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大学入学は21歳、成人は28歳、独り立ちは42歳が妥当?~「年齢4割り増し説」
- 2010年12月10日 21:06
- 雑文
孔子は『論語』の中で、己の年齢について語りました。
15歳が「志学」、30歳が「而立」、40歳が「不惑」、
50歳が「知命」、60歳が「耳順」、70歳が「従心」です。
僕は現在、40代前半。
いわゆる「不惑」は過ぎています。
しかし、とてもじゃありませんが、自らを「不惑」だなんて思えません。
妻も子供もいて、押しも押されもせぬ中年のはずですが、
いまだに迷いまくり、惑いまくりの人生。
そこで、思うのです。
孔子の考えた年齢のスケール感は、現代の日本には合わないのではないかと。
—-
厚生労働省の「平成21年簡易生命表の概況について」によれば、
日本人の平均寿命は、男性が79.6年、女性が86.4歳。
平均すれば約83歳で、日本は世界でもトップクラスの長寿国だと言われます。
しかし、こうなったのはごくごく最近のこと。
「第20回 生命表」によると、
1950年時点の平均寿命は、男性58.0歳、女性61.5歳でした。
たったの60年間で、平均寿命は4割ほど伸びたことになります。
さらに、明治中期から大正までさかのぼれば、
平均寿命は42~45歳程度で推移しています。
現代の、約半分です。
ただし、当時の人が皆、42~45歳で亡くなっていたわけではありません。
総務省統計局の「人口・世帯~男女別乳児死亡数、乳児死亡率、
乳児死亡性比及び総死亡中乳児死亡の占める割合(明治32年~平成16年)」によれば、
明治時代後期の乳児死亡率は15~17%。
これが、平均寿命を押し下げています。
前出の「第20回 生命表」によれば、
明治中期~大正時代における、20歳時点での平均余命は40年程度。
つまり、当時の人にとっては、「60歳まで生きられればまずまず」
という程度の感覚があったのではないか。
僕は、そんな風に想像しています。
日本史に登場する歴史上の人物の寿命も、
平均すると60歳前後に落ち着くのではないでしょうか。
—-
さて、昔は60歳だった寿命は、今は83歳へと4割も伸びたわけです。
本川達雄さんの名著『ゾウの時間 ネズミの時間』ではありませんが、
寿命が延びた分、成熟までに必要な期間も長くなっているのではないか。
それが、「年齢4割り増し説」の根拠です。
『論語』の年齢区分に、20歳の別称である「弱冠」を加え、
それぞれ1.4倍した年齢を下表にまとめました。
| 意味あい | 従来の年齢(A) | 新基準(A×1.4) | |
| 志学 | 学問の世界を志す | 15歳 | 21歳 |
| 弱冠 | 成人として認められる | 20歳 | 28歳 |
| 而立 | 独り立ちができる | 30歳 | 42歳 |
| 不惑 | 心の迷いがなくなる | 40歳 | 56歳 |
| 知命 | 己の使命がわかる | 50歳 | 70歳 |
| 耳順 | 周囲の声に素直に従える | 60歳 | 84歳 |
| 従心 | 何をしても人道を外れなくなる | 70歳 | 98歳 |
この表に従えば、大学入学は21歳、成人は28歳、
独り立ちは42歳頃までに済ませば十分ということになります。
僕も、「不惑」まであと十年あまりの猶予ができるわけで、ちと安心(笑)。
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ただし、この表が成立するには前提条件があります。
それは、少なくとも80歳くらいまでは生きること。
仮に健康を害して早世してしまうようなことになれば、
「ゆっくり成熟すればいいや」なんて甘えたことは言えなくなるのです。
だから、できるだけ健康を大切に。
そして、戦争や事故に巻き込まれないよう、日頃から努力を。
その上で、ともに爺さん・婆さんになった友人たちと、
「しかし、80歳になっても、俺たちってガキみてえだな」
なんて言いながら酒を飲むのが、僕の夢だったりします。
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まるで「威力偵察を受けて退却」レベルの弱腰~中国漁船船長釈放問題
- 2010年9月25日 08:30
- 雑文
中国漁船の船長釈放、心底がっかりしました。
これは、後世に語り継がれるべき失政です。
一般に偵察といえば、敵の様子をこっそり探る
「隠密偵察」をイメージする人が多いでしょう。
でも、偵察にはもう1種類ありますよね。
敵に対して小規模な戦いを仕掛け、
その戦力や布陣を調べる「威力偵察」です。
ここしばらく、中国が日本に対して仕掛けてきたことは、
典型的な「威力偵察」だったと思うのです。
普天間基地問題などを通じ、日本と、
日本にとって最大の後ろ盾であるアメリカとの溝は深まっている。
また、民主党政権には政治のプロが少なく、
その上、党内政治ばかりにかまけている。
弱体化している日本の政治状況を見て、
中国側は、日本にどの程度ガタがきているのか、
見極めようとしたわけです。
で、中国は、多少強い外交カードを日本に対して切った。
これに対し、日本政府は驚くほどの弱腰を見せました。
中国人船長が違法行為をしたかどうかではなく、
「政治判断」で船長の釈放を決めたのです。
中国側からみれば、まさに望外の戦果だといえるでしょう。
威力偵察をかけたら、敵軍が慌てふためいて全面退却したようなもの。
富士川の戦いで、鳥の羽音を聞いて潰走した平家軍を彷彿とさせます。
日本人にはもう、イタリア軍の弱さをあざ笑う資格などないですね。
今回の日本政府が非難されるべきは、ただ一点。
「その行為が正しいか正しくないか」ではなく、
「相手との力関係が強いか弱いか」で、行動を決めてしまったことです。
これは、誰からも尊敬を受けられない行為。
彼女と街に出かけた際にチンピラにからまれ、
彼女を置いて逃げてしまうくらいのていたらくですぜ。
お前にプライドってもんはないのかと。
日本はものを持たない国です。
資源はもちろん、食料だって自給できないような国。
こんな国が鎖国なんかしたら、すぐに立ち枯れてしまいます。
だから僕は、周囲の国と友好関係を築くことは
当然大事だと考えているわけです。
でも、隣国と仲良くすることと、その言い分を唯々諾々と聞くことは違う。
それは「友好関係」ではなく、「主従関係」です。
日本はものを持たない国。
だから、技術力やソフトパワーといった「こと」を売るしかないんです。
日本には、海外に誇れる「こと」がたくさんある。
例えば、環境技術だったり、映画・アニメ・音楽だったり、
日本料理だったり、「おもてなし」のノウハウだったり……。
そういった「形のない特産品」を輸出して、資源を買うべき国なのです。
でも、そのためには日本自体が尊敬されなくてはならない。
技術力やソフトの源は人。
結局、我々は人を買ってもらうわけですが、
尊敬されない国の人材を高く売るのは、
ものすごく難しいことです。
だから、日本が「尊敬される国」であることは、
ものすごく大切なことだと思うんです。
今回の日本政府の対応は、短期的には中国との対立を緩和したかもしれない。
でも、長期的にみれば、日本人の誇りを大きく傷つけてしまった。
それは、本当に大きな損失です。
今回の判断を下したであろう民主党政権の人々の名は、
しっかりと心に刻み込んでおきます。
彼らには二度と投票しない。
同時に、この問題に対して他の政治家がどのように対処するのか、
しっかり見極めておくつもりです。
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ジェフ千葉、しばしのさよなら
- 2010年7月28日 23:28
- 雑文
巻選手移籍会見全文「笑われるかもしれないけど、僕の中ではマンUやバルサと同じ価値がジェフにはある」
「今回、わたくし、巻誠一郎はジェフユナイテッド千葉からアムカル・ペルミの方へ移籍することが決まりました。(中略)最後は笑顔で皆さんにあいさつできればという気持ちでいっぱいです。このクラブには色々と本当にお世話になったと思っているので感謝の気持ちでいっぱいです」
巻誠一郎選手の移籍が決まりました。
巻は、ジェフユナイテッド千葉にとって特別な選手です。
ジェフにおける公式戦出場回数(269試合)は、
坂本將貴(351試合)、中西永輔(332試合)、
茶野隆行(281試合)に次いで4位。
通算得点数(68点)は、崔龍洙(64点)や
ネナド・マスロバル(53点)を抑えて
堂々の1位となっています。
そして、スタッツ以上に重要なのが、
巻がジェフの「生え抜き」だったことでした。
ジェフは、主力選手の流出を何度も経験しています。
2003年オフの中西、2004年の茶野、村井慎二、
2006年の阿部勇樹、坂本將貴。
そして2007年オフには、佐藤勇人、羽生直剛、山岸智、
水本裕貴、水野晃樹がチームを去りました。
もちろん、よりよい待遇や新しい環境を求め、
移籍を志願した選手もいたでしょう。
しかし、ジェフというクラブへの不満が移籍の引き金になったり、
クラブが功労選手を追い出すケースも少なくなかったと聞きます。
選手を大事にしないクラブ。
そして、選手にも愛想をつかされるクラブ。
悲しいことですが、それがジェフのイメージなのでしょう。
そんななか、巻だけはジェフを見捨てませんでした。
駒大を卒業してから、ずっとジェフ一筋。
他クラブから好条件のオファーを受けたこともあったようですが、
決して首を縦に振りませんでした。
2008年12月28日付け日刊スポーツ記事
「千葉巻年俸増断る『環境づくりにお金を』」
などから伝わるように、彼は誰よりも
クラブと同僚を大切にしていた選手だったと思います。
思い出に残るプレイもたくさんあります。
2005年のナビスコカップで初タイトルを獲得したときは、
巻が勝利を決める最後のPKを蹴りました。
キックが上手くない巻が5人目のキッカーに出てきたとき、
不安になったスタンドが少しだけざわめいたのが懐かしい(笑)。
奇跡のJ1残留を決めた2008年最終戦では、
0-2で負けていたチームを、巻だけが大声で鼓舞していましたね。
そして、2009年に降格が決まった試合では、
サポーターに何度も謝り、大粒の涙を流し続けました。
彼のプレイを批判する人はいましたが、
人柄や熱意を疑う人は、ごくごく少数派だったはずです。
数多くの実績、クラブに捧げた情熱、
そしてたくさんの記憶に残るプレイと言動。
巻は、疑いなく特別な選手です。
そして、特別な扱いを受けてしかるべき選手だと、
僕は確信しています。
上で紹介した記事によれば、
そんな巻の移籍に際して、クラブの社長はこのようにコメントました。
「どの選手がこのクラブを1番愛しているとかそういう話ではなくて
みんな、このクラブのために一生懸命やろうという風に思って
頑張ってきてくれたし、巻くんも一生懸命、
駒澤大学を出てからこの間、頑張ってきてくれました。
誰がどうのではないと思いますし……(以下略)」
つまり、社長は巻を、ただの一選手だと言っています。
他の選手と大差ない、移籍させても問題ない選手だと言っています。
それはないんじゃないのかな。
ジェフの社長職など、代わりの人材はいくらでも見つかるんですよ。
でも、巻誠一郎に、代わりはいない。
そんな当たり前の事実が、
この社長には全く理解できていないんですね。
最初は頭に血が上り、
その後は、ただ悲しくなりました。
もちろん、ピークを過ぎたベテラン選手の処遇が、
クラブにとって悩ましい問題だということは理解できます
(僕は、巻はまだまだ活躍できる選手だと思っていますが)。
ベテランを放出した方が、長い目で見れば
クラブの戦力アップにつながるケースもあるでしょう。
ただ、それにしても、言い方、やり方というものがある。
「今までご苦労さん。じゃあね」で終わりじゃ、
あまりにも冷たすぎるでしょう。
社長は、こう言うべきだった。
「巻選手は、長い間ジェフの顔であったし、
厳しい時代のジェフを支えてくれた功労者です。
その選手が海外移籍するのは、クラブとしてもつらい。
しかし、巻選手が海外で活躍して名声を高めてくれれば、
クラブにとっても嬉しいことです。
そして、いずれはジェフに戻り、ジェフの一員として
引退してくれることを望んでいます」
で、最後は「1日契約」を結んで、
巻にジェフのユニフォームを着たまま引退してもらえばよかったんです。
クラブへの愛着は「よい記憶」の量に比例すると、僕は思っています。
だから、過去の記憶をバサバサと切り捨てたり、
よい記憶を忌まわしい記憶で上書きするようなクラブは、
いずれサポーター・ファンから見放されるはず。
ジェフは今、そうした道をまっしぐらに進んでいるように見えます。
少なくとも僕は、ジェフを応援する気持ちが薄れている状態です。
ひとまず、プロフィール(書き手について)欄から、
ジェフの名前を消すことにしました。
しばらく、試合を観ることはないでしょう。
そして、ロシアリーグの巻を精一杯応援するつもりです。
心が癒える日まで、さよなら、ジェフ。
いずれ時が来たら、戻れたらいいなと思っています。
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