 自分が持っている能力の中で最も自信があるのは、歌のうまさだ。ここ数年、カラオケ店に足を運ぶのは一年に一度くらいに減ってしまったので、以前より多少は下手になっている。でも、それでも100人中4~5番目くらいの能力はあると思う。全盛期なら、僕より歌が上手いと思える人は、ほとんどいなかった(プロの歌手は除く)。一方、文章を書く能力に関しては、さほど自信はない。いいところ、100人中25番目くらいのものではないかと思う。
 ただ、僕は小説家ではなくライター。このくらいの文章力があれば、食っていくには十分なのだ。ライターにとって大切なのは、文章力よりもコミュニケーション能力だから。

 20代前半の僕は、コミュニケーション能力が全く足りなかった。編集者の仕事を始めた当時、僕のコミュニケーション能力は、100人中7~80番目くらいではなかったと思われる。とてもじゃないが、プロとしてはやっていけないレベルだった。それが、これまでどうにかこうにか食いつないでいるのは、コミュニケーション能力、特に「聞く力」を、何とか人並み程度まで磨いてこられたからだろうと思っている(あとは、単に運が良かったというのも大きいのだけれど)。

 僕は、小学生の頃からあまり進歩していない。ときどき我が身を振り返ると、なんだか悲しくなる。だが、唯一「聞く力」については、ちょっとはマシになったのかもしれない……。名刺フォルダを眺めながら、そんなことを考えた。

2005年11月22日

見える仕事、見えづらい仕事

 先日、ある記事の扉イラストの件で、アート・ディレクターさんと打ち合わせをした。イラストレーションファイルをめくり、ああだこうだと意見を出し合った後、これはというイラストレーターさんを見つけた。
 その方とは、面識がなかった。電話を入れて概要を説明した後、メールでイラストのイメージを伝えた。数日後、その方から送られてきたラフを確認すると、これがもう、イメージ通り、いや、イメージ以上のできばえ。思わず、周囲の人に自慢してしまった(僕が描いたわけでもないのに)。

 しかし、イラストレーターというのは、不思議な仕事だと思う。正直、うらやましいな。作品のファイルをみれば、その人が手掛けてきた仕事や、作風がすぐに分かるのだから。一度も会ったことがない人と、電話とメールだけで打ち合わせをして、思い通りのモノを仕上げてもらう。乱暴だが、イラストレーターの場合はそれが可能なのだ。
 ライターは、そうはいかない。過去に作った記事を見れば得意分野くらいは把握できるだろう。でも、やはり実際に仕事をしてみないと、どういうものを作るのかは分からない。
 
 編集者の仕事は、もっと分かりづらい。雑誌業界に詳しくない両親に自らの仕事を説明するとき、編集者は悩むものだ。

「あんたの仕事は何ね?」
「雑誌の編集者だよ」
「『へんしゅう』って何ね?」
「だから、雑誌を作ってるんだよ」
「雑誌の何を作ってるの? 文章を書いてんの?」
「いや、それはライターさんの仕事」
「じゃ、写真撮ったりしてんの?」
「いや、写真撮ったりイラスト描いてるのも他の人……」
「じゃ、いったい何してんの? 印刷かい?」
「それは印刷所の仕事!」
「それじゃ、あんたの仕事は何ね?」
「だからさあ、……もういいよ!!」


 世の中には、見える仕事と見えづらい仕事があるのだと思う。

 例えば、建築業界で働く人に取材をすると、「子供と一緒に車に乗ってるとき、『あのビルは父ちゃんが建てたんだぞ』と話しかける瞬間は、何とも言えず誇らしいですね」という話をよく聞く。手掛けたものが目に見える形で残るというのは、やはりうれしいものだろう。
 料理人も、見える仕事の代表格だ。理容師もそう。

 見える仕事と見えづらい仕事。どちらかというと前者の方が、仕事のやりがいを感じる機会は多いのではないか。 

2006年02月27日

仕事仲間の退職

 頻繁に出入りしている編集部の進行担当の方が、退職することになった。その人との付き合いは、もう7~8年になるだろうか。とても信頼できる人だった。仕事の面でも、人間的な面でも。
 僕にとっては、かなりショックな出来事だった。ずっと一緒に働いてきた人が急にいなくなってしまうのは、堪える。

 20代の頃は、人と別れることがあっても、さほど後には引かなかった。でも、これが歳を取るということなのだろうか、30歳を過ぎてからこっち、こういうことに傷つきやすくなっている。

 若い頃の方が感受性が豊かだなんてことは、嘘だ。感受性は、干からびたりはしない。ただ、変化するだけだ。自分を見ていると、そう思う。

 

2006年04月01日

送別会

 お世話になった人の送別会で、朝まで飲んだ。始発で家に戻り、ベッドに転がり込んで、目が覚めたら15時を過ぎていた。
 一次会では、カシスソーダを十数杯、二次会では、八海山を5~6合飲んだ。三次会では白ワインだったかな。これだけのアルコールを飲んだのは久しぶりなのだが、不思議と二日酔いはしていない。


 この春は、いろんな別れがあった。これまで一緒に働いてきた人が、会社を辞めたり、異動をしたり。そして今回の送別会は、その中でもいちばん、痛手だった。
 その人と初めて仕事をしたのは、10年ほど前。いろいろなところで、僕はその人に助けてもらった。彼女が編集長に昇格してからは、一緒に仕事をすることはなくなったが、それでもその存在は、僕にとって大きな支えだった。

 正直、かなりへこんでいるわけだ。そして、いろいろ思うところもあるわけだな。


 実はこのエントリー、最初は「ライター廃業」というタイトルで書き出した。その人の異動を機に、僕もライターを辞めることにした、と。もちろん、「4月馬鹿」のつもり。ところが、文章を書いている途中で、そんな気分ではなくなってきた。馬鹿になるためには、賢さが必要。ところが今の僕には、賢さが全く欠けている。心に余裕がないから。

 大体、ライターなんて仕事は、廃業しようと決意しなくたって、自然と廃業するものなんだよな。原稿が評価されず、次の発注がなければ、そりゃあ、他の仕事を探さなきゃいけなくなるに決まってる。芸者さんと同じで、お座敷が掛からなければそれでおしまい、なのだ。なあにが偉そうに「ライター廃業」だよ、と、自分に向かって毒づいてみる。


 んあ~、今日は酒買ってきて、一人で飲もうか?

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